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イオナ生誕祭

(しげる)さんと幸子(さちこ)さんを昼食でもてなした日の夜、イオナの誕生日を祝う、ささやかなパーティを開いた。

準備を進めたのは主にアンナと真由美だったが、イオナの希望もあり特別なことはしない。

用意されたのは、いつもより少し豪華な料理とケーキ、そしてお酒。プレゼントもない。

イオナ曰く「欲しい物はお金で買えないか、入手困難なものばかりです」とのこと。

それでいて、彼女は不満どころかどこか満足そうに酒を口に運んでいた。

僕とアンナはイオナの酒の相手をし、レイと真由美はジュースを飲みながら、にこやかに皿を取り分け合っている 。

誰もプレゼントがないことを気にしない。むしろ、それがこの場に自然な空気を生んでいた。


「イオナは何歳になりましたの?」


レイがからかうような笑みを浮かべ、料理を皿に取りながら問いかける。


「分かりませんが、レイ様より年下です」


イオナは余裕の笑みを浮かべ、指先でワイングラスの脚をなぞるように揺らしている。その視線はレイを真っ直ぐに捉えたままだ。


「レイは十九歳ですわ」


レイがゆっくりと料理を口に運びながら言うと、イオナはくすっと笑い、ワインを一口含む。


「では、私は十七歳くらいですね」


イオナがわざとらしく(おど)けた表情で小首を傾げると、レイは含みのある微笑を浮かべ、その仕草をじっと見つめる。


「それなら、アンナが一番お姉さんですわ」


レイが愉快そうに言ったその瞬間、真由美の少し大きな声が会話を(さえぎ)った。


「いいえ、私です……こんな格好をしていますけど、もう三十路なので」


真由美は笑顔を浮かべているが、その目元だけはどこか冷ややかだった。

この場では、年齢の話が自然に交わされている。けれど、それが本当に気軽なものなのかどうかは分からない。

少なくとも、レイだからこそ許される会話なのだろう。

僕は静かにグラスを揺らし、波打つ琥珀(こはく)色のウイスキーを眺めながら、耳を傾けるだけにした。


「ご主人様、お酒をどうぞ」


アンナが柔らかく微笑みながら、そっと僕のグラスにウイスキーを注いでくれる。


「ありがとう」


注がれると同時に立ち昇る、新樽特有の香りと共に、思い出が(よみが)ってくる。


「そう言えば初めて会ったときも、こうやって注いでくれたんだよな」


グラスを軽く揺らしながら言うと、アンナは目を細め、懐かしそうにうなずいた。


「そうでしたね」

「レイとどちらが注ぐかで、言い争っていたな」


僕の何気ない呟きに、アンナとレイが微笑んでくれる。


「もうすぐ一年になるんですよね」


アンナが静かに言葉を継ぐと、僕は改めて時間の流れを思い返す。


「いろいろあり過ぎて、まだ一年しか経ってないのが驚くよ」

兄様(にいさま)は、何が一番印象に残っていますの?」


レイが身を乗り出しながら問いかける。


「うーん、そうだな——」


グラスを傾けながら思案するが、一番と言われると、これしか思い浮かばない。


「初めて会った時の二人が全裸だったことかな……」


言った瞬間、アンナとレイの顔がみるみる赤く染まった。

何せ、初対面の男の前で全裸、しかも、僕が指摘するまでそれに気づかず会話していたのだからな。


「私も全裸の方が良かったですか?」


イオナが唇の端を上げながら、からかうように問いかける。

正直、初めて見たイオナを怖いと思った……が、それは言わない方がいい気がした。


「イオナを初めて見た時は、かっこいいと思ったよ。あと、車の中がいい匂いだった」

「私はどうでした?」


真由美は興味深そうに尋ねる。


「うん、ちっちゃいなって思った」


イオナへの回答を無難にこなした達成感からか、つい口を滑らせてしまった。


「——そこが可愛いと思ったよ」


真由美はふいっと顔をそむけてしまった。取り繕うつもりが、逆効果だったらしい。


「真由美、レイは全裸なのに気づかず、初対面の兄様に抱きついてしまいましたの。まだ、真由美の傷は浅いですわ」


全く慰めになっていないレイの言葉は、誰にも拾われることなく霧散していった。


「耀様、どうぞ」


イオナが(しゃく)をしてくれる。相変わらず所作が美しい。


「ありがとう。イオナも飲んでる?」

「はい、ワインを頂いております」


イオナがふいに小首を傾げ、じっと僕を見つめる。酔いのせいか、ほんのり染まった頬が(つや)っぽさを増していた。


「ご友人はお越しになられるのですか?」


その言葉を聞いたアンナ、レイ、真由美の視線が僕に突き刺さる。


「ご主人様……まさかとは思いますが」

「女ですわ」

「レイもそう思いますか」


うんうんとうなずくレイに、真由美も静かに同意する。


「私も女だと思います」


——僕は一体、何だと思われているんだろう?

