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緊急会議

朝から耀の家のリビングには、四人の妻が集合している。

部屋の空気は重く漂い、それぞれの前に出された紅茶には、誰も手を付けず、ただ冷めていくばかりだった。

議題になる耀は、朝までレイに質問攻めにされ、いまだ起きてくる気配はない。


「あの……アンナさん、昨日のお話の続きでしょうか?」


真由美が重苦しい空気に耐えかねたのか、遠慮がちに口を開いた。

その膝にはミスティを乗せ、気分を落ち着かせるかのように、撫で続けていた。


伊耶那美(いざなみ)さんの話とは別です。昨晩、ご主人様に夜這いを仕掛けた者がいました……」


レイは何かの余韻に浸るように、清々しくも艶やかな表情でアンナの言葉につなげる。


「その夜這いは、見事に成功しましたわ!」


レイの発言を聞き、イオナは天を仰ぎ、真由美は首を傾げている。


「レイさん、成功したってどういうことですか?」

兄様(にいさま)は、まんまと寝取られてしまいましたの。しかも、レイが事細かく伺ったところ、二回もしたそうですわ」


真由美の顔は、みるみる赤みを帯びていく。


「旦那様は、昨日私の誘いを断ったのに……二回もなんて許せません——」

「そうですの。アンナの六回には及びませんが、真由美の誘いを断っておきながら、二回とは——許せる話ではありませんわ」


天を仰いでいたイオナが、深いため息をつきながら視線を戻す。


「回数の問題ではないと思いますが……そもそも、犯人はすでに確保されたのでしょうか?」

「当然ですわ。事後に行われていた、親密な夜の語らいの最中に、アンナが押し入って捕まえてありますの」


イオナの表情が怒りを帯び始め、真由美も珍しく厳しい目をしている。


「ここに姿を見せなさい!」


アンナの声に反応するかのように、ミスティが真由美の膝から静かに降りた。

少し広い場所に移動すると、とぐろを巻き鎌首をもたげる。

四人の注目を浴びる中、ミスティの身体(からだ)は大きくなり、黒い鱗は輝きを増していく。

上半身は、蛇から人のそれへと、ゆっくりと変化していく。


柔らかな小麦色の肌に、張りのある胸。細くしなやかな指先には、赤く長い爪が伸びていた。

一見すると真っ黒に見える、腰まで真っ直ぐに伸びた髪は、光を反射して濃い紫に輝いた。

つぶらな目には紫の瞳が浮かび、真っ赤な唇と大きな口元は、気丈さと妖艶さを同居させている。

その全体が、美しさの中に可憐さを宿す、不思議な魅力を放っていた。

だが、その腰から下は、黒光りする鱗を持った蛇の姿で、尾の先までは五メートルくらいありそうだ。


「昨晩、殿に夜這いを掛けたのは(わらわ)である。奥方殿には申し訳なく思っておる」


ミスティは姿を表すと同時に、深々と頭を下げた。

朝までアンナに絞られ続けたミスティには、もはや昨晩の覇気は残っていなかった。


「ミ、ミスティ——ちゃん……」


真由美は、ひと言呟いてうつむいてしまった。

顔を真っ赤にして、膝の上で握り締めている両手は、小刻みに震える。


「——絶対に許しません……」


その様子に、ミスティは身体ごと真由美に向かい、黙礼をする。


「真由美殿、いつも妾を膝の上に乗せ、可愛がってくれておったのに、このようにはしたなきことをしてしもうて申し訳ない」


ふいに真由美が、真っ赤に染めた顔を上げ、怒りを滲ませた視線で、まっすぐミスティを睨みつけた。


「ぜーーーったいに許しません!」


真由美は、目尻に涙をにじませ、申し訳なげに立ちすくむミスティの胸元を、鋭く指さす。


「私よりおっぱいが大きいなんて、絶対に許しません!何なんですか、蛇には小さいおっぱいがお似合いですーーーっ!」


イオナはこめかみを指で押さえ、少し黙ってから顔を上げた。彼女はため息をつき、残念そうな目で真由美を見る。


「——問題はそこですか?」


イオナの声が届いたのか、真由美は彼女に視線を向けると、再びミスティの胸を指差した。


「だって、私が一番小さいじゃないですか!蛇のおっぱいなんて、ぺったんこでいいんです!ぺったんこ!どうせ旦那様の妻になるんでしょ!だったら、ぺったんこになってからにしてください!」

