11.揺れるスマートフォン
「……笑った」
盛大に笑っている。梅村くんの手からいちご飴が滑り落ちてしまわないか心配になるほど。
「俺だって笑うよ」
呆気に取られているわたしに、梅村くんは当然のことのように言う。けれども彼の『笑う』は相当珍しい。
「こ、こんなにわかりやすく笑ってるの、初めて見たんだもん。貴重だよ」
「これから珍しくなくなると思うよ」
「どうして?」
「んー?」
ふわりと目元を緩めた梅村くんが、もう一度わたしのお面を撫でた。
「多分西さん、俺のツボだから」
このイケメンは何を言ってるの?
梅村くんの過剰摂取は体に悪い。間違いない。心臓が太鼓の練習中かと疑いたくなるくらい活発に動いている。
必死に平静を装うわたしの隣で、梅村くんはいちご飴をちびりとかじった。
盗み見た横顔は提灯の明かりに照らされていて、長いまつ毛の影が落ちていた。
「俺ね、中学の時に仲が良い男友達がいたんだけど」
「うん?」
「女子関係で崩れてさ」
「……聞いても大丈夫な話?」
話の流れ的に、先ほど見かけた人についてだろう。
「西さんならいいかなって」
無理して話そうとしているわけではなさそうだ。わたしが黙って頷くと、梅村くんはどこか遠くを見る。
――梅村くんには中学一年生の頃、どうにも苦手な女子生徒がいた。
当時身長が低く肌荒れに悩んでいた梅村くんは、その女子が自分の容姿を貶しているところを偶然聞いてしまったそうだ。
「今だったら興味ない相手に何言われたって気にしないんだけど、あの頃はコンプレックスを抉られたショックが大きくてさ。その人のことが苦手だった」
幸いなことに、その女子とはほとんど関わりなく過ごせていたらしい。
気の合う男友達と平和な学校生活を送るうちに、梅村くんのコンプレックスはどちらも解消されていた。
「あのまま卒業できてたらなって、今でもたまに思う」
だがそうはいかなかった。
中学三年生になった頃、梅村くんの友達に好きな人ができた。それが例の女子だったのである。
どこを好きになったのか理解できない。でも自分が知らないだけで、彼女にも魅力があるのだろう。そう思うことにした。梅村くんは何より、友達の恋を応援したかった。
「あいつらが上手くいくように、グループで遊んだりするのに付き合ってて」
女子生徒と友達の仲は深まっているように見えた。だから安心していた。
友達が中学卒業前に告白すると言ったため、「頑張れよ」とエールを送った。あと少しで終わる。二人の関係が上手くいけば、グループで出かけることはほとんどなくなるだろう。耐えてきた時間が報われると思った。
しかし卒業間近になって、例の女子生徒は梅村くんに告白してきたのだ。
「俺は個人的に苦手なままだから、正直意味がわからなくて。でも友達の好きな人をぞんざいに扱うわけにもいかないから、聞いたんだ。『俺なんかのどこがいいの?』って」
最初に返ってきた言葉は『背が高くて格好いいし』だった。梅村くんはこの時、彼女のことを心の底から軽蔑し、受け付けられなくなったと言う。コンプレックスを克服したのだから喜んでもいいはずなのに、嫌悪感しか抱けなかった。
人の心を平気で傷つける人間は、いつまでたっても表面しか見ていないと感じたそうだ。
「告白はすぐに断って、そこからその人とは話してない」
梅村くんは感情を過去に落としてきたかのように、淡々と言葉を発した。
先ほど見かけたという『ちひろさん』は、梅村くんを傷つけた人だったのだろう。会いたくないのもわかる気がする。
「梅村くんの友達にはなんて伝えたの?」
「それまでのことを全部話そうとしたんだけど、聞いてもらえなくて関係が崩れた。すぐに卒業したから、そっちともそれっきり」
「後悔してるだろうね。その人」
「なんで?」
「梅村くんの友達だからこういうこと言っちゃいけないけど、梅村くんみたいな友達手放すなんて、おバカだよ」
「……あいつが後悔してるなら、ちょっとスッキリするかな」
梅村くんが意地悪そうに笑うから、わたしも笑う。時間が経った今はこんな顔ができるけど、当時は辛かっただろうな。
「梅村くんが学校で女子と話さないのって、中学の時の経験が原因?」
以前友達が言っていた。梅村くんは女子に対して壁を作ると。それなのに実際に話してみると優しいし面白いから、疑問に感じていたのだ。
梅村くんは苦笑いを浮かべ、浅く頷く。
