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護衛の買物

カーテンの隙間から差し込む光に、ゆっくりと目を開ける。

昨日とは対照的に、心地いい朝を迎えられた。起きる前に周囲を確認するが、レイはいないようだ。


「もう飽きちゃったのかな?」


身支度を整えてリビングに向かう。手を掛けた扉の向こうから、二人の声が聞こえる。その声は僕に遠慮しているのか、昨日より小さい。


「アンナ、兄様(にいさま)がお目覚めですわ」

「ご主人様もいろいろとご用があるのですよ。ここで待っていましょう」

「兄様はレイの口付けを待っているのですわ」

「そんなことはありません」


どうやらアンナがレイを止めていたようだ、扉を開け中に入る。


「おはよう」

「ご主人様、おはようございます」

「おはようございます。兄様!」


レイは挨拶もそこそこに、僕に抱きつき、上目遣いで見上げてくる。


「レイが起こしに行こうと思いましたのに、アンナに止められましたの——」


なぜ、そんな嬉しさの中に、悲しさを紛れ込ませ、さらに可愛い表情ができるのか——僕には分からない。


「レイ、ありがとう。また今度頼むよ」

「はい、優しく起こして差し上げますわ!」


僕は幼い頃から表情が乏しい——能面のような顔だと言われたこともあるが、能面のほうが表情は豊かかもしれない。

正確に言えば、『表情』ではなく、『感情』そのものが欠けている。喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも一瞬しか感じない。

だから、ラウムに言われたことは、思いのほか胸に刺さった——見透かされたようで……

自分にいろいろな出来事が起こり、ただ、淡々と対処しているだけでしかない。幼い頃の経験と心の奥底に潜む何かが、僕をそう変えてしまった——

でも、悪くはない——僕の表情は見る人によって、都合のいいように解釈される。そう思うと、正に『能面』と言ったところか。


ぼんやりと考えていると、アンナがキッチンへと向かい、皿を並べ始めた。


「朝食にいたしましょう」


アンナの声を聞き、ようやく僕から離れたレイが、真っ先にダイニングテーブルに向かう。

食卓に並んだのは、トースト、サラダ、目玉焼き——昨夜とは違い見慣れたもので安心した。


「アンナが作ったの?」

「はい、ご主人様から頂いた書物を見て作りました」

「もう読んだんだ」


寝なくても大丈夫と言ったことは、本当だったんだ——


「はい。あの火が出る便利な道具の使い方も書いてありましたので、お料理が(はかど)ります」


アンナは楽しそうな表情を浮かべている。——あれ?昨日の小鳥はどうやって焼いたんだ?

