【閑話】カリサの黄昏
殿様としばしのお別れをした後、私の環境は大きく変わりました。
なんと、領主様にお屋敷をいただき、ヴァレリアさんと一緒に花嫁修業をしています。
ですが、突然、可愛らしい女の子十人と、少しお姉さんの女の子がやってきました。
お屋敷は広いので寝る場所には困りませんが、急に増えた同居人に戸惑っています。
朝から子どもたちの声が響き、食事の準備も今までよりずっと大変になりました。
ヴァレリアさんは領主様の言いつけで、女の子たちにお勉強を教えています。
私は夕食の準備をしていましたが、背後からじっと見つめられている視線に気づきました。
振り向くと、ゾーヤさんがテーブルからじっとこちらを見ています。
彼女の目は、ただの好奇心ではなく、何かを探るような色を帯びていました。
「カリサ、今日の晩御飯はなに?」
突然話しかけられ、思わず手を止めてしまいます。声は落ち着いているけれど、視線が妙に鋭い。まるで私の答えを試しているかのようです。
「シチューにしようと思ってます」
そう答えると、ゾーヤさんはわずかに首を傾げ、目を細めました。
「ふーん……」
たった一言。でも、その言葉がやけに重く感じて、胸の奥がざわつきました。何か言いたいことでもあるのでしょうか。
しばらくゾーヤさんが何か話すのを待っていたのですが、黙っている時間が長すぎて、だんだん落ち着かなくなってしまいました。
じっと見つめられていると、なんだか困ってしまいます。何か言いたいことがあるなら、言ってくれればいいのに……もどかしくなって、思い切って声をかけてみました。
「あの、ゾーヤさんは、殿様のお知り合いですか?」
もしかして、シチューが気に入らなかったのかな?なんて、ちょっと不安になりながらも、勇気を出して聞いてみたのです。
「殿様……誰?」
思いがけない返事に、少し驚いてしまいました。でも、ゾーヤさんの表情が微妙で、本当に知らないのか、それとも何かを隠しているのか、よく分からないのです。
「えっと……殿様は、殿様です」
なんと答えればいいのかわからず、ただそのまま言ってしまいました。ゾーヤさんは首をかしげて、興味があるのかないのか、やっぱりよく分からないのです。
そう言えば、ゾーヤさんは領主様と親しくお話をしていたので、もしかすると領主様のお知り合いかもしれません。
「領主様のお知り合いですか?」
「領主様?誰?」
ゾーヤさんは、また首を傾げています。
「ラウム様です」
「ラウムは知ってる。耀がラウムに頼んで、私たちはここに来た」
「耀?」
聞いたことのない名前に、私は首を傾げ問い返しました。
「うん、カリサの主人」
「殿様のことですか?」
「殿様?」
「だって、ミスティさんは『殿』って呼んでましたよ」
「ミスティが呼んでるだけ、名前は『耀』」
「ふぇー!」
思わず変な声が出てしまいました。私がお仕えしている方は『殿』という名前だと思っていたので、『様』をつけて『殿様』と呼んでいました。
——でも、ゾーヤさんは殿様の名を、なぜ呼び捨てしているのでしょうか?
「え、あの。殿様とは仲良しなんですか?」
つい、気になって口に出してしまいました。
「うん。私は耀の女」
「女……おんな!」
思わず声が大きくなってしまいました。
「間違えた。耀が私を女にした」
「お、女にした?」
「うん、二回した」
顔が一気に熱くなって、鍋の湯気よりも先に自分が蒸発しそうです。
「ふぇー!」
また、変な声が出てしまいました。確かに殿様は、子供っぽいところもありましたけど……だからといって、こんな少女とそんなことをしたのですか?
私があんなに迫っても、手を出さなかったのは、ロリコンだから……?
「大丈夫、セーフだから」
ゾーヤさんの言葉に、私はますます困惑しました。意味が分かりません。ロリコンの何がセーフなのでしょうか?
ゾーヤさんくらいが、殿様のセーフラインなのでしょうか?私もヴァレリアさんも、セーフラインを超えているのでしょうか?
「私だって、殿様は私の胸を吸ってくれました!」
思わず張り合ってしまいました……
「私はもっと凄いことした」
——勝てませんでした。
「カリサはいくつ?」
セーフラインかどうかのチェックでしょうか?それでさっき私を探るように見ていたんですね。少しくらいサバを読んだ方がいいような気がしますが、それが裏目に出ては困るので、正直に答えます。
「私は十八歳です。ゾーヤさんは?」
「五十歳を超えてる」
私は思わず手に持っていた調味料を落としてしまいました。ますます意味が分かりません。
何がセーフなのでしょうか?五十歳を超えないといけないのでしょうか?
殿様は熟女がお好みなのでしょうか?
