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悪魔の眷属

悪魔の眷属となった人間が家に来ると聞いた直後に、玄関のチャイムが鳴り響いた。

その眷属が来たことは容易に想像がつく。全員が見えるはずのない姿を捉えるように、リビングの扉に視線を向ける中、アンナだけが静かに立ち上がる。

音も立てずにリビングを出ていくその背は、普段の彼女とどこか違って見えた。

あと、艶っぽい——さっきまでの余韻を引きずる僕をまた惹き付ける後ろ姿……いいと思います。


「来たようであるな」

「そうじゃの」


悪魔二人の会話で、現実に向き合う。不安はただひとつ——


「人間なんだよな?」


対応に出たアンナが、凍りついたような目をしてリビングに戻ってきた。

すぐにその冷たい視線は僕に突き刺さる。

その後ろから、ひとりの女性が、滑るようにリビングに足を踏み入れた。


「——失礼いたします」

「あれ?」


タイトな青いスーツに身を包んだ、青い髪の女性。

ラウムの使者とかいって、一緒に銀行に行った女性だった。


「お久しぶりです。銀行以来ですね」


軽く会釈をした後、彼女は僕に笑顔を向けた。

アンナに次いで、レイからも凍てつく視線が向けられている。

今は僕がこの二人に話しかけても、きっと視線の温度が下がるだけだろう。

何もやましいことはないんだ、普通に振る舞おう。


「お久しぶりです。ダンタリオンの眷属って……」

「私です。インテルナツィオナーレ・ベアトリーチェ・ベローニと申します」

「長いな……イとオとナしか頭に残らなかった」

「では、私のことは『イオナ』とお呼びいただけませんか?」


なぜかイオナは嬉しそうに弾む声で求めてきた。


「イオナか。良い名じゃ。ワシもそう呼ぼう」

「ありがとうございます。ダンタリオン様。ラウム様もご機嫌麗しゅう」

「うむ。イオナか……(それがし)もそう呼ぶとしよう」


インテル何とか——改め、『イオナ』呼びやすくなって良かった。

だが、不思議だダンタリオンの眷属が、なぜ、あの時点で僕に接触してきたのか——


「じゃあ、銀行に行ったのは、ダンタリオンから言われて?」


イオナに対する問いかけに、ラウムが口を挟んでくる。


「否、某が其方(そなた)に会わせるゆえ、眷属を貸せと爺に言ったのだ」


ラウムのやつ、僕にダンタリオンの召喚を頼む前から、もう召喚前提で話を進めてたんだな——


「勝手に取引が済んでたんだな」

「仕方がなかろう。他に手がなかった。其方の護衛に脅されて、急いでおったのだ」


嫌味を含んだ僕の声に、白々しく応じるラウム。そこに、アンナとレイがすかさず反論する。


「私は脅してなどおりません」

「そうですわ。貴方が快く借金の肩替わりを引き受けたのではありませんの?」


もうそろそろ明かしてもいいだろう。


「アンナ、レイ、悪いけど知っていたんだ。あの夜の話は部屋までよく聞こえていたからね」


あんなに大きな声でラウムを責め立てて、聞こえていないと本気で思っていたのだろうか?


