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レイの誕生日の朝、僕は今日も日の出前に鶏の鳴き声で目を覚ました。

とてもすごいことに、鶏たちには土曜日も日曜日も関係ない。毎朝必ず日の出の少し前に第一声を上げる。

いつの日か、この鳴き声にも慣れて、目覚めることなく、ゆっくりと寝続けられる日が来るのだろうか……

鶏の鳴き声で、イオナの家にも迷惑をかけているのではないかと、ふと、心配になった。

これだけ元気に鳴き声をあげているんだ、今日の主役も起きているだろう——そう思い、僕は鳥小屋に向かう。


兄様(にいさま)、おはようございます」


今日も、レイは鳥小屋で鶏たちに餌をあげている。

いつもと変わらない、なんでもない朝だが、僕たち三人には特別な朝だった。


「レイ、お誕生日おめでとう」


レイは少し照れくさそうな笑顔を見せてくれた。

——特別な朝のせいだろうか。

いつも以上に可愛く見えるレイに、自然と心を奪われていた。

表情も仕草も全てが可愛らしい。


「ありがとうございます。兄様」


期待に満ちたレイの視線に応えようと、僕はリビングに向かい、朝食の準備をしているアンナに声をかける。


「アンナ、おはよう」

「ご主人様、おはようございます」


振り向いたアンナの笑顔が、まるで輝いているように美しく、思わず息を呑んで、次の言葉が出てこなかった。

毎朝見ているはずなのに、昨晩もじっくり見ていたはずなのに——

今朝のアンナは、何か特別な光を帯びているようで、ただ目を離せなかった。


「今日の夕食は、レイが好きなお肉にしますね」

「レイは目玉焼きも好きだから、付けてあげたらきっと喜ぶよ。それと、お昼は軽めにしてくれるかな?」

「はい。プレゼントはどうします?」

「レイがリビングに来たら渡すよ。楽しみにしてることを、夜まで待たせるのは意地悪だろう」

「そうですね」


何でもない会話の中で見るアンナの仕草が、どれも美しく輝いて見えた。

僕は何気なく、窓の外に目を向けた。秋らしい日も増えてきた——

優しい空の光と、風が木々を揺らすと聞こえる、どことなく哀愁を纏った音がなぜか懐かしい。

——今日はなんだか見えるものが、全て昨日までと違うような気がしてきた。

見えるものだけでない、アンナが朝食を用意している音も、匂いも全てが新しいもののように感じる。

胸の中に違和感が湧き上がってきた——


毎日、気づかない程度に進んでいた時間。それが一度に過ぎ去ったかのような錯覚。

その違和感を僕は静かに、心の中に押し込めた——

鳥の世話を済ませた、レイがリビングに戻ってきた。


「兄様、どういたしましたの?」

「何でもないよ。外が急に秋らしくなったなって思ってさ」

「——そうですの」


首を傾げて僕を見るレイは、いつもより早く戻ってきたんじゃないか?

朝食を済ませたら、一緒に畑仕事をする約束をしているからか、急いだのかもしれない。

急いだところで、結局いつもどおりの時間にできる朝食を待つだけなんだが——

でも、そんな健気なレイの姿に、思わず抱き寄せたくなる衝動を覚えた。

レイの誕生日に、僕の心も浮かれているのかもしれない。

僕はリビングに運んでいた、小さなギフトバッグをレイに差し出す。


「レイ、これ誕生日のプレゼント」

「ありがとうございます。兄様」


嬉しそうに受け取り、胸に抱きしめたレイに、感謝の気持ちも込めた声をかける。


「改めて——レイ、誕生日おめでとう」


照れくさそうな笑顔で、小さくうなずいたレイに、キッチンからも声がかかる。


「レイ、誕生日おめでとうございます」

「アンナ、ありがとうございます」


レイは可愛い笑顔を振りまいて、僕に癒やしを与えてくれる。

アンナも、優しい目でレイを見つめていた。

きっと、アンナも癒やされているのだろう。

微笑ましく思いながら、ぼやけた視界に漂う温かさを感じていた。


「ところで、私たちは何歳と数えたらいいんでしょうか?」


ふと、届いたアンナの声に答える。


「レイは今日が十九歳の誕生日でいいと思うよ」

「そうですの?」


レイが小さく首を傾げる。たったそれだけの仕草なのに、今日は可愛くてたまらない。

アンナもそうだが、目に映るレイが今日はぜんぜん違う——胸が熱くなるほど愛おしい——


「うん。レイは十八歳で亡くなったなら、そこから数えていいと思う。それとも、ここに来てから数えて一歳にする?」

「それはいやですわ。ビールを飲める日が遠くなりますの……」


——いったい何を楽しみにしているんだ?

