地鎮祭
家族全員で住める家の話を聞かされたのが一週間前、その時なぜかイオナが乗り気になっていたので、全て任せるとは言った。
——まさか設計が終わっていて、工事業者も決まり、費用まで僕とイオナで折半することになっていたとは、思いもしなかった。
アンナの独断らしいが、アンナが決めたのであれば反対する人はいないだろう。
そして、三日後から我が家の増築工事が始まることになっていた。
「よくこんな短期間で準備ができたね」
未だに実感の湧かない現実に、ぼんやり思いを馳せる。
「はい。茂様に見せて頂いた写真の中に、この敷地に豪邸が建っていた頃の写真がありましたので、外観はそれを可能な限り再現する形で、内装は寛げる空間にと思い、設計していただきました」
そういうことを聞いたんじゃなかったが、妻同士の取り決めもあるのだろう……これ以上は聞かずにおこう。
「その手腕には恐れ入るよ。あえて再現するんだろ?」
「はい、そのほうが近隣の皆様にも受け入れてもらえる景観になるかと」
「うちは家族構成が常識はずれだからね。そうしてくれたのはありがたいよ」
増築される部分には、広いリビングと個室が四室配置されるらしい。
詳しいことは教えてもらえていないが、妻会議で決まったそうだ。
一抹の不安も残るが、任せた以上は口を挟みたくない……そんな思いに暮れながら、イオナと二人縁側に腰を下ろしていたら、軽トラックが入ってきた。
「相葉さん、おはよう」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
茂さんに地鎮祭をお願いしたのだが、日取りを聞かれ「いつでも大丈夫です」と答えたら「日がいいから三日後にしよう」と、フットワークの軽さを見せつけられた。
急に決まったのに、設計事務所も工事会社も参加してくれるらしい。
全部イオナに任せてあるので、僕は立ってるだけでいいだろう。
「茂様、今日はよろしくお願いします」
「イオナちゃんに生垣を取ったらええとは言ったが、まさか家まで建ててしまうとは思わんかったんだ」
どうやら、茂さんも少しは関わっているようだ。
「茂おじいさま!おはようございます。今日はかっこいいですわ」
いつの間にか縁側に来ていたレイが、茂さんに声をかけた。
「レイちゃんはいつも元気だな。今日は神主の仕事だから、いつもと違うだろ」
「素敵ですの。なんだか威厳がありますわ」
茂さんはいつもどおりニコニコして、レイの相手をしているが、レイに向ける笑顔は特に柔らかい。
「じゃあ、ワシは準備するんだ。レイちゃんも一緒に来るかの?」
「はい。兄様、茂おじいさまのお手伝いをしてきますわ」
二人は軽トラックから荷物を下ろし始める。
あれは、どう見てもおじいちゃんと孫の微笑ましい光景だな……なんて考えていたら、アンナの声が聞こえてくる。
「イオナさん、お茶などの準備はどうしたらいいですか?」
「地鎮祭自体はすぐに終わりますので、その後にお出しいただければ大丈夫です」
言うまでもないかもしれないが、僕も一応お願いしておく。
「茂さんには、始まる前にお茶と茶菓子を準備してくれるかな?」
「分かりました。真由美さん、準備をしましょう」
「はい、アンナさん。今日は忙しくなりそうですね」
アンナと真由美はキッチンへ向かった。
最近、こんな流れでイオナと二人きりになることが多い。
「耀様、少しお仕事の話をしてもよろしいですか?」
「構わないよ」
「仕事部屋を、私たちが住んでいる家に移されてはいかがでしょうか?」
仕事の内容ではなくて、仕事の場所なのか——急な話に、僕は首を傾げる。
「でも、使用人さんたちの家にするんだろ?」
「仕事部屋にするのは、耀様の寝室にした部屋ですので、問題はありません。ミスティ様を含めると五人の妻がいる家では、お仕事に集中できないのではありませんか?」
もう、イオナには僕の悩みがお見通しのようだ。
「ああ、確かにそうだ。今でも結構途切れることがあるな……特に、アンナ」
「レイ様ではなく、アンナ様ですか?」
あれ、知らなかったのか?まあいい、別に隠すようなことじゃないだろう。
「レイは用がなければ僕の部屋に来ないけど、アンナは触りたいってだけで来るからね」
イオナが口元を押さえて、クスクスと笑い出した。
「ア、アンナ様らしいです。想像できてしまいました」
「そうだろう。イオナの案に乗るよ。でも結局、アンナは来そうだけどね」
「その時は使用人にガードさせます。アンナ様も慣れれば問題ないでしょう」
イオナは本気で言っているのか?