「申し訳ございません。出過ぎた真似を」

兄様(にいさま)、レイは兄様のためにと思い……」


二人はバツが悪そうにはにかむような表情でうつむいて、目を合わせている。

今なら本を返してくれ!と言っても許されるかもしれない——止めておこう、後が怖い。


「気にすることはないさ。でも、あの一件で僕は、ラウムは約束を守る信頼できるやつだと見直した。だから一番得したのはラウムだろうな」

「聡いの、御館様(おやかたさま)は。それと、イオナを使ったのにはもう一つ理由がある。イオナの地位じゃ」

「地位?」


僕はもう一度イオナを見る。知的な表情なのに、流し目で僕を見ている

——アンナとその気になっていたせいだろうか、そんな風に見ている自分が情けない。

しかし、こんな青ずくめの女性の地位……『何とかブルー』にでも変身できるとか?——そんなわけ無いか。


「御館様、インテルナグローバルパートナーズという会社を知らぬかの?」


インテルナグローバルパートナーズと言えば、世界有数の投資銀行だ。

さっきまで『アレっぽい人』のフリをしていた僕でも、名前くらいは知っている。


「世界有数の投資銀行だし、僕でも知っているさ」


名前くらいは知っているが、何をしている会社かは、何となくくらいしか知らないがな。


「イオナは、その創業者じゃ。銀行を黙らせるには良い地位じゃろ」


何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


「えっ!」


理解できて変な驚きが起こるまで、一分近くかかってしまった——

そんな僕に、イオナはにこやかな表情で説明してくれる。


「今は経営に関与をしておりませんので、株主でしかありません。株も私の資産管理会社が所有していますので、私の名前が表に出ることはありません。ただ、使い勝手がいいので『経営顧問』という肩書きの名刺を持っております。もちろん偽名ですが」

「ちょっと待ってくれ。あの会社は創業百年近いはずだが」


見た目は僕より若い感じの女性が、そんな老舗の創業者?——ありえないだろう。


「博識でございますね。その通りです」


ま、まさか、——幽霊……でも、胸は温かかったし、柔らかかったよな。


「ワシが話そう。イオナは二百年近く生きておる。名を変えたり、出自を偽ったりしてな」


イオナが浅くうなずく。ダンタリオンの顔の全部が真剣な表情なところを見ると、嘘ではなさそうだ。


「インテルナツィオナーレ・ベアトリーチェ・ベローニという名が本名じゃ。これからはイオナとなると思うがの」


イオナが頬を染めて、僕を見つめている。

——きっとアレだ。名前を付けられると、喜ぶ慣習のある国の人なんだ。

アンナは怒りとも取れる表情で僕を睨んでいる。

——きっとアレだ。僕と一緒に寝るのを邪魔されて、不機嫌なんだ。

レイはさっきの話を聞いてから、興味深そうにイオナを見つめている。

うん、レイらしくて分かりやすい。

いろいろ独自の解釈で納得した僕に、ダンタリオンが言葉を紡ぎ始める。


「イオナは百七十年ほど前だったかの……ワシを召喚しようとした。じゃが圧倒的に魔力が足りず失敗した。しかしな、ワシはこのイオナに興味を持った。そこでこの者をワシが地獄に召喚した」

「そんなことができるのか?」


人間が悪魔を召喚することができるなら、悪魔が人間を召喚してもおかしくないのか?

いや、現実世界の人間の力が必要なんだよな。——ダンタリオンが僕の心の疑問に答える。


「イオナの召喚魔法は失敗したが、地獄とこの世界が、ほんのわずかな時間だけ繋がった。その隙に召喚したのじゃ。御館様のように、いつでも何処でも気軽に召喚できるのは、数千年にひとりくらいの存在じゃ」


悪魔は人の心を読むのが好きなのか?それとも、ただの偶然なのか?


「話が逸れたの。ワシは召喚したイオナの願いを聞いたのじゃ。その願いは——」


ダンタリオンの言葉を遮るように、イオナが静かに口を開いた。


「世界中のあらゆる知識を手に入れたい」


イオナが百何十年か前に、悪魔を召喚してまで叶えたかった望みを口にした。


「そうじゃ。そこでワシは眷属となることを対価として知識を与え、永遠の純潔の対価として老いぬ身体(からだ)を与えると言ったんじゃ。イオナは二つ返事で承諾したの」

「眷属となり、永遠の純潔を誓った私の身体は、三十歳の頃のまま、時を止められました」


そうなのか……けど、なぜイオナが一瞬僕に視線を向け、頬を染めたのかは、さっぱり分からなかった。


(しか)り。純潔を破れば歳を重ね始める。それは、悪魔にまで知識を求めたイオナには酷であるの」

「はい。私はダンタリオン様から与えられた知識を使い、この地位を築き上げました。そして多くの人間を従え、膝をつかせる快感を得ることができました。これは手放したくありません」

「まあ、そういうことじゃ。こやつなりの人間への復讐かの。そしてワシは現実世界のことを、イオナを通じて知ることができる。良い関係じゃ」

「——そうだったんだ」


これのどこが復讐なのか、僕には理解できない。なんか、変わった性癖を聞かされた気分だ。


「変わっておるのは其方であろう」


ラウムのやつ、また心を読んだな……

まあいい。アンナの冷たい視線に凍らされそうなので、とりあえずこのままやり過ごそう。

突然、イオナが僕の前に歩み寄り、一冊の本を差し出した。


「この本は?」


目を落とすと、淡いピンクにハートが浮かび上がっている可愛らしい表紙だが、何だろう——違和感がある。これって日記帳じゃないのか?


