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旅行準備

お昼近くになり、庭での座談会も自然とお開きとなる。

柔らかな日差しが天頂に届きはじめ、座っていた場所にだけぽつりと静けさが降りる。

(しげる)幸子(さちこ)は仲良く手をつないで軽トラックに乗り、窓越しに何度も手を振って帰っていった。

イオナは滝川(たきがわ)が昼食を準備しているからと、名残惜しそうに背を向けた。

いまだにグラスを傾けるラウムに、テーブルを片付けるアンナが問いかける。


「私は昼食の準備をしますが、ラウムさんも召し上がりますか?」

「馳走になろう。主人と話があるゆえ、主人の手が空くまで待たせてもらいたいのでな」

「分かりました。お昼ですけど、お酒も用意しておきますね」

「うむ。(なんじ)は気が利くのであるな」


ラウムの指先が、空になったグラスをゆっくりと撫でる。何かを探るような沈黙——


「アンナはあなたにお酒を用意するのではなく、兄様(にいさま)を酔わせたいだけですわ」

然様(さよう)であるか」


ラウムは、まるで先ほどまでの会話をたどるように、空のグラスを傾けた。

そして、何も注がれていないグラスの底を、ただ静かに見つめていた。

そんなラウムを見て、レイが何かを思い出したかのように、スマホを取り出し操作し始めた。


「そうですわ、あなたに見てほしい写真がありますの」


レイが先日撮影した、畑仕事をしている耀の写真をラウムに見せる。

そこには、やはり重なったように見える二人の耀が写っていた。


「これは興味深いのであるな。主人の今をよく表しておるのではないか?」

「そうですの。あなたはこれを見てどう思いますの?」


レイの問いの真意を計るかのように、しばらく押し黙ったあと、ラウムは短く答える。


「特にどうも思わぬ」

「そうですの……」


つまらなそうに呟いたレイに、ラウムの鋭くなった視線が届く。


「汝はこの内に映る者の正体を、知っておるのではないか?」


レイの表情が少し固くなったのを見たラウムは、彼女の返事を待たずに話を変える。


「それよりこの小さな光が何か分かるか?」


ラウムが同じ写真に写る小さな白い点を指差して、レイに問いかけた。


「よく見えましたわね。こんな小さい点ですのに、今まで気づきませんでしたわ」

「然様であるか。これは精霊であるな」

「そうですの?白い点でしかありませんわ」


レイは、立てた人差し指を頬に沿わせ、じっと写真を見つめてみる。


「——でも、確かにこのように見えることもありますわ」


その言葉を聞いたラウムは、深くうなずくと、突然、レイの両手を包み込むように握りしめた。

その瞬間、彼の手から伝わる熱に、レイは思わず手を引きかけ、あまりの熱さに小さく声を上げる。


「な、何をしますの!」


レイは驚きと怒りを隠せず、ラウムを睨みつける。


「それで、使えるであろう。姿を現すよう念じながら、その手を精霊にかざしてみるのであるな」


レイはテーブルの上に手をかざし、そっと目を閉じ、心を真っ白にして、精霊に姿を求めるように念じる。

確かにそこにいるのは分かる——話しかければ声も聞こえてくるはず——でも今日は違う、姿を見せてほしい……

レイのまぶたでは、次第にその姿のイメージが明確になり、全体を完全に把握したところで目をゆっくりと開く。

レイの手のひらに浮かびはじめた霞は、ゆらゆらと舞いながらひとつの核を生み出し、まるで命が吹き込まれるように形を成していく。

わずかな花の匂いが満ち、空気が一度だけかすかに震えた。


それは小さな少女の姿——目を閉じ、淡い光をまとう彼女は、テーブルの上にふわりと現れた。

揺れるように膝を折り、少女はそこで呼吸を整えると、ゆっくりと立ち上がり、まぶたを開く。

その少女を見て、レイは首を傾げた。


『——なぜだか、どこかでこの子に会ったような気がしますわ』


不思議そうな顔を向けるレイに、少女はニコリと微笑んだ。


「まぁ!可愛らしいですわ」


思わず笑顔で声を上げる。


「レイちゃん、私が見えてるの?」


女の子は小首をかしげ、レイを見つめている。


