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巫女二人

元日の朝、僕とアンナは少し早めに目を覚まし、一緒に鶏の世話をする。

普段はレイの仕事だが、昨日から巫女のアルバイトに備えて、(しげる)さんの家に泊まっている。

昨晩はイオナが客間に泊まっていたが、まだ起きている気配はない。

縁側に出ると、明けきらぬ空は薄暗く、鋭い冷気が肌を刺す。

なんとなくいつもとはどこか違う、厳かな静けさが、新年の始まりをゆっくりと告げているようだ。

アンナは黙々と小屋を掃除している。僕は水や餌を与えながら、ふと、毎朝の光景が脳裏に浮かんだ。


「レイは毎日、鶏に何を話しているんだろうね?」

「あっ、あれですか。全部に名前をつけているそうですよ。私には区別がつきませんけど」


名前までつけてしまったんだ——そうなったら、食べるのは余計に憚られるよな。


鶏の世話を終えた僕たちは、リビングへと戻る。

二人で作業したが、結構大変だった——これをレイは毎日続けているのだから、正直、少し見直した。

アンナが淹れてくれた温かいお茶が、冷えた体に染み渡る。


「そろそろ、朝食の準備をしますね」


ひと息つくと、アンナが静かに立ち上がった。


「その前に、イオナを起こした方がいいんじゃないかな?」


アンナは立ち止まって、僕に振り向いた。


「そうですね。ご主人様が起こしてください」

「いや、寝ている女性の部屋に入るのは遠慮したいんだ」

「そういうところは、真面目なんですね」


少し気になる言い方だったが、アンナは微笑んで、リビングを後にして客間へ向かうと、ほどなくして戻ってきた。


「イオナさんは、もう起きていました。準備が済んだらリビングに来るそうです」


含みのあるような笑顔を見せたが、まあ、気にしないでおこう。

アンナが朝食の準備を始めると、キッチンで奏でられる軽快な音と、リビングに広がる香りに心が和む。

しばらくすると、ゆっくりとリビングのドアが開いた。


「明けましておめでとうございます」


イオナは青地に薄紫の牡丹が咲き誇る着物を、上品に、そして美しく纏っていた。


「あ、明けましておめでとう……イオナ、素敵だよ。とても似合っている」

「ありがとうございます。初詣に行くと伺いましたので、準備いたしました」

「うん、朝食が済んだら、歩いていこうかと思ってる」


茂さんが神職を務める神社に初詣——正確には、レイと真由美の様子を見に行く。

それだけのことなのに、昨晩から胸の奥に小さな波紋が広がり続けていた。

何事もないと、ただ、それだけを確認したい。それが本音だった。


「アンナ様の着物も用意してありますので、お召し変えが終わってからでもよろしいですか?」

「私の着物もあるのですか!嬉しいです」


キッチンから、アンナの弾む声が響いた。


「はい、朝食が済んだら着付けいたしますね」


どうやら、僕の返事を待たずして決まってしまったようだ。

元日ではあるが、レイと真由美、そしてミスティがいないので、いつもと変わらない朝食が手際よく食卓に並んだ。


いつもどおりの朝食を終えると、アンナとイオナは客間へ向かう。

僕は少し濃いめのコーヒーを飲みながら、すっかり明るくなった窓の外に目をやった。


「この冬は、まだ雪が降っていないな……」


ぼんやりと外を眺めていると、静かにリビングのドアが開き、イオナに手を添えられたアンナが、少しぎこちない足取りで入ってきた。

濃い紫地に白い雪輪が舞う着物が、アンナの美しさと純粋さを際立たせている。


「——アンナ、綺麗だよ」


僕の言葉に、アンナは頬を染め、恥ずかしそうに微笑む。

ゆっくりと僕の方へ歩み寄るが、どうにも歩きにくそうだ。


「ありがとうございます。ちょっと恥ずかしいですね……それに、すごく歩きにくいです」

「アンナ様は普段、歩幅が広いので、余計に歩きにくいのかもしれません。慣れるまで、歩幅を少し狭めてみてください」


