悪魔の告白
四人を見ていた優しい眼差しから、輝きが消え失せ、その全身に薄く魔力が纏った。
いつもと同じ、黒紫色の輝きのない魔力だった。
だが、前に見た時と違い、それは一定の形を保たず、耀の身体に纏わりつくように漂っていた。
その圧倒的な存在感に、四人がわずかな緊張と語られるであろう言葉の重みに身をこわばらせている中——可愛い声が響き渡る。
「あん……兄様。そんなに強く掴んでは、レイの可愛いお尻が腫れてしまいますわ」
「悪かったな、これくらいか?」
「はい、兄様。ちょうどいい感じですの。では、口づけを」
迷いなく唇を重ねる二人を、四人は唖然として見ることしかできなかった。
そして、口を離した二人は、互いを見つめ合う。
「——レイ」
「はい、兄様——」
「俺の舌噛んだだろ?」
レイは恥ずかしそうに目を伏せ、頬を染めた。
「はい、噛みましたの——血が出てしまいましたわ」
威圧的な魔力に包まれながら、甘い空気を醸し出し始めた二人に、今日の主役の二人が声を上げる。
「ご主人様!」「旦那様!」
「「話をしたいとお願いしたのは私たちです」」
「そうか——その前に、みんなに聞いて欲しい話がある……」
ゆっくりとした口調の、重く冷たい声がリビングに響く。
そして、アンナに冷たい視線が向くと、アンナはそれに気づき、耀の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「怪我のことは気にするな」
それ以上は何も言わず、正面を見据える。
真剣な表情を浮かべているが、膝にはレイを抱き寄せたままで、その表情の真意は誰にも計り得ない。
「兄様がもし良からぬことを考えても、レイが止めて差し上げますわ」
レイの声に、耀は深くうなずいた。
「話を始めてもいいか?」
「はい、ご主人様。時間はたっぷりありますので、存分にお聞かせください」
アンナの言葉に、全員が静かにうなずいた。同時にリビングは静寂に包まれる。
「俺は幼い頃、感情を表すと虐げられた。絶対に勝てない大人たちが、理不尽に襲いかかってくる中、虫けらのようにひっそりと生きていた」
「それは、ここにいる全員が知っておりますわ」
レイの言葉に、耀は再び静かにうなずき、話を続ける。
「避けるには感情を表さなければいい……だが、たったそれだけができない。なぜか?その自問自答を繰り返すだけの日々だった。人に会わなければ何も起こらないのだが、そうもいかなくてな……」
「面白がって関わってくる者もおるしの」
ミスティが懐かしい目で耀を見つめている。
「そのうち、答えの出ない自問自答を止め、人と関わりたくない——心で現実から目を背けるように、空想的な思考に没頭するようになった」
「旦那様……」
真由美は自分に重なる部分があるのか、目に涙を浮かべて耀を見つめている。
「空想は空想でしかない。空想の中で生きる俺と、現実の俺は乖離していた。現実を見るたびに絶望した。その末に、俺は全てを曝け出すように大声で泣き暴れた。止める言葉も拳も俺には関係なかった。だがそれが、今のこの状況になるきっかけを招いた……」
「お聞きしてもよろしいですか?」
「全員が聞きたいか?」
アンナの問いに、耀は短く問い返しリビングを見回すと、全員が静かにうなずいた。
「三歳の時、俺は親父に殺された」
全員が絶望した顔で、ため息をつく。レイは抱きついたまま、耀の腕を撫でている。
そんな妻たちを気にかけることなく、耀は少し姿勢を崩すと、ひと息つき話を続ける。
「首を絞められ、指先から冷たくなるのを感じ、末端から次第に感覚が薄れていった。世界が白と黒だけになると、視界は徐々に狭くなり、小さな穴の中に吸い込まれた。それと同時に意識だけが身体を置き去りにして、全てから解放された時、俺は横たわる自分の身体を見つめていた」
妻たちの絶望感は限界に近いのか、アンナとレイは目を閉じ、呼吸を整えるように深く息を吸い込み、イオナと真由美は顔が青ざめてしまった。ミスティだけは驚いた顔で耀の顔を見ている。
「その後のことは覚えていない……苦しさはなくなり、心地のいい状態が続いた。全ての人間から解放され、孤独になれたことが嬉しかった。」
「どれくらい経ったか分からないが、突然、俺の目の前に、傷だらけで泣くのを必死に我慢している俺がいた。知らない間に傷ついた自分の姿に、俺は驚いた。だから俺は聞いたんだ、お前は何をしているとな。親父に怒られて物置に閉じ込められたと返事が戻ってきて驚いた」