「あなたを胸に抱いてから、あなたへの想いを募らせていました——そのやるせのない気持ちを書き綴ったポエム集です」

「——あっ、ありがとう」


とりあえず受け取ったが、いろんな意味ですごく重いな。募らせたんじゃなくて、拗らせていなければいいが……

クールな表情から一転、乙女の顔になり、頬を染めたイオナ。その心に灯った炎を、吹き消すように、部屋には寒波が押し寄せてきた。


「ご主人様、胸に抱かれたとはどういう事ですか?」

「兄様、やはり手篭めにされましたの?」


冬将軍も逃げ出す勢いの寒波を放つ二人が、僕には理解のできない問いを投げかけてきた。


「お二人とも勘違いをなされています。耀様が正気を失いそうでしたので、私なりに止めただけのことです」


イオナの言葉に、アンナはゆっくりと彼女に近づき、顔をぐっと近づける。


「——耀様?相葉様ではないのですか?」


その声は、いつもの優しい調子から、少し太く変わり、怒りを滲ませた表情で彼女を鋭く睨む。

その様子と言っている内容は、もはやメイド服を着た不良が、喧嘩を売っているようにしか見えない。


「はい、私はダンタリオン様の命により、耀様にお仕えすることになりましたので、そのようにお呼びします。もちろん同居するわけではなく、耀様のために外から手を尽くす所存です。必要とあればお二人にも協力いたします」


涼しい顔でそう言うと、イオナは電話をかけ、外から大きな紙袋を二つ届けさせた。


「ご挨拶代わりに、ささやかな贈り物をお持ちしました」


イオナはひとつの紙袋を、レイに手渡す。


「これはなんですの?」


レイの手により紙袋から出されたのは、古い学生カバンだった。

あれっ。——なんか見覚えがあるステッカーが貼ってある気がする……


「こんなペチャンコのカバンには何も入りませんわ」


そう言いながらカバンを開ける。


「なぜ鉄の板が一枚入っていますの?」


——ああ、それは銃弾も防げるからだぞ。

僕の脳裏にそんな記憶が刷り込まれてきた……


「まだ紙袋に入っていますよ」


イオナに勧められて、紙袋の中を覗き込むレイが首を傾げた。

嫌な予感がしてきた——


「これは何の服ですの?」


紙袋から取り出された服に、間違いなく見覚えがある。


「変わったコートですわ」

「それは学生服です」

「学生がこんな服を着ますの?」


レイはその服を、広げたり裏返したりといろんな角度から見ているが、できればやめて欲しい。

せめて、誰もいないところでやってほしい……


「はい。この国では、一部の頭のおかしい学生が好むものです」

「裏地が悪趣味ですわ」


確信に変わった——紫色の裏地に、般若と読めない漢字の刺繍。

僕が闇と夢のような現実の間を彷徨っているうちに、勝手に作られていた僕の黒歴史だ。

——ということは。


「ズボンも入っていますわ」

「はい、それも含めて『ご一式』でございます」

「何ですの、このズボンは。ぶかぶかですわ。」


——やっぱり出てきた。


「イオナ、それ、どこで手に入れた……」

「耀様のご実家の物置に放置されていたものを頂きました」


僕がおかしなことを言ったかのように首を傾げ、当たり前のように言ったその内容は、色々問題があるだろう——

まあ、細かいことはいい。とりあえず最大の問題を確認しよう。


「まさか、僕の親に会ったのか?」

「私が行ったわけではありませんが、黙って持ってきたと聞いています」


なぜそんなことを当たり前のように言ってのけるのか、僕には理解できない。


「いや、それって……」


頭がおかしいのは、イオナの方じゃないか?——そう言いかけたのを、僕は必死に飲み込んだ。


「問題ございません。持ち主に届けるのが目的でしたので。その前にレイ様に楽しんでいただこうかと」

「これは、兄様のですの?」

「ああ、間違いない。高校生の頃に着ていた、長ランとボンタンだ。そのカバンもその時のものだ……」


なぜ勝手に作られた黒歴史を、ここに来て引っ張り出すんだ……


「イオナ!ありがとうございます!」


なぜレイはそんなに喜んでるんだ?ただの学生服——そう、ただの学生服だ。


「耀様が目を覆いたくなるほどの、時代遅れな不良だった証拠となる貴重な品々です。楽しんだら、耀様にお返しください」


さっきのポエム集は何が書いてあるんだ?乙女の恋心じゃなくて、僕を罵倒する言葉が並んでいるんじゃないか?