イオナのアドバイスに、アンナは苦笑いする。


「あと……胸が締め付けられて苦しいです」

「アンナ様の胸は大きいので、あれくらい締めないと、すぐに着崩れてしまいます」

「そんなものなんですか……」


アンナが軽くため息をつきながら、帯の端にそっと指を添える仕草が、慣れない装いへの戸惑いと、ささやかな喜びを感じさせていた。


三人で神社へ向かい歩き始める。僕の右腕は、歩きにくそうなアンナにしっかりと握られ、左腕にはイオナが優しくまとわりついている。

その後方では、ボディーガードが控えめに付き従っている。

何とも奇妙で、不思議な初詣道中だが、両脇の二人は嬉しそうな表情を見せている。


「耀様、このようにして歩くのが、こんなに楽しいとは思いませんでした」


イオナの声に、アンナが頬を染めながら、優しく微笑む。


「そうなんです。以前、ご主人様とお散歩した時も手をつないで歩いたのですが、不思議と幸せな気持ちになるのです」


アンナの言葉に、イオナが穏やかな表情でうなずく。


「あの日、アンナ様の心が激しく燃え上がったのも、分かるような気がします」

「イオナさん、ご主人様と同衾するつもりはないのですか?」


アンナの問いに、イオナはふと目を伏せ、少し考え込む。


「私は……まだ決心がつきません」

「悪魔の眷属としての縛りですか?」

「そうですね。耀様と人生を全うするのもいいのですが、後進を決めて、思い残すことがなくなってから考えたいです」


僕は二人の会話に挟まれ、時折つまずきそうになるアンナを支えながら、静かに歩みを進める。

僕の話が大半なんだが、僕に意見は求められない。

変に話を振られるよりはマシだと思っていたら、ふいに話が僕へと向けられた。


「そう言えば……耀様は高校生の頃の記憶はないのですか?」

「少しはあるよ」

「でも、もう一人の耀様に、心の深淵に押し込められていたと聞いたのですが」

身体(からだ)は同じものだしね。一年くらいはほとんど記憶がないけど」

「空手の師匠が亡くなって、酷く荒んでいたと聞いたのですが」

「そうだね。でも、少し落ち着いた頃にふと見えた光景が、鏡に映った自分の姿だったんだ。それを見て、このままでは大変なことになると思ったんだ。そこからは時々、あいつのブレーキ役に徹していた。まあ止められるわけないけどね」

「その時は、どんなご主人様になっていたのですか?」

「リーゼントに長ランとボンタンでさ、髪の毛をセットしているところだった。おまけに胸ポケットには飛び出し式の櫛が入っているし、これはやばいと思ったね」

「確かにヤバイですね」


イオナがおかしそうに笑い出す。


「私は格好いいと思いますけど」


アンナは笑うイオナを不思議そうに見つめる。


「いや、決して格好良くはないよ。あいつは気に入っていたけど、僕にとっては黒歴史さ」

「そうなのですか?」

「それに、学校に行ったら、生徒も教師も僕を避けるんだ……それでしばらく見てたんだけど、逆らう奴は片っ端から殴るんだ……それも無言で」


僕は苦笑しながら、遠い過去を振り返る。


「それはまた、徹底していたんですね」


イオナが、口元に手を当てながらくすくすと笑いをこらえる。

そんな懐かしいような、恥ずかしいような話をしていたら、神社の前まで到着していた。

普通に歩けば二十分くらいの道程だが、今日は倍くらいかかっていると思う。

鳥居を潜り、手水舎で身を清め、ふと本殿の方を見ると、そこには多くの人が群がっていた。


「田舎の神社の割に、人が多いですね」


イオナが不思議そうに、人混みを眺めている。


「そうだね。毎年、こんなに人はいないんだけどな」


三人で拝殿に向かうと、その光景の異様さに気づく。

多くのお年寄りが拝殿に向かって跪き、手をすり合わせる者、ひれ伏したかのように地面に頭をつける者、腰を抜かしたように座り込み、口をパクパクさせている者、中には必死に念仏を唱える婆さんまでいる始末だ。

