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襲撃と覚醒

雨が降る外の景色をぼんやりと眺めている。冬の雨は身体(からだ)を冷やすが、秋の雨は心を冷やす。

そんな、柄にもないことをぼんやり考えている耀を乗せたタクシーは、いつしか自宅に到着していた。

運転手に声をかけられ、気づいた耀は料金を支払いタクシーを降りる。


「事情聴取も終わったし、今日と明日はゆっくりしよう」


背後で遠ざかるタクシーの音を聞きながら、空を見上げてそう呟いた。


「雨がひどくなってきたな……」


傘も持たない耀だが、玄関が目前のせいか、急ぐこともなく、ゆっくりと足を踏み出した。

——その時、耀の後ろで一台の車が、タイヤをきしませながら急停車し、道路に水しぶきを上げた。


「危ないな」


水しぶきを浴び振り返る耀の目に、白いセダンが映る。


『もしかして——』


そう思った矢先にドアが開き、中から歪な十字架のような模様が描かれた頭巾を被った四人が素早く降りてくる。

彼らは無言かつ整然とした動きで耀を取り囲む——

その沈黙と規則正しい足音が、雨音と相まって、不気味なほどにその場を支配していた。


「な、なんです。あなた方は?グラインドテックの方?」


目の前で対峙する四人の出で立ち、仮面の正面に描かれた意味不明の模様、どこかコミカルな容姿。

耀は『日曜日の朝にテレビ放送してる変身ヒーローものの戦闘員』が頭に思い浮かんだ——

耀の目の前に戦闘員のひとりが歩み出る。その体格の良さに、耀は思わず息を飲んだ。


「——ついてきてもらうぞ」


呟きとも思える男の声が、耀の耳に低く響いた。

その言葉が途切れると同時に、その男は、耀の鳩尾に鈍くめり込むような拳を叩き込む。


「うっ……!」


完全に油断していた耀は、避けることもできず、息が詰まり、雨で濡れる道路に膝から崩れ落ちる。

その様子を見ていた、他の三人の動きが急に慌ただしくなる。


「早く乗せろ!」


三人が耀を乱暴に抱え上げ、トランクに押し込もうとするが、耀は必死に手足をばたつかせ抵抗する。


「おい、何やってんだよ!」


さっき殴った体格のいい男が苛立ち、耀の顔面めがけて強く拳を振り下ろした。

顔に痛みが走り、視界は一瞬で暗転し、雨音が遠くなっていく。

朦朧とする中で、耀の目に映るトランクドア。——『バタン』と鈍い音が響き、暗闇が広がる。

——耀は、完全に意識を失った。


「何やってんだお前ら!」


騒ぎに気づいたイオナの運転手が大声を上げる。

耀の帰りを乙女の直感という名の本能で察知し、玄関で待っていたアンナが、その声で外の異常を知り家を飛び出す。

トランクが閉じられる一瞬、その中の耀の姿が目に入った。

車に向かって駆け寄るアンナを見て、四人は慌てて車に乗り込もうとする。

ひとりが足を滑らせ、もたついている間に、アンナはすぐ後ろまで迫っていた。


「待ちなさい!」

「早く出せよ!」

「おい、早く乗れ!」

「ご、ごめんなさい」


最後のひとりが車に乗り込むとほぼ同時に、アンナは車の前に立ち塞がる。

このまま耀を守れない自分を思い描き、無謀を許した自分への戒めが心の中で渦巻く。

それを心に押し込めるように、アンナは深呼吸し、静かに覚悟を決めた。


「行かせません!」


前を覗き込んだ後部座席の男から、運転席に冷たい声が向けられる。


「——轢き殺せ!」

「ぅゔぁぁ」


運転席から聞くに耐えない悲鳴が聞こえた直後、車がアンナに向けて急発進した。


「ああぁぁぁ!」


凄まじい衝撃が車内を貫き、車体は大きく揺れる——

車内にいた全員が、外で起こったであろう悲惨な光景を想像し、顔を伏せていた。

人を殺してしまった……そう思い嗚咽を漏らしながら運転手が恐るおそる顔を上げる。

だが、その目には車を受け止め、怒りに燃えた表情を向けるアンナが映った。


「ご主人様を放しなさい!」


アンナの確固たる意思がこもった叫び声が響き渡り、目の前のありえない光景にたじろぐ運転手を圧倒した。