「私が見た光景です……」
アンナは悲しい表情を浮かべる。
「その直後、俺は見下ろしていた身体に、吸い込まれるように取り込まれた。俺は中にいるだけで何もできない……うまく言い表せないが、この身体を内から客観視するだけの存在とでも言うか……できるのは、俺の身体のもう一人の存在である『アイツ』との会話だけだった」
レイが静かに膝から降り、耀のグラスにウイスキーを注ぎはじめた。
「俺は置かれた状況を考えてみた。あの時、俺は間違いなく死んだ。しかし身体は生きている。そして知らない記憶が、刷り込まれたように残っていた。そこで、アイツに聞いたんだ。覚えていることを話せと」
レイはグラスを大事そうに両手で持ち、再び耀の膝に腰を下ろした。
「アイツの記憶は、俺が身体を離れた後——自分の名前も分からずに、横たわっていたところから残っていた。死んだ俺の魂が身体を捨て、思念だけの存在になったあとに、身体が息を吹き返し、生体活動として新たな精神が芽生えたのではないかと結論づけた」
全員が静かに話を聞く中、耀はレイに差し出されたウイスキーで口を潤す。
「俺は一度捨てて、偶然生き延びていたこの身体を、腐った人間から守ろうとだけ決めた。アイツに求められたんだが、俺にもそれは利があると考えたように思う——根拠はないがな」
レイの切ない小さなため息が、静かなリビングに響く。
耀は気に留めることなく話を続けるように見えたが——レイの「あっ」という小さな声に、視線を向けた四人の目には、彼の手がしっかりとレイの尻を撫でる様子が映る。
「そんな事があった翌日に、俺とアイツは身体を使う方を入れ替えられることに気づいた」
「もう一人のご主人様は、表と裏と言ってました」
アンナの言葉に耀はうなずいた。
「的を射た表現だ。ただし、入れ替わるのは俺の意思でしかできない。アイツの意思で入れ替わることはできなかった」
「兄様が暴走するのを見抜けなかった理由が分かりましたわ」
レイにとって、その話は今までの疑問が解けるほどに納得のいくものだった。
「俺たちはまず、感情を身体に出さない方法を考えた。表に出さなければ、他者に知られることはないからな。だが、アイツが身体を使っても、俺が身体を使っても、湧き上がってくる感情は態度や表情に出てしまう」
「それが人間です……」
独り言のように呟いた真由美は、思いつめたように顔を伏せた。
「その結果、俺の身体は傷つけられる。そんな事を繰り返しているうちに、身体を使っていない方には感情が湧かないことに気づいた。身体を使っていない時の俺は、ただ行動を観察するだけの存在だった。アイツも同じ感覚を抱えていたらしい」
イオナは言葉にならない声を飲み込み、涙を湛えたまま天を仰ぎ、静かに目を閉じた。
「それと、俺はもう一つのことに気づいた。アイツが身体を使っていて感情的になり、それを必死に抑え込もうと耐えると、俺には得体の知れない感覚が湧いてくる」
耀の言葉にイオナは目を見開き、彼の顔をじっと見つめ、次の言葉を待った。
「焼き尽くされそうなほど、燃え盛る欲求だった。だが、それを解消する術も分からず、ただ耐えるしかなかった。今思えば、これが『魔力』だったんだろう」
「人間の欲求の一形態が魔力だと言っていましたから、その存在に気づかれたんですね」
イオナはダンタリオンの話を思い返し、納得したような表情を見せる。
「その魔力が湧くのは俺だけのようで、俺が身体を使っていても、アイツには何もないと言っていた。そして、アイツが感情を俺に押し付けると、魔力となって俺に湧いてくると仮説を立てた」
「感情が一方的にリンクしているとか、身体を通して伝わるとかでしょうか?」
そう呟いたイオナは、再び天を仰ぎ、深く考え込んだ。
「俺は身体を使って、いろんな事を試してみた。そして分かったんだ、俺は感情を魔力に変えることができて、魔力に変わった感情は表情にすら出なくなるとな」
ソファに深く座り直した耀は、懐かしむように目を細めた。
「そして俺たちは決めた。アイツが身体を使っているときに湧き上がる感情を、俺が打ち消す方法を探すと」
「耀様の身体を守るために、協力していたのですか……」
「試行錯誤をするうちに、アイツの悲しさと悔しさの感情を、魔力に変えることができた。その次に喜びの感情を、そして怒りの感情も魔力に変えられた。しかも、一度魔力に変えたアイツの感情は、それ以降、一瞬で全て俺の魔力に変えることができた」
