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小鳥の晩餐

ひととおり片付けも終わり、部屋に静けさが戻った。

僕がソファに腰を下ろし、深く息を吐いたそのとき——優しい声がかかる。


「夕食の支度をいたしますね」


アンナはキッチンに向かいながら、レイにも声を掛ける。


「レイはご主人様に、お茶を()れてください」


レイは目を輝かせて、アンナの背中を見つめる。


「はい!兄様(にいさま)にお茶を淹れますわ!」


何とも微笑ましい光景に心が安らぐ。料理をしたことのないレイに、簡単な役割を与えるあたり、アンナはとても面倒見がいいのかもしれない。


「兄様、お茶をどうぞ」

「ありがとう、レイ」


——レイの淹れたお茶は非常に薄味だった。


「うん。優しい味だね……」

「兄様に喜んでもらえて幸せですわ」


喜んでるレイに、それ以上のことは言わないでおこう。


「後は寝具をどうするかだな。今日中に手に入れるのは難しいよな」

「ご主人様、実のところ私たちは、眠る必要がありません」


何かを焼きながら、アンナが僕に教えてくれた。


「そうですわ。食事も必要ありませんの」


頬を赤らめたレイが、上目遣いで僕を見つめ、話を続ける。


「兄様のお力を注入して頂ければ、その、大丈夫ですの……」


力を注入とは——?きっと、魔力の事だろう……うん。注入方法とか、そのへんの詳しいことは聞かないでおこう。


「ではレイの夕食は要りませんね!」


僕に抱きつこうとするレイを止めるように、突然、キッチンから少し大きな声が響いた。


「アンナ、ごめんなさい。今日の夕食は楽しみですの……」


よく話が読めないが、人とは違う存在なんだし、そんなものだと理解しておこう。

本当はちゃんと聞いた方がいいのは分かっている。でも、今はまだ……知らない方が、心が楽だった。


成り行きで同居することになった二人の生活用品をどう調達するか——超薄味……いや、優しい味のお茶を飲みながら思案している僕と、その様子をニコニコしながら眺めるレイに声がかかる。


「夕食ができました」


ダイニングに移動すると、テーブルに大きな皿がひとつ置かれている。


「これは、鳥——だよね?」


そう、焼かれた二十羽ほどの小鳥が、大きな皿に盛り付けられている。ひと目で鳥とわかる姿……丸焼きというものだろうか?


「はい、鳥です」


アンナが笑顔で答えてくれたが、いろいろと気になることが多すぎる——


「——どこで手に入れたの?」

()りましたわ!」


その言葉を聞いて、冷たい汗が額を伝う。


「……獲った?」

「はい、レイと一緒に獲りました」


この二人が小鳥を獲ったのか?なんてたくましいんだ——


——串もなく、ただ皿に積み上げられた小鳥二十羽の丸焼き。そこに潜む情報の多さに、思考の処理が追いつかず、じっと焼かれた鳥を見つめていると、レイの声が聞こえてくる。


「兄様が寝ている時に外に出てみましたら、たくさんいましたの」

「獲ってもいい鳥なのか?」

「獲ったらいけない鳥もいるのですか?」


アンナが急に、困惑した表情を浮かべる。アンナと同じように、僕も困惑している。

この二人は一体いつの時代を生きていたのだろうか——だめだ。これ以上疑問を増やすのは愚策でしかない。

二人のことはいずれ分かるときが来るだろう——まずは少しずつ慣れてもらおう……


「獲ったらいけない鳥のほうが多いかな——」

「それは誰が決めていますの?」


レイが不思議そうな表情を浮かべ、僕に問いかける。


「法律で決まっているんだ」

「法律とはなんですの?」

「うーん、みんなが守らないといけない決まりと言ったら分かるかな?」

万民法(ばんみんほう)のようなものですわ——」


レイはどうやら納得したようだが、万民法って中世ヨーロッパの話じゃないのか?


