ルシファー
朝から屋敷での小さな騒動がおさまった後、この世界を統べる堕天の王ルシファーの招待に応じるべく、耀とラウムを乗せた馬車は瑠璃色に輝く宮殿へと進む。
「其方は恐れぬのであるな」
「ああ、一度は無くした命だからな」
「恐れるものはないのであるか。昨日は街に出たそうであるな」
「俺も、この世界の住人になっていたのかもしれないと思って、見物させてもらった」
「稀代の女たらしが、この世界の住人にならず良かったのである」
順調に進んでいた馬車が静かに止まる。外からは何か話し声が聞こえはじめた。
「着いたのか?」
「否、検問を受けておる」
「ところで、ラウムは俺を女たらしに仕立て上げたいのか?」
「否、其方は既に女たらしであるな。カリサもそうであるが、メイドも数人其方に惚れておる」
「俺は何もしていないぞ」
「力ある者は、それだけで惹かれる者が現れる。其方の認識など、些細なことであるな」
話を遮るように、突然、馬車の扉が開かれる。
「ラウム様、牛獣人を入れる訳にはいきません」
その無礼な態度に、一瞬ラウムの目が鋭く光る。しかし、すぐに耀へと視線を移す。
耀は小さくうなずき、ため息をついた。
「そうか、じゃあ仕方がない……ラウム、お前だけ行ってこい。俺はカリサと帰る」
「然様であるか、では、そういたそう。カリサは其方の従者であるゆえ、仕方あるまい」
耀は馬車を降りると、御者台で拳を握りしめ、悔しそうに顔を伏せるカリサに声をかける。
「カリサ、帰るぞ」
「でも、殿様……」
「なに、問題ない。後はラウムに任せておけば大丈夫だ」
「はい、ごめんなさい」
「お前が謝る必要はない」
耀の手を借り御者台をおりたカリサは、顔を伏せたまま立ち尽くしている。
「せっかくだ、街を見物して帰ろう」
カリサは一瞬戸惑ったが、差し出された手を見つめ、ゆっくりと表情を緩める。そして、次第に頬を紅潮させながら、弾んだ声をあげた。
「はい!」
立ち去ろうとする耀の耳元で、狼獣人の兵が呟く。
「ここは貧弱な人間と、家畜が入っていい場所じゃないんだよ……」
「じゃあ、また後でな」
兵の言葉を無視し、御者台に残ったラウムの従者に手を振ると、耀はカリサに手を引かれながら、街へと去っていった。
「ラウム様、よろしいのですか?」
「陛下直属の近衛兵が言うのだ、仕方がないであろう」
馬車の扉が無情にも閉じられる。
ゆっくりと動き出した馬車を見送りながら、門兵は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ダークグレイの豊かな尾を左右に揺らしていた。
カリサと共に街を歩く耀に、彼女はキラキラと眩しい笑顔を向けてくる。
見るもの全てが新鮮なのか、道端に生える雑草にさえ興味津々な瞳を向ける。行き交う人々、呼び込む商人、口論する男たちの声にも聞き耳を立てているのが分かる。
「カリサ、はしゃいでいると危ないぞ」
「大丈夫ですよ。殿様、あっちからいい匂いがします」
駆け出したカリサを見失わないよう、少し歩みを早めて後を追うと、一軒の屋台の前で立ち止まった。
「殿様、こっちです!」
「おっ、牛獣人のお嬢ちゃん。この匂いに誘われてきたのか?」
「はい、とってもいい匂いですね」
「これ、何だと思う?」
「お肉ですか?」
「これは、芋だろう?」
「ふぇっ、殿様、もう追いついたんですか」
「兄ちゃん、良く分かったな。すりおろした芋を串に巻いて焼いたもんだ。安くて腹が膨れるから、人気なんだぜ」
「へー、お芋なんですか」
興味深そうに串を見つめるカリサの後ろから、突然、大声が響く。
「おい!牛の獣人がいるぜ!」
店主が鋭い目で声を掛けてきた男達を睨む。
「ここは牛の獣人がいたらいけないんだよ」
「よし、俺達が匿ってやるから付いてこいよ」
「ついでに、可愛がってやるからよ」
ベタな悪党のセリフに感心している耀を尻目に、男たちはカリサの腕を掴む。
「やめてください!」
嫌がるカリサをヘラヘラと笑いながら、舐めるように見る男たちに目を向け、耀は店主に尋ねる。
「あいつらは?」
「この向かいの廃屋に住み着いた、野盗だよ。うちの客に絡んで迷惑してんだ」
「お前になんか恨みでもあるのか?」
「ああ、あいつらの頭目は、俺の兄貴なんだ」
「その兄弟喧嘩に、俺が首を突っ込んでもいいか?」