だが、僕やアンナが飲んでいるのを見て、レイだけ飲めないのだから、無理はないか。


「じゃあ十九歳だ。あと一年だね」


レイは、僕の声など聞こえなかったように、ギフトバッグに視線を落としている。


「兄様……開けてみてもよろしいですの」


小さくうなずくと、レイはプレゼントを笑顔で開け始めた。その仕草さえも可愛くてたまらない。

夢中になっているギフトバッグが可愛いから余計にそう思うのかもしれない。

——イオナは意外と可愛いもの好きなのか?


「スマートフォンですわ!」

「うん。僕のを使って、いろいろ連絡してくれただろ。レイなら使いこなせると思って」

「兄様、ありがとうございます!」


レイはグラインドテック社との交渉を、一手に担ってくれていた。

最近は、連絡も少なくなったが、時折じっと僕のスマホを見ていることがあった。


「良かったですね」

「はい!嬉しいですわ!早速使えるようにしますの」

「アンナも欲しかったら言いなよ」

「いえ、私には使いこなせません」


レイは早速ケースに入れて、ショルダーストラップをつけ、首に掛けている。


「これは、とても使いやすいですわ!」


イオナに付き合ってもらって、本当に良かった。

僕ひとりで行ったら、スマホだけ買ってすぐに帰っていただろう。


「喜んでもらえて良かった。朝食の間に充電しておいたらどうかな?」

「そうですわ。畑仕事の時に持っていきたいですわ」


朝食後、首からスマホを掛けたレイと二人で菜園に向かう。

オクラは時期を過ぎてしまったが、きゅうりはまだ採れる。とはいえ、今日で最後だろうな。


「兄様、きゅうりの写真を撮りますわ」

「うん。今年の収穫も今日で最後だと思うから、写真に残しておくのもいいね」


レイは畑仕事もせず、スマホに夢中だ。

きゅうりどころか裏にある、茂さんの畑も写真に収めているようだ。

大した作業もないし、気が済むまで使ってくれたらいい。

僕は、残っているわずかなきゅうりを丁寧に摘み取っていた。


「きゅうりを取っている兄様の写真も撮ってみますわ……」


レイはこっそり、きゅうりを収穫している耀の写真を撮ってみた。


「——これは」


その写真に写っている耀の姿を見て、レイは息を呑んだ。

信じられない耀の姿に目を疑い、念のためにさらに数枚の写真を撮った後、そっと画面を閉じた。


僕はきゅうりを収穫しながら、今年の収穫もこれで終わりだろうと考え、刈り取る準備をしていた。

何となく感じた視線に、目を向けると、レイが僕をじっと見つめていた。


「レイ、どうしたんだ?」

「な、なに……何でもありませんのっ——」


レイは何か慌てたような素振りを見せている。

畑仕事もせずスマホに夢中になってたのが気まずかったのかな?

そこに、家事を終えたアンナが作業服に着替えて庭に出てきた。


「ご主人様、お手伝いいたします」


作業服に着替えたアンナも、今日は美しい。手にかごを持っていなかったら、抱きしめていただろう。


「うん。これ、今日取れた分だけど、今年最後の収穫だし、みんなでお昼にでも食べようか」

「そうですね。ではしばらく冷やしておきます」


きゅうりを入れたかごを持ち、家に入ろうとするアンナをレイが追いかける。

何か話をしているようだが、まあ、きゅうりの食べ方の相談だろう。


「アンナ、今晩お話がありますの」

「どうしたのですか?」

「兄様にはお聞かせしたくありませんの」

「はい。分かりました——」


結局、午前中に少し畑仕事をしただけで終わってしまった。

昼食後はそれぞれの部屋で、それぞれの時間を楽しんでいる。

僕はいつもどおり、自室で小さな仕事を片付けていた——


「兄様、お茶をお持ちしましたの」


突然、レイに声をかけられ振り向くと、笑顔のレイが入ってきた。

できればノックぐらいしてほしいのだが——これも、レイらしいところか。

レイの淹れてくれるお茶は、最近急に美味しくなった。

毎日の積み重ねが、一気に実を結んだのだろうか?

