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酒の過ち

翌朝、僕は割れそうに痛む頭を抱えて、目を覚ました——

ぼんやりとした視界に、リビングの天井が映る。どうやらソファに寝ていたようだ。

視界を(さえぎ)るように、可愛らしい笑顔が、僕を覗き込んできた。

この笑顔、昨夜と寸分(すんぶん)違わない。まるで何かを演じるように……完璧すぎる気がした。


「おはようございます。兄様(にいさま)!」


突然の明るく元気な声に、さらに頭がズキズキと痛む。


「——えっ、ああ、お、おはよう……」


この子は……そうだ、ラウムと名乗る悪魔が、僕の護衛にと呼んだ?女性だ。

何だかずっと夢を見ていたようだったが、この笑顔に見つめられている時点で、僕が悪魔の罠に落ちたのは確定だ。

この笑顔は僕を絡めとることに成功した喜びなのか、それとも他に意図があるのか——

二日酔いの頭ではこれ以上深く考えることは無理だ。今は考えるのをやめよう。


「さぁ、兄様、愛しのレイにお目覚めの口付けを……」


ソファから起き上がれない僕に彼女の顔が近づき、唇を突き出してくる。

悪魔の罠に落ちた身だ、もう失うものはない——ここは素直に彼女の好意を受け入れ、その可愛さに溺れてみるのも悪くはないだろう。

そう思い、彼女の口付けに応じようと、目を閉じた瞬間……


「レイ!」


突然響いた大きな声に、頭の中で鈍く響く痛みがさらに増した。

気づけば、僕はレイに手を伸ばしかけていた——その声の主に視線を向けると、険しい表情でレイを睨みつけてる、メイド姿のアンナが立っていた。

レイの名を呼んだが、その声の強さから察するに、僕を止めることが本当の目的だったのだろう。

不機嫌そうな表情を浮かべたレイは、鋭い視線でアンナを睨む。


「もう一息でしたの——」


そんなレイの呟きを無視して、アンナは僕のそばに腰を下ろし顔を覗き込む。

美しい——僕を見つめる深緑(しんりょく)の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。

むしろ吸い込まれたい——悪魔の罠に落ちた身だ、彼女と一つになるのも悪くはない。


「ご主人様、二日酔いなのではありませんか?」


——分かっていてあの声を出したのか……アンナが本気で僕を止めようとしたのがよく分かる。


「あぁ、飲み過ぎたようだ……」

「しばらくお待ちください」


そう言うと、アンナはすっと立ち上がり、キッチンへ向かう。

まずは水を一杯ほしいのだが、声を出すのもつらい。気休め程度でもいいから、今すぐに楽になるものが欲しい。


「何をしていますの?」


レイもキッチンに向かったようだ。未だにぼんやりとした意識の中に、二人の会話が割り込んでくる。


「二日酔いの薬を作ります」

「あら、それならレイのものを……」

「いえ、私のものだけで大丈夫です」


どうやら僕のために、何かを作ってくれるようだ。少し気になる声が聞こえたが、酔っているせいで聞き間違えたのだろう。


「レイも知っていたのですか?」

「もちろんですわ。古くから二日酔いには愛する人の……」

「静かに!ご主人様に聞こえてしまいます」

「では、レイから準備しますわ……」


何やら物騒な会話も聞こえてくるが、その内容には似合わない、甘く優しい声が僕を包む。

こんな声に包まれているなら、もう少しくらい、眠ってもいいかもしれない——僕は心地よく意識を手放した。


「——ご主人様……」


アンナの優しい声で起こされた僕は、レイに支えられながらふらつく身体(からだ)を無理やり起こす。


「ご主人様、これをお飲みください」


アンナに差し出された、薄い黄色の液体が入ったグラスを受け取った。


「——これは?」

「二日酔いのお薬です」

「ありがとう……」

「それを飲んで、少しお休みになれば治ります」


先ほどぼんやり聞こえてきた物騒な会話に加え、二人からの不穏な目線を感じて、恐るおそるそれを口に含んだ。

少し酸味のある不思議な味だが、二日酔いには飲みやすかった。


「少し酸っぱいけど、すっきりしていて飲みやすいね」


どこかで嗅いだことのあるような香り。草のような、甘いような、少し金属的な……不思議な味だった。


「すぐに良くなりますわ。それにはレイとアンナの——」

「レイ!」


レイの言葉はアンナに遮られた。 いや、これが何かは探らないほうがいい。僕はもう悪魔の罠に落ちた身だ。知らないほうがいいこともある。