「はい、見えていますの。あなたは、いつもお話を聞かせてくれるお花の精霊ですわ」

「きゃー!嬉しい!」


花の精霊は手を叩いて飛び跳ねた。

レイがラウムに笑顔を向ける。


「これはどうしましたの?」

「顕現化の術である。主人に与えるのが良いのであろうが、主人には魔力を使う才がないゆえ、汝に与えた」

「この子には触れますの?」

「触るも何も、汝の肩に乗っているであろう」


目を向けると、花の精霊はレイの肩に腰掛けて、足をブラブラさせながら、身体を揺らしている。


「これは、兄様にも見えますの?」

「見えるが、汝の力では大した時間使えぬ」

「そうですの……少しの時間では寂しいですわ」

「でも、レイちゃんの肩に乗れて私は嬉しい!」


レイの肩で精霊が、小さな指をパチンと鳴らした。


「そうだレイちゃん、奈々美(ななみ)ちゃんはお父さんがいないそうよ」

「調べてくれましたの?」

「ううん、噂話で聞いただけ。また何か分かったら教えるね」

「はい、お願いしますわ」


そう言うと、精霊は霞が霧散するように、笑顔を残して消えた。

肩に残ったぬくもりだけが、レイの胸の奥でそっと揺れていた。


「——あなた、すごいですわ」


レイは感心したような表情でラウムを見る。


「当然であろう。汝らに身体(からだ)を与えたのだ、顕現化の術を与える程度は造作もない」

「感謝しますわ」


今までも会話はできた、だが何となく感じる存在と会話していただけだった。

レイにははっきりと理解できた——幻聴などではない、目に見えなかっただけで、それは紛れもなく存在する。


ラウムがコートの内側から一冊のノートを取り出し、レイに差し出した。


「これを汝に預けておこう」


レイは少し戸惑いながらも、ノートを受け取ってパラパラとめくり、目を通した。

紙は端が少し変色し、ページをめくるたびに乾いた紙の匂いがほのかに漂う。


「……全部のページに下手な絵が描いてありますわ」

「それは幼き頃の主人が描いたものだ」

「兄様が?」


レイの問いにラウムがうなずく。


「先日、主人の服についておった者が、そのノートの在処を知っておったので、(それがし)が回収してきたのだ」

「そう言えば、あの時、何かついてるものを預かると言っていましたわね」

「然様、その者がどうしても必要だと聞かぬのでな」


ラウムは呆れたような表情を浮かべ、話を続ける。


「その絵には幼き頃の主人の思念が残っておる。汝がそれを感じ取れるなら、その思念に逆らわず、主人の思いを完成させてみると面白いのではあるまいか?」

「そうですわね、兄様との共同制作ですわ」

「主人に知られると、恥ずかしがるゆえ、隠しておくとよい」

「ありがとうございます」


レイが無造作にノートを開き、そこに描かれた絵をじっくりと見つめた。

黒一色で乱雑に描かれた線が絡み合い、何か不気味な生き物を表しているようだった。


「下手過ぎて分かりにくいですけど、何か生き物のようですわ——恐ろしい怒りや、怨みのような気持ちがこもっていますわ」

「主人はその絵に、絶望の中から自分を救ってくれる何かを重ねていたらしい——それは、幼い心が想像した『希望』だったのかもしれぬ」


ラウムは振り返り、レイに背を向けると、言葉を続ける。


「その絵を描いておるのを見ておった者がおってな、近いうちに会うこともできよう。その者から詳しく聞くと良いのである」

「——分かりましたわ」


レイはノートを閉じ、大事そうに胸に抱いた。


「主人には悲しい思い出かもしれぬ」

「——そうですわね。こうやって抱きしめると、兄様を感じますわ」

「主人はそうして、もうひとりの自分を創り出したのかもしれぬな」


レイは何も答えず、そっと微笑みを返した。その笑みに込められたのは、ただの同意ではない。

誰よりも、彼の孤独を知り、それに寄り添おうとする者の、静かな決意だった。


「レイ、ラウムさんご飯ができましたよ」


昼食の準備をしていたアンナの明るい声が庭に響いた。

二人で会話していた時間は、思ったよりも長かったようだ。


「分かりましたわ」


返事を返したレイは家へと向かう。ラウムも共に玄関をくぐる。


「美味そうな匂いがするのであるな」