「おい、バックだ!バックしろ!」


後部座席からの男の声に、運転手は震える手でシフトレバーをバックに入れて、アクセルを踏み込む。

しかし、完全にアンナに掴まれている車は、タイヤが白煙ときしむ音を上げるだけで、動く様子はない。


『ドン!』


車の後部から大きな音が聞こえた。思わず後ろを振り返った運転手に、いらだちをぶつける声が響く。


「おい、早くしろ!」

「う、動かないんだよ!」

「後ろで音がしたわ!何かにぶつかったんじゃない?」


シフトレバーを何度も切り替え、アクセルを思い切り踏み込んでいるが、車は全く動かない。


『ドーン!』


さっきより大きな音が車内に響き渡ると同時に、車体が大きく揺れた。


「う、後ろが揺れてるわよ——」


車内の全員が、前に立ちふさがり、車を押さえつけるアンナを無視して、後方を振り返る。


「ど、どうなってるんだ……!」


車内には焦りの空気が広がり、誰もが混乱していた。


——トランクの中では、アンナが車を受け止めた衝撃で、耀が意識を取り戻していた。

暗闇の中、外から響く大きな音を耳にしながら、意識を失う直前に見た、自分に拳を振り下ろす男の姿が頭に浮かんだ。


「お父さんと同じじゃないか……」


一言つぶやくと、彼は無意識に微笑みを浮かべた。

微笑みに応えるように、心の深淵から這い出してきた何かに、耀はその身体を委ねた。

夢を見ているかのような意識のなか、委ねた身体はトランクを蹴り始める。


『奴は殺す』


——耀の心の奥で、何かが目覚めようとしていた。

ただ、自分の邪魔をする者を排除する——たとえ殺してでも……

ついにその身体が完全に支配され、その意識は懐かしさすら感じる、心の深淵の闇に包み込まれた。


——彼は、無意識にトランクを蹴り続けた。

重く鈍い音が響き、ついにはトランクが弾け飛ぶ。

静かに、耀はトランクから立ち上がり、周囲を一瞥する。

その目に映ったのは、手から血を流しながら、必死の形相で車を押さえ続けるアンナの姿だった。


「俺の女に、何をしていやがる……」


冷たく低い声が、耀の口から漏れる。

声と口調、その輝きを失った瞳は、いつもの耀とはまるで別人のように変貌していた。


——必死に車を押さえるアンナに、大きな音と衝撃が届いた。

とっさに向けた彼女の視線の先には、車の後部に立ち上がった耀の姿があった。

その目に映った耀は、輝きを失った瞳で圧倒的な威圧感を放っていた。

その表情は、怒っているのか、笑っているのか、泣いているのか——理解し得ない。

ただ、アンナの目には微笑んでいるように見えた。


「ご主人様!」


アンナの声に反応するかのように、耀は反射的に飛び上がり、次の瞬間にはボンネットの上に立つ。

そして、拳を固く握り締め、ためらいなくフロントガラスに叩きつける。

刹那、一瞬響いた弾けるような音と共に、フロントガラスは砕け散った。

耀は割れたフロントガラスから運転席に腕を伸ばし、座っていた男を引きずり出した。

声にならない呻きを上げる男の襟首を掴み、その頭巾を剥ぎ取ると、涙と鼻水を流しながら泣く男の顔が現れた。

一瞬、目を細めた耀は、その男から興味をなくしたように、冷たく無関心な態度で、男を雨に濡れる道路に蹴り落とす。

その一瞬、アンナが見た耀の横顔は、怒りの形相となり代わったように見えた。

そして、あらゆる色の魔力が、蠢くように渦巻き、彼の身体にまとわりつきはじめた。


「……このようなご主人様は見たことがありません」


呆気にとられているアンナを尻目に、耀は助手席に座る人物に視線を移す。


「や、やめろ!やめてくれ!た、助けてくれ……」


助手席で助けを乞う男の声は、明らかに耀を殴った人物とは異なる声だった。

それに気づいた耀は、『違う』とでも言いたげに、興味を失った目で男から顔を背ける。

男が助かったと安堵し胸を撫で下ろした——次の瞬間、耀が振り向きざまにその男の顔面に拳を振り下ろす。

鈍い音が響き、助手席の男はシートに倒れ伏した——

目の前で繰り広げられる凄惨な光景。

いつも優しい耀と同じ人物とは思えない姿。

