事情聴取
すっかり鶏に叩き起こされることが当たり前となった朝。
むりやり覚まされた頭をリセットするために、リビングでコーヒーを飲むのが日課になった。
今日も、コーヒーの香りに揺り起こされていたら、突然、玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろうな、こんな朝早くに」
アンナは朝食の準備に忙しそうなので、僕が応対に出る。
「おはようございます。耀様」
「おはようございます」
玄関前にはイオナが立っていた。
もしかして——毎朝、夜明け前からけたたましく鳴く鶏の苦情だろうか?
「耀様、お食事をご一緒しませんか?」
その言葉と笑顔に、僕は胸を撫で下ろす。
「食べに行くのかい?」
「はい」
「アンナが作ってるから一緒にどうだろう?」
「よろしいのですか?」
「たぶん大丈夫だと思うけど、聞いてみるよ」
リビングに戻り、キッチンに立つアンナに聞いてみる。
「イオナさんがですか?」
アンナのイオナに対する警戒は尋常じゃない。断られるかな——
「いいですよ。準備しますね」
僕の心配が虚しくなるほど、機嫌よく了承してくれた。
でも、アンナの本当の警戒心が、どこに向いているのか、僕にはまだ分からなかった。
アンナが快く承諾してくれたので、四人で朝食を取ることになった。
席はいつもと違い、僕の隣にはアンナが座っている。
「イオナ、レイは兄様にスマートフォンをいただきましたの」
レイがイオナにスマホを見せている。
「まぁ、良かったですね!どうですか、使いこなせそうですか?」
知っていたのに、この自然な対応——凄いと思うが、不安も募る。
「もちろん大丈夫ですわ!」
「でしたら、私と連絡先を交換しましょう」
「本当ですの!嬉しいですわ」
二人の会話を聞いていたら、ふいにアンナの声が耳に届く。
「そう言えば、ご主人様のお誕生日はいつですか?」
「九月六日」
「なぁー!どうして教えてくれませんでしたの!」
レイ——そんな世紀末のような顔をしなくてもいいんじゃないかな?
「いや、別に言うことじゃないと思って」
「ご主人様……その日一緒に寝ました」
「うん、覚えてる。部屋に来てくれたのが偶然でも嬉しかったよ」
照れるアンナの髪にそっと触れると、彼女が少し僕にもたれかかってくる。
「レイ様、後ほど連絡いたします」
「分かりましたわ。ここは手を組むのもやむなしですの」
「はい、同感です」
僕の目の前で、謎の利害一致による不穏な同盟が結ばれたようだ。
四人での賑やかな朝食を済ませ、レイとイオナが連絡先を交換している様子を微笑ましく眺めている。
なぜかアンナは僕の手を撫で続けている……
ふと、イオナが真剣な顔をして、僕に話しかけてくる。
「耀様、私の運転手が話していたのですが、耀様はつけられているようです」
「ああ……前に——」
そこで僕は口を閉じた。
前に聞いたときは、イオナの胸に抱かれていた——
だから、イオナもこのような言い回しで切り出してきたはずだ。
「——ど、どういうこと?」
「この界隈で二週間ほど前から、同じ車を頻繁に見かけるようになり、先日はその車にずっと跡をつけられていたそうです」
「気味が悪いですわ——」
「うん。でも、思い当たる節がないんだけどな」
「干渉者絡みかもしれません。ご主人様、おひとりで行動なさいませんように」
そうか、アンナとレイにも知らせるために——イオナはどれほど先まで行動を読んでいるのだろうか?