「真由美殿、無理を申されるな……」


ミスティは困惑し周りを見回すと、レイが真由美より少し大きい胸を張って微笑んでいた。


「真由美、それは無理ですわ」


アンナがそっと真由美の肩に手を添え、声の高さを少し落として、優しい口調で慰めの言葉をかける。


「真由美さん、ご主人様は胸の大きさで態度を変えることはありません。安心してください」


真由美は目を見開き、アンナを見ると、さらに大きな声を上げる。


「アンナさんに言われても、なーーーんの説得力もありません!なんですかそれ?何が入ってて、何カップなんですか!」

「アンナのは、無駄肉が入っているKカップですわ」


レイが諭すように真由美に教えた直後、真由美の視線は突き刺さるように、アンナの胸に向かった。


「何なんですか、ケーなんて言葉なんか聞いたこともありません!空想の生き物か何かですか?えーえー、私のブラジャーなんて、大して支えるものなんてありませんから、乳首を目立たなくするためだけのものですよ!何なら絆創膏でもいいくらいです!わーん!アンナさんにイジメられるーーー!」


言い切ると、真由美は肩で大きく息を吐き、視線だけを床に落とした。コンプレックスが暴発した真由美を、イオナが冷静な口調でたしなめる。


「真由美、少し落ち着きなさい」

「だってーーー!」

「いいから落ち着きなさい。話が進みません」


真由美は恨めしそうに、イオナを見て口を閉じた。

イオナにたしなめられて、大人しくなった真由美に、ミスティが近づく。


「真由美殿、これまでどおり妾と仲良くしてもらえんかの……」


再び頭を下げたミスティに、真由美も頭を下げる。


「ごめんなさい、ミスティちゃん——少し取り乱しました……」

「兄様も二人が仲良くされることを望んでおられますわ。昨夜も真由美に申し訳ないとおっしゃっていましたの」


レイの言葉に、真由美は小さくうなずいた。


「そうだったんですね……ミスティちゃん、これからもよろしくね」


わずかに綻んだ真由美の表情を見て、その慈悲に感謝するように、ミスティは深々と頭を下げた。

イオナがアンナに真剣な眼差しを向け、話し始めた。


「ともかく、これはラウム様の仕業ですね」

「恐らくそうだと思います」


アンナは唇を結び、視線を落とすと、その目を細めて、ラウムに対する怒りを見せる。


「兄様の話でも、それで間違いないですわ」


そう言ったレイは、紅茶をひと口飲んで、アンナに視線を向けた。


「この調子では、いったいどこまで増えるのでしょうか……」


ため息をつくアンナに、レイは笑顔で話をつなぐ。


「これ以上はないと思いますわ」

「レイ、どうしてそんなことが言えるのですか?」

「アンナはミスティに聞いていませんの?レイは兄様からお聞きしましたわ」


レイは紅茶をひと口飲んで喉を潤すと、ミスティに優しい視線を向けた。


「ミスティ——あなたがここに来た経緯を話してくださいまし」


レイの声にうなずいたミスティが、落ち着いた口調で話し始めた。


「妾は、幼子であった頃の殿が、隠れ家にしておった物置に住み着いた蛇であった。いつもひとりで話をする幼子は優しい目をしておったのだが、その家族が目に入ると表情がなくなっての、変わった人間の子だと思い興味を引かれてよく見ておった」

「あの物置ですか——ご主人様にとってはつらくもあり、落ち着く場所でもあったのでしょうか?」


アンナの問いかけに、ミスティはうなずいた。


「そうじゃの……居場所がなかったのかもしれんの。ある日な、妾は興味半分で殿の目の前に出てみたんだが、殿は怖がるどころか話しかけてきてくれた。まあ何を言っとるか分からんかったがの——必要とされたことは分かって嬉しくての。それからはずっと見守っておった」