「構わねえよ、早くお嬢ちゃんを助けてやんな」
店主の言葉が終わると同時に、全身から魔力を放出すると、街全体が一瞬、魔力の圧に打ちのめされるように震えた。
「さて、正義の味方の出番だな」
耀が目を向けると、ひとりの男は既に意識を失い、倒れていた。
「殿様!」
男たちの隙をついて、駆け出し胸に飛び込んできたカリサを抱きとめる。
「下がっていろ。あの店主は手練だ、一緒にいるといい」
「はい!」
店主の方に駆け出すカリサを確認すると、耀は鋭い視線で男たちを睨む。
「ひとりずつ可愛がってやろう」
「お、お、お前、悪魔だったのか」
この世界の住人でも理解し難い魔力に、男たちは後ずさる。
「悪魔ね。そうだな、この世界ではなく、別の世界の悪魔だ」
「よそ者が都で暴れたら、王様が黙っちゃいないぞ」
「ルシファーか。ちょうどいい、さっき追い返された借りを、お前らから返してもらおう」
ひとりの男の胸ぐらを掴み持ち上げると、向かいの廃屋に投げ込んだ。さらに、横で震える男を掴むと、廃屋から一斉に駆け出してきた男たちに向かって投げつけた。
身を躱しながら、拳を叩き込み、膝を落とし、男たちを次々と沈める。反撃の隙すら与えず、的確にひとりずつ丁寧に可愛がる。
最後の男が地面に転がると、奥でふんぞり返る男へゆっくりと歩み寄る。
「さて、俺はあの屋台の食いもんが気に入ってんだ、まだちょっかいかけるのなら、容赦はしないがどうする?」
「うるせー!ここは俺達の寝床なんだ、悪魔が口を挟むことじゃねーだろう!」
「そうか」
一言呟くと、拳を床に叩き込む。轟音とともに建物が揺れ、廃屋が崩れ始める。
「空の見える、良い寝床にしてやったぞ。感謝しろ」
耀の暴れっぷりを見ていた人たちから、一斉に拍手と歓声が上がる。
「すげーぞ、あの悪魔は桁違いだ!」「魔法を使わず身体一つで戦う悪魔なんて、初めて見たぜ!」「どこの領主様かしら、私、あの方に仕えたいわ」「愛人にして!」「ああ……素敵すぎてお尻のホールも震えちゃう……!」
様々な声を浴びながら、耀は屋台へ向かうと、店主の横で彼を見つめるカリサの頭を撫でる。
「怖くなかったか?」
「はい、殿様と一緒だったので怖くありませんでした」
「兄ちゃんすげーな」
「しばらくおとなしくなるだろう」
「ああ、あれじゃあもう住めねえしな」
店主は呆れた表情で、瓦礫の山と化した廃屋に目を向ける。
「ほれ、持っていきな」
瓦礫の山から抜け出し、逃げ出す男たちを眺めていた耀とカリサに、焼きたての串が差し出されていた。
「喰ってもいねえのに、気に入ったなんて言われちゃ困るんだよ」
「ありがとうございます」
「あんたら主従関係なんか?」
「まあ、そういったところだな」
「お嬢ちゃん、良い主人だから、しっかり仕えるんだぞ」
「はい!」
歩きはじめた耀の袖が、ふいに引かれる。
「あ、あの……殿様……」
串を手に心配そうな表情で、耀を見つめるカリサに穏やかな声をかける。
「心配するな、ひとりも殺しちゃいない」
「はい!」
笑顔になったカリサと、串を頬張りながら、屋敷へと向かった。
——一方、宮殿では。
「陛下、膨大な魔力を放ちながら街で暴れる男が居るようです。すぐに近衛兵を差し向けます」
「待て!——ラウムよ」
「間違いございません。先程の魔力はあの男のものであります」
「其方が追い返した男であるが、どう責任を取る?」
「は、そのような男には見えませんでしたが……」
「間違いないのであるな。あの男、この都程度なら一日もかからず破壊し尽くす力を持つ」
「そもそも、なぜ追い返した」
「牛獣人を宮殿に入れようとしておりましたので」
「——牛獣人を宮殿に入れてはならぬ決まりはないが」
ルシファーは視線ひとつで、兵たちの空気を凍らせた。
「いや、しかし……」
「其方の独断と偏見、それを行動に移した事により、この都は窮地に立たされている」
ルシファーが静かにカップをおろす。
「衛兵!その男を捕らえよ!本日の門兵も全て捕らえよ。その一族郎党も全て捕らえ牢に入れよ!」
閉じられた扉の向こうが慌ただしくなる。
「さて、ラウム。どうしたものか」
「某が屋敷に戻り、連れて参りましょう」
「頼めるか」
「お任せください」
豪奢な馬車が猛スピードで宮殿から飛び出した。周りを近衛兵の騎馬が取り囲み、醸し出す物々しい雰囲気に、道行く人は自然と進路を空ける。屋敷も近くなる頃、御者台から大きな声が聞こえる。