「そうだね。しばらく家から出ないようにした方がいいかな?でも限界があるよな」
「耀様の電話番号を、私の運転手に伝えてもよろしいでしょうか。外にいる時間が長いので、何か気づいた時にすぐ連絡するように伝えたいのですが」
「構わないよ」
あの運転手さん、柔らかい物言いで、すごくいい人なんだよな。
断る理由なんて何もないし、逆に申し訳なくすら思えてしまう。
「それと、車は白のセダンだそうです」
「ありきたりな車だな……だから、余計に目立たないかもしれないね」
突然、ポケットの中で振動する音と共に、僕のスマホの着信音が鳴り始めた。
見たことのない電話番号だったが、僕は気にすることなく電話に出る。
「はい、相葉です」
その電話に三人が耳を傾けている。
「はい、分かりました。明日九時にお伺いすればいいのですね」
「……」
「分かりました。では失礼します」
先の話もあったせいか、心配そうな表情で三人が僕を見つめる。
「——警察だったよ」
「えっ?」
三人が一斉に驚きの声を上げる。
「なんか、事情を聞きたいことがあるそうだ」
「兄様、おそらく……」
「うん、あの会社絡みだな」
グラインドテック社からの連絡は不思議なくらい、プツリと途絶えていた。
あれだけしつこかったのだから、このまま何もなく終わるとは思っていなかった。
——だが、意外な方向からきたな……
「では、つけられていたのは警察の尾行でしょうか?」
「その可能性が高いんじゃないかな」
前にイオナの胸で聞いた男と、今回の白いセダンは別だと考えるのが自然だろう。
「ご主人様、用心に越したことはありません。私がご一緒いたします」
「いや、むしろ心配なのはアンナとレイの存在なんだ。説明のしようがないからね」
彼女たちは悪魔が創り出した存在。出自も何も分からなければ、身分を証明するものもない。
そんな二人の話になれば、僕はどう返答すればいいか戸惑うだろう——
思案する僕に、イオナが話しかけてきた。
「耀様、もし、お二人の件を聞かれましたら、私の使用人を借りてるとおっしゃってください」
確かに——僕はそれ以上答えなくていいようになるし、二人のことを詳しく知らなくても仕方がない。
「悪いなイオナ。そうさせてもらうよ。僕は二人を失いたくないし、三人での生活を邪魔されたくないから」
「お二人の件はなんとでもいたしますので、ご安心ください」
その、頼もしい言葉に、僕は感謝を込めて、深くうなずいた。
「兄様、明日はどうされますの?」
不安そうなレイに、手を伸ばし髪を撫でる。
「ひとりで行くよ。警察に行くんだ、誰かに襲われることはないだろう」
僕は再び椅子に腰を下ろす。すぐにアンナの手が添えられる。
「それに干渉者のことを恐れていたら、これからずっと家から出られなくなるだろう?」
「干渉者の件は分からないことが多すぎて、対応のしようが無いのも事実ですね」
イオナの言うとおりだ、存在すらも定かでないことに、僕は怯えて生きていくわけにはいかない。
「うん。まぁ心配しなくていいよ。タクシーで行ってタクシーで帰ってくる。歩くのは家の前と、警察署の敷地内だけだ」
「分かりました。ご主人様がそうおっしゃるなら」
未だに不安そうなアンナに、ひとつお願いをしておく。
「アンナ、いつも通りに、美味しいご飯を作って待っていて欲しい」
「はい。お任せください」
アンナの表情が明るくなった。
彼女は、ただ頼まれるよりも、誰かのために手を尽くすことに、喜びを覚えるのだろう。
——翌朝、警察署の受付で呼ばれた件を伝えた僕は、若い警察官に案内されて、取調室に入った。
しばらく待っていると、おとなしそうな顔に、鋭い眼光を備えた、中年の刑事が入ってきた。
「わざわざ来て頂いて申し訳ないね」
「——いえ」
「電話では話せなかったんだが、相葉さんを被疑者に、被害届が出されてね」
「それを言っていいんですか?」
「構わないよ。正直、相葉さんは関与していないと思っている」
そう話す口元は笑っているが、目は全く笑っていない——職業柄だろうか。
「では、今日はどうして?」
「それが警察ですよ。調べなきゃ終われない」
「——そういうもんですか」
取調室の扉がノックされ、若い警察官がお茶を持ってきてくれた。
