10.梅村くんのバージョン更新
夏休み中、わたしの脳内では梅村くんについての情報が日々更新されている。
前回の展覧会の帰り道、お互いの出身中学校が隣で、最寄駅が一つしか違わないことを知った。
のんびりペースでも途絶えない連絡にて、梅村くんが中学生の頃バレー部だったことを知った。
朝の星座占いで牡牛座もチェックするようになった。順位も内容もすぐに忘れるくせに、ラッキーアイテムだけは教えてあげたりしている。
毎日どこかのタイミングで梅村くんを思い出すのが当たり前になってきた。おそらく今日の西洋美術展でも、彼の情報は更新されるのだろう。そんな予感があった。
「――西さんこの襟知ってる? ハリセンを首に巻いたみたい」
「襞襟だね。えーっと……ヨーロッパの王族とか裕福な市民がつけてたんだって」
「これ高貴な襟なのか。……うわ、ドレスの形って時代によってこんなに変わるの? 西さんはどれが好き?」
ガラスケースに展示されている複数のドレスを眺めながら、梅村くんが聞いてきた。彼はわたしの付き添いで来たはずなのだが、意外にも服に興味を示してくれている。それでこそわたしも情熱をぶつけられるというものだ。
「どうしよう。どれもいいところがあって選べない。刺繍やリボンがたっぷりのロココスタイルも可愛いし、直線的なシルエットの中にパフスリーブで可憐さを醸し出すエンパイアスタイルもたまらない。ハイウエストなのも好き。でも袖山を下げて視覚的な撫で肩を作り上げたロマンティックスタイルも捨てがたい。バスルスタイルは――」
ここは楽園だろうか。ぜひ住みつきたい。
息継ぎも忘れて饒舌にドレスへの愛を語り、数秒後我に返る。口元を押さえ、梅村くんの顔色をうかがった。相変わらず綺麗な無表情だ。
「ごめん。喋りすぎちゃった……」
「目がきらきらしてて小さい子みたいだった」
「おう? バカにしてるね?」
「褒めてるの。ほら、今日は好きなだけ見よう」
ちびっ子扱いには不満があるものの、じっくり見させてもらえるのは嬉しい。時間をかけて各フロアをまわり、展示物を堪能する。
服飾の歴史は時代背景との結びつきが強い。
なぜウエストを限界まで絞るのか。なぜシルエットを重要視するのか。なぜ使用する素材に変化があったのか。全てに意味がある。
頭のてっぺんから足の先までを使って、その時代を生きた人々の思想を表現しているようだった。
「――そろそろ出口かな?」
服の展示は今いる展示室までのはずだ。けれども廊下は別の部屋へと続いている。
他にも何か展示されているのだろうか。廊下に設置された案内パネルを頼りに進み、パンフレットをぺらりとめくった。わたしはそこで足を止める。
「大変だ梅村くん」
「どうしたの?」
わたしとしたことが、完全に予習不足だった。まさかこんなものまで展示されていようとは。
「ここから先、お城の間取り図コーナーでございます」
「……最高じゃん」
梅村くんの目が一瞬輝いたのを、わたしは見逃さなかった。
*
展示品を全制覇し、美術館から出た頃には夕方になっていた。まだ明るいが、日が傾き始めている。
「今日も何か食べて帰る?」
わたしが尋ねると、梅村くんはパンツのポケットからスマホを取り出した。
「そうしよう。この辺りだと……あ、今日夏祭りか」
「そうなの? だから人多いんだね」
改めて周りを見るとあちらこちらにポスターが貼ってあるし、浴衣の人もいる。
「西さんって門限ある?」
「連絡すれば何時でもオッケー」
「じゃあついでにお祭り寄っていこう」
「お祭りがついでな人、わたしたちだけだよ」
「だろうね」
変なの。おかしくて笑いながら、オレンジ色の空の下を歩く。
お祭り会場に到着すると、早速屋台を見てまわった。イカ焼きに綿菓子、フライドポテト、かき氷、牛串。香りに誘われ目移りしてしまう。
悩んだ結果、わたしたちは焼きそばで腹ごしらえをし、その後はゲームに夢中になった。
「梅村くんが射的の名人だったとは」