新たな謎が僕の中に湧き上がるが、まずは、並んだ料理だ。

ガスコンロしか使っていないのに、気になる料理が一品ある。


「トーストも焼いたの?」

「はい、フライパンで焼きました」


フライパンでパンをこんな風に焼けるのかと感心してしまう。言われてみると、確かに焼き色にムラはあるが、気づかない程度だ。


「オーブントースターがあるんだけどな」

「オーブントースター?パンを焼く道具ですか?」

「そう、パンだけじゃなくいろいろ焼けるんだ。後で使い方を教えるよ」


僕はトーストを食べながら、オーブントースターの使い方を教えることを約束する。

オーブントースターは一人になった僕が、電子レンジに次いで使っていた調理器具だったりする。


「ありがとうございます。あっ、あの……もう一つお願いがあるのですが……」

「——なに?」


アンナの遠慮がちな視線と、ピナフォアをいじる仕草が、僕の心に良からぬ期待を生ませる。


「ご飯の炊き方も教えてください」

「分かった。後で教えるね」

「はい、楽しみです」


良からぬ期待は、期待で終わってしまった……

僕とアンナの会話を余所に、レイは夢中になって目玉焼きを食べている。


「レイ、美味しいかい?」


レイは手を止め、僕に笑顔を向ける。


「はい!兄様」


口元にちょっと付いた卵の黄身が、レイの可愛さを三割くらい増している。


「ところで、昨日と同じ服だよね」

「これしかありませんの」


そうだった——いろいろ衝撃的なことが多すぎて、完全に失念してしまっていた——


当然だが、一人暮らしの男の家に女性用の服があるわけがない。


「そうだ!ベッドも買うことだし、一緒に揃えよう!」

「新しい服!兄様、嬉しいですわ!」

「あの……ご主人様……」


アンナは僕に対して気まずそうな表情を浮かべている。


「もちろんアンナも」

「ありがとうございます!」


アンナの表情が、ぱっと笑顔に満ちた。

朝食後、アンナにオーブントースターとお米の炊き方を教えた後、リビングにノートパソコンを運んだ。

以前に使っていた古い機種だが、ネットショップ程度なら十分に使える。


「それは、兄様のお部屋にもありますわ」

「よく分かったね」

「何をしますの?」


興味深そうにノートパソコンを見ているレイが尋ねる。


「これで買い物をするんだ」

「これは何が買えますの?」


想像どおり、レイがまっさきに飛びついてきた。

アンナは画面の変化にあわせて小さく首を傾げている。その仕草が、美しい容姿に可愛らしさを掛け合わせる。


「何でも買えるよ。ベッドもこれで注文しようと思うんだ」

「えっ!これからベッドが出るのですか!ご主人様は素晴らしい道具を、沢山お持ちなのですね……」


目を見開いているアンナに、僕は説明を続ける。


「違うよ。これを使って注文したものを、明日には届けてくれるんだ」


レイが身を乗り出して僕の手の動きをじっと見ている。髪が揺れる度に、甘い香りが僕の鼻をくすぐる——


「——ベッドは重いだろう、だからこれで注文して、この家まで届けてもらおうと思ってね」

「まるで——御用聞(ごようきき)のようです」


御用聞——確かにそうかもしれないが……まあいい、今は二人の買い物が最優先だ。

設定が終わったパソコンで、大手詐欺温床……いや、大手通販サイトを開き、アカウントの設定を済ませた。

最初に表示されたオススメ商品を見て、レイが目を輝かせている。


「これが全部買えますの?」


ベッドを検索すると、たくさんのベッドが表示された。


「凄いですわ!」

「ベッドがこんなにあるなんて」


レイもアンナも驚きと共に、少女のような眼差しになっている。


「これを操作すると、下にスクロールするからもっと沢山あると思うよ」


別に僕が凄いわけではないが、少し胸を張って得意げに説明してしまった——


「見せてくださいまし」


レイはマウスを操作し、ベッドを選び始めている。

その後ろでは、アンナが真剣な表情で画面を見つめる。


「好きなのを選んでいいから」