いろんな意味で注目を集めている拝殿に目を向けると、巫女装束の真由美が美しい姿勢で立ち、お年寄りたちを見下ろしていた。

白い袖がひらひらと揺れ、その姿は神聖さとともに不気味なまでの静けさを湛えている。

さらに真由美には蛇の姿のミスティが纏わり付き荘厳さを増し、朝の陽光が奇跡のような角度で差し込み、拝殿の影を裂くように、真由美の背を後光が包んでいた。


「此の慶びの日、縁あればこそ、此の社に降り立ちたるものなり。されば今より、()らに()が加護を授けん」


僕にはすぐに理解できた。これはレイの仕業だ。


「はーありがたやー、ありがたやー」


ひたすらひれ伏すお爺さん。


「なんまんだぶ、なんまんだぶ」


必死に手を擦り合わせ、仏にすがるお婆さん。


「死んだ婆さんが迎えにきた……」


もはや昇天寸前のお爺さん。

年のはじめが修羅場となっている——


「頼むべきあてもなければ、吾とても如何にすべきか計らい難し。まづは神籤を引かれよ。その詞に従い、(しか)るべき加護を授けん」


明らかに真由美の言葉ではない、というより、あれは伊耶那美(いざなみ)の声じゃないか?

でも、あのように優雅に振る舞う真由美も悪くない。普段の小動物のような仕草とはまるで違う、その荘厳さとのギャップが、妙に心をくすぐる。


「ご主人様、レイはあそこで何をしているのでしょうか?」


そう言いながらアンナが指差す先の、社務所を見ると、巫女姿で笑顔の幸子(さちこ)さんとレイが並んでいる。


「おみくじはこちらですわ。いつもは三百円ですけど、今から三十分は伊耶那美ちゃんの加護がつきますので二千円ですわ」

「さあさあ、皆さん順番ですからね。希望のものが出るまで何回でも引いてください」


レイはともかく幸子さんも満面の笑顔で、おみくじを売っている。


「今ならお守りをセットで買うと、五千円でお守りにも伊耶那美ちゃんの加護がつきますわ。このお守りでみなさんの一年が安泰になりますの」


笑顔を振りまき、年寄りに高額なお守りを売る……阿漕な商売にしか見えないが、社務所にはお年寄りが群がる。

中にはお守りセットを五つも買ってレイを拝んでいる爺さんまでいる。

しかし、蟻のように社務所に群がるこいつらには、列を作って並ぶという知恵はないのだろうか?


「買ったら順番に本殿に掲げてください」


そう言いながら、幸子さんは優しい笑顔でお金を受け取っている。

意外な一面を……いや、見てはいけないものを見たような気がする。

社務所の盛況を横目に、一番最初にお守りと神籤を買った爺さんが、本殿前で掲げるとその手元が一瞬輝く。


「汝の病、この一年にて癒えん」


真由美の言葉に、爺さんはひれ伏し、言葉にならない声を上げながら、何度も地面に頭を擦り付ける。

その光景を見てか、さらに売れ行きは良くなっているようだ。


「さあ、これからはみなさんの長生きを祈願して、破魔矢もついた三点セットを一万円で販売しますわ!」


ますます商売が阿漕になり始めたが、さっき真由美にひれ伏していた爺さんも再び社務所に群がっていたりする。

欲深い爺さんだななんて思っていたら、アンナが僕の袖を引く。


「ご主人様、私も欲しいです」

「後で伊耶那美に頼めばいいから、今はお年寄りに譲ったらどうだろう」

「そうですね。お年寄りは大切にしないといけません」


この状況を、大切にしていると言ってもいいのか?