ぼんやり考えていると、ふと頭をよぎる——

今日の感覚は、僕が闇に包まれていた時に見た、夢のような現実に似ていた。

いや、その逆だったな。現実の中にいてふと闇の夢を見る——僕はその夢を見るのを拒否する。


隣の部屋からアンナの足音が聞こえ始めた。

いつもより早い時間だが、夕食の準備をするのだろう。

アンナも張り切っているんだろう。今日は本当にいい日だ。これもレイのおかげだな。


僕にはもう、——闇の夢は要らない。


——夕食のテーブルには、レイの好きなステーキと目玉焼きが並んだ。


「レイ、お誕生日おめでとう」

「おめでとうございます」


僕とアンナの声に、レイは満面の笑みで答える。


「ありがとうございます。兄様、アンナ。レイは幸せ者ですわ」

「アンナもビールを飲みなよ。好きなんだろ」

「よろしいのですか?では、一本だけいただきます」


まあ、アンナが飲み始めて、一本で終わった試しはないのだが……

レイが目玉焼きを夢中で食べる様子を見て、ふと過去の出来事が頭に浮かんだ。


「あ、そういえばさ……」


僕は記憶をたぐり寄せるように話し始めた。


「確か、初めて会った次の日くらいだったかな……二人とも『私たちは寝る必要がない』って言ってたけど、今じゃ普通に寝てるよね?」


あの頃は、不思議なことばかりが続いていたけど、今ではそれが当たり前の日常になっている。

昨晩、僕の横で静かに寝息を立てているアンナを見て、一度聞いてみようと思っていた。


「はい、普通に寝ていますわ」

「そうですね。寝ると身体(からだ)の動きが良くなります」

「やっぱり普通の肉体なんだし、休ませないといけないんだろうね」


なんか、今の話を聞いて、ホッとする。

それに、部屋は別でも同じようなリズムで生活を送れているのは、いいことだと思う。


「それに、寝るのは気持ちがいいですわ」

「そうですね。食事もそうなんです」

「食べなくても大丈夫ですけど、しっかり食べた方が、頭がスッキリしますわ」


なるほど。やっぱり、ある程度の糖分は必要なんだろう……


「レイは、よく本を読んでるから、しっかり食べないといけないね」

「アンナもそうですわ。お裁縫する時は頭を使うと思いますの」

「私は、そうですね——みんなの食事を用意して、みんなで美味しくいただいて、みんなが喜んでくれるのが嬉しいですよ」


急にアンナが微笑んで、僕に視線を向ける。


「家族が増えても大丈夫ですが——」


あー、何でしょう……その、意味深な発言は——

ここは、アレな振りしてやり過ごしておこう。


「理由はどうであれ、僕は三人で一緒にご飯を食べられることが嬉しいんだ」

「兄様、これからもずっと一緒ですわ」

「そうです、ご主人様のお傍に仕えることが、これほど幸せだとは思っていませんでした」

「二人ともありがとう」


レイの誕生日なのに、なぜか僕への感謝の言葉をかけられ、何か温かいものが心に広がるのを感じた。

その時、いつも笑顔を見せない耀の顔に、わずかなほころびが浮かんだ。

それに気付く者は誰もいなかった——耀自身さえも。


夕食が終わり、僕はビールを飲みながらアンナと話をしていた。

酔ったアンナは美しさが変貌する。普段と違う美しさ、酔った瞳が醸し出す妖艶さ。

僕はそれを独り占めにできる。——贅沢すぎる。

アンナの隣でスマホに夢中なレイも、今日はいつも以上に可愛く見える……

今日の僕は、朝から何だかおかしい気がする。

アンナとレイのことを見るたびに、初めて会った時と同じように、美しさと可愛らしさが心に響き、胸が高鳴る。

こういう時の解決策は、昔から決まっている——少し早いけれど、そろそろ寝るとしよう。


「僕は、そろそろ休ませてもらうよ」


立ち上がる直前、ふとアンナとレイを見た。

笑顔も、仕草も、今の僕には宝物のように見える。