「あなたは先に行ってくださいまし。レイはノートを片付けて、兄様を呼びに行きますわ」


先にリビングに向かったラウムを追うように、レイが耀を連れて部屋に入ってきた。


「なんだ、ラウム来てたのか」

其方(そなた)に少し用があってな」

「お昼ご飯を食べてからでもいいか?」

「構わぬ」


耀は食事をとりながら、ラウムに問いかける。


「なあ、僕が呼んでいないときは何をしてるんだ?」

「然様であるな。屋敷にいることが多いが、この世界の変わり様を見物しておることも多いな」


ラウムは話しかけてきた耀の瞳を見つめる。

耀の瞳から一瞬輝きが消えたのを見た直後、その身体をめぐる魔力が高まった。

何者とも分からぬ存在に、ラウムは思わず食事の手を止めた。


『——なるほど、あの者が言っておったのは、このことであるか』

「どうしたんだ?」


耀の問いに、ラウムは小さく首を振るだけで応じ、何事もなかったように静かに食事を続けた。


——昼食を終えた耀とラウムは、秋の好天に誘われるように、グラスとウイスキーのボトルを手に縁側に移動した。

二人は並んで縁側に腰を下ろし、耀がラウムにグラスを手渡す。

板の軋む音と、庭から吹く風の落ち葉の匂いが、グラスの縁を少し冷たくした。


「それで、僕に用があるんだろ」


ラウムのグラスに酒を注ぎながら、本題を話すように促す。


「然様、出てきて良いぞ」


ラウムの声に導かれるように、一匹の大きな蛇が庭の隅から這い出てきて、ラウムによじ登る。

鱗が粒立つように光を返し、動くたびに薄い影がラウムのコートを波のように滑った。


「でかい蛇だな……」

「捕らえたのだが、綺麗な鱗をしているであろう」

「確かに……眩しいくらいに輝いてる。アオダイショウ……にしては綺麗すぎるな」


蛇はラウムの身体から耀の方へ顔を伸ばし、じっと顔を見つめた。


「可愛いじゃないか」


蛇に見つめられていた耀の瞳から、一瞬輝きが消えた。


「——お前は俺の友達だな」


蛇はその言葉を理解したかのように、ラウムを離れ、耀の身体にまとわりつき始めた。


「其方は蛇を恐れぬのか?」


ラウムは問いかけながら、耀の瞳を見るが、いつもどおりの輝きを取り戻していた。


「全然怖くないさ、人間の方が余程怖い」

「然様であるか」


耀は蛇を撫でながら、手にじゃれつくようにまとわりつく様子を楽しんでいる。

首に巻き付く蛇を気にする様子もなく、耀はラウムに問いかける。


「それで、この蛇を見せに来たのか?」

「それもあるが……この蛇をこの敷地に放しても良いであろうか?」

「構わないけど——うちは鶏もいるし、食べたりしないかな?」

「案ずるでない。ここらは自然が多いゆえ、鳥など食わんでも食うものは多い」

「確かにそうだな。蛇は家の守り神とも聞くし……お前もここに住むか?」


蛇はまるでその言葉を理解したかのように、ゆっくりと耀から離れて、家の床下へ音もなくすべり込んでいった。


「——住むみたいだな」

「其方は人以外には慈悲深いのであるな」

「そうかな?でも、悪魔より、サキュバスより、蛇より、人間の方が馴染めないのは確かだ」

「それはなにゆえに?」


ラウムの質問に、耀は一瞬言葉に詰まり考え込んだが、やがて首を横に振った。


「——分からない」

「然様であるか」


それ以上は何も会話をせず、並んだままの二人が、秋の空にグラスを傾け合うだけの時間が流れる。

沈黙と酒を楽しんでいる二人に、背中から声がかかる。


「こんなところで肩を寄せて、何をなさっているのですか?」

「酒を飲んで語らっていただけであるな」

「黙っているようにしか見えませんでしたわ」


そう言いながら、レイは耀の隣に腰を下ろした。


「兄様、見ていただきたいものがありますの」

「何を見せてくれるんだい?」


自分の膝に手をかざす。すると、さっきの精霊が姿を現した。


「まぁ可愛い!」


アンナが真っ先に、目を輝かせて声をあげた。


「お花の精霊ですの」


花の精霊は、レイの膝から耀の膝に、ぴょこんと飛び移って、耀に話しかける。


「こんにちは、おじさん」


一瞬、耀は言葉に詰まる。