まるで、目の前の獲物を容赦なく狩る狼のように思われているような気がする。


「女性も来る」

「やっぱり……」

「だが、僕の大学時代の友達の奥さんだ」


アンナと真由美はホッと胸を撫で下ろすが、レイだけはわずかに唇を尖らせ、不満げな顔をしていた。

その表情を見ていると、彼女が何を期待していたのか気になってしまう。


「来週の水曜日に来るそうだ」

「では、準備をしないといけませんね」


アンナは張り切ったように胸を張る。


「ついでだから話しておくけど、用事があるのは奥さんの方だ」

「兄様、ご友人の妻を寝取るのは、いくらなんでも許せませんわ」

「だから、僕を何だと思っているんだ」

「盛りのついたワンちゃんですわ」


レイは微笑を浮かべながら、躊躇(ちゅうちょ)なく言い放った。その視線が真由美へと向かうと、真由美は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむく。


「ひどいな……まあいい、もうひとりの僕に頼まれていてね。ちょっと待ってて」


僕は部屋に戻り、預かっていた服を持ってリビングに戻った。


「このサイズのロリータ服を作ってほしいんだ」


アンナが受け取った服を広げると、四人は顔を見合わせる。


「大きい服ですわ」

「その方が作るのですか?」

「いや、奥さんはコスプレ好きで、自分で衣装も作っているそうだけど、アンナたちに教わってもらいたいんだ」

「教わりますの?」

「そうなんだ。レイは、例えば甘ロリの衣装をデザインしてって頼まれたら、書けるかい?」

「無理ですわ」


レイは一言だけ答えると、ジュースを口に運んだ。


「アンナは、ファッション誌に載ってる甘ロリの写真で型紙を起こせるかい?」

「作ったことがないので無理ですね」


アンナは困った表情で首を振る。


「だから、その辺をアンナとレイに教えてもらえればと思ってるんだ」

「しかし、耀様。その服は……どう見ても男性用なのですが?」


不思議そうに服を見つめるイオナの言葉に、真由美も疑問げな顔をする。


「そうですよね。私も話がつながらなくて考えていました」

「男性なんだそうだ」


その瞬間、沈黙が広がった。


「……え?」


アンナがまじまじと服を見つめる。


「どうして男性がロリータを?」

「趣味らしいが、それ以上は立ち入っていない」


アンナは気を取り直したように胸を張る。


「分かりました、ご主人様。ぜひお任せください」

「よろしく頼むよ。アンナとレイが教わっている間に、男同士で趣味の話でもしておくよ」

「旦那様、私も一緒に教えてもらっていいですか?」

「もちろん。作るのはアンナと真由美になるだろうからね」

「楽しみです」


真由美はほっとしたように微笑んだ。

他愛もない話をしながら、僕たちは結構な時間を楽しんでいた。

ふと、真由美が僕の顔をじっと見つめる。


「旦那様、少し飲み過ぎではありませんか?」

「そうですね。耀様は勧められると全て飲み干してしまうので、かなりの量を飲んでおられます」


イオナが冷静に指摘する。声の端に、わずかな呆れが混じっていた。


「いや、まだ大丈夫だよ」

「兄様がそのように言う時は、決まって飲み過ぎですわ」


レイがため息混じりに言う。その口調には、何度も見てきた光景に対する諦めが(にじ)んでいた。


「そうですね。また二日酔いのお薬を準備しましょうか」


アンナの言葉に、嫌な記憶が頭をよぎる。過去の失態が、脳裏に蘇ってしまった。


「——先に休ませてもらおうかな」

「真由美さん、片付けは私がしますので、ご主人様を寝させてください」


アンナが淡々と言い、真由美が優しく微笑む。


「はい、では旦那様、お部屋に行きましょう」


真由美に手を引かれ、リビングを後にする。背後で、三人がひそひそと何かを話していた。


「……いたしますわ」

「はい」

「間違いありません」


その言葉の意味を追うのはやめて、僕は真由美と自分の部屋へ向かった。


——リビングに残った三人は、ソファへと移った。


「改めて、イオナさん、お誕生日おめでとうございます」

「おめでとうですわ」