レイがそっとグラスを差し出すと、耀はひと口含んで、喉を潤す。彼の手はレイの尻を優しく撫で続け、グラスを持つことすらしなくなった……
「要領を得た俺はアイツに湧く全ての感情を、無条件に魔力に変えようとした。だが、アイツはそれを拒んだ。何の感情もなくなれば、自分が次にすべき事も分からなくなり、その自己防衛の手段が、身体を滅ぼすのではないかと危惧したようだ」
「それは正論です」
アンナの言葉にイオナも深くうなずいた。
「そのとおり正論だった。泣かなくなったことで他者を煽り、笑わなくなったことで不興を買い、怒らなくなったことでつけあがらせた。結果は何も変わらなかった」
耀は、レイを抱き寄せる。
「そこで、俺が身体を使っている時に湧く感情は、全て魔力に変え、アイツの感情は、アイツが心に押し込める時だけ、俺が魔力に変えることにした」
「それは、どうしてですの?」
レイは耀を見上げ、首を傾げた。
「俺の感情を魔力に変えても、アイツには影響がないことが分かったことと、この身体は既にアイツのものだから俺は要らない」
寂しそうに顔を伏せたレイの胸に、耀の指がそっと触れると、彼女ははにかむような笑顔を浮かべ、彼の顔を見上げた。
「それに、アイツも感情を表に出さず、胸に留め、その感情を俺に押し付けることができるようになった。だから、俺はアイツの感情を触らずに、押し付けられたものだけを魔力に変え続ければいい。まあ、アイツの感情のほぼ全てだがな」
一瞬、耀の身体が無意識に震えた。見ると、なぜか困った顔をしたレイが、耀の乳首をつついている。
「だが、それにも限界があるようで、俺に押し付けることができないほどに、感情が昂ぶるときもある。その時は全ての感情をなくした俺が変わればいい——何を言われようと、何をされようと、魔力が湧くだけだ」
「そうすれば、感情を表に出さなくて済むと……」
イオナは目を細めて、唇を噛むような仕草を見せた。
「そうだ、俺は感情を捨てる。そう決めた時、俺はもう一度死ぬのと変わらないような気がした。だから、最後に感情をむき出しにして絵を描いた。暗い物置の中で、貰ったノートに鉛筆一本で、夢中になって何枚も絵を描いた。自分を守ってくれるために、存在したら良かったと考えた空想上の生物をな」
当時の幼子を愛おしむような表情で、ミスティは耀を見つめた。
「描き終われば俺は、この身体を守るために感情を捨てる。だから、紙を走る鉛筆の音だけを、暗い物置に響かせて、ありったけの感情をぶつけるように絵を描いた。全てのページが埋まった時、俺にはもう一度死ぬ覚悟ができていた」
「それだけで良かったのですか?」
耀は真由美の声にうなずくと話を続ける。
「その後はこの身体を使い、ひたすらに湧き上がる感情を魔力に変え続けた。アイツの時と違い、一度変えれば次からは魔力として直接湧くことも分かり、単純作業のように魔力に変え続けた。そして、俺は、周りから気味悪がられる存在と成り果てた。それで十分だろうとアイツに身体を返した。微笑めば俺が変わると言い残してな」
「耀様、それはいつ頃の話ですか?」
「五歳か六歳の頃だった」
「その年齢でそこまで……」
イオナは首を横に小さく振ってうつむいた。真由美はもう泣き出している。
「それほど追い込まれたのでしょうね……」
「俺はただ、逃げただけだ」
アンナが、少し怒ったような表情で静かに問いかける。
「それでも、生きているって……意味があるのではありませんか?」
「俺は死んだ。そして、この身体に戻された意味はあるかもしれない。しかし、それを考えている余裕はなかった」
「申し訳ございません。話を遮ってしまいました……」
彼女の怒りの表情は一転し、悔しさを滲ませ、膝の上で拳を強く握った。
「その後すぐに俺の方に問題が起こった。消えずに溜まっていく一方の魔力だ。それは、次第に俺を蝕み始め、俺の本質すら変えていく。その結果、湧き上がる魔力は指数関数的に増えはじめた。魔力を生成する機械のように」
「ご主人様、苦しかったのではありませんか?」
アンナは優しい目で耀を見つめている。レイは耀の首筋を舐めている……
「苦しいと思わない。魔力が溜まるほどに湧き上がる魔力の量も増えただけだ」
「溜まり続ける魔力の影響で、本来なら感じていたはずの苦しみすら、自然に魔力へと変換されていったのでしょう」
そう言ってイオナは目を閉じ思考を巡らせる。