黄泉の国であいつと決闘してからのアンナは、料理も他人も腕に物を言わせる傾向が強くなっているんだが……
「できれば、イオナか真由美に止めてほしいな。アンナのことだから、使用人さんでは手に負えなくなると思うよ」
「そうですね。何かいい方法はないでしょうか」
イオナが首を傾げて考えてはいるが、その表情からして、あまり真剣というふうには見えなかった。
アンナを止められないのは、イオナも真由美も一緒だから仕方がないか。
レイなら止められそうだが、そんなことしないだろうし。
「それならさ、裁縫仕事用の部屋があればいいよ。裁縫に夢中になると絶対に来ないから」
「それはいいですね。最近は真由美にも教えているので……検討してみます」
「僕の家の倉庫になっている部屋があるだろ?そこを片付けて使ってもいいんじゃないかな?」
こういう話は、イオナが一番理解してくれるから、彼女といる時間が増えるのも、無理のないことだった。
二人で話している縁側に、茂さんとレイが戻ってくる。
やはり、どう見てもおじいちゃんと孫にしか見えない。
「もう準備は終わったんですか?」
イオナが声をかけると、茂さんが嬉しそうに答えた。
「レイちゃんが手伝ってくれたから、早く終わったんだ」
「レイはお酒を用意しましたわ」
「レイもありがとう。茂さん、少し時間がありますから、上がってください。お茶を用意してありますので」
「おお、ありがたい。レイちゃんも一緒に行こうかの」
「はい、茂おじいさま」
二人を見送った後も、僕はイオナと縁側に残ったままだ。
話したいことがあるわけではないが、ここを離れる理由もない。そんな時間が、今は心地よい。
何でもないやり取りだったと思うが、イオナは僕の顔を不思議そうに見ている。
「耀様は、男性にでも同じ目で接しますよね?」
「特に意識はしていないけど……もともと能面みたいだし分からないだけじゃないか?」
「いえ、目は変わるんですよ。一瞬だけですけど」
イオナは意外とよく見ているんだな。
「——男性も大丈夫なのですか?」
「その大丈夫の意味によるけど、基本的に女性に思うことと変わらないかな」
「そう言えば、耀様は愛が分からないと、アンナ様がおっしゃっていました」
「分からない……来る者拒まず去る者追わずって感じかな。正確には、僕に勝手に寄ってきて、勝手に去っていくだけだけど」
「ミスティ様もそうだったのですか?」
「あの時は襲われたと思ったから、もうひとりの僕に任せたんだ。僕は見ていただけ……ただ、驚いたよ。あいつは蛇でも拒まないんだって」
「任せたとは?」
「僕には対応できないと思って、あいつに頼んだ。この場を穏便にやり過ごしてくれって。そしたら、あいつはミスティを受け入れた……」
確かに僕はそう願った——だが、それは伝わっていなかったのかもしれない。
「それでさ、アンナに見つかる直前に戻っていったんだ。結果は——まあ、穏便には済まなかった」
「情景は見えているのですか?」
情景か……説明が難しいんだよな。まぁ、イオナなら少しは理解してくれるかもしれない。
少しくらい話しても、変には思われないだろう。
「身体はひとつだろ。見ようと思えば見えるし、聞こうと思えば聞こえる。ただ、感覚はないし、暗い空間で夢を見ているような感じなんだ」
正直、自分でもよくわからない感覚だから、話そうとすると難しさを実感する。
「あいつが何を考えているかも分からない、記憶もあったりなかったり……時にはもっと深くて、何も感じないところ。そうだな、心地よく闇に包まれるところまでいける」
なんだか、自分で話していて、自分が危ないやつに思えてきた。
「幼い頃はあいつと会話ができていた。でも、いつの頃からかできなくなった。それが最近になってまた会話ができるようになったように感じる。よく分からないんだ……一方的に声を聞かされるだけだし」