でも、ゾーヤさんの見た目は、十四歳くらいです。
「童顔……熟女……」
いえ、童顔の範疇を超えています。
私の理解が及ばないほどに童顔……。
もしかすると、何か特殊な種族なのでしょうか?
「カリサ」
「はい」
「焦げ臭い」
「ふぇー!」
慌ててシチューをかき混ぜていると、ヴァレリアさんが部屋に入ってきました。
「先程から、時々大きな声が聞こえるが、何かあったのか?」
「いえ、何にも——休憩ですか?」
「私の歳を教えただけ」
「ゾーヤさんの歳……いくつなんだろう?」
ヴァレリアさんもゾーヤさんの年齢を聞いて驚けばいいのです。
「五十歳を超えてる……たぶん、五十六歳くらい」
「はぁー!」
ふふふ、私より大きな声で驚きました。
「ちょっと待ってくれ……ということは、あの少女たちも?」
「違う、あの子達は九歳から十二歳」
ヴァレリアさんは少し胸を撫で下ろしています。
「私はあの子の母親代わり」
「だから、ゾーヤさんは落ち着いているのだな」
「うん、だから耀はあの子達の父親代わり」
「そうか、耀という父親的な存在もいるのだな」
「うん」
ふふふ、ヴァレリアさんを驚かせてやりましょう。
「その『耀』というのは、殿様のことですよ」
「ん?」
「殿様のお名前は『耀』と言うそうです」
「はっ?『殿』と言う名前ではなかったのか?」
ヴァレリアさんの目が見開かれます。
「はい、ミスティさんが勝手に呼んでいるだけだそうです」
ヴァレリアさんはしばらく黙り込んだ後、ぽつりと呟く声が聞こえてきます。
「……いや、今さらそんなことを言われても困るのだが……」
まんまと、ヴァレリアさんが驚いた表情を見せました、でも、これからもっと驚くはずです。
「そうだったのか、勘違いしていた……でも、なぜ殿様が父親代わりなんだ?」
「耀が私を女にしたから」
「女にした?どういうことだ」
ゾーヤさんがヴァレリアさんに手招きしています。
そばに寄ったヴァレリアさんの耳元で、何かコソコソ話をしていますが、ヴァレリアさんの顔がみるみる赤く染まっていきます。
「そ、それは、本当なのか?」
「うん、二回目は私が上」
ヴァレリアさんは口を開いたまま固まり、次第に震えだした。
「ま、待て、待て待て……ちょっと整理させてくれ」
ヴァレリアさんは額に手を当て、深呼吸をしています。
「つまり……殿様は……ゾーヤさんを……二回……」
ヴァレリアさんの頬がますます赤くなっています。
「ロリコン?いや、殿様より年上か……」
「大丈夫、セーフだから」
ヴァレリアさんの表情が、戸惑いから困惑へと変わっていきます。
「あ、あのゾーヤさん。セーフってなんですか?」
私は勇気を振り絞りました。このままでは今夜、眠れそうにありません。
「知らない。耀が言ってた」
無駄な質問でした……しばらく眠れそうにありません。
ヴァレリアさんが気を取り直したように、胸を張ります。彼女のためには、私の質問は無駄ではなかったようです。
「わ、私だって殿様を背中に乗せて、草原を駆け回ったんだ。む、胸を鷲掴みにされながら」
ヴァレリアさんも無駄な張り合いをしてしまいました。
「んー、二人とも大きい」
ゾーヤさんが両手で胸を押さえています。やりました、勝てるところがありました。
なんてったって、私はミスティさんより大きいですからね。
「でも、アンナはもっと大きい」
「「はぁー!」」
私とヴァレリアさんの声が揃ってしまうほど驚きました。
「ちょっと待ってくれ……殿様は何人の女がいるんだ?」
「そうですよ。私だって殿様と親密になって、いろいろしたいのに!」
ゾーヤさんが首を傾げています。
「分からない。たくさん」
私とヴァレリアさんは、ため息と共にうなだれるしかできません。
そんな私達の気持ちを知ってか、ゾーヤさんは淡々と話を続けます。
「耀は自分の感情を理解できない可哀相な子」
どういうことでしょう……自分の感情を理解できない?
「だから、他人の感情も理解できない」
自分の感情を理解できなければ、人の感情など理解のしようがありません。
「見たことのない表情を目の当たりにすると戸惑う」
私も何度か殿様が戸惑う姿を見たことがあります。
「どうしていいか分からないから」
それじゃ、殿様は相手に流されやすいのでしょうか?