アンナはただ車の前で立ち尽くす。

ボンネットから飛び降りる耀と、助手席で動かなくなった男の頭巾が赤く染まっていくのを、アンナはただ呆然と見つめるしかできなかった。


外の騒ぎに気づき、レイが慌てて家から飛び出してきた。

その目に飛び込んできたのは、後部座席を窓越しに覗き込んでいる耀の姿だった。

その身体には、すべての色の魔力が混ざりあった結果生まれた、限りなく黒に近い紫色の魔力が纏わりついている。

怒りを湛えたようなその表情に、レイは足を止めた。


「あれは……もうひとりの兄様(にいさま)ですわ。なぜ、ここまでお怒りになっていますの……」


耀は拳を振り上げ、ためらいなく窓ガラスに叩きつける。

ガラスが飛び散る中、耀は車内に腕を伸ばし、座っていた人物を窓から引きずり出した。


「や、やめて……お願い、なんでも言うこと聞くから……!」


懇願を無視して、耀はその人物の襟首を掴み、冷ややかに見つめる。

わずかに眉が動き、そして手をその胸に滑らせる。


「女か——」


その呟きと同時に、車の反対側のドアが開き、ひとりが逃げ出した。

耀は女を無造作に雨の中に放り出し、逃げた男を追う。


「離せコラ!」


捕まえたその男の声と、がっしりとした体格——耀は即座に、自分を殴った相手だと悟った。

無言で見開かれる目、そして——男の顔面に拳を叩き込んだ。

倒れ込んだ男に、耀はゆっくりと歩み寄り、再びその襟首を掴む。

そしてまた、無言で顔を殴り飛ばした。

雨音と混ざり合う鈍い打撃音。

レイはただ、立ちすくむしかできなかった。


「あうっ……」


呻くような声を上げて倒れた男の上に、耀は馬乗りになり、頭巾の上から容赦なく何度も拳を振り下ろす。

レイは視線の先で繰り広げられる惨状を、見ているしかできなかった。

拳を振り下ろし続ける耀の、その狂気に満ちながらも、楽しむような動きを見たレイは、我に返る。

そして、耀が男をなぶり殺すつもりで殴りつけていることに気づく。


「アンナ!兄様を止めてくださいまし、殺してしまいますわ!」

「えっ、はい!」


レイの叫び声に、気を取り直したアンナが駆け寄り、耀を背中から羽交い締めにする。

倒れた男の頭巾から滲み出た赤が、雨に溶けて広がっていく。

羽交い締めにされながらも、その男に向かおうとする耀を、アンナは力を込めて引き離す。

アンナに引きずられ、道路に腰を落とした耀の前に、レイが静かに歩み寄る。

その慈愛に満ちた表情の裏で、膝がわずかに震えていた。——本当は怖かった。

でも、怖い以上に、この耀を信じたかった。


「兄様、もうおやめくださいまし——」


そっと伸ばした手が、耀の頬に触れると、レイの指先もかすかに震えていた。

それでも、レイは笑った。三人で生きていきたい、その願いを込めて。


「これ以上続けると、三人での生活ができなくなってしまいますわ」


そう言って、耀の頬をそっと撫で、涙を浮かべた顔で笑顔を向ける。

一瞬動きが止まった耀の瞳に輝きが戻り、纏っていた魔力は、その身体に吸い込まれるように消えた。

直後、その脇を車が急発進して去っていく。


台本にはなかった、恐ろしいものに支配された舞台から、顔を背け逃れるかのように——

しかし、その混乱が収まった舞台には、肩を落とし、座り込んだままの影が、ひとつ残されていた。

すでに幕は下り、余韻を残す舞台を、雨音だけが満たす。誰にも届かぬ喝采のように、ただ、いつまでも降り続けている——


——闇のまどろみの中で、夢のように映し出される現実。

この感覚はいつぶりだろう……このまま冷たい闇に包まれるのも悪くはない。

夢の中で繰り広げられる凄惨な暴力——なぜかそれを、心地よく見つめている。

——そう見つめているだけ。何も思わない、何も感じない……心地いいのはこの闇。

そんな夢さえも見るのをやめようとした時、僕は温かく抱きしめられた。

そして、僕を呼び戻す声が聞こえた——三人で生活したいと。

そうだ、僕はアンナとレイの三人で歩んでいきたい。邪魔はしないで欲しい。


『それなら、逃げるために俺を使うな——』


