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見定める瞳

大きな窓にかけられたカーテンが揺らめくと、その隙間から差し込んだ朝の柔らかい日差しが耀の頬を撫でる。

目を覚ました耀の身体(からだ)は、ミスティの冷たく硬い(うろこ)に覆われた尾で腰から下を包まれ、上半身は柔らかく温かい身体で覆いかぶさるように包まれていた。

胸に感じる柔らかいふたつの感触は、耀の心を包み込むような優しさを与えてくれる。


「殿、目が覚めたかの」

「ああ、ミスティはずっとそうしていたのか?」

「うむ、愛おしくての……もう、何者にも傷つけられたくないのじゃ」


ミスティは指先で、耀のまぶたの傷を優しくなぞる。


「このような傷を増やしたくないと思っての」


耀はミスティを優しく抱き寄せ、その繊細な髪を撫でた。


「そろそろ着替えるか」

「そうじゃの……今日は鍛錬をすると言っておったの」


ベッドを離れた二人は、ソファに脱ぎ捨てられていた服を手に取り、無言のまま身支度を整え始めた。

ミスティが小さな笑みと嫉妬の視線を耀に向ける。


「殿よ。今宵は獣人共に伽をさせるのか?」


耀は肩をすくめ、首を傾げる。


「何を言ってるんだ?俺はモフモフしたいだけだ」

「その『モフモフ』がよう分からんが、終わったら(わらわ)を呼んでくれるかの?」

「ミスティもモフモフすればいいだろう?」

「新しい趣向か……悪くないかも知れんの」


少し悪巧みを思い浮かべたように、悪戯っぽく口元を吊り上げ、ミスティは耀の背中を目で追った。

二人が服を着終えるや否や、部屋の扉が控えめにノックされた。タイミングの良さに、耀が少し眉をひそめる。


「かまわぬぞ」


ミスティが応じると、一拍の静寂を置いて扉が開いた。

執事長が、黒い燕尾服に身を包んで姿勢を正しながら現れる。

その仕草は機械のように正確で、凍てつくような静けさと威厳が、周囲の空気を引き締めていた。


「お客人、おはようございます」


挨拶に続けて、彼は淡々と用件を告げる。


「朝食の前に、闘技場に来るようにとラウム様からの言付けでございます」

「闘技場か……それで、場所は?」


耀の問いに執事長は(かす)かに一礼すると、手で扉の外を示す。


「ご案内いたします」


長い廊下を歩き、階段を下ると再び現れた長い廊下を、案内されるままに進む。

その先にある重厚な扉を開けた瞬間、視界いっぱいに広がったのは、まるで中世そのものを再現したかのような円形の闘技場だった。

石造りのスタンドが広場を取り囲み、その表面には数え切れない傷や苔が刻まれている。

上を見上げれば、果てしなく晴れ渡る青空が広がっていた。


「まさしく中世の闘技場だな」


耀がつぶやくように言うと、中央に立つラウムがこちらに向き直った。


「待っておった。昨晩の疲れは残っておらぬか?」

「ああ、大丈夫だ」

(それがし)が基本を教えるゆえ、朝食後は執事長と手合わせすると良かろう」

「執事長と?」


耀が(いぶか)しげに眉を上げる。


然様(さよう)であるな。我が配下随一の猛者ゆえ、相手には不足あるまい」


細身で静かな執事長の姿が脳裏に浮かんだが、ラウムの言葉がその全てを黙らせた。

燕尾服の男性のその奥底に秘められた力を感じ取り、静かに頷く。


「では、まず魔力を使った瞬間移動からである。某らは魔力溜まりを見ることができる。ゆえに、気付かれる前にすべてを終える必要がある」

「それにはどうすればいい?」

「視線に魔力を集め、目を閉じると同時に移動する。まばたき一つで行えるよう、繰り返すが一番の鍛錬であるな」


耀はラウムの背後に視線を定めると、魔力を集め言われた通り目を閉じると同時に、身体と魔力の集まりを入れ替える。一瞬、身体が空気に溶け込む感覚を覚えたが、次の瞬間、冷たい圧力が喉元に走る。