「レイ様、またやらかしましたね……」


イオナは頭を抱えている。その後ろではボディーガードが気まずそうにはにかんでいる。


「レイも真由美さんも綺麗です。でもあの声は伊耶那美さんの声ではありませんか?」

「うん、間違いなく伊耶那美だな……」


昨晩からの胸騒ぎはこれだったのか——ため息をついていると、ふいに後ろから声がかけられた。


「相葉さんじゃないの。見てくれ元旦早々大繁盛だ」


振り向くと、いつも以上ににこやかな表情の茂さんが立っていた。


「茂さん、明けましておめでとうございます。これはどういうことでしょう?」

「昨晩、レイちゃんが考えてくれたんだ。神社が繁盛するようにとの」

「これでは、催眠商法と同じではありませんか?」

「なーに、イオナちゃんが心配することはないんだ。どうせみんな老い先短いんだ。金なんぞ持っとっても役に立たん」


そう言うと、茂さんは笑いながら紫袴をなびかせ社務所へ歩いていった。

茂さんも年寄りだとは思うのだが、その役に立たない金を集めて何をする気なのだろうか?


「耀様、しばらく参拝は避けたほうがよろしいかと」

「そうだね。伊耶那美に見つかったら、余計に騒ぎを大きくしてしまう」

「恐らく、召喚は三十分程度が限界ですので、それまで近くで時間を潰しましょう」

「その方が良さそうだね。アンナ、少し歩くけど大丈夫?」

「はい、大丈夫です。茂様も幸子様も嬉しそうで何よりですね」


アンナは何やら楽しそうな雰囲気を見てか、嬉しそうにしている。

その純粋な笑顔と、茂さんの腹の黒さが、元日からなにか大切なことを教えてくれたように思った。


一時間ほど話をしながら時間を潰し神社に戻ると、お年寄りたちはほとんどいなくなり、静けさを取り戻していた。


「うん、去年はこんな感じだった」


とりあえず、参拝を済ませて社務所に向かうと、笑顔の茂さんと幸子さん、それにレイが談笑している。

その隣では、真由美が床にぐったりと倒れ込んでいる。


「レイ」


声をかけるとレイが振り向き、笑顔を見せてくれる。


兄様(にいさま)!お会いしたかったですわ。今夜は添い寝をしてくださいまし」

「それはいいけど、イオナが話をしたいそうだよ」

「どうしてですの?」

「レイ様、先ほどの真由美はどういうことですか?」


イオナの厳しい視線を見たレイは、顔を背ける。


「見ていましたの?イオナが依代を作ってはいけないと言うので、真由美を依代にしただけですわ」

「そういう話をしたのではありません」

「また、そんなに怖い顔をして、お顔のおシワがさらに増えますわ」

「レイ様!」


その隣では、アンナが茂さんと幸子さんに挨拶をしている。


「茂様、幸子様、明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとう。アンナさんの着物姿は素敵ですよ。よく似合っています」

「そうだな。アンナちゃん、御神酒を飲むといいんだ。着物美人にはサービスするんだ」

「ありがとうございます。では少しだけいただきます」


僕はミスティが見守っている真由美に近づき、抱き上げる。


「真由美、大丈夫か?」

「旦那様……もう連れて帰ってください……」


完全に精根尽き果てたその様相は、気の毒としか言いようがない。


「だいぶ疲れたようだね」

「うぅ……私のことを気にかけてくれるのは旦那様だけなんですね」

「ミスティは寄り添ってたよ。それに、みんなそれぞれ思いがあるんじゃないか?」

「旦那様とミスティちゃんは優しいです」

「もう少し楽にするといいよ」

「ありがとうございます。あんなに疲れるなんて思っていませんでした」

「よく頑張ったね」


真由美を優しく抱き寄せると、彼女は僕の首に腕を伸ばして微笑んでくれた。

後ろの騒がしさなど耳に入らなくなるほどに、二人は暖かい空気に包まれる。真由美を抱きしめ、優しく背中を撫でると小さく呟く声が聞こえた。


「旦那様、もう少し待ってくださいね——」


その言葉の意味は、僕に理解できなかったが、真由美の気持ちに答えておく。


「分かったから、少し楽にしていなよ」


この先、この近隣では真由美が神格化されるのではないかと、一抹の不安も残るが、まぁこれも正月のいい思い出だとしておこう。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年10月4日、一部修正しました。

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