「ずっとですの?」


レイの問いかけに、ミスティは少し間を置き答える。


「正確には殿が家におる時と、近所におる時だが。殿はいつも怪我が絶えんでの……怪我をするたびに、だんだんとな、変わっていった。優しい目も無くなり、ひとりで話をしながら絵を描いておっての、それを見ているうちに心を惹かれてしもた」

「蛇にも感情があるのですね」


そのイオナの呟きに、ミスティは少し表情を緩める。


「それは殿と出会ってからぞ。じゃがそれは殿に対してだけじゃ——なんかの、心が伝わってくるようでの」


しばらく静かな時間が流れる。何も言わないミスティを四人が見ると、その瞳は悔しさに潤んでいた。


「ずっと成長していく殿を見守っておったがの、見守るだけで何にもできなんだ。何にもできんうちに殿がおらんようになってしもうて、探しておったんじゃが——その最中に殿の弟君に見つかっての、鎌で首を刈り取られた」

「えっ、ミスティちゃん死んだの?」


真由美の驚いた声に、ミスティは少し首を傾げて笑顔を見せた。瞳に浮かぶ涙が、その笑みに後悔を滲ませていた。


「うむ。死んでもなお、殿が気になっての。ひと目会いたいと思う気持ちで、殿の服に取り憑いておったのだが、その服と一緒にここに辿り着いた」

「レイの部屋にある、あの悪趣味な服ですわ」

「あの服は、暗き瞳をした殿が大切にしておった——レイ殿も大切にしてくれんかの」


レイが笑顔でうなずくのを見たミスティは、話を続けた。


「そしてな、黒い衣を纏った男が蛇の身体を与えてくれて、殿がこの家と鶏を守れと言っておると伝えられての。この家をうろうろしておったのだが、殿があの幼子であることに気づいて、言葉を交わしたいと願っておったら、この身体に変わってしもた……後は知ってのとおりじゃ」

「ミスティちゃん、健気で可愛らしいです」


真由美が目頭を押さえているが、イオナは冷たい視線をミスティに向ける。


「あなたが耀様のことを、よくご存知だと分かりました。ですが、夜這いは感心しません」

「本当に申し訳ない。年寄りに貰った卵を食うてからというもの、身体の芯から疼いて耐えられんかったのでな」


ミスティの言葉にアンナが首を傾げて、問いかける。


「その卵は、誰に貰ったのですか?」

「アンナ殿とレイ殿が、殿と出掛けておる時に、鶏の世話をしておった年寄りだが」

(しげる)おじいさまですわ……」


レイの口から出た名を聞いて、四人が一斉にため息をついた。


「卵の件は茂様の優しさです。ですが、問題はご主人様です」


アンナの言葉に、イオナがうなずいた。


「確かに、昨日も話題に出ましたが、近頃の耀様は節操がありません」

「旦那様が誰にでも優しいのが、いけないのでしょうか?」


真由美の言葉を聞いたアンナが、思い出したかのように呟く。


「旅行に行った時、ご主人様は、もうひとりのご主人様と、ひとつになれそうだとも話されていました」

「そうなれば、旦那様はどうなってしまうのですか?」


真由美は心配そうな表情で、イオナに問いかけた。


「分かりません。あの膨大な魔力を自由に使えるようになるかもしれません」

「そうなると、優しさと怖さを兼ね備えた兄様に、ますます女が寄ってきますわ」


レイの声を聞き、真由美はうつむいてしまった。


「私はイヤです。いつもの優しい旦那様の方がいいです」


黙って話を聞いていたミスティが、首を傾げて口を挟む。


「奥方殿たちは、何を話しておる?本来の殿は優しくないのだが」

「何を言っていますの?」


そのレイの問いかけに、ミスティは不思議そうな顔をして答えた。


「優しい目をしておるときは、本来の殿ではないのじゃが」

「元は違ったのですか?」


アンナの問いかけに、ミスティはうなずいた。


「妾は初めて見た殿は、床に倒れて死んだような目をしておった——あれが本来の殿じゃの」


四人は息を飲んで、ミスティの言葉を待つ。


「しばらく後に、身体を起こして座ったんじゃがの——奥方殿の言う殿の目に変わっておった」

「突然変わったんですか?」


イオナの言葉に、ミスティは首を横に振る。


「しばらくは、両方の殿が見えておったのじゃが——」


ミスティは懐かしむような目を天井に向けた。


「ある日、殿は泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら絵を描いておった——妾しか見ておらんがな。絵を描きながらも、激しく表情も感情も変わっておった。その日を境に、今の優しい目をしておる殿しか見せんようになった。妾の目にはあれがハリボテに見えるのじゃ」