「それが、ある日突然、自由に魔力を変換できるようになった。俺は身体が傷つくのを防ぐために、魔力で身体を強化してみたら、あっさりと成功した。アイツは『痛みを感じにくくなった』と喜んでいた」
耀は再びレイが差し出したグラスに口をつけ、喉を潤した。
「疑問に思いアイツに聞いてみたら『空手を習い始めた』と、『鍛えるほどに気分が軽くなる』とも言っていた。おそらくそれが俺にも影響を与えたのだろう」
「レイも知っていますの。おじいさんに教えてもらったのですわ」
耀は一瞬レイに視線を向けたあと、小さくうなずいた。
「俺は魔力を積極的に使うことにした。まずは、アイツの練習時に魔力を使い成果を増やせないか試したら、あっさりとできた」
耀がイオナに冷たい視線を向ける、イオナは一瞬こわばる身体を隠せなかった。
「それともう一つ、魔力を使って作ったものがある。最近話題に挙がっていた『概念世界』だ。俺だけのための、何にも邪魔されない世界だ。そこは届くのがアイツの微笑みだけで、他は全く伝わらない理想の世界だ」
「耀様、概念世界を作ったのですか?」
「ああ、増え続ける魔力をどうにか溜められないかと試してみた結果、別の世界が出来上がってしまった」
「偶然、概念世界を作ってしまったのですか……」
「その世界は俺の自由にできる。魔力の元になった感情ごとに色分けして、混じり合うことなく絡み合い渦巻く世界にした。俺の許可なく侵入すれば、全てはそれぞれの色に分解され、その世界に吸収される地獄のような世界だ」
「レイが兄様を召喚して、取り込まれそうになった世界ですわ……」
「もう、懲りたか?」
「いいえ、いつかもう一度連れて行ってくださいまし」
耀はレイの髪をそっと撫でる。
「それからは呼び出されると、アイツが鍛えた身体に、俺が膨大な魔力を注ぎ込み強化して、力づくで相手を圧倒する存在になった。俺は、アイツの微笑みが呼ぶだけに呼応する存在に徹した」
「微笑みで兄様を召喚するのですわ」
レイは召喚することに興味を示したようで、キラキラと輝く瞳で、耀を見つめた。
「魔力の満ちた世界に引きこもり、アイツに呼ばれると、アイツとこの身体の邪魔をする奴を圧倒し続けた。そうしているうちに、他者には全く興味を持てず、アイツの要求だけには忠実で、邪魔する相手は殺すことも厭わない、まさに悪魔のような存在に俺は変わってしまった」
「ご主人様は、自我をなくしたのではなかったのですね」
「そんな俺のせいで、アイツには心に潜む悪魔を抑える役割も増えた。別の世界を持った俺には、この世界の者を慈しむ必要がない。俺を好き放題に放置すれば、他者どころか、この身体を殺すことも厭わない。この身体も俺には必要ない」
「そんな……必要ないだなんて」
アンナは小さく呟き、目を見開いたままうつむいた。
「だが、アイツはそうもいかないらしい、何かを成したいようだが、それを見つけられずにいる」
「行動は似ておるが、あれは別人にしか思えんしの」
ミスティにはもう一人の存在に、含むところがあるようだ。
「俺が好き勝手にやった後始末は、アイツが負わなきゃいけない。だから、俺は呼び出されたら必ず欲しい結果を聞くようにしていた。それがこの身体を必要としなくなった俺にできる最大の譲歩だ」
「ご主人様は、生きているのが嫌なのですか?」
うつむいたまま涙を零し、アンナが静かに問う。
「この身体がもう一度死んだとき、俺の世界は、真の意味で俺だけの世界になるかもしれない」
「それは、無謀な賭けではありませんか?」
イオナの問いに、耀は「そうだ」とだけ答えた。
アンナの誕生日の宴は、みんなの笑顔に包まれて静かに終わりを迎えた。
その後に語られ始めたことの全てを吸収しようと、妻たちは真剣に耳を傾けた。
そして、その夜、語られた過去は彼女たちの心に、新たな意味として静かに刻まれていった。
「この身体がないと、女の身体を愛でることができなくなるからな。今は必要だ」
一斉にため息が漏れるなか、ただ一人、レイだけは少し黙り込んだ耀に唇を重ねた。
「——レイ、俺の舌噛んだだろ?」
「はい、噛みましたわ。兄様が悪いですの」
アンナ、イオナ、真由美、ミスティの四人は気づいた……耀がレイに向ける視線だけは温かいことに……
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
2025年9月30日、一部修正しました。
 




