【閑話】観光!境港
今日は旅行の最終日で境港に行くことになりましたの。
アンナは茂おじいさまに聞いた、『出雲大社』に行きたがっていましたけど。
昨晩、兄様のお布団に潜り込んで、兄様のお乳首をなでなでしながらお願いしましたら……
——出雲大社は却下されましたの。
アンナは、いつも兄様に可愛がってもらっていますの。
こんな日くらいレイの言うことを聞いてもらわないと、レイはつまらないですわ。
兄様の運転する車は風を切って、心地よく走りますの。
境港に向かう途中で、海の見える駐車場を見つけましたので、兄様のご希望で、寄り道することになりましたの。
「内海なのかな?」
「川のようですわ」
「でも、吹いているのは海の風なんだよね」
「ご主人様は風で分かるのですか?」
アンナの問いかけに、兄様は遠くを見るお顔をされて「小さい頃はよく海で遊んでいたからね」と呟きましたの。
「海は食べられるものが多いから、おやつには困らなかったな——」
兄様が好き嫌いせずに、何でも口にされるのは、幼い頃の貧しい経験が原因だと思いますの。
昨日の朝も腐ったような豆を食べておられましたの。
……その後は、腐った女まで食べそうな勢いでしたわ。
「兄様、少し寒いですわ」
「そうですね。ご主人様、身体が冷えるので出発しましょう」
レイとアンナが呼びかけても、兄様はじっと海を見つめていますの。
レイは知っていますわ。この時の兄様は、もう一人の兄様とお話をされていますの。
「兄様、レイは早く妖怪を見たいですわ」
兄様の腕を引くと、振り向いて頭を撫でてくださいました。レイは兄様に撫でられるのが大好きですの。
でも、振り向いた一瞬の兄様の目は、輝きをなくしていましたわ。
嬉しいですの。レイの愛している兄様に、一瞬だけ会えましたわ。
兄様の車で三十分ほどかけて、境港駅のそばに着きましたの。そこからは歩いてお散歩ですわ。
アンナは兄様と手をつないで歩いていて、レイの邪魔をしないので助かりますわ。
「兄様、あちこちに妖怪の像が置いてありますわ!」
「あまり走ったら危ないよ」
「レイ、ちゃんと前を見てください」
兄様とアンナは、レイのことを子供のように扱うので嫌になりますわ。
でも、兄様はアンナと手をつないでいますから、手をつながなくても迷子にならないレイの方が、兄様よりお姉さんですわ。
お姉さんのレイが先導してあげましたら、駅の近くで、妖怪たちが会談をしている像を見つけましたの。
「兄様、これは興味深いですわ」
レイの声に、兄様も興味を惹かれたようでしたの。
「面白いね。こうやって見ると、知っていても新鮮に見えるよ」
「お花の精霊と同じように、きっと妖怪たちも集まって、噂話をしているのですわ」
「どれも可愛いですね。ご主人様はこれをご存知なのですか?」
アンナが尋ねると、兄様は懐かしい目をされましたの。
「うん、小さい頃よく図書館で読んでいた漫画なんだ」
「妖怪の書物もありますの?」
「あるよ。この後に行く記念館で売っているんじゃないかな?」
書物があると聞き、早く記念館に行きたくなりましたわ。
でも、そんな逸る気持ちを邪魔するかのような、魅力的な看板を見つけて、レイはその看板を指差しながら、兄様の方を見上げますの。
「兄様、あそこに行きたいですわ」
「あれは何だろうね?」
兄様も興味を持たれたようですわ。
「なんだか楽しそうな絵が描いてあります。寄ってみませんか?」
やりましたわ!アンナも行きたいようなので決定ですわ。
駅前の建物の二階にある入口には『展示物に触れないでください』と書いてあるので、何やら貴重なものが見られそうですわ。
兄様が入場券を買ってくださって、受付のお姉さんが説明してくださいますが、お姉さんの顔が何だか引きつっていますの。
ふと、横を見上げると、アンナが兄様の腕をしっかりと抱きしめて、お姉さんを睨みつけていましたわ。
これは、見境なく女性を誑かす兄様が悪いのですから、仕方がありませんわ。
あとで、レイがお姉さんに謝っておきましたわ。
「前に入場した方との間隔を取りますので、しばらくお待ちください」
そう言われて、入口で待たされている間、兄様がアンナを宥めておりましたわ。
「写真は撮ってもよろしいですの?」
「撮っていただいていいですよ」