厳しい視線を向けるアンナに、ミスティは微笑みかける。


「本来の殿は自分が作り上げた世界にこもっておって、ハリボテに呼び出されると出てくる。呼び出すのは決まって、感情の昂りに耐えられんようになったときじゃな。あとは妾のような人間以外と関わる時は出てきておった。じゃがな、その時折見える本来の殿も変わっていったの」

「どう変わったのですか?」

「ふむ、元は感情の起伏が激しかったのだが、急に何事にも関心を持たんようになり、同時に表情も失った。他人が何をしようが、何をされようが気にならんようでの。そのうちに、自分の痛みもつらさも、生にすら関心を示さんようになった」


ミスティは思い出すようにまぶたを閉じ、小さく息を吐いた。


「求められれば拒まず、拒まれれば追わず、水面に浮かぶ葉でも眺めるようじゃの。じゃが、あの日見た死んだような目は変わらん」

「旦那様は人間なんですよね?」


真由美の問いかけに、ミスティは首を小さく横に振る。


「妾にもそれは分からん。だがな、昨夜は話をしてくれての。昔話をしておる時は、穏やかな声であったぞ。それで妾は気づいての——」

「何に気づいたのですか?」


イオナの言葉に、ミスティは四人の表情を見た後、ゆっくり口を開いた。


「殿が話さなくなるのは自分にとって大切なものがない時のようでの。それは前から気づいておったのだが、その反対に今は大切なものがあるとな」

「みんなで過ごす平穏な生活が大切だと言っていました……それと、自分にとって遠い存在がどうなろうと構わないとも……」


アンナが囁くように呟いた声に、ミスティはうなずいた。


「うむ。奥方殿たちを大切に思っておるのだと気づいた。殿の大切なものを自ら守る行いが、他者からは優しい行いと思えるのではないか?だが、気を付けねばならんぞ。殿は邪魔する相手を平気で殺す」


真由美が突然大きな声を上げる。


「アンナさん、今夜こそは私が旦那様の相手をします」

「構いませんが、急にどうしたのですか?」

「旦那様に、どうしても話しておきたいことがあります」

「分かりました。でもその前に、私の気がまだ収まりません」


アンナはレイに視線を向ける。


「レイ、ご主人様と手合わせをしますので、起こしてきてください」

「アンナ、本気ですの?」

「ええ、ご主人様と本気でぶつかり一度区切りを付けます。それでこそ、ご主人様の正妻として相応しいと思うのです」

「殿は強いぞ。妾も昨晩、引きちぎると言われ怖かった。妾の身体を引きちぎるくらいのこと、殿ならたやすくできるでの」


突然の夫婦喧嘩宣言に、真由美が戸惑って声をかける。


「正妻って、闘わなきゃいけないんですか……アンナさん、ちょっと怖いです」

「それで、ミスティ様はどうなされるのですか?」


イオナの問いかけに、アンナは即答する。


「妻として認めます。ご主人様を守ってくれるでしょう。ですが、夜這いの件は改めて皆さんに謝罪してください」

「アンナ殿、レイ殿、イオナ殿、そして真由美殿。改めてお詫びを申し上げる。本当にすまなかった」


とぐろが一段深く沈み、尾先がわずかに揺れて止まった。謝罪を終えたミスティに、アンナが自覚を促す。


「今後は、ご主人様の妻として相応しい振る舞いをしてください」

「承知いたした」


レイはカップを受け皿へ静かに戻し、視線だけをアンナに残した。


「さあ、レイは気の毒な兄様を起こしてまいりますわ」


レイは少し楽しそうにリビングを後にし、耀の部屋へ向かった。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年9月29日、一部修正しました。

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