「ラウム様!いました!」
「止めよ!」
どう見ても仲良くデートを楽しんでいるようにしか見えない、耀とカリサを近衛兵が取り囲む。
「さっき、暴れた悪魔とその従者だそうよ」
「王様がお怒りになられたんだろ」
そんなヒソヒソ話を尻目に、近衛兵が一斉に馬をおり、耀とカリサにひざまずく。
「先程は、失礼いたしました」
馬車からラウムが降り、耀の元へ歩み寄る。
「其方がひと暴れしてくれたお陰で、つまらぬ輩が片付いたのであるな」
「また行くのか?」
「然様であるな」
「カリサは?」
「共に馬車に乗るが良い」
耀とカリサが馬車に乗り込むと、周りを騎馬兵が取り囲み、厳戒態勢で馬車は出発する。
「あの悪魔、やっぱり凄いやつだったんだ」「何とかして娘を嫁がせられないか……」「うほっ、男もいけるかしら……」
道行く人々の様々な思いを受けながら、馬車はゆっくりと宮殿に進む。
その門の前に到着すると、がっしりとした身体を燕尾服で包んだ男に案内される。
キョロキョロとするカリサにラウムが声をかける。
「カリサよ。これより応接室に赴くが、弁えておるな」
「はい、殿様の後ろに立ちます」
「よかろう」
豪華な扉が開かれると、中には人影が一つ立っていた。その人影は、部屋に入る足音に振り返る。
深みのあるネイビーのミリタリージャケットは、身体のラインに沿うように仕立てられ、金色のボタンと装飾が格式を添えている。肩章と袖口には赤い縁取りが施され、威厳のある佇まいを演出。ウエストは華美なゴールドの装飾ベルトで引き締められ、洗練されたシルエットを強調している。
ジャケットの下には、繊細なフリルがあしらわれた純白のブラウスが覗き、厳格な軍服に優雅な女性らしさを加えている。スカートはショート丈で、黒を基調としながらも、裾には白と黒のフリルが幾重にも重なり、動きに合わせて優美に揺れる。
頭には、軍帽に似せたブリムを被り、同系色の生地にゴールドの装飾が施されたデザインが統一感を持たせる。
首元には赤いリボンが流れるように結ばれ、衣装全体のアクセントとなっている。
——そして、それを着ているのは、マッチョだ。
短い袖口から伸びる、太い上腕二頭筋と上腕三頭筋、ブラウスも弾けそうなほどにたくましい大胸筋、フリルの動きに合わせて見え隠れする大腿直筋、外側広筋、内側広筋、太い首の上には美しくも威厳のある、王としての顔がある。
身体のラインに沿うように仕立てられた、ミリタリーロリータの衣装が、筋肉に引き伸ばされ、布地が悲鳴を上げているようにすら見える。
「よくぞ参った、余がこの世界を統べるルシファーだ」
歩み寄り手を差し伸べるルシファーと握手を交わす。
「お前、いい趣味してるな」
「殿様、王様ですよ……」
カリサが耀の袖を引き、小声で告げる。
「構わぬ、主は余の臣下ではない。普段どおりでよい」
「それで、俺に何の話があるんだ」
ルシファーは手振りで、耀にソファを勧める。
耀が腰をおろすと、その後ろにカリサが立ち、向かいにはルシファーとラウムが腰をおろした。
応接室まで案内してくれた男が、三人に紅茶を差し出す。それを見たルシファーが徐ろに口を開く。
「主は、力を求めてこの世界に来たと聞いた。余も主に力を授けようと思うが」
「断る」
「なにゆえ?」
「まずはお前の望むものを聞いてからにしたい」
「うむ。実はな……」
真剣な表情で、膝に肘をつき、身を乗り出すルシファーの様子を見て、後ろに立つカリサの喉がなる音が聞こえた。
「この衣装が気に入っているのだが、一着しかなくてな。聞く所によると、主が住まう国では、このような文化が盛んだと。余に服を贈ってくれぬか?」
耀も真剣な目になり、身を乗り出して話しはじめた。
「ロリータファッションか……もっと可愛いやつもあるぞ」
「良いな……どのようなものがあるのか?」
「甘い可愛らしさを追求した甘ロリ、エレガントさとクラシックさのクラロリ、ゴシックファッションと融合したゴスロリ、パンクファッションを取り入れたパンロリ、そしてお前が着ているミリロリ、俺が知っているのはその程度だが、他にもあるかもしれない」
「全て贈ってくれぬか?」
「ああ、だが、お前の体格に合わせると、作るしかなさそうだ。少し時間がかかるぞ」
「構わぬ」