笑顔で教えてくださった、入場口の見張りをしているおじさまは、大変親切な方のようですわ。
「ではどうぞお入りください」
おじさまに声をかけられて、中に入ると暗くて進む方向も分かりにくいですの。
ひんやりとした空気と乾いた匂いが鼻をくすぐりますの。何やら不気味なうめき声のような音が遠くで響いていますわ。
そんな暗がりの中でも、兄様は迷いなく進まれますの。レイも逸れないように兄様についていきますわ。
「これはお化け屋敷みたいなものか?」
「なんですの?それは」
レイの問いかけに、兄様は思わせぶりな目を見せましたの。
「先に進めば分かるよ」
途中、いろいろな妖怪が怖い演出で展示してあり、子供なら驚きそうですが、レイは大人ですの。
どれも本物のようによくできており、写真もたくさん撮れる素晴らしい見世物ですわ。
そして驚いたことに、兄様は展示してある妖怪の名前を、ほとんど知っていますの。
「ご主人様は詳しいのですね」
写真を撮るのに忙しいレイの代わりに、アンナが聞いてくれましたわ。
「小さい頃から好きだったんだ」
「どうしてですか?」
「いろんな姿形のやつがいて、面白いだろ?」
思えば、兄様が幼い頃にノートに書いた絵も、妖怪のようなものが描いてありましたわ。
妖怪のことを知れば、あのノートを完成させるのに役立ちそうですわね。
夢中になって写真を撮っていたら、もう出口が近いようですの——なんだか物足りませんでしたわ。
そんなことを考えていたら突然、兄様が後ろを振り向き、立っていた『ぬらりひょん』とかいう妖怪にお辞儀をしましたの。
「どうしましたの?」
「中に人が入っているだろ」
兄様の声が聞こえましたのか、ぬらりひょんも兄様に小さく頭を下げたのを見て、何だか可笑しくなりましたわ。
「ご主人様、それは気づいても黙っておくべきかと——」
「——兄様は空気が読めませんわ」
あのぬらりひょんは、きっと、気配を消して、後ろから驚かせようと待っておられたのに……お気の毒ですわ。
——妖怪がたくさんいたお化け屋敷を楽しんだので、記念館に向かって歩いていますの。
その道は、至るところに妖怪の像が置いてあって、とても楽しい散歩道になっていますわ。
そんな通り沿いに、たくさんの妖怪がいる池を見つけましたの。
「兄様、この池は素敵ですわ」
「面白いね。漫画のひとコマが飛び出したみたいだ」
「どれも表情が豊かで、見ていて楽しくなります」
アンナも喜んでいますけど、ここは兄様の写真を撮るには、最高の場所ですわ。
「兄様、池の前に立ってくださいまし」
「突き落とすのか?」
「違いますわ!写真を撮りますの!」
いったい兄様は、レイのことを何だと思っていますの!
まぁいいですわ、池の前に立つ兄様の写真を、スマホの壁紙にしますわ。
「ここでいいかな?」
「兄様、もう少し左に寄ってくださいまし、池で溺れている像が写りませんわ」
これでレイだけの兄様の写真を手に入れましたわ。
あとは妖怪の書物を手に入れれば、レイの目的は達成されますの。
池から記念館はそう遠くありませんが、途中に置いてある妖怪の像を見ながら歩いたせいで、結構時間がかかってしまいましたわ。
まあ、ほとんどレイが見ていただけですの。アンナは兄様ばかり見ていますし、兄様は道沿いに建つお店ばかり見ていましたわ。
記念館に入ると、受付のすぐ脇にあるお店に並んだ書物が、レイの目に飛び込んできましたの。
兄様が入場券を買っている間、少し見てみましたが、ここはすごいですわ!興味をそそられる書物がたくさんですの。
「レイ、行くよ」
兄様から呼ばれたので、後でじっくり見ることにしますわ。
「レイは本が好きだよね」
「そうですの、読んでいる間は書物の世界に入っている感じですの……自己満足の世界ですわ」
「いいと思うよ。僕も好きだしよく読んでた。買ってもらえなかったから、家では学校の教科書を読んでたけどね。繰り返し読むから、暗記してしまったくらいさ」
兄様は当然のように話されていますが、それはきっとつらい思い出ですわ。
「ご主人様は、図書館に行かれていたんですよね」
「そうだよ。夏は涼しくて、冬は温かいところで、タダで本が読めるんだ。子供の頃の僕にとっては本当にいいところだったよ」