「さあ、ご主人様。ベッドでお休みになってください」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


アンナが身体を支えてくれる。立ち上がれば、なんとかベッドまでは移動できそうだ。


「レイが添い寝いたしますわ」

「待ちなさい」

「離してくださいまし!」


僕についてこようとしたレイは、どうやらアンナに捕まってしまったようだ。

ありがとう、アンナ——できれば大きな声も控えてほしい……

ふらつきながらも、なんとかベッドに身を投げてしばらくすると、昨夜の不思議な出来事が頭をよぎる。

そして、今の状況から、それが酒を飲み過ぎてみた夢ではなく、現実だったのだと改めて認識し、少しずつ鮮明になる記憶を辿る。

普通なら理解しがたいことが次々と起こり、酔い潰れて目が覚めたら二人の女性が家にいる。

そんなあり得ないことを受け入れている僕も、普通に考えれば理解しがたい存在だろう。

理解しがたいことを理解するのは無理な話だ。少し休んだら先のことを考えなきゃな。

二人が僕のために作ってくれた物騒——いや、心のこもった薬のおかげもあってか、そんなことも考えられるようになっていた。


「心なしか楽になった気がするな……」


そう呟いて、僕は現実と夢の境をさまよいながら、やがて夢の世界へと導かれた。


目が覚めると、朝の頭痛が嘘のように治っていた。感覚的にはもう夕方に近いようだ。


「仕事がなくて良かったな……」


そう呟いて寝返りを打った僕の目に、濃い赤い瞳の可愛い顔が映る。


「——おはようございます、兄様」


顔を近づけ、小声であいさつをしてくるレイ。うん、可愛い。全てが可愛い。


「……おはよう。何してるの?」


僕の問いに、レイは笑顔を見せながら、小声で答える。


「寝ている兄様を見ておりましたの。では兄様、お目覚めの口付けを……」


ゆっくりと近づいてくる可愛い顔に、胸の鼓動が高まる。

だが、またどこからともなく大きな声が聞こえてきそうな気もする——

まずは、心を落ち着けてレイに話かけてみる。


「ひとつ聞いていいかい?」

「何でも聞いてくださいまし」


口付けは冗談だったのか、レイはにっこりと微笑んでいる。


「僕は昨日、椅子の上で寝てしまったと思うんだけど……」

「そうですわ。呼んでも起きませんでしたの」

「朝はソファに寝てた……」


話しながら起きあがろうとする僕の背中を、レイが優しく支えてくれる。


「アンナが運びましたの」

「アンナが?」


起き上がった僕は、思わぬ答えに驚いて振り向いた。


「そうですの。お姫様のように抱っこされた兄様は、とても可愛らしかったですわ」


そう呟いてレイは頬を赤らめて、僕を見つめてくる。

アンナがお姫様抱っこで僕をソファまで運んだ?信じがたい——椅子で寝ている僕を彼女が抱き上げたというのか?

いろいろと疑問が湧くが、ここにいても答えは見つからないだろう。僕は寝室を出て、レイと一緒にリビングへ向かった。


扉を開けるとソファに腰を下ろしていたアンナが、僕の方を振り向いた。


「おはようございます。ご主人様」

「おはようアンナ」


少し首を傾げ、心配そうな顔で僕を見ている。その仕草も表情も全てが美しい——


「お加減はいかがですか?」

「すっかり良くなったよ。ありがとう」


安堵の表情を浮かべたアンナだったが、すぐに鋭い目でレイを睨む。


「ところで——レイは何をしていたのですか?」


その言葉とは裏腹に、瞳の奥には優しさが(にじ)んでいるようにも見える。


「兄様を見ておりましたの」


レイがアンナから目を逸らす——この二人は仲が悪いのだろうか?


「ご主人様の邪魔をしていたのでは?」

「大丈夫だよ。ゆっくり眠れた」


レイが嬉しそうに僕を見つめている。僕は、昨晩の事をアンナに確認してみる。


「昨日寝てしまった僕を、アンナがソファまで運んでくれたって?」

「はい、とても幸せそうな顔でございました」


アンナがうっとりとした表情になり、レイもうつむいて頬を染めている……その口元には、含んだような笑みを(たた)えていた。


「ありがとう……」


もうこれ以上は聞かないほうがいいと、知らないほうが幸せなこともあると、僕の中の何かが訴えてきた。


謎の薬のおかげもあってか、二日酔いもすっかり治った僕は、リビングでアンナの対面に腰を下ろし、これからの話を始める。

アンナは静かに席をたち、僕の右隣りに腰を下ろした。

その行動の意味は分からないが、右隣がアンナのこだわりなのだろうか?