目を開けると、そこにはラウムの手刀が静かに突きつけられていた。


「まだ遅いようであるな」


ラウムの言葉は淡々としていたが、その中には確かな威圧感が(にじ)んでいた。


「魔力と身体を入れ替えるイメージが理解しやすいが、実際には魔力を取り込む応用であるな」

「というと?」

「魔力を体内に取り込むのではなく、身体を魔力に取り込ませると言えば良いかな」


耀は闘技場の端に立つミスティに視線を向けた。その次の瞬間——ミスティの胸に顔を埋めた耀が現れた。


「殿、妾が恋しかったようじゃの……」


ミスティは優しく微笑むと、そっと耀の頭に手を添えた。


「ああ……夜まで待てそうにない……」


ミスティの隣に立つ執事長が軽く咳払いをすると、その場の空気が一瞬にして引き締まった。

耀は罰が悪そうにミスティから身体を離し、冷たい空気に正気を引き戻された。


「ラウム、こんな感じでどうだ?」

「先程よりずっと早くなっておる。だが、これでは及ばぬ相手もまだ多い。後は執事長と鍛錬を重ね、さらに力を磨くがよかろう」

「今の感じだと、魔力の量は関係ないように思うんだが」

「然様であるな。鍛錬すればより少ない魔力で移動できるゆえ」


耀は少し考え込みながら口を開く。


「俺の感覚だと、自分の魔力を認識できればいいはずだ。魔力を自分の身体の器官のひとつとして感じ取る。それが肝心だと思う」


耀はミスティに目を向けた。


「ミスティ、少し魔力を放出してみてくれ。」

「うむ。殿の魔力は、昨晩たんと注いでもらっておるからの。容易いことじゃ」


ミスティが胸に手を当てると、その胸と手の間に顔を埋めた耀が再び現れた。


「殿よ、そう何度も(いじ)られると、妾とて我慢できぬようになるのじゃが……」


耀は身体を離すと、そっとミスティの頭を撫で、ラウムに向き合い話を続ける。


「俺が概念世界に移動できるのは、自分の魔力を認識して移動先を確定できるからだ」

「然様であったか……では、某の居場所も分かるのであるかな?」

「いや、分からない。恐らくだが、双方が互いを配偶者と認め合うことで移動先が定まるんだ」


耀は目を閉じ、天を仰ぎながら思案する。


「理由はまだ分からないが、今認識できるのは、ミスティ、伊耶那美(いざなみ)、そしてレイの三人だけだ」


ラウムは少し顎を撫でながら口を開く。


「三人とも、其方(そなた)の魔力で身体を変えられた者であるな」

「ああ。ただ、同じ魔力で作られたアンナだけは認識できない」


ラウムが耀の肩を軽く叩くと、穏やかな口調で言った。


「いずれ分かることであろう。次は体内に巡らせた魔力で身体能力を強化することであるな」

「いつもやっているが?」

「其方の場合は、身体の外に奇妙な衣装を(まと)うことで強化しておるであろう?」

「聞き捨てならない言葉があったが、そのとおりだ」


ラウムは軽く頷く。


「其方の体内には十分な魔力が巡っておるゆえ、それを利用するのであるな」

「例えば?」

「全身を内部から強化できぬか?」

「内部から?」

「然様、骨も筋肉も内蔵も全てを強化して、防備を固める感じであるな」


耀は目を閉じ、自分の体内を巡る魔力を感じ、それを凝縮させるようにイメージした。魔力が身体の中で一塊となり、次第に硬さを増していくのを感じる。


「ラウム、身体が動かなくなったんだが」

「それは単に固くしたからであろう」

「殿よ、水に溶いた片栗粉のようなイメージでは無いかの」

「片栗粉か……」


再び体内を巡る魔力を感じると、身体に溶け込む粒子にするようにイメージする。


「これで大丈夫だと思うが……」

「然様であるか……執事長!」


ラウムが声をかけると、執事長が壁に掛けられていた棍棒を手に取った。

彼は一瞬で耀に向かって走り寄り、その勢いのまま棍棒を叩き込んだ。

次の瞬間、棍棒は衝撃の反動で一瞬たわみ、そのまま軸から弾けるように砕け散った。


「上手くいったようであるな」