「それと、サイズを知りたいから、なにか服を一着貸してくれないか?」
「それも構わぬ」
「出来上がったら、ラウムに頼んで運ばせよう」
「主が運んでくれぬのか?」
「それは無理だ、俺はラウムに頼らなければ、この世界に来れない」
横で話を聞いていたラウムが、ルシファーに助言する。
「この者が世界を渡る条件のひとつに、その世界に妻がなければならぬと——」
「うむ、然らば余の妹を……」
「——ダメです!」
突然響いたカリサの声が終わるとほぼ同時に、耀が声を上げる。
「ダメなのか?」
一瞬、沈黙とカリサの冷たい視線が支配した空気を、気に留めることなく耀が話を続ける。
「俺が運ばなくても、お前は服が手に入る。それだけで目的は果たせるだろう」
「しかし、それでは余の立場がない」
「貸しにしておこう。それと一つ教えてほしいことがある」
「貸しか……主が必要とすれば余が力を貸すことを約束しよう」
「それで構わない」
耀とルシファーは硬く握手を交わした。
「して——聞きたきことは?」
ルシファーが流れるように切り出した言葉に、耀は更に真剣な表情を浮かべ、話を続ける。
「概念世界を乗っ取ることは可能なのか?」
一瞬ルシファーの眉が動き、殺気が向けられた。
「主はこの世界を欲するか?」
「違う、俺の世界を守るためだ」
耀の言葉で、ルシファーの殺気は収まり、穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「結論から申せば、可能だ。主の問いは、幾万の魂が求めてきたものである」
「どうすれば乗っ取れる?」
ルシファーはソファに深く腰をおろし、話をはじめた。
「概念世界は人間の概念が具現化した世界だ。この世界も悪魔が住まう世界という概念が具現化した」
「——にしては、美しい世界だな」
「一度具現化した世界は、そこに住まう者によって作り変えられるのが当然だ」
「なるほどね」
「具現化したものを乗っ取るには、概念を上書きすれば良い」
「例えば?」
「悪魔が住まう世界を、悪魔しか住まぬ世界と上書きすれば、そこの獣人は消え去る」
「さっきの話だと、それには相当な人間の思念と、時間が必要だな」
「概念は重なれば混ざり、混ざれば別の概念となる——上書きとは想像より遥かに困難なものだ」
ルシファーの声は、概念の書き換えの困難さを、物語るように穏やかだった。
耀は、少し目を伏せた後、ルシファーに再び問いかける。
「この世界に満ちる魔力を、俺の魔力に変えてしまえばどうなる?」
「分からぬが、世界の根幹を揺るがすのは間違いない。主がこの世界の神となるのではないか?」
「なぜだ?」
「この世界の魔力は、膨大な時間をかけて多くの人間の思念によって作られた。ゆえに絶対的な王者は存在しない」
「先の争いは絶対的な王者がおらぬゆえ起こったものであるな」
ラウムの言葉にルシファーが小さくうなずくと、ゆっくりと目を閉じた。
「それを主ひとりの魔力に変えれば、主はこの世界において絶対的な存在となる。それを神と呼ぶのは自然ではないか?」
ルシファーが再び身を乗り出し、耀に訪ねる。
「重ねて聞くが、主はこの世界に害をもたらさぬな」
「もちろんだ。俺の世界の概念を変えたいとは思ったが、この世界はいらない」
「どの様に変えたいのか?」
「まだ分からない。まずはこの身体から、俺の世界を切り離すことだ」
「……死するか?」
「いや——ラウムにも同じことを言われたが、死ねば切り離せるのか?」
「これは予想でしかない。死して無にいたるか、概念世界だけが残るかは、その時にならねば分からぬ」
「——そうか」
「陛下、そろそろ……」
ルシファーの後ろで控えていた男が、小さくもはっきりと聞こえる声で、会話を中断した。
ルシファーはうなずくと、ゆっくりと席を立ち、扉へと向かう。
「余は執務に戻る。くれぐれも服を忘れるでないぞ」
「ああ、任せておけ」
耀は部屋を後にするルシファーを見送り、冷めた紅茶に口を付ける。そして、ルシファーとの会話を静かに思い返しながら、ゆっくりと目を閉じ心に刻む。
時おり険しい表情を浮かべる彼を気遣うように、肩に添えられたカリサの手に、耀はそっと手を重ねた。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。