「それでさ……二人はここで暮らすんだよね?」


状況から考えて、それ以外の選択肢はなさそうだが、確認のために聞いてみた。

レイが僕の左隣に腰を下ろして、笑顔で僕を見る。


「もちろんですわ」

「私はご主人様にお仕えする身ですので、離れるわけにはまいりません」


どちらかを向くと、二人のペースに流されそうな気がした僕は、正面を向いたまま話を続ける。


「使っていない部屋があるから、そこを二人の部屋にしようと思うんだ——」


レイが僕の腕にしがみつき、柔らかいものを押し付けてくる。


「どうしてですの?レイは兄様と同じ部屋がいいですわ」


アンナが僕の腕をしっかりとつかみ、巨大な双丘(そうきゅう)に挟み込む。僕がこの手に弱いと思われているようだ……

不本意ではあるが……この手に弱いのは認めざるをえない。


「私にはご主人様を守るという使命がございますので、おそばを離れるわけにはいきません」

「護衛って言ってもさ、ずっと同じ部屋にいなくてもいいと思うんだ」


そう言いながら、何気にアンナに目を向けると、目に涙を浮かべ……それでも、悲しげな目のまま微笑もうとしていた。


「ご主人様は私を遠ざけようと?」

「当然ですわ!兄様が愛しているのはレイだけですわ」


レイはアンナに、勝ち誇ったような笑顔を向けている。


「レイも別の部屋だよ」


いろいろ間違いが起こりそうなので、一応念を押しておく。


どうやら、二人は何か勘違いをしているようだ。確かに唐突な提案だったかもしれない。

——僕は部屋を別にする理由を説明し直すことにした。


「そもそも同じ家に住むんだし、部屋が別になるくらいなら、護衛にも問題はないんじゃないかな?——それに見られたくない事や、見たくない事もあるだろうし……」


レイは思案するように、立てた人差し指でこめかみをなぞる。


「——そういうことですの」


なぜか分からないが、頬をほんのり赤く染めたレイが、強く腕にしがみつく。


「レイは……我慢しますわ——」

「分かってくれたんだ。ありがとう、レイ」

「我慢して——三人同じ部屋でいいですわ……」


レイが頬を赤らめて上目遣いで僕を見つめているが、彼女の思考がどこに向いているのか理解できない。


「なんでそうなった……」

「二人一緒に可愛がってもらえるなら、部屋を分けなくてもいいと思いますの……」

「——そういう意味で部屋を分けるんじゃなくてさ」


アンナも強く腕にしがみつき、なぜか頬を染めている。


「あの——ご主人様……初めての時だけでも二人きりになれませんか?」


それはもう、平時は三人で楽しむことが確定していませんか?


「レイが見ていて差し上げますわ」

「では、私も見ますよ?」

「もちろんいいですの。アンナの時より喜ぶ兄様を見せて差し上げますわ」


ちょっと待て……何を見て、何を見せるって話なんだよ——


「それは、私が先でいいとのことですね?」

「レイが先ですわ!」


誰が後も先もないし、当事者であろう僕は、完全に無視されてる気がするのだが——

……これが、護衛という職業の人たちの思考なのか。『先が思いやられる』という言葉の意味を今ようやく理解した。


「あっ、あのさ……二人とも……」


これ以上話が進むと、良からぬ被害が及びそうな気がして、会話を遮って無理やり話を戻す。


「二人を僕から引き離したいって気持ちはないんだ。まずは一度部屋を見てくれないかな?それぞれの部屋があると、部屋に個性が出て、家の雰囲気も良くなると思うんだ」


僕は何を言ってるんだ——さっきの会話をしてた人が、こんな理由で納得するわけないだろう。

直後、レイは僕の腕を離して、すっと立ち上がった。


「兄様がそこまでおっしゃるのです、レイは喜んで部屋を見にいきますわ」


——納得する人がひとりいた。

アンナが僕をお姫様抱っこして立ち上がった。


「ご主人様がそのようにお考えとあれば是非もありません。見に行きましょう」


もうひとりも納得した——が、なぜ抱きかかえた?

……もしかして、納得したような素振りで、抱きかかえる方が目的だった?