「それに、拒まないから、女がたくさん」
ゾーヤさんは席を立ちます。子供たちの様子を見に行くのでしょう。
「してほしいことは、はっきり言わなきゃ伝わらない」
ゾーヤさんの背中を見送った私とヴァレリアさんは、顔を見合わせます。
「確かに、殿様は表情が乏しいな」
「そうでしたね。それに私が迫ったときも戸惑って逃げていました」
ヴァレリアさんは大きなため息をつきました。
「でもな……『抱いてください』って言って断られたら、立ち直れないかもしれない……下半身が馬だしな……」
「ゾーヤさんの言ったことは正しいかもしれません」
「どうしてそう思う?」
「殿様は逃げはしても拒みませんでした……どうしたらいいか分からなかったのかもしれません」
私たちは顔を見合わせて、同時にうなずきました。
「次に殿様に会うまでに、女を磨いて自信をつけよう」
「そうですね。花嫁修業に新たな目標ができました」
ヴァレリアさんが、ふと辺りを見回します。
「なあ、カリサ」
「はい?」
「なんか、焦げ臭くないか?」
「ふぇー!」
いろいろ邪魔は入りましたが、無事に夕食ができました。
みんなで揃ってテーブルを囲むと、自然と賑やかな食事になります。ヴァレリアさんと二人より、楽しいです。私の作った料理を、『おいしい』と笑顔を見せながら食べてくれるのは、本当に幸せです。
夕食が終わると、子供たちは片付けを手伝ってくれます。片付けが終わったら、みんなでひとつの部屋に集まって、思い思いに過ごすのが日課になりました。
「ところで、殿様……耀様はこの子たちにも優しいのでしょうか?」
殿様の名を聞いて、少女たちが一斉にピクリと肩を震わせました。
それを見たゾーヤさんが、優しく声をかけています。
「な、何かあったのですか?」
「父親代わりと言っていたはずだが?」
ゾーヤさんが一番大きな子に声をかけます。
「話してくれる?」
その子は、小さくうなずきポツリポツリと話し始めました。
「——パパは、優しいけど怖い」
パパ……今、パパって言いましたよね?いや、今はそれどころじゃないです。話を聞かないと。
「どうして怖いの?」
私はその子に優しく聞いてみました。
「私たちといっぱいお話をしてくれて、いっぱい抱っこもしてくれた。けど……」
ロリコン……殿様のこの疑惑は、確認しないといけません。
「その後、たくさんの兵士を連れてきて……みんな食べた……」
「はっ!?」
ヴァレリアさんは驚きのあまり、口が開いたままになりました。
「食べたって言いました?」
私がもう一度確認すると、ゾーヤさんが代わりに話し始めました。
「この子達にそう見えただけ」
「じゃあ、どういうことですか?」
「耀は、自分が創り出した世界にいる」
「世界?この世界のようなものですか?」
ゾーヤさんは小さくうなずき、話を続けます。
「その世界は、耀が認めた人以外を全て飲み込んで、魔力に換える」
「どういうことでしょう?さっぱり分かりません……」
「例えば、周りの空気がカリサを包み込んで、何も残さず空気に換える」
「魔力がそれをするのですか?」
「そう、耀の世界は魔力に溢れているから」
「魔力が包み込んで、魔力に換えるってことか……怖い世界なんだな……」
ヴァレリアさんは腕を擦って、身震いしています。
「うん、魂すら残さない。痕跡すら許さない世界」
「確かに殿様はお強いです。私もたくさんの野盗をやっつけるのを見ましたし」
「うん、少なくとも三千人」
もう、唖然とするしかできません。想像を遥かに超えて、現実味すらありません。
でも、鳥肌が立つのが分かります。
この子達はそれを目の前で見たのですから、怖がるのも無理ないです。
ゾーヤさんの話は続きます。
「それも、数時間で……その数時間に、私が女にされた時間も含む」
何を言っているのでしょうか、この人は……
「ゾーヤさん!」
ヴァレリアさんの声に、私も続きます。
「子供たちの教育に悪いです」
「そうだった……」
「でも、優しいパパは好き」
年少の子がぽつりと呟いたその一言で、一気に部屋の空気が和らぎ、私もなぜか安心しました。
その後は自由な時間をみんなで過ごしました。
私も殿様のために買った本を読み聞かせました。喜んで聞いてくれる表情は何とも言えません。
私も子供が欲しいです。
「そろそろ、寝る時間」
そう言って、ゾーヤさんは子供たちを連れて、部屋に向かいました。
寝る時は全員一緒に寝て、ゾーヤさんが面倒を見ています。
私も自分の部屋に向かい、ベッドに入ります。
ふと、いろいろな思いが頭を巡ります。世界を創って、怖くて、優しくて、ロリコンで、熟女好きで、女がたくさん……そしてセーフ。
——私は、とんでもない人に仕え、愛してしまったようです。
今度会うときまでに、花嫁修業をたくさん積んで、殿様にふさわしい私になれるように……。
言いたいことも、聞きたいことも、たくさんありますけど、一番最初は……やっぱり『好き』って伝えたいな。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。