「はい!」


レイもそんなに嬉しそうにしないでくれよ。


「それには面白いものがついておるな。某がしばし預かろう」

「イヤですわ」


ラウム、力ずくでいい預かってくれ、何なら灰燼に帰してくれ——


「それを全て預かるわけではない。ついておったものは既に預かったゆえ案ずるな」

「そうですの?それなら安心しましたわ」


もう一つ心配事ができた——

レイはあの服に顔をうずめて匂いを嗅ぎながら悶絶するんじゃないのか?絵的にいろいろやばいからやめてほしい。


イオナはもう一つの紙袋をアンナに手渡す。


「これは——?」


中を取り出そうとしたアンナの手を、イオナがそっと止めた。そしてアンナに何か耳打ちしている。

さっきまで怒りを滲ませていたアンナの顔が、みるみる赤く染まっていく。


「そのようなことは……」

「近くその日が来るかもしれませんので、準備だけです。これは、アンナ様にしかできないことです」

「はい……頑張ります」


何を頑張るつもりで、なぜ僕を妖しく見つめたのか、少し気になったが、今はどうでもいい——


「もう良いかな?」


ダンタリオンが退屈そうに声をかけた。

全然良くない……何で蒸し返すんだよ、あの黒歴史。最悪すぎる……

あんな過去を知っていて、ポエム集を渡してくるなんて、どうかしてる。

あれは僕が着てたんじゃない——いや、着てたけど……でも、あれを好んで着たのは僕じゃないんだ。


「はい。お待たせいたしました、ダンタリオン様」

「御館様に呼びかけた概念者じゃが、イオナはどう思う」


急に話を戻さないでほしい。——僕の頭はオーバーヒート寸前なんだ。


「おそらく、耀様の力を使おうとしているかと」

「然り、ワシもそう思う」

「概念者っていうと、僕とイオナ以外はみんな概念者じゃないか?」


僕の言葉を聞き、イオナは少し考える、右手の親指と人差し指で顎を撫でる仕草が艶っぽい——

まずい——アンナが光のない瞳で、僕を見て笑ってる……


「では、現実世界に干渉しているので、干渉者と呼びましょう」


『干渉者』か——分かりやすいな。

「良い案じゃ。現実世界に干渉するには、人間の力を借りねばならぬはずだが」


アンナの視線が背筋を撫でる僕に代わって、ダンタリオンが伝えてくれた。


「然り、協力している人間がいるのも間違いない。だが……」

「分からないことが多すぎるな」


僕の言葉を聞いて、悪魔とイオナ、そしてレイがうなずいた。

——アンナは、そんなことはどうでもいいみたいだ。


然様(さよう)、其方の言うとおり、手段も目的も何者なのかも分からぬ。ただ、其方に害をなすのは間違いないであろう」

「ラウムの目的のためにも止めねばならんな。貸しを作っておくのも悪くはないしの。イオナはしばらく、この件に関する情報を集めてほしいのじゃが、良いかの?」


イオナはダンタリオンに軽く会釈をすると、なぜか一瞬僕に視線を向けてきた。


「はい、お任せください。すでにこの国に拠点も整えてあります」

「ほう。流石じゃ、仕事が早いの。して、どのあたりに作ったのじゃ?」

「ここの隣の空き家を買い取りました」

「……」

「はい?」


一瞬、意味がつかめなかったが、隣に引っ越してくると気づいた瞬間、思わず変な声が出てしまった。

さっきよりは早く理解できたから、良しとしておこう——


「耀様、私は留守がちになりますが、お隣同士よろしくお願いします」


イオナは僕に満面の笑みを向け、アンナは僕を抱きかかえようと近づいてきている。

そんななか、意外にもレイは、イオナの存在を喜ぶかのように、にこやかな表情をイオナに向けていた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。


2025年9月18日、一部修正しました。

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