「あの……降ろしてくれない?」


アンナは不思議そうに、僕の顔を覗き込む。


「昨夜は幸せそうな顔をしておられましたが?」


ここにきて、泥酔した僕の醜態をぶち込んでくるあたり、相当な手練のような気がする。


「——酔ってたからかな……今は降ろしてくれない?」

「では、また酔われた時に」


残念そうな顔をして、アンナは僕をそっと降ろしてくれた。


「兄様、可愛らしいですわ」


なぜ、レイが頬を染めているのか——僕には分からなかった。……でも、なぜか恥ずかしい。


遠回りをしたが、何とか理解を得たと都合よく解釈して、僕が仕事場として使っている部屋に三人で向かう。

机と本棚とパソコンくらいしか置いてないから、全部僕の寝室へ運べばいいだろう。


「この部屋だけどさ、仕事で使っているものを寝室に移動すれば空になるから、どっちか使わない?」

「レイが使いますわ!」


レイは頬を赤らめ何かを呟いている。


「この部屋には兄様の匂いが染み付いていますわ……兄様の匂いに包まれて過ごせるとは、至福の極みですわ——」


部屋の匂いになぜか光悦な表情を浮かべているレイを、アンナが抱え上げ三人で別の部屋に向かう。

僕の寝室の隣にある和室だ。しばらく使わないようなものを置いているだけで、ここにある物は捨ててしまってもいいくらいだ。


「今は散らかってるけどさ。片付けたら使えるよ。とりあえず別の部屋に移動すればいいから」

「なぁーずるいですわ!兄様の部屋の隣じゃありませんの!」

「レイが先に選んだのでしょう」


アンナは流し目でレイを見下ろしながら、少しばかりの優越感を漂わせている。


「代わって差し上げますわ……」

「結構です!」


アンナが部屋に入り、足元を確かめている。


「この床は変わっていますね」

「畳だよ。この上に寝ると気持ちがいいんだ。他の部屋にもあっただろう?」

「レイも気になっていましたの。これは床に直接寝ますの?」

「それも気持ちいいけど、布団を敷くんだ」

「面白いですわ」


正直、もう少し我儘(わがまま)を言われると思っていたので、二人があっさり部屋を決めてくれたことに、とりあえず安心した。


さっそく、僕たちは三人で部屋の片付けを始める。

そもそも大した荷物もなく、アンナが軽々と運んでくれたおかげで、部屋はあっという間に空っぽになってしまった。

空になった部屋を掃除していると、突然レイが何か(ひらめ)いたように声を上げる。


「兄様!」

「レイ、どうしたの?」

「ベッドが欲しいですわ」


そう言えば、寝具があるのは僕の部屋だけだった。

今日にでも揃えたいところだが、時間的に無理がありそうだ——


「ご安心ください——私はご主人様がお休みの際には同衾(どうきん)いたしますので」


安心の要素が僕には理解できなかったが、アンナは掃除の手を止め胸を張っている。


「うん。アンナの分も買おうね」


その声に反応して、アンナが両腕で胸を寄せながら近づいてきた。


「枕として使っていただいてもよろしいのですよ——」

「——あっ、うん。いい枕になりそうだね」


その誘い方は反則です。こんな間近で見せつけられると、今晩その枕が恋しくなってしまいます。


「ぐぬぬ……そんなの大きいだけですわ……」


レイが両手で自分の胸を押さえながら、悔しがっている。


「さ……さあ掃除を済ませたら、夕飯にしようよ」


このままでは、また二人の不毛な争いが勃発しそうな気がして、僕は話題を変えて掃除を再開した。


「そうですね。夕食の下拵(したごしら)えは済んでいますので、すぐに作れますよ」

「アンナは料理ができるんだ」

「ええ、得意です。幼い頃から母親に鍛えられました」


アンナの言葉は僕にとって意外だった。やっぱり人間の女の子として育てられていたんだ。


「レイは?」

「——料理をしたことがありませんわ」


レイは少しうつむいて、両手を握りしめている。


「ご主人様、毎日のお食事は、わ・た・く・しにお任せください」


押入れのふき掃除をしながら、アンナが勝ち誇った顔をしている。


「——レイにも出来ることがありますわ」


悔しがるレイに、アンナが一瞬目を向けたような気がした。

荷物の移動も終わり、不用なものは外に出した。明日にでも回収をお願いして、あとはそれぞれに任せて大丈夫だろう。

二人がどんな部屋にするのか、少し楽しみになってきた——

休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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