あいつは、僕の分からないところで、僕の知らない選択をしている。
そうだ、僕があいつに思っていることを、イオナに教えておいてやろう。
「さっきの答えになるけど、あいつなら男でも拒まないんじゃないか?」
なぜか黙り込んでしまったイオナに声をかけようとすると、茂さんが家から出てきた。
「相葉さん、イオナちゃん、そろそろ皆も来るんだ。待っていようかの」
「そうですね」
「では、参りましょうか」
その後、すぐに参加者が全員集まり、茂さんの差配で地鎮祭は滞りなく終わった。
工事会社と設計事務所の方は、合間を縫って来たのか、すぐに帰ってしまった。
僕は茂さんとイオナの三人で家へ向かう。
「本当にすぐに終わるんですね」
「地鎮祭は慣行的にするだけになってしまったんだ。昔は幟を立てて、竜柱を建てて、丑寅と未申の方角には矢を立てたんだ」
「そうなのですね。では今日のは……本来の形とは、ずいぶん違うのですね」
「簡素化された形式が定着したんだ」
リビングに入ると、三人と蛇の姿のミスティが待っていた。
「ああ、この蛇は相葉さんの家の守り蛇だ」
「ご存知でしたか?旅行から帰ってきた頃から、驚くほど懐いてしまったんです」
アンナが冷たい目を向けながら、優しい口調で問いかけた。
「床下におったからな、鶏を食わんように烏骨鶏の卵を食わしてやったんだ」
ミスティを除く四人が一斉にため息をついた。
「何かあったんかな?」
不思議そうにしている茂さんに、イオナが答える。
「耀様に懐き過ぎまして、困っていました」
「そうかそうか、相葉さんは蛇にも懐かれるんだな」
茂さんは笑いながらソファに腰を下ろすと、アンナと真由美が用意してくれたお茶を、ホッとした顔つきでひと口啜った。
「無事に済んで良かったんだ。そうだ、相葉さんにお願いがあるんだ」
「なんでしょう?その前に今日のお礼です」
僕とイオナとで包んだ玉串料を差し出すが、それを見た茂さんは驚いている。
「こ、これは多すぎるんだ」
「茂さんが神社の修繕をしたいと言っていましたから、その分も含んでいます」
「茂様、お受け取りください」
「じゃあ、貰おうかな……これだけあれば修理ができるんだ。ありがとう、相葉さん、イオナちゃん」
「それで、お願いとはなんでしょう?」
恐縮する茂さんに話の続きを促す。
「なんだか言いづらくなったんだ……もうすぐ正月だろ?一応、あの神社もそれなりに人が来るんだ。それでな、レイちゃんと真由美ちゃんに、巫女のアルバイトに来てほしいんだ」
「本人が良ければいいですよ」
僕が視線を向けると、予想通りレイは目を輝かせていた。
「行きますわ!でも、アンナでなくて真由美ですの?」
「わ、私が、み、巫女ですか?恥ずかしいです……アンナさん代わってください」
「アンナちゃんが着られる大きさの衣装がないんだ」
「それもそうですわ。真由美、どうしますの?」
「は、はい。私で良ければお手伝いします」
真由美はこういう頼みを断れないから、明け透けなく言い放つミスティと、いいコンビだったりする。
ダイニングテーブルで話を聞いていたレイが、小さな足音を立ててトテトテと茂さんの方へ歩いてくると、首を傾げる。
「ところで、茂おじいさま。今日は何をしていましたの?」
「レイちゃんは、知らんで手伝ってくれとったんか」
茂さんは大笑いしているが、レイは不思議そうな顔をして、茂さんを見つめている。
「今日は家の工事が安全に終わって、その家に住む人がいっそう繁栄するように、神様にお願いしたんだ」
「そうでしたの。神様は来ましたの?」
「来たかどうかは分からないんだ。でもちゃんとお祈りしておいたんだ」