「女子自体が苦手なわけではないんだけど……男子と女子が何人か集まると不快なことに巻き込まれそうだなって思っちゃうんだよね」
過去に痛い目にあった人ならではの考え方である。
「俺は立ち回り方が下手みたいだから、多分トラブルが起きる前に回避できない」
「だから初めから女子と関わらないようにしてるってこと?」
「誰とでも仲良くしたいとは思わないからっていうのもあるけどね」
梅村くんの女子に対する壁は、彼の心を守るために必要なもののようだ。
「わたしと文通を続けてくれたのは……」
「西さんは俺の中身にしか興味なさそうだったから。中身っていうか、製図が好きかどうかだけ」
「それはそれで、人として、どうかと思うけど」
「でも俺は嬉しかった。途中から製図以外の話も増えたけど、やっぱり西さんは俺の中身にしか興味なくて。文通が楽しいのは変わらなくて。……だから、会いたいと思った」
梅村くんは、わたしを誘った時から緊張していたと言っていた。おそらくたくさんの想いを抱えていたのだ。期待だけではなかっただろう。怖かったかもしれない。実際に会ったら関係が崩れるかもしれないと怯えていたのは、彼も同じだったはずだ。
結果として、わたしたちはこうして二人の時間を過ごしている。だけどわたしは、梅村くんが作り上げた平穏を壊したくはない。
「じゃあ梅村くんとわたしが話すのは、知り合いがいない場所限定にすればいいってことだね」
それがいい。
「展覧会に行く時とか放課後のパソコン室でなら話せるし、いつも通りスマホで連絡取れば会う予定も立てられる。そうすれば周りに気をつかわなくていいでしょ?」
「それは、そうだけど」
今までと変わらない。元から梅村くんと学校で会う機会は少ないため、不便もない。
「楽勝だねぇ」
梅村くんと直接会ったのが夏休み直前だったこともあり、まだりっちゃんにも彼との関係を話していない。わたしたちが知り合いだと気付く人はいないだろう。
ちょっとしたミッションのように感じてわくわくするわたしと違い、梅村くんは困惑しているようだ。
「学校では他人設定ってこと?」
「うん。人に見られてなければ学校でも話せるけどね。面白そうじゃない?」
「西さんに失礼だと思うんだけど」
「どこが?」
「俺の面倒なトラウマに付き合わせて、知らない人みたいに振る舞うって。同志なのに」
梅村くん、勘違いしてるね。
「同志だからだよ。対等な関係なのにどちらかに不安が残る接し方を選ぶ方がおかしい」
わたしと過ごす時くらい、もっと気楽に考えてほしい。
「みんなに秘密っていうのも、きっと楽しいよ」
緩んだ顔でいちご飴をひとかじりした。シャリシャリ、ジュワッっと果汁が口内に広がる。
そもそも梅村くんとはデスクトップ上でしか会話ができなかったのだ。今の関係は恵まれすぎている。どうせなら二人だけの秘密だと考えて大切にするべきだろう。
――シャリシャリ、シャリシャリ。うん、甘くて美味しい。
「西さん、こっち見て」
「ん?」
素直に呼びかけに応じると、そこにはスマホを構えた梅村くん。――カシャッ。
……え?
「今……撮った?」
「撮った」
梅村くんって、嘘つかないんだなぁ。
「絶対変な顔してた!」
「そんなことないよ」
「なんで撮ったの!?」
「んー。……西さん見てたら、撮りたくなった」
梅村くんって、わたしに負けないくらい変な人だなぁ。
「消してくれたりします?」
「嫌だ」
「それならわたしも梅村くんのこと撮ってやる」
「需要なくない?」
「わたしの写真の百倍はある」
もちろん誰にも見せないし渡さないけどね。だからこそ需要が跳ね上がるのだ。ぐはは。
「一人は恥ずかしいから一緒に撮ろ」
「自分だけずるい」
「こっち寄って」
「お兄さん、話聞いてます?」
「俺はずるいから西さんと撮りたいの。嫌?」
「…………今日はこのくらいで勘弁してやるか」
「無理やり勝った感出そうとしないで。スマホ、ブレるから」
梅村くん、もうぷるぷる震えてるよ。笑うならもっとしっかり笑いなよ。わたしの方が恥ずかしいんだからね。
梅村くんの揺れるスマホを見ていると、こちらまで力が抜けてきた。
仕方がない。夜を照らすような眩い笑顔に免じて許してあげよう。決して可愛さに負けたのではない。決して。
「西さん」
「なあに?」
「USB見つけてくれたのが西さんでよかった」
――カシャッ。