「こんにちは。おじさんか……まだ若いつもりだったんだがな……お花の精霊なら、他にもお花の精霊がいっぱいいるのかな?」

「うん、世界中にいるよ。自分のお花からは遠くには行けないけど、近くの友達とお話しするのが大好きなの」

「お花の精霊なら、枯れたらどうなるんだい?」

「どうにもならないんだよ。次のお花が咲くまで、隠れているの」


よくわからないが、そんなに自信を持って言うならそうなんだろうと納得している耀に、レイが声をかける。


「奈々美のことも、遠くの精霊から伝わってきた話だそうですの」

「そう言えばそんな話もあったな……」


あまり興味を持っていなかった耀は、レイの言葉で思い出した。


「レイに協力してくれたのは、君だったのか。あの、魔力を持つ子のことだよね……ありがとう、見つけてくれて」

「私たちは噂話が大好きだから、世界中のお話が流れてくるの。だから物知りなの」


花の精霊は、両手を腰にあて胸を張り、得意げな表情を浮かべた。


「すごいじゃないか。田舎の年寄りの伝達能力を上回るな」


耀が比較対象に選択したものでは、おじさんと呼ばれても仕方がない。

花の精霊は、可愛らしい人差し指を立てて、耀の背後から覗き込むアンナとレイを交互に指さす。


「おじさんは、大きくてスケベなお姉さんと、レイちゃんのどっちが好き?」

「スケベではありませんよ。愛情表現なのです」


アンナが笑顔のまま、優しく否定する。


「うーん。どっちも好きだな」

「ふーん、だからみんなにスケコマシって言われるんだね」

「——スケコマシ……みんなに?」


そう呟いて耀が周りを見ると、アンナとレイ、ラウムまでもが顔を背けた。


「きっと褒めてくれたんだね。分かった、君たちの噂話に恥じないように、立派なスケコマシになるよ」

「うん、おじさん頑張って」

「ありがとうね」


精霊はよく分からない励ましの声を残して消えた。耀は小さくため息をつき、ラウムに目を向ける。


「なぁラウム、さっきの蛇はオスかメス、どっちなんだ?」

「メスであるな」


それを聞いた耀はうなずき、何かに向かって声をかける。


「名前をつけてあげるから、ちょっと出ておいで」


耀は蛇を呼び出すように、自分の膝をポンポンと叩いた。

床下から音もなく蛇が這い出てきて、しなやかに耀の身体に巻き付いた。

こうして見ると、その蛇は本当に大きく、全長は三メートル近くありそうだった。

その鱗は陽の光を反射し、どこか神秘的な輝きを放っている。


「よし。いい子だな。可愛い乙女のお前に名前を付けよう」

「ご主人様、お熱があるのでは?」


アンナが心配そうに眉をひそめ、耀の額に手を当てた。


「兄様、それは蛇ですわ」


レイは冷めた視線を耀に向け、どこか残念そうな表情を見せた。

そんな二人を無視して、耀は蛇の目を見つめながら、思案にふけっている。


『——ミスティ』


ふいに、心の奥からささやき声が聞こえてきた。


「ミスティだ。神秘的に輝く綺麗な鱗に似合ういい名前だ。今日から僕の家族だし、そうだな……この家とあの鶏たちを守ってくれ」


蛇が名前をもらい喜んだのかは分からないが、自分の役割を理解したかのように、床下に戻っていった。


「スケコマシだと思っているんだろ。だったら、スケコマシになりきってやるよ」

「兄様、蛇には人の形すらありませんわ」


残念そうに口にしたレイの言葉に、アンナもうなずく。


「人は苦手だからね。人ならざるものから愛するよ」


ラウムは耀の言葉に興味を惹かれ、問いかける。


「それは真であるか?」

「ああ、もう騙されるのは嫌だ。本能のままにある存在の方がいいかな。アンナみたいにね」

「ご主人様、まだ明るい時間ですのに……恥ずかしいです」

「アンナ——半分は貶されてますの」


耀は三人に向かって、高らかにわけの分からない『スケコマシ宣言』をして、晴れやかな——何か吹っ切れた気持ちで、秋の空に目を移した。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年9月24日、一部修正しました。

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