茂さんは笑顔でレイに説明してくれたが、『来たかどうか分からない』という言葉に、レイは困った表情を浮かべた。やがて何かを思いついたように目を見開き、笑顔になる。
「呼べばいいのですわ!」
そう言うと、開いた手をリビングのテーブルにかざした。
「おいでまし!伊耶那美ちゃん!」
テーブルの上に輝く霧が立ち込め視界を遮るが、風に吹かれたかのように霧が晴れると、そこには伊耶那美が立っていた。
「然ても、これは第二妻殿——いかが相成ったか?」
茂さんは目を見開き、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。
「レイ様……」
イオナは頭を抱える。
「レイさん、これはいけません……」
真由美も困った顔で、茂さんの背中を擦っている。
その声を聞いた伊耶那美が、二人に視線を向ける。
「おお、第三妻殿に真由美殿もおられるか。よくよく見れば、吾が君に正妻殿もおわしまするな。仲良う過ごされておいでか?」
「はい、おかげさまで……」
アンナの言葉を聞き、伊耶那美は満足げに大きく二度うなずく。
「伊耶那美、ひとつ聞いていいかな?」
「吾が君の御尋ねとあらば、何事にてもお答え仕りましょう。然れど今日は、優しき御目を湛えておられることよ」
「なぜ、ここにいるんだ?」
「此処にはおらぬ。第二妻殿が、吾が依代を拵え、呼び寄せ賜うたものなり」
すっかり笑顔が消えてしまった茂さんの呼吸も落ち着いたようで、おそるおそる話しかける。
「伊耶那美命にあらせられますか?」
「然様、翁は代々、吾が子を奉る社の主を勤めておろう。心より感謝を述べておく。これよりも変わらず、吾が子のこと——頼みおくぞ」
「はっ、ははー。勿体なきお言葉、痛み入りまする」
茂さんは、某ちりめん問屋のご隠居一行から、印籠を見せられた庶民のようにひれ伏してしまった。
「伊耶那美、今日は兄様の家を大きくするために、地鎮祭というものをしましたの」
「既に承知のこと。吾が子の気配、絶えずこの身に伝わっておる」
「茂おじいさま!神様はちゃんと来ていましたわ!」
「あっ、ああ、そうかい。良かったんだ」
来ているも何も、目の前に立っているのは、レイ的に神様ではないのか?
「この度の儀、吾が君のため、特に吾が祝詞を授けましょうぞ」
「伊耶那美、もう時間がないですわ」
「然様にてあるか。されば、此処におる者らの安寧、ここに祝わん。吾が君、また訪れ賜らんことを——」
伊耶那美の姿は、蒸発するように消えていった。
「レイ様、後でお話があります……」
「イオナ、どうしましたの?そんなに怖い顔をしていましたら、また、お顔にシワが増えますわ」
レイの言葉で、イオナの目から光が消えたような気がする。
「茂さん、大丈夫ですか?」
「な、長生きはしてみるもんだ。この目で神様を見れるとは思わなんだ」
「あれは、レイが作った依代だそうです」
「レイちゃんはすごいんだ。ワシはびっくりし過ぎて、寿命が尽きるとこだったんだ」
イオナがゆっくりと茂さんに近づき、凛とした所作で膝をつく。
「茂様、申し訳ありませんが、本日のことはご内密にお願いいたします」
「当然だ、こんなこと話しても誰も信じてくれん……ワシがボケたと思われるだけなんだ。でも、婆さんにだけは話してもいいかの?」
「それは問題ございません」
無事に終わった地鎮祭も、レイの盛大なやらかしによって、多少の問題を残してしまった。まあ茂さんだし、事なきを得ると信じるしかない。
レイの始末は、いろいろと含むところもありそうだから、イオナに任せておくことにしよう。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
2025年9月30日、一部修正しました。