アンナとレイが缶を掲げると、イオナは微笑みながら軽く会釈し、ワイングラスを手に取る。


「ふふっ、改めて言われると、何だか気恥ずかしいです」


グラスの中の液体を軽く揺らし、一口含む。その動きの合間に、ふとアンナへと目を向けた。


「……しかし、アンナ様」


一瞬の躊躇(ためら)いが、その瞳の奥に浮かぶ。


「これでよろしいのですか?」

「何がですか?」


アンナはビールを片手に、小首を傾げる。その仕草は軽いものだが、口調はどこか意図的に無関心を装っていた。


「いえ……今まで、ずっとアンナ様がなさっていたことですので」


イオナの言葉に、アンナはレイにも視線を向けるが――ケーキの方が気になるようで、夢中でフォークを口に運んでいる。


「その件ですか」


アンナは薄く笑い、手にしたビールを一気に飲み干した。


「私は真由美さんが適任だと思います」


イオナのまなざしが、わずかに揺れる。


「……アンナ様がよろしいのでしたら、これ以上は申しません」


穏やかな口調。しかし、探るような色がわずかに滲んでいた。

レイは満足気に顔を上げ、両手に持ったジュースの缶を口に運ぶ。その動きの合間に、ふと視線を()らしながら、小さく呟いた。


「……気付いていますの?」


誰に向けられたとも分からないその声には、どこか寂しげな響きがあった。アンナは静かにうなずくと、当然のように缶ビールのプルタブを引く。


「気付いたから、毎朝お薬を準備しているのです」


プシッという音が、(かす)かな余韻を残して響いた。二人の会話にイオナが興味を示し、少し身を乗り出す。


「そう言えば、あのお薬はどうやって作っているのですか?」


レイは一瞬、アンナを見てから、イオナの耳元へそっと顔を寄せた。

(ささや)かれた言葉に、イオナの瞳が驚きに揺れる。


「……それは大丈夫なのですか?」

「問題ありません」


アンナは淡々と答えたが、その横顔は冷静すぎるほどに静かだった。


「しかし、なぜそれを材料に……」


イオナが戸惑いを隠せずにいると、レイが静かに言葉を添えた。


「魔力が豊富ですの。これはもう『聖水』ですわ」

「……ご主人様の身体(からだ)の重さは、魔力が失われたせいです」


イオナの指が、ワイングラスの縁をなぞる。


「それで魔力を補っているのですね……しかし、なぜでしょう?」


アンナとレイが、一瞬だけ視線を交わした。


「恐らく、もうひとりのご主人様が、魔力を供給して身体を強化するのを止めたのだと思います」


イオナの眉がわずかに寄る。


「……もしかして、真由美に同衾(どうきん)を譲ったのは?」

「それは違います」


アンナははっきりと否定する。しかし、次の言葉は、わずかに間を置いて続いた。


「ですが、今の状態のご主人様を抱きしめても、もうひとりの存在は感じられないかと」


レイが寂しそうに微笑む。


「レイの呼びかけも、届いておりませんわ」


イオナのため息と共に、ワイングラスの中の赤い液体が、音もなく揺れた。


「それより……ミスティさんのことですが」


アンナが少し声を張って、重くなった空気を払うように言った。


「最近、姿を見ませんが……」


アンナの呟きに、レイも小さくうなずく。


「卵をもらいにも来ませんの」


イオナがわずかに目を細める。


「まさかとは思いますが……」


アンナとレイが顔を見合わせ、言葉を飲み込んだ。


「兄様厨二形態の世界に行っているような気がしますわ」


三人は同時にため息をつく。

もうひとりの耀は、明らかにミスティに対する接し方が違う。あの蛇は、彼にとって特別な存在であることは間違いなかった。

ため息の後に訪れた静寂を断ち切るかのように、リビングに黒い霧がゆっくりと立ち込めた。


「……悪魔がきましたわ」


レイが小さく呟く。


「適当にお酒でも出しましょうか」


アンナとレイが、ため息交じりに目を合わせる。


「随分な出迎えであるな」


その声とともに、霧を吸い込むようにラウムが姿を現した。

その隣には、見慣れぬ装いの女性が(たたず)んでいる。


「……ミスティさん?」


驚きを隠せない声で、アンナが言う。