「申し訳ございません! ご主人様!」


納得した顔でうなずいているレイの隣で、アンナが突然、謝罪の言葉を口にした。


「私が無知ゆえに、ご主人様にご心配をおかけしました。どのような罰でも(つつし)んでお受けいたします」


アンナが上体を前に倒し、頭を深く下げ、まるで心まで垂れているように見える。だが、そのせいで、さらに強調された巨大な双丘(そうきゅう)が僕の視線を奪い、思わず呟いてしまう。


「じゃあ、そ、その……おっぱ——」

「なぁー!兄様! レイにも罰を与えてくださいまし!」


なぜか、レイが慌てたようにブラウスを脱ぎ始めた。


「じょ、冗談だよ。冗談」


僕は慌てて手を振り、少しの期待があったことを隠すように真剣な表情で言葉を紡ぐ。


「僕は二人に罰を与えようなんて思ってない。それにさ、もう獲っちゃったものは仕方ない、命を粗末にするようなことはしたくないし、冷めないうちに食べよう」


——よし、良からぬ考えがあったことを隠すには完璧すぎる話ができた。はずだ……

アンナが顔を上げると、目には少し涙を浮かべていた。


「はい、ご主人様の温かいお心遣いに……」


そう言いかけて、少し視線を()らし呟く。


「罰を望んだのは、私自身だったのかもしれません……」


レイは、つまらなそうにブラウスのボタンを……なぜかゆっくり、惜しむように留めていた。そして、アンナの肩を優しくたたき、振り向いた彼女に声を掛ける。


「——アンナだけが悪いのではありませんわ」


レイは優しい眼差しをアンナに向けている。

僕は重大な勘違いをしていたようだ、レイは、自分も何かを触ってほしかったのではなく、アンナだけに責任を押し付けることが嫌だったのではないか?ブラウスを直すときのつまらなそうな顔は……うん、見なかったことにしておこう。


ともあれ、もう一つ解決しなければならない問題がある——


「ところで、これはどうやって食べたらいいのかな?」


困惑して問いかけると、レイは小首を傾げた。

そのまま、しばらくじっと僕の顔を見つめていたが、ふいに笑顔を浮かべ、何でもないことのように答える。


「そのまま食べられますわ」


おもむろに一羽の丸焼きを手に取ったレイは、その小鳥に嬉しそうにかじり付く。


「アンナ、美味しいですわ。アンナも召し上がってくださいまし」

「レイ、ご主人様より先に手を付けてはいけません」


アンナがレイを(たしな)めるが、気に留める様子もなく、話しを続ける。


「兄様は食べ方が分かりませんの。アンナも教えて差し上げないといけませんわ」


そう言って、もう一羽を手に取り、アンナに手渡す。


「そうなのですか、ご主人様?」

「うん。本当に知らないんだ」


レイが手渡した小鳥を、アンナが一瞬ためらってから受け取る。


「骨は外してありますから、そのまま食べられます。ですが、小さい骨が残っているかもしれませんので、お気を付けください」


そう言ってアンナも小鳥にかじり付く。


「——そうなんだ」


メイド服姿の美しい女性と、可愛いを体現したような女性が、小鳥の丸焼きを素手で持ちかじり付く姿は、異様な光景にも見える。


「さあ、兄様も召し上がってくださいまし」


レイの勧めに、僕は一羽の丸焼きを手に取り、意を決してかじり付いた。


「……美味しい!」


塩と胡椒のシンプルな味付けながら、焦げ目がついた皮は香ばしく、柔らかい肉は程よい歯応えを残している。


「ご主人様、お口にあったようで嬉しいです」

「ああ、本当に美味しいよ」


僕の好みを知っていたかのような、シンプルな味が口に馴染む。

夢中になって黙々と小鳥にかじりつく三人、周囲から見れば何かの儀式をしているように見えるかもしれないが、美味いので仕方がない。

僕はよほど美味しそうに頬張っていたのか、レイが笑顔で話しかけてきた。


「兄様、これはアンナが丁寧に料理していましたわ。レイも羽根を取るのを手伝いましたの」


野生の小鳥をこれほどに料理するのだから、やはり手の込んだ料理のようだ。

——だが、この二人が小鳥の羽根をむしり取る姿はシュール過ぎる。


そんなことより、これは本当に美味い。だが、この味には何か足りない気がする。

僕の頭の引き出しが次々に開かれ、答えを探す。——そうだ、ビールだ!