「これがいいですわ」


レイはマウスをクリックして、ひとつのベットを選んだ。しかし、表示された画面を見て手が止まった。


「これで、このマークを押せば、注文リストに追加されるんだ」


レイは一瞬、マウスの上で指を止めた。


「……これを押すのですわね」


画面を覗き込んでいたアンナが、レイに話しかける。


「さっきのベッドは、どれくらいの大きさですか?」


レイは先ほど選んだベッドの商品画面を開いて、サイズを確認している。

彼女にとっては、写真で気に入ったらサイズはどうでもいいのだろう。


「長さが百九十五センチと書いてありますわ」

「私には少し小さいです」

「アンナのお部屋は、床に布団を敷くのではありませんの?」

「そうでしたね。では大きいサイズの布団はありますか?」

「探してみますわ」


昨日から思っていたのだが、二人は異常なほど飲み込みが早い。

最初の反応を見れば、確かに全てが初めてのものだとわかるのに、今のレイはまるでパソコンの操作を最初から知っていたかのように思えてしまう。

それが悪いことだとは思わない。けれど、何かが引っかかる。

——楽しげな二人に水を刺すようなことは止めておこう。

心配でしばらく黙って二人の様子を見ていたが、問題はなさそうだ。

——女性の買い物に付き合うのは苦手だから、部屋に(こも)って仕事をしよう。


「後は二人の服とか選んでよ」

「兄様もご一緒に」


レイは僕に潤んだ瞳を向けている。——が、マウスに乗せた手を離さないのを見ると、不安があるのではなく、そばにいて欲しいだけだろう。


「僕は少し仕事があるんだ」

「お時間は取らせませんので、一緒に居て貰えると嬉しいのですが」


アンナは、ずっとパソコンの操作をレイに任せて、たまに僕の方を見ているから、そばにいて欲しいだけなのは間違いない。

今近づいたら、きっと抱き上げられる——


「でも、ほら、女性だけの方が選びやすいものもあるだろう?」

「兄様が選んだものがいいに決まっていますわ」

「ほら、下着とかさ……」


アンナとレイが目を合わせ、そして互いに軽くうなずく。何だろう?ただ下着を選ぶだけ……だよね?息の合ったうなずきに一抹の不安を覚えた。


「分かりました。でも下着のサイズが分からないのですが——」


アンナの言うことは最もだ——僕は自室に戻り、メジャーを手にすぐリビングに戻る。


「これで測れば分かるんじゃないかな?」


アンナはメジャーを受け取りながらも、視線はどこか迷うように泳いでいた——

でも、サイズを測るときこそ、僕は不要だろう。見ていてもいいなら……いや何でもない。


「どのように測れば?」


あっ、触って……いや、測ってほしいんですね。うん。仕方がないから——僕が身体(からだ)中のサイズを測りましょう。

——決して下心があるわけではない、これはもう仕方がない、不可抗力のようなものだ。


「レイは知っていますわ」


レイが胸を張っている。本人は時折、気にした様子を見せるが、決して小さくはない。

そんなレイの一言で、そのサイズも測ることができなくなってしまった——

レイはアンナからメジャーを受け取り、話を続ける。


「これを使って二人で測り合えばいいのですわ」

「でも、やはりご主人様に……」


レイは言いかけたアンナに手招きをし、耳元で話しかける。


「兄様はレイ達の下着姿を楽しみにしてるのですわ。兄様に付き合わせては、殿方としての楽しみを奪ってしまうと思いますの」

「なるほど……」


アンナは僕の方を向き、微笑んだ。


「後はお任せください」


何だろう?この急変ぶりは——

肩を落としている場合ではない。せっかく任せろと言ってくれたんだ、後は任せておこう。


「服と下着と、あと寝るときに着るものもあった方がいいと思うよ。他にも必要な物は揃えてほしいんだ」

「寝るためだけの服ですか?」

「そうだよ、あったほうがいいでしょう?」

「そのような贅沢をさせていただくわけには……」


困惑の表情を浮かべるアンナにとって、パジャマは贅沢品なのだろうか?