「うむ。久しいのアンナ殿、レイ殿、イオナ殿」


静かに微笑むその女性は、確かにミスティだった。

これまで蛇の姿か、せいぜいラミアの姿しか取れなかった彼女が、今は完全に人の姿をしている。


「……いったい、何がありましたの?」


ミスティが答える前に、ラウムが前に出る。


「うむ、(それがし)から話そう。その前に……酒を飲ませてくれぬか?」


立ち上がろうとしたアンナの腕を、イオナが軽く押さえた。


「アンナ様、私が準備いたします」


イオナの優雅な動作に、アンナは少し目を細める。


「では、お願いします」


ラウムは静かに腰を下ろし、ミスティもその隣に座る。

ラウムはイオナが差し出したグラスを手に取り、そっと揺らす。漂う香りをひと息吸い込み、目を閉じた。


「それで、何を教えてくれますの?」


レイの問いに、ラウムは無言でポケットに手を入れた。

ゆっくりと取り出したのは、一つの指輪と、精緻な細工の施されたブレスレット。


「主人からである」


ラウムは短く告げ、それらをイオナへと差し出す。


「耀様……からですか?」


イオナは、わずかに目を見開いた。

手のひらに載せると、そこに残る微かな温もりに、胸の奥が震える。


然様(さよう)であるな。これまでぞんざいに扱って悪かったと申しておった」


ラウムはグラスの酒を傾けた。


「イオナ、それには兄様の魔力が満ちていますわ」


レイがそっと囁く。


「それに……とても綺麗」


アンナがブレスレットを覗き込み、光を宿したような装飾に目を奪われる。


(なんじ)が必要とする時があるだろうと、主人が創ったのであるな」


イオナは、指輪とブレスレットをそっと胸に抱いた。耀の魔力が宿るそれは、ただの贈り物ではない。

確かに、耀の意志がまだここに息づいている——。

指先が震える——まるで、耀の手が、そっと触れてくれたようで。

だが、その静寂を破るように、ラウムの声が響く。


「その二つを同時に用いてはならぬ」


イオナは息をのんだ。


「……どういう意味ですか?」

「汝の身が持たぬ」


低く、重い声だった。

イオナが指輪とブレスレットを見つめる。

宝石に宿った光が、耀の鼓動に呼応するように、静かに脈動し、輝きを変えていた。

どれほどの力が込められているのか——静かに、イオナはうなずいた。


「さて、まず主人であるが、身体を創り出し、概念世界での姿を手に入れておる」


ラウムが淡々と告げる。


「うむ。それを見ておった(わらわ)強請(ねだ)ったらの……この身体を与えてくれての……妾は果報者じゃ」


ミスティが満足げに己の腕を見下ろした。

完全に人の姿を得たミスティは、かつてのラミアとしての面影を残しつつも、より洗練された気配を(まと)っている。

イオナが静かに問いかけた。


「それは、完全に概念者としての姿を得たのですか?」

「然様であるな」


ラウムが短くうなずく。


「でも、どうやって……」


イオナの呟きに、ラウムはゆっくりと口を開いた。


「かの世界に攻め入り、殺された輩の死体を元に、創り出したのであるな」


アンナ、レイ、イオナの視線が、一斉にラウムへと向けられる。


「それは……悪魔の所業ではありませんか」


アンナの低い呟きに、ラウムは肯定するようにうなずいた。


「したがって、人間としての肉体を助ける必要もないと申しておる」


その言葉に、レイとイオナが互いの顔を見交わす。

耀が、もはや人間としての存在を必要としない——それは、人間として生きる道を捨てたこと。

長い夜になりそうだ。ラウムは何を思うでもなくグラスを傾け、ミスティは静かに微笑む。


「あの世界の殿は若かりし頃の姿を取り戻されての、妾も惚れ直したのじゃ」


アンナとレイ、そしてイオナは静かに目を合わせた。言葉のないうなずきが交わされ、重い沈黙が場を満たす。次に紡がれる一言を、誰もが待っていた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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