「経費で買える安物のお茶だが」
「ありがとうございます」
刑事はお茶をひと口啜る。
「先に話しておきますが、今日の話は調書になりますけど、いいですか?」
「もちろんです」
「では、単刀直入に聞きますが——」
湯呑が優しく机に置かれた瞬間、僕を見る視線が変わった——
「相葉さんはグラインドテックソリューション社から、金を騙し取ったことはありますか?」
「ありません」
「だが、金を払ったが、仕事はしていないと訴えていますが?」
「成果物は引き渡しましたが——それが、あの会社の意図に沿うものだったかは分かりません」
「それでは先方が騙されたと思うのも、仕方がないと思いますがね」
「騙されたというと?」
「できない仕事をできると偽って、金を騙し取ったということですね」
そういうことか——これは僕を揺さぶる手段としているんだ。
「依頼を受けた仕事は、いったん完成させました」
刑事が少し首を傾げるが、僕は構わず話を続ける。
「その連絡をした直後に、仕様の変更を伝えられまして、それが契約期限の三日前だったので、対応が不可能だと伝え断りました」
お茶をひと口含み、口を潤す。安物と言っていた割に美味しい。
「そもそも仕様を変更しなくても良かったはずなので、そう伝えたのですが、仕様の変更は決定事項だと言われ、断るのもやむを得ないと考え断りました」
深くうなずく刑事をみて、最後に添える。
「ですから、必ずしもあの会社の希望に沿うものではなかったかもしれません」
僕の話を整理するかのように、少しの沈黙が訪れた。
「その変更は誰から伝えられました?」
「喜多原部長です」
「なるほどね。でも、お金は受け取ったと?」
「いえ、請求はしましたが、お金は受け取っていません」
「受け取っていない?」
「はい」
「では、請求をしたのは間違えないんですね?」
「ええ。あの会社の喜多原部長に請求書を出すように言われましたので」
「証拠品として、領収証が提出されていますが?」
「あの領収証は、私のものではありません。大河内常務にもそう伝えました。」
刑事が小さくため息をつく。
「大河内もそのことは知っているのか?」
「はい。電話で呼び出されて、その領収証の話をされました」
「大河内に会ったと?」
「はい、大河内常務と滝川さんと言う女性と話をしました」
刑事が今度は深いため息をついた。
「その時にどのような話をしました?」
「私が担当した部分に不具合が多いから改善するように要求されました。あと、何度も電話をかけたが私が出なかったと。後は……その領収証を見せられたくらいですね」
「不具合は多いけど、相葉さんが引き渡してるのを使っているのかな?」
「それは分かりません。あのシステムは元からあったシステムと統合される予定でした」
僕は少し記憶をたどる。
「その業務は別契約となる予定でしたが、私は外されましたので、完成したものを知らないのです」
「では、電話に出なかったのは事実ですか?」
「いえ、その、呼び出された電話以外にかかってきていませんから」
刑事の湯呑が机を叩く音が、少し強く響いた。
それから、三時間ほどいろいろなことを聞かれたが、ほとんどの内容が身に覚えがないことか、事実ではあっても、内容が歪められていた。
「とりあえず、今日聞いた仕事の経緯を調書にしてもいいですか?あと、やり取りした記録などがあれば提供してほしいのですが」
「構いません。今日話した内容は、ほとんどメールでやり取りしていますので」
「お願いしますよ。それなりの調書にしないと、むこうの弁護士も納得しないだろうからね」
僕が取調室を出るときに、刑事が呆れた顔で、ため息をついたのが見える。
——僕の背中にはずしりと、無意味な疲れだけがのしかかっていた。
結局、今日一日は、心配されたことは起こらず、事情聴取も問題なく終えた。
自宅に帰り、玄関を開けると、珍しくレイが出迎えてくれた。
「兄様、大変ですの!」
「どうしたの?そんな焦った顔をして」
「早く来てくださいまし」
レイに手を引かれてリビングに行くと、広げたノートパソコンの画面に表示された、SNSの投稿を見せられる。
(YA氏……ついに逮捕される!草)
(警察GJ!)