「ビールが欲しくなる味だな」

「それはどこにありますの?」

「冷蔵庫に入っていたと思う」


そう言って、僕はキッチンにある冷蔵庫を指差す。


「冷蔵庫?」


アンナが冷蔵庫を見つめながら、首を傾げている。


「アンナ、あれを開けてごらん」


僕の声を聞き、アンナは冷蔵庫に向かうと、恐るおそる扉を開けた。


「中が冷たいです!」


レイも席を立って駆け寄ると、興味深げに中を覗き込む。


「何が入っていますの?」

「食べ物や飲み物が入っているんだ。冷やしておくと長持ちするからね」


かっこよく言っているが、僕にとっては、食品をゆっくり腐らせる機械になっていたんだが——


「兄様、ビールはどれですの?」

「その銀色の缶がビールだよ」


小さく顔を動かし中を探したレイが、ビールを手に取る。


「冷たい!すごく冷えていますわ!」

「それを一本取ってもらえないかな?」

「はい、兄様!」


レイが缶を大事そうに抱えて、運んできてくれた。——たったそれだけの動作が、すごく可愛く思える。

冷蔵庫を眺めていたアンナが、ふと僕の方に振り返り、期待を込めた目で僕を見ている。


「あっ、あの——私もビールを飲んでみたいのですが……」

「うん、僕ひとりで飲むより、一緒に飲んだほうが楽しいからね」


レイが冷蔵庫に戻り、再びビールを手に取る。


「レイもビールを飲みますわ!」

「レイはダメ!」

「なっ!」


僕が制止する声を聞き、レイが絶望の表情で立ち尽くす。


「ど、どうしてですの……」

「お酒は二十歳にならないと飲んだらダメなんだ」

「そんな……それも法律ですの?」


レイが本当に十八歳なのか分からないし、サキュバスに法律が適用されるのか分からない。しかし、十八歳だったと聞いたし、何よりレイがビールを飲む姿は絵的によろしくないと思う。


「そうなんだ。もう少しの我慢だね」


レイはそっとビールをアンナに差し出した。


「レイ、ありがとうございます」


アンナは礼を言い、彼女の手から丁寧にビールを受け取る。


「レイはその赤い缶のを飲むといいよ」


赤い缶を手に取り、物珍しげに眺めている。


「見たことのない実の絵が描いてありますわ——」

「マンゴーのジュースだよ」


レイはマンゴージュースの缶を抱きしめながら、小さく「二十歳と言っていれば……」と呟いた。


ジュースを手に席に戻るレイを待って、僕はビールを開けた。僕を見ていたアンナも、真似るように缶を開けた。


「どうやって飲みますの?」

「貸してください」


アンナはレイからジュースを受け取り、ふたを開けて返した。


「凄いですわ。アンナ、ありがとうございます」


アンナは興味深そうに、レイは恐るおそる口をつける。


「美味しい!」

「美味しいですわ!」


どうやら気に入ってくれたようだ。


「兄様、これは濃い甘さがお口を幸せにしますわ!」

「ご主人様、これは、苦味とシュワシュワが癖になります!」

「気に入ったのなら、遠慮せず飲んでいいよ」


お礼と言うわけではないだろうが、二人は満面の笑顔を僕にくれた。


「ありがとうございます」

「兄様、ありがとうですわ」


小鳥の丸焼きとビールの相性は抜群だった。

朝から何も食べていなかった僕は、朝の二日酔いも忘れて、ビールと小鳥を楽しんだ。


「ふぅ——美味しかった」

「ええ、美味しかったですわ」

「でも、この鳥をもう獲れないのは、残念です……」


アンナが少しつまらなそうに呟いた。でも、もし獲ってもいい鳥だと分かれば、この二人はどれだけの数を獲ってしまうか分からない。

——敢えて調べたりせずに、獲ってはいけない鳥だとしておこう。


「——何か別の方法を考えようか」

「そうですね」


呟いたアンナが、ふと窓の外を見つめる。少し哀愁が漂う表情に、僕は罪悪感を覚えた。


「冷蔵庫のものは自由に使っていいから」

「ありがとうございます。いろいろ興味深いものが入っていました」


レイは飲み終わったジュースの缶を、大事そうに抱いている。


「これは兄様に頂いた宝物ですの……」

「後で洗って差し上げますね」


アンナの優しい言葉に、レイは嬉しそうに微笑んでいる。

食事を終え、そのまま自然な流れで雑談をする。こうやって話をしながら自宅でご飯を食べたのはいつぶりだろう。

これが悪魔の罠であったとしても……僕は目の前にいる笑顔の二人に感謝している。

不思議なのは、人見知りでかつ、人付き合いの苦手な僕が、二人を当然のように受け入れられていること。まるで、以前からこの二人と一緒に暮らしていたかのようにすら感じる。

