第4話「実験開始」
早朝の練習場。
まだ朝靄の立ち込めるグラウンドに、二つの魔法陣が青白く輝いていた。露を含んだ草の香りが、かつての実験室の無機質な空気とは違う緊張感を運んでくる。
「気温16度、湿度72%...実験条件は良好ですね」
私は手帳に記録を取りながら呟いた。研究者の習性は、この世界でも変わらない。
「準備はよろしいですか、お嬢様」
ヴィルヘルム先生の声に、私は一瞬、研究所での重要実験の日々を思い出した。
(あの時と同じ...いや、むしろ今回の方が重要かもしれない)
魔法陣を最終確認する。二重スリット実験を参考に設計した幾何学模様は、地面に精密な対称性を描いていた。一ミリの誤差も、実験結果を大きく左右する可能性がある。
「では、第一実験を開始します」
私は姿勢を正し、実験内容を宣言する。
「実験目的:魔力の波動性の検証」
「仮説:魔力は量子波動関数として振る舞い、干渉効果を示す」
「検証方法:二重魔法陣による干渉実験」
ヴィルヘルムが厳かに頷く。彼の表情には、期待と不安が混ざっている。
その眼差しに、かつての指導教授を思い出した。
「魔力測定の準備を」
ヴィルヘルムが杖を掲げ、検知魔法を展開する。空中に淡い光のスクリーンが現れた。それは、量子実験での検出器のように、魔力の軌跡を可視化する装置となる。
深く息を吸い、私は魔力を集中させ始める。体の中で不思議な感覚が広がった。それは量子の重ね合わせのような、確率的な揺らぎを持つ波動。
(これが魔力...いや、量子場の具現化なのね)
「試行1、開始」
両手を前に差し出し、均一な魔力の流れを作り出す。指先から放射される青い光が、まるでレーザー光線のように直進する。その軌跡は、かつての量子実験で見た粒子の軌跡と驚くほど似ていた。
「魔力出力、安定」
ヴィルヘルムが状況を報告する。
「第一魔法陣、反応開始」
光が最初の魔法陣に到達する。円形の魔法陣が青く輝き、魔力の流れを二つに分岐させる。私は息を詰めて観察する。
「第二魔法陣、反応確認」
分岐した魔力の流れが、二つ目の魔法陣を通過する。
その瞬間。
「これは...!」
思わずヴィルヘルムが声を上げる。
検知スクリーンに現れた干渉縞は、教科書で見た二重スリット実験の結果そのものだった。規則正しい明暗の縞模様が、魔力の波動性を如実に示している。
「見てください、先生」
私は興奮を抑えきれず、スクリーンに近づく。
「この干渉パターン、完全にヤング実験の結果と一致します。魔力が波動関数として振る舞っている証拠です」
ヴィルヘルムも目を輝かせている。
「確かに...これまで誰も見たことのないパターンです。でも、お嬢様の理論では予測されていた現象...」
データを記録しながら、私は理論との整合性を確認していく。波長、干渉間隔、強度分布...すべてが量子力学の教科書通りの結果を示していた。
「では、次の実験に移りましょう」
ノートの次のページを開く。
「魔力の粒子性の検証です」
「粒子性...?」
ヴィルヘルムが首を傾げる。
「はい。量子力学では、波であり粒子でもある...」
その時、突然、視界が歪む。
まるで波動関数が収束するように、意識が一点に絞られていく。
(そうか...量子状態の制御には、精神的なエネルギーも必要なのね)
12歳の体が、大人の意識の要求についていけない。それは、この世界での研究の大きな制約となるだろう。
「お嬢様!」
ヴィルヘルムの警告が響く。
「申し訳ありません」
私は額の汗を拭う。
「体が...」
「今日はここまでにしましょう」
ヴィルヘルムが優しく言う。
「良い結果が出ました。これだけでも大きな一歩です」
確かに。
最初の実験で、魔力の波動性を証明できた。これは、魔法を科学的に理解する上での重要な一歩だ。
「ありがとうございます、先生」
私は深々と頭を下げた。
「明日は...」
「明日は別の訓練を」
ヴィルヘルムは微笑む。
「入学試験では、実践的な魔法も求められます。理論と実践、バランスよく進めていきましょう」
そうだった。私の目的は、単なる研究ではない。
王立魔法学院に入学し、より深い研究を行うこと。そして、この世界の真実に近づくこと。
* * *
書斎に戻り、今日の実験結果をまとめる。
ノートには、魔力の波動性を示す明確なデータが記録されていた。
```
実験結果:
- 干渉縞間隔:3.2cm
- 強度比:1:0.78:0.42
- 位相差:π/2
```
数値を見つめながら、私は考える。
この世界の魔法は、確実に量子力学で説明できる。
そして、その先には...
「もっと深い真実があるはず」
窓から差し込む朝日が、実験ノートを照らす。
私は次の実験計画を書き始めた。
『実験その2:魔力の粒子性検証
仮説:魔力は粒子としても振る舞い、離散的なエネルギー準位を示す』
(今度は、体力の限界も考慮に入れないと)
12歳の体という制約。
しかし、それは同時に新しい可能性も示唆している。
若い体が魔力...量子場をより敏感に感じ取れるのなら、それは研究にとってむしろ利点となるかもしれない。
ペンを置き、窓の外を見る。
朝日に照らされた庭園が、新たな発見への期待に輝いていた。