「完全に今日才能が開花した」
「お恵み感謝」
駄菓子の詰め合わせをとってもらったため、しばらくはおやつに困らない。
二人で活気ある屋台の間をぷらぷらと散策する。浴衣を着たカップルや子供を肩車して歩くお父さんなど、辺りは笑顔で溢れていた。うーん、浴衣も好きだけど、甚平も捨てがたい。
「結構歩いたし、ゆっくりできそうな場所探そうか」
梅村くんの意見に賛成し、座れる場所を探してみる。二人でキョロキョロしていると、梅村くんが動きを止めた。いい場所を見つけたのだろうか。
「……ちひろ」
周囲の音にかき消されてしまいそうな声だった。
誰だろう。人が多く、梅村くんの視線の先はわたしには見えない。
「知り合い?」
「あー、うん。……ちょっとね」
歯切れの悪い返事だ。彼の表情は普段と大差ないはずなのに、どことなく苦しそうで心がざわめく。この顔はあまり見たくないかも。聞いていいのかわからないけど……。
「会いたい人? 会いたくない人?」
「できれば会いたくない、かな」
なるほど。それなら。
「……逃げちゃおっか!」
「え」
間の抜けた声を出した梅村くんの袖を掴み、踵を返す。
人の間を縫うように、来た道を小走りで戻っていく。途中、お面屋さんを目が捉えた。いいもの発見。屋台の前で足を止め、ずらっと並ぶお面から直感で選ぶ。
「すみません! この青とそっちの緑ください」
「あいよ〜」
屋台のおじさんからお面を受け取ったわたしは、梅村くんを連れて道の端に寄った。
「梅村くん、少し屈んでくれる?」
わたしに言われるがまま体勢を低くした梅村くんに青色のお面をつける。顔を全部覆ったら視界が狭くて危ないし、斜めくらいが似合うかな。……よしよし。
「梅村くんは背が高いから目立つけど、これつけてればバレないよ。どこからどう見ても青レンジャーだもん」
だから大丈夫だよと梅村くんに笑いかけ、わたしも緑色の戦隊ヒーローのお面をつけた。
近くの屋台でいちご飴を購入し、屋台のエリアから離れる。
しばらく歩くと人通りが少なくなってきた。空いているベンチに梅村くんと並んで腰掛ける。足の疲れが地面に吸い取られていくようだった。
「暑いねぇ。けどいちご飴美味しい〜」
「……さっきの人のことなんだけど」
「わたしにはよく見えなかったから、言いにくいことなら無理して話さなくていいよ」
「気にならない?」
「気にはなるけど、梅村くんが話したくなった時でいいかな」
「……そっか」
梅村くんは小さく息をついた後、自分がつけている戦隊ヒーローのお面を指さした。
「どうしてこのお面選んだの?」
「わたしたちは同志だから、仲間っぽいやつ選んだの。それに梅村くんはさ、わたしが進路のことで悩んでた時に相談に乗ってくれたから。ヒーローかなって」
「あの時は無責任なこと言ってないか心配だったんだけど」
「全然。好きなことを諦めてほしくないって言ってもらえて嬉しかったんだよねぇ。ちなみにお面の色は、梅村くんだから青にした」
「梅って言ったら赤じゃない?」
確かにそうか。でも――
「梅村くんは、蒼士くんでしょ? 蒼って読むよね?」
だから青レンジャーなのだ。雰囲気にも合っていると思う。
理由を説明したのだが、梅村くんはわたしの顔を見つめたまま返事をしてくれない。
「漢字の読み方、アオであってるよね?」
「……あってる」
それだけ言ったかと思うと、梅村くんの手がこちらに伸びてきた。わたしがつけているお面を撫で、顔をのぞき込んでくる。
「じゃあ西さんは……琴葉ちゃんだから緑なの?」
……びっくりした。
梅村くんを舐めていた。呼ばれ慣れているはずの自分の名前が、可愛らしいもののように聞こえる。
「め、……名推理ですな」
暗いから顔の色までは見えてないよね。そうであってください。
急激に上昇した体温を悟られないよう、梅村くんから距離をとろうとした、その時――
「ふっ、……ははっ。謎が初級編すぎる」
肩を揺らす彼に、目を奪われてしまった。