そんなことを考えながら、アンナとレイの会話に耳を傾けていたが、やがて心地よい眠気が訪れ始めた。


「そろそろシャワーを浴びて寝ようと思うけど、二人はどうする?」

「シャワーとは?」

「使い方を教えるから、後で使うといいよ」


僕たちは浴室に移動し、二人にシャワーの使い方を教える。


「何ていうことですの……このような小さなものから水があふれてきますわ」

「そうですね——これはご主人様の力でなせる技のようです」


二人は何やら勘違いしているようだが、簡単な説明で使い方は理解してくれたし、理屈はどうでもいいだろう。


「好みの熱さで湯浴みとは……貴族でも持てないような贅沢な道具です」

「そうですわね。レイはさっそく兄様と一緒にシャワーを浴びますわ」


僕の理解できない価値観で感心するアンナの隣で、レイが服を脱ぎはじめた。アンナが黙ったまま、レイを抱き上げた。


「ご主人様、私たちは冷蔵庫の中の物をいろいろと調べたいので、どうぞごゆっくりなさってください」

「離してくださいましー!」


レイはどこまでが本気なのか分からないが、あんな可愛い子と一緒にシャワーなんて……こっちが恥ずかしいから助かった——少し惜しい気もするが……


シャワーを終えて、リビングに戻ると、冷蔵庫の前でアンナとレイが話している。


「見たことのないものが多いですわ——」

「——そうですね。少しずつ食べてみるのはどうでしょうか?」

「……ここは料理の得意なアンナにお任せしますわ」


そんな会話をしている二人に、僕は一冊の本を差し出す。


「この本を見たらどうかな」


離婚直後、気晴らしに自炊を始めようと思い購入していた料理本だ。ちょっと活躍した——


「これは?」


アンナは受け取った料理本の表紙を開き、目を落とした。ページを(めく)りながら、時折、興味深そうに小さくうなずいている。


「読めるのかい?」

「ええ、初めてみる文字ですが、なぜか読めるようです」


写真が多いので参考になればと思っていたが、意外な返事が返ってきた。


「これを私に下さるので?」

「参考程度にしかならないかもしれないけど」

「——ありがとうございます」


アンナは本を大事そうに大きな胸に抱いて、けがれのない笑顔で僕を見つめる。

こんな純粋な笑顔ができる子の胸に、劣情のこもった視線を向けてしまった僕の心は、ほんの僅かな致命傷を負った——

そんな激しくも、わけの分からない反省をしている僕の手が、不意に後ろから引かれた。


「兄様、あれは何ですの?」


レイがそう言ってテレビを指差す。


「あれはテレビだよ」

「どうやって使いますの?」


僕はリモコンを手に取り、テレビをつけて、レイに渡した。


「——人が中にいますわ!」

「いや、映像だから。気にせずそれを触ってみて」


使わせて少しずつ慣れてもらうことにした。——決して、説明が面倒になったのではない。

レイが慎重にボタンを押すと、画面が一瞬で切り替わり、草を食べるシマウマが映し出された。


「兄様……レイは人を奇怪な生物に変えてしまいましたの……」


レイは目を見開いて、リモコンを持つ手を震わせている。


「さっきのシャワーと同じで、便利な道具。本当に人が動物になったわけじゃないからね」

「これも道具ですの……安心しましたわ……」


レイはほっと息をつき、リモコンを胸に抱きしめる。


「これはレイがいただきますわ!」


アンナに本をあげたのを見ていたのだろう——まあ、好きに使ってくれたらいいけどさ。


「ご主人様」


ふいに背中から声がかけられる。ひとりだった家で声をかけられるのが、不思議でなんか照れくさい。

振り向くと、アンナが微笑んでいた。それを、僕は当然のように受け止める。やはり不思議だ——


「そろそろお休みになられては?」

「ああ、そうさせてもらおうかな」


そう言って、リビングを後にする僕の背中から、二人の優しい声がかけられる。


「兄様、お休みなさいませ」

「おやすみなさいませ。ご主人様」

「おやすみ」


部屋に戻った僕は、ベッドに横になると、一つため息をついた。


『——不思議な一日だった。でも、悪くなかったな』


そして、すぐに意識を手放した。こうして夢のように過ぎた奇妙な一日を終えた。

休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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