(悪人がのさばれるわけないよなwww)
——呆れてものも言えない。今日の話が既に広まっている。
完全に誰かが仕組んでいるだろう——というよりあの会社か、それに近い人物だと教えてくれているようなものだ。
「レイ、もう放っておくといいよ」
「でも、兄様が悪く言われるのは耐えられませんわ」
「ご主人様、レイの言うとおりです」
僕の両脇に座る二人の顔には、怒りが滲み出ている。
「でもさ、何ができるの?それよりも大切なことは、僕がここにいることなんだ」
ふいにレイの髪を優しく撫でる。
「ふわぁ……兄様」
「こうやって、レイの頭を撫でたり」
アンナを軽く抱き寄せる。
「ご、ご主人様……」
「こうやって、アンナを恥ずかしがらせたり」
「こんなことができるだけでいいんじゃないかな?関係ない奴には好きに言わせておけばいいよ」
レイがじっと耀を見つめる。
「でも、兄様は怒っていますわ」
「僕もそれは気付いている。でも怒って見せても仕方がないだろ。何も解決しない」
アンナとレイが少し驚いた表情で目を合わせた。
「——ご主人様、怒っておられるのですか?」
「分からない。でも、レイに言われてそんな気がした。もうこの話はいいだろう。ご飯にしよう」
二人は僕ににこやかな笑顔を向けている。何かを喜ぶような——でも、笑顔の奥には不安が滲んでいる。
レイの指先が少しだけ僕の袖口を握りしめる。
アンナが僕に添えていた手を離すと、すっと立ち上がり、純粋な笑顔を向けてくれた。
「そうですね。夕食の準備をしますので、ご主人様は先にお風呂を済ませてください」
「うん、そうするよ」
お風呂に向かいたいところだが、レイがまだ手を離してくれていない。
「ところで兄様、警察は終わりましたの?」
「いや、明日資料を渡しに行って、明後日には調書を済ませるって言ってたから、あと二日はかかるかな?」
納得してくれたかは分からないが、ようやくレイに解放されて、僕はお風呂に入る。
今日は本当に疲れた——座っていただけだから、この疲れは精神的なものだろうか——
「どっちか背中を流してくれてもいいんですよ?」
湯船に浸かり呟いた僕の願いは、彼女たちに届かなかったようだ——
天井から落ちた水滴が、湯船の水面に小さな波紋を広げた。
——三日後、勝手に立てた予定より一日遅れたが、無事に調書の確認まで終わった。
警察署から出る耀を、刑事が見送りに出てきてくれる。
「——相葉さん、すまなかったね」
今の言葉が全てを教えてくれる。これ以上、この件で僕が呼ばれることはないだろう。
「いえ、そんなことはないです」
「正直、相葉さんはとばっちりを食ってるだろ」
「いろんなところで叩かれていますからね」
警察って、結構そういうところまで調べているんだな。感心している僕に独り言のような呟きが届いた。
「それが目的だとしたら、警察をなめすぎているな——」
雨が降り始めた空を見上げていた刑事が、何かを思いついたように僕に視線を移した。
「そうだ、相葉さん、私の名刺を渡しとくよ。この件に限らず何かあったら情報をくれませんかね」
僕は受け取った名刺に視線を落とす『影山 正志』——いい名前だな。
「たとえば——あの会社からの接触とかですか?」
何かを孕んだ鋭い眼光が僕を捉える。
「お察しのとおり。では気をつけて」
「失礼します」
こうして、耀にかかった疑いは晴れ、警察署を後にした。
雨に濡れたタクシーの窓をぼんやりと眺めながら、耀は昨日までと同じ帰路につく。
——その後ろ。本格的に降り始めた雨の向こうに、静かに尾を引く一台の白い影に、気付くこともなく。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
2025年9月19日、一部修正しました。