「はい、兄様、おやすみなさいまし」

「おやすみなさいませ。ご主人様」


二人の優しい声が、僕を見送ってくれた。


耀がリビングを後にする背中を見送った、レイとアンナは肩を並べ話し始めた。


「それで。レイ、お話とはなんですか?」

「アンナ、これを見てくださいまし」


レイが昼間にスマホで撮影した、耀の写真を見せる。


「これは……」


見せられた写真に映る耀は、ぶれて見える。

だが、それはぶれではない。それぞれの表情が違うのだ。


「ええ、兄様が二人写っていますの。今日撮った写真全部ですわ」

「完全に重なっていますが二人いると分かりますね。中に入っているようにも見えます」

「そうですの——冷たい表情の兄様が、兄様の中にいるように見えますわ」

「確かにそう見えますね。でもなぜ、もうひとりのご主人様は、怖い顔をしているのでしょうか?」

「分かりませんわ……」


少し間を置いて、レイは続けた。その瞳はわずかな笑みを湛えている。


「アンナが抱きしめた時、もうひとりの兄様は、こんなに近くにいましたの?」

「いえ、奥深くです。心の深淵とでも言うべきか——心がつながる感覚と同時に、感触が伝わってきます」


レイはおどけた表情で、アンナに問いかける。


「そうではありませんわ。レイは昨晩はどうだったか聞いていますの」

「——なんの話ですか?」

「隠さなくてもいいですわ。レイの部屋と兄様のお部屋は壁一枚しかありませんの」


アンナは観念したように、頬を染めて答える。


「昨晩は……気が付きませんでした。違うことに夢中で……」

「心ではなく、違うところがつながっていたようですわね——」


ちょっと脹れたアンナの頬を、レイが優しくつつく。


「まぁいいですわ。スケベモードのアンナに期待はしていませんの」


アンナは再びスマホに視線を落とし、首を傾げた。


「でも、これは、なにを現しているのでしょう?」


半分は本音だった。でも半分は——アンナに向けられたレイの好奇心を、少しでも遠ざけたかった。


「もうひとりの兄様が、出てこようとしているようにも見えますわ」

「でも、外側のご主人様に拒まれているようにも見えますね」

「レイには、もうひとりの兄様が、精霊と同じような身近な存在に感じますの」

「ご主人様は違う人になってしまうのでしょうか?」


アンナが不安げな表情を浮かべた。

レイは首を傾げる。


「分かりませんわ。でも、もうひとりの兄様は初めて会った時にみた、混沌とした色を纏っていますわ」

「そうですね。でも、そのような時は限られています」

「自我をなくしたときの兄様ですね」


アンナは小さくうなずく。


「でも、今日は自我をなくした様子はありませんでした」

「そうですの。一日中いつもの兄様と変わりませんでしたわ」

「ご主人様に何かが起こっているのでしょうが、それが何なのか、全く想像がつきません」

「ただ、この色を纏っている時の兄様は、優しさを失っていることが多いですわ」

「そうなんです。この色を纏った後のご主人様は、少しぼんやりとしているのですが——」


アンナはチラッとレイに視線を向けた。


「私を飲み込むようにあの色が迫ってきて、本能的で……特に激しいのです」

「——ケダモノですわ」

「いいえ、行為は激しいのですが、心はとても暖かくて。——終わった後は、いつものご主人様よりお優しいのですよ」

「兄様でなく、アンナがケダモノと言いましたの」


耀の身体の中に映るもうひとりの耀。この写真をじっくりと見ながらの二人の議論は明け方まで続いた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年9月19日、一部修正しました。

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