アンナの問いかけにも、兄様は穏やかに話されていましたが、それはきっと、寂しい記憶も含まれていたのだと思いますの。
展示されているものを見ている兄様は、どこか遠いところを見つめるような目をしていますの。
きっと、もう一人の兄様とお話されていると思いますわ。
「子供の頃の思い出は、つらいのではありませんの?」
「そんなことはないよ。僕は友達がいなかったから本ばかり読んでた。あの頃は暇つぶし程度だったけど、それが今は役に立っていると思ってる」
「ご主人様は、妖怪のことも詳しいですからね」
アンナの言葉に、兄様は展示物に目をやりながら、穏やかに答えられましたの。
「それは、ここに展示してある漫画を読んでいたからだよ。特に妖怪図鑑が好きだったな」
「何ですの!その魅力的な書物は!」
『妖怪図鑑』——そのあまりに興味を引く言葉で、思わず大きな声が出てしまいましたの……
「レイ、声が大きいですよ」
「ごめんなさい、アンナ」
謝るレイの頭を、兄様が撫でてくださいますが、人前だと少し恥ずかしいですわ。
「ここにも売っていると思うし、後で探してみたらどうかな」
「はい、兄様」
レイはいろんなものをたくさん見たいのですが、アンナは真剣な表情で、ずっと同じ漫画の展示を見ていますの。
——アンナにあのような顔ができるなんて驚きですわ。
「ご主人様、なぜ戦争の絵がたくさんあるのですか?」
「戦争体験を漫画にしてるんだ。本人の体験ではなくて伝聞だったかもしれないけど……興味があるの?」
「はい、この書物も売っていますでしょうか?」
「あると思うよ、後で探してみなよ」
「はい」
アンナが笑顔になって兄様に甘えておりますの。
きっと二人きりの時は、いつもあのように甘えているのですわ。
展示物を見終わって、いよいよお店ですわ!レイは展示物を見るより、こちらのほうが楽しみでしたの。
「兄様、これが欲しいですわ」
二種類の妖怪大百科と妖怪大事典を兄様に差し出しましたの。
「気に入ったみたいだね」
「はい、兄様のおっしゃるとおり、いろんな姿形をしていて、見ているだけで楽しいですわ」
「ご主人様、展示してあったのは、これでしょうか?」
アンナは一冊の書物を兄様に見せていますわ。
「ああ、それだね。アンナはそれだけでいいの?」
「はい、私はこれで十分です。それよりお土産を」
「茂さんにはこれがいいと思うんだけど、どうかな?」
兄様は、クッキーのようなお菓子を、すでに手に持っておられましたの。
「茂おじいさまは、そのようなお菓子を好まれますわ」
「幸子様もそうですね」
「じゃあ、これにしよう」
「ご主人様、イオナたちには?」
「途中のサービスエリアで見かけた、チーズケーキにしようと思ってるんだ」
「イオナの好みはご存知なのですね……」
兄様が迂闊なことを言ったせいで、アンナの瞳に、怒りの火が灯りましたわ。
「アンナが決めてくれた妻だからね、大切にしたいと思って、少し探ったんだ」
「兄様、女性の好みを探るなんて、悪趣味ですわ」
「冗談だよ。真由美に聞いた」
「そうでしたの。安心しましたわ」
レイも安心しましたが、アンナの瞳からも怒りの火が消えて、落ち着いたようですわ。
まだ明るいですのに、兄様の言うには、そろそろ帰らないと家に着くのが夜中になってしまうらしいですわ。
また、アンナが助手席を占拠しましたので、後の席で今日撮った写真を眺めていましたら、池の前で撮った兄様の写真が、とても素敵に撮れていますの。
兄様の周りに、見えないはずの妖怪や精霊がたくさん集まって、兄様をじっと見つめていますの。
中には兄様を指差すものもいますわ——やはり兄様は人ならざる者たちから、たいへん好かれるようですの。
駅の近くで見た像のように、今頃きっと噂話になっておりますわ。
でも、それは今の兄様ではありませんの——レイが愛するもう一人の兄様。
「後が静かだね」
「レイは寝てしまいましたね」
「はしゃいでたから、疲れたのかな」
兄様……レイは一緒に旅行ができて、たくさんの思い出をいただいて、ますます兄様のことを好きになりましたわ。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
2025年9月27日、一部修正しました。