耀は冷静な表情のまま、ラウムを睨む。


「殺す勢いだったが……」


ラウムは目を反らし、冷徹な表情で答えを返す。


「其方のような女たらしは殺されても仕方がないのであるな」


言い終わると少し表情を緩め、耀に顔を向ける。


「次は身体能力の強化であるが、これは既にできるのではないか?」

「ああ、だが全力は出せない」

「それは何ゆえであるか?」

「身体がもたない……そうか!」

「気付いたようであるな、強化された身体であれば問題は解決するのではないか?」

「試してもいいか?」

「然様であるな。いきなり全力を出してはならぬ。強固になった身体の限界を知らねば命に関わるゆえ」

「ああ、分かった」


耀は拳を振りかぶり、闘技場の地面に叩きつけた。

地面は大きく揺れ、まるで大地が裂けるような音が響いた。

次の瞬間、地面が轟音とともに破裂し、土塊が空高く舞い上がった。

土煙とともに、周囲の石壁がひび割れ、飛び散る破片が宙を舞った。屋敷からは使用人たちの悲鳴が聞こえてくる。


「想像を超えておるな……」

「ラウム、悪い。壊してしまった」


ラウムは少し驚きながらも、冷静に頷いた。


「構わぬ。だが、この力を使いこなすには、もっと訓練を重ねねばならぬが、明日までの鍛錬で闘技場がなくなるかもしれぬな」


ミスティは少し驚きの表情を浮かべながらも、すぐに笑顔を見せた。


「殿よ、力が強すぎて地面まで壊してしまったようじゃな」

「時間は明日までしか無い。欲は出さず移動と身体強化だけを集中的に鍛錬すれば良いであろう」


クレーターを眺める四人の背中に声がかかる。


「皆様、朝食の用意が整っております」


食堂には、朝食とは思えないほど豪華な料理が並べられていた。

芳しい香りと見た目の豪華さに目を奪われた瞬間、耀はふと身体の強化を解いてしまった。

その直後、耀の膝は崩れ落ち、重力に引かれるように床へ倒れ込む。


「殿、どうしたのじゃ!」


とっさにミスティがその身体を支えたが、耀の身体は尋常ではないほど汗を流し、小刻みに震えている。顔は紅潮し息が荒い。その様子にミスティは顔を青ざめ、うなだれる彼の表情を覗き見る。


「お客人、いかがなされました!」


心配する執事長の声が響く中、耀の顔がゆっくりと上がる。その瞳には、普段の彼からは想像もできないような光が宿っていた。

その目は、ギラギラと輝き、まるで獲物を狙う狼のような鋭さをたたえていた。


「ミスティ……」


耀のかすれた声が響く。


「どうした、殿」

「抱かせろ」

「——は?」


ミスティは歓喜の表情を浮かべ、耀を抱き寄せた。

ラウムは眉をひそめ、冷静に耀の顔を覗き込むと、諭すように語りかけた。


「其方、強化を解くでない。生身の其方では、身体に巡った余剰の魔力が制御不能となり、其方の場合、最も本能的な衝動(しょうどう)――すなわち性欲へと変換されるようであるゆえ」


その言葉を聞いた執事長は、深く安堵の息をつく。


「そうでございましたか……気が触れたものかと心配いたしました」

「殿よ……夜までお預けじゃの」


ミスティは少し困ったような笑みを浮かべながら、耀をそっと抱き直した。

その仕草には溢れんばかりの愛情が滲んでいるようだった。

耀は何とか呼吸を整え、震える身体を抑えながら、小さく頷いた。


「分かった……気を付けよう」


その様子に、ラウムは苦笑しながら首を振った。


「全てが経験であるゆえ、気にするでない。さて、冷めぬうちに頂こうではないか」


朝食後、執事長を相手に、実戦形式での鍛錬に汗を流す耀と、その様子を、少し離れた場所で見守るミスティの姿があった。


「お客人、それではこの身体に拳は届きませぬぞ!」


執事長の声が響く中、耀はさらにスピードを増して攻める。しかし、その全ての攻撃が紙一重で(かわ)され、逆に執事長の手が耀の腕を掴むと、視界が一瞬反転した。——その直後、硬い地面が背中に叩きつけられる衝撃が襲った。