一瞬聞こえたその声と入れ替わるように、闇で見ていた夢の世界——現実へと引き戻された。

背中にはアンナの温かい感触、目の前にはレイの優しい笑顔。

身体に残る痛みが、ここが夢ではなく、現実だと教えてくれる。

最後に聞こえたあの声は……そうか、僕はあの混乱から逃げようとしたんだ……


隣家の窓際では、その一部始終を見ていた二人が話を始める。


「イオナ、主人のあれをどう思う?」

「——恐ろしいです。あれはもう別人です」


イオナの答えにラウムがうなずく。


(それがし)は間違っておったようであるな」


ラウムは目を細めて思案する。


「主人は心の深淵に何かを作り出したのではなく、別の何者かが潜んでおる」

「そのように考えて間違いないかと。別人がいると理解しなければ、あの変貌は説明できません」

「主人を知る者から聞いていたのであるが……信用に値しないと思っておった」

「——耀様を知る者ですか?」

然様(さよう)。主人に心を寄せ、主人を見続けていた者である」


ラウムの言葉に、外を見つめるイオナの目が、一瞬曇った。


「それにしても、あのように魔力を使えるのは意外であるな」

「ええ、魔力を纏っておりました」


イオナは、外を見続けているラウムの横顔に視線を向けた。


「レイ様に差し上げた学生服を纏っているように見えましたが……ラウム様にはどう見えましたか?」

「某にも同じように見えたのであるな」


その言葉を聞き、イオナは窓に背を向けた。


「——では、私は後始末に行って参ります」

「うむ、頼んだ。某は主人を知る者を連れてくる準備をいたそう」


ラウムは黒い霧に包まれ、静かに消え去った。


降りしきる雨の中、耀を抱きしめる二人と、置き去りにされたひとりの元へ、傘を差したイオナとボディガードが、ゆっくりと歩み寄る。


「大丈夫でしたか?」


背中からかけられた声に、アンナが振り向く。


「私は少し怪我をした程度ですが、ご主人様は口と鼻から出ている血が止まりません」


イオナは小さくうなずくと、落ち着いた口調でアンナとレイに話しかける。


「お二人は耀様とお部屋の中へ、私はあの者に話を聞かせるよう説得してみますので」

「分かりましたの。アンナお願いしますわ」


アンナは耀の身体が小さく震え、凍りついたように冷たくなっていることに気づいた。

一瞬、胸を締めつけられるような感覚に襲われる。

けれど、彼女はその冷たさを振り払うように、そっと身体を支え直す。


「ご主人様、痛かったら言ってください」


小さく呟きながら、アンナは耀の膝の下に腕を差し入れ、もう一方の腕を背に回して抱き上げる。

三人で家に入っていくその背中を見送ったイオナは、座り込んでいるもうひとりの元へ足を進める。

腰を抜かし、失禁している人物の前に屈み、その頭巾をゆっくりと取る。


「——やはり女性でしたか」


綺麗な顔立ちの女性は、その素体が台無しになるほど、顔を崩して泣いていた。


「許してください……お願いします……死にたくないです……」

「なぜ死ぬのですか?」


首を傾げて問いかけるイオナに、女性は頭を何度も下げる。


「ごめんなさい。ごめんなさい……お願い、殺さないで——」

「——これでは話になりませんね」


そう言って立ち上がったイオナは、濡れた瞳の女を見下ろした。

何も言わず、何も触れず、少し様子を見た後、静かに背を向ける。


「とりあえず私の家に来てください。少し落ち着いたら話を聞かせていただきます」


その後ろで、ボディガードが手を貸し、女をそっと立たせる。

立ち上がった女性は、肩を借りるように、ボディガードに支えられながら、ゆっくりと歩き出した。

雨の中へと吸い込まれるように、自分の身を考える余裕すらなく、静かにイオナの家へと歩みを進めた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年9月19日、一部修正しました。

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