「兄様、庶民にとっては贅沢品ですの」


庶民って——なに?そういえばレイの会話からは、ときどき中世の雰囲気が感じられるんだよな。

レイはアンナの手に自分の手を重ねる。


「分かりましたわ!兄様、あとはレイとアンナにお任せくださいまし」

「分からないことがあったら、聞きに来てくれたらいいから」


——僕は仕事部屋兼寝室となった部屋で机に向かう。

しばらく仕事に(ふけ)っていたが、ふと二人のことが気になり天井を見上げた。


「妙に静かだ……あの二人が一緒にいて、これほど音がしないなんて……」


少し耳を済ませるが、何も聞こえてこない。


「大丈夫だろう……たぶん」


そう自分に言い聞かせるように呟いて、僕は仕事を再開した。


——そんな耀の気掛かりをよそに、リビングでは二人が買い物を楽しんでいる。


「レイはこのフリルのついたブラウスを、赤とピンクの色違いで選びますわ」

「それと、このボタンのついたスカートも可愛いですわ」


楽しそうに次々と服を選ぶレイの横では、アンナが期待に満ちた表情で画面を見ている。


「レイは可愛い服が好みなのですね。本当にいろんな服があって楽しいですね」

「これだけたくさんの服があると、見るだけでも時間がかかりますわ」

「でも、選んでいる時間はあっという間に過ぎてしまいます」

「レイはこれだけでいいですわ。次はアンナの服を選んでくださいまし」


アンナは嬉しそうな顔で、レイに好みを伝える。レイはアンナの好みを入力し検索ボタンをクリックした。


「——ありませんわ」


呟くレイの横で、落ち込むアンナ。


「アンナの身体に合う服は、どれも地味なものばかりですわ」

「もういいです。このメイド服だけで大丈夫です……」

「アンナこれなんてどうですの?寝るときにこれを着ていれば兄様も喜びますわ!」


アンナに画面を見るように勧める。


「これは……いいですね!」

「これならアンナの身体にも合いますの」


画面には大きいサイズのベビードールが映し出されている。


「これなら着られそうですけど……ちょっと恥ずかしいですね……」

「兄様は絶対にお喜びになりますわ!アンナの魅力を存分に引き出しますの!」

「でも……こんなに沢山いいでしょうか?」

「大丈夫ですの。五色あるので——兄様も五回喜びますわ」

「では、それを全部お願いします……」


レイはホッとため息をつき、アンナは頬を染める——


——それなりに楽しんでいる二人を余所に、耀は自室で資料の整理に集中していた。

前の仕事が嫌な結果に終わったとはいえ、得たものは皆無ではない。少しでも今後の足しにしなければ——


——耀が気合いを入れていた頃、リビングでも二人が気合を込め、真剣な表情になっていた。


「次はいよいよ下着ですわね」

「ご主人様に喜んでもらえるものを探しましょう」


レイはアンナに、まるで何かの儀式を始めるかのように、メジャーを渡した。


「まずはレイが脱ぎますので、測ってくださいまし」


アンナはレイに言われるとおりに測り始める。


「レイは着痩せするのでしょうか?とても魅力的な体型ですね」

「ちょっと、アンナ、そんなに強く引っ張ってはいけませんわ」

「それにお肌もきめ細やかです。これは絶対にご主人様に触らせてはいけませんよ」

「イヤですわ。兄様が触れたくなるような下着を探しますの」


メモしたサイズを入力し検索すると、様々なデザインの下着がたくさん表示された。


「このリボンの付いたのなんて可愛いですわ!」

「このレースのも欲しいですわ」

「これなんてちょっと大人のデザインでいいですわ」


レイは次々と下着を選んでいく、少しでも気に入ったものは、全て買い物かごに入れてしまう。


「次はアンナですわ。測るので服を脱いで、少し屈んでくださいまし」


服を脱いだアンナを見たレイは、固唾(かたず)を呑む。


「お、大きいですわ——胸にレイの顔が完全に埋もれてしまいますの」


レイがサイズを測ろうと、アンナの胸に手を触れる。


「や、柔らかいですわっ!」


レイはサイズを測るのも忘れ、アンナの胸を触りだした。


「あの……レイ?もう測り終わりましたよね?」

「えっ、ちょっと夢中になってしまいましたの。兄様が見惚れるのも分かる気がしますわ」


レイは何かを悟ったような表情を浮かべ、アンナの胸を流し目で見つめる。


「ウエストは立ったほうが測りやすいですね」


アンナが立ち上がると、レイの目の前には彼女の引き締まったお腹が現れる。


「ウエストは意外と細いですの。鍛えているように引き締まっていますわ……」


レイの視線がゆっくりと下がる。


「それよりも、このお尻は胸より大きいですわ……ここまで大きいともう凶器ですわ。いったい何が入っていますの?」


レイがいちいち驚きながら測定したアンナのサイズを入力し、検索した結果の画面を見て二人は唖然とした。


「どれも似たようなものしかありませんわ——」

「……」

「でも、よく見るといくつか可愛いのもありますわ。さぁ、アンナ選んでくださいまし」


アンナはデザインの違う五つを選んで、レイに伝える。


「これだけでいいですの?」

「はい」

「——寝る時はどうしますの?」

「寝るときに下着は着けませんよ」

「えっ、着けない方が大きくなりますの?」


再びレイの視線が、アンナの胸を捉えると鋭く輝いた。

そんなレイの視線を、無視してアンナが尋ねる。


「これだけの物が揃っているのです。食品もあるのではないでしょうか?」

「アンナの言うとおりですわね。探してみますわ」


ひと通り服を選び終えた二人は、他のものを探し始める。


「昨日の鳥はないですね……でもこのお肉は美味しそうです」

「ええ、これなら兄様も喜びますわ」

「こっちのお肉は種類が違うようですが、これも美味しそうです」

「アンナの腕の見せ所ですわ。あっ、このビールを兄様に買いますの」

「ビールもいろんな種類がありますね」

「レイ達のものばかりでは悪いので、ビールもたくさん選びますわ」


——買い物かごに次々と商品が入っている頃、耀は椅子で背伸びをしていた。


「ずっと静かだけど、二人は大丈夫かな?まっ、分からないことがあれば、レイが聞きに来るだろう」


耀の心配は完全に的を外していた——


——耀の心配など知らず、アンナが何かを思いついたように目を輝かせ、レイに耳打ちしていた。


「おとといご主人様が召し上がっていた、お酒はありませんか?」

「——また酔った兄様を抱っこしたいのですわね」


次々と表示される『おすすめ商品』は、二人の好奇心と物欲に火を着けたようだった——


「ご主人様から頂いた書物を読むために机が欲しいです」

「それならレイも欲しいですわ」

「アンナ、この服ならアンナも着れますわ」

「お風呂にこれを置きましょう」

「ねぇアンナ、レイもメイド服が欲しいですわ」

「ダメです。メイド服は私しか着てはいけないとご主人様がおっしゃってました」

「兄様がおっしゃっていたのなら仕方がありませんわ」


二人の買い物は、まだ終わりそうにない——

——そしてこの日、最も働いたのは耀のクレジットカードだったが、彼が知るのは翌日だった。

休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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