「くっ……!」


耀が呻き声を漏らすと同時に、執事長は冷静に言葉を続けた。


「お客人、攻めに乗じて懐に飛び込む動作は誠に素晴らしい。しかし、動きが直線的すぎます!これでは相手に手の内を読まれてしまいます」


耀は地面に手をつきながら、息を整えつつ落ち着いた口調で答える。


「俺は正直者なんでな」

「まだ軽口を叩けますか。では、こちらからも参ります」


次の瞬間、執事長の姿が消えた。耀が振り向く間もなく、背後から執事長が放った灼熱の一撃が突き刺さり、耀の背中を焼いた。


「――!」


耀は立ち上がることもできず、その場に膝をつく。


「少し休憩いたしましょう……私の総評を聞いていただけますかな?」


耀は肩で息をしながら、それでも力強く頷いた。


「ああ、聞かせてくれ。悪いところは余すところなく聞かせて欲しい」


執事長はその言葉に驚き、無意識に小さくため息をついた。そして微かに微笑む。


『この男……横柄なように見えていたが、批判を甘んじて受け入れるその心は素晴らしい。私の認識が浅かったのかもしれません』


耀に対する認識を改めた執事長は、話し始めた。


「では、忌憚なく申し上げます。お客人の攻めは優れておりますが、攻撃のパターンが単調すぎます。それゆえ、相手に次の手を予測されやすいのです。それと一撃に力を込めすぎています。攻める攻撃と陽動する攻撃を使い分けるといいでしょう」


その様子を見ていたミスティは、不安げな表情を浮かべていたが、何度倒されても立ち上がる耀の姿に、次第に少し悲しげな表情を浮かべ始めた。


『殿よ……妾はいかなる攻撃からも殿を守れるようになりたい』


執事長を相手に、実戦形式での鍛錬に汗を流す耀。その鍛錬の様子を、少し離れた場所からじっと見つめる視線があった。

ラウムに呼ばれた五十人の獣人の娘たちである。彼女たちは、驚きと畏怖(いふ)が入り混じった表情で鍛錬の様子を見守っていた。


「今宵の伽だけではなく、身も心も生涯あの者に捧げられる者はおらぬか?」

「領主様、あの方の力は尋常ではありません。とても恐ろしいです……」


ラウムの問いに、ひとりの娘は小さな声で、恐る恐るそう口にした。


「無理強いはせぬゆえ、じっくりとあの者を見ておくと良いであろう。後ほど希望を聞くとしよう」


ラウムの言葉に、獣人たちは互いに顔を見合わせた。その表情には緊張が滲んでいたが、誰もその場を離れる気配はなかった。


鍛錬は休憩を挟みながら続けられていた——休憩のたびに耀の攻めは明らかに向上していく。

夕方近く、闘技場の中央にできたクレーターの底で、肩で息をする二人が腰をおろしていた。


「お客人、飲み込みが早いようですな……これなら、明日には私も負かされるでしょう」

「それは無理だろう。お前、だいぶ手を抜いているように見えるが」

「お客人を殺してはいけませんからな。ですが、もう全力に近いです。お客人こそ手を抜いているようですが」

「これ以上、この屋敷を破壊すると悪いからな」

「ははは、お客人の方が一枚上手のようです」


執事長は笑いながら立ち上がり、耀の手を取り、引き起こした。


「さて、夕食といたしましょう。風呂はすでに整えてありますので、先に汗を流してください」

「殿はお疲れのようじゃ、妾も共に入ろうかの」

「そうしてください。風呂で溺れられては、私の明日の楽しみがなくなってしまいます」


執事長は振り返り、耀たちを案内するように歩みを進める。三人は闘技場を後にした。


一方、闘技場のスタンドでは、ひとりのメイドが獣人の娘たちを前に静かに話し始めていた。


「では、あの者に生涯を捧げられる者は手を挙げてください」


静まり返るその場では、娘たちが警戒するようにキョロキョロと視線を移している。誰も動かない時間が続く中、メイドはため息をついた。


「誰もいないのですか?仕方がありません。では、皆様、これにて解散と——」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、静かにひとりの手が挙がった。それに吊られるように、さらに二人の手が挙がる。


「では、今、挙手をした者以外は解散といたします。お疲れ様でした。ラウム様より、給金が出ていますので、各自、受け取って帰ってください」


メイドの声が響く中、ため息が漏れる。呼ばれるままに闘技場に来て、たった一人の男を見定めただけの庶民に、領主が給金を支払う。

その理由は分からなかったが、挙手をして残る者がどれほどの厚遇を受けるのかは、誰の目にも明らかだった。


「三人は私に付いてきてください。衣装合わせをいたします」


メイドに引き連れられた三人の娘たちは、複雑な心境を抱えながら足を進めた。

不安と期待が入り交じる中、誰一人として言葉を発する者はいない。その背中には、覚悟とも迷いとも取れる空気が漂っている。

『――生涯を捧げる』その言葉の重みが、彼女たちの胸を締めつけていた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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