復活の儀式
「ゾーヤ、レイを手伝ってくださいまし!」
レイがゾーヤを呼ぶ声が屋敷中に響く。その屋敷のひと部屋では、耀とヴァレリアが肩を寄せ合って座っていた。
毎日、ヴァレリアから読み書きを習っていた耀の様子を見て、彼女が問いかけた。
「殿様は、不便しない程度の読み書きを望むんですよね?」
「ああ、そうだ」
「もう十分だと思いますが……そうだ、街に出てみませんか?」
「街に?」
ヴァレリアは急に慌てて手を振る。
「その、あれだ。街に出たほうが実用的じゃないかと……決してデートしたいとか、そういう意味じゃない」
「そうか……デートか……今から二人で出かけよう。外食も良いだろう」
「ほ、本当か!ちょっと待ってくれ、着替えてくる」
急いで部屋を出ていくヴァレリアを見送り、耀は小さくため息をついた。
「——ゾーヤ、レイが呼んでいただろう」
耀の低い声が響くと、クローゼットの影からゾーヤが姿を現した。
「んっ。見つかった?」
「随分前から気づいていた。それで、何の用だ?」
「人間の世界に行ける?」
「アンナのところなら行けるかもしれない。ただ、確実に行きたいならレイに頼んだほうがいい」
ゾーヤは耀に歩み寄り、顔を覗き込みながら首を傾げる。
「どうして?」
「伊耶那美に協力してもらうといい。レイなら召喚できるだろう」
「んっ、分かった。レイは稀代の召喚士」
「俺は出かけてくる」
「デート?」
「ああ、ヴァレリアに聞きたいこともあるからな」
「んっ。気をつけて」
耀と共に部屋を出たゾーヤは、小走りでレイの部屋へ向かった。
その後ろ姿を見送りながら、耀は小さくつぶやく。
「あの二人、何を企んでるんだ……」
玄関に向かうと、カリサが慌ただしく出かける準備をしていた。
大きなかごを両手に抱え、玄関先にももうひとつ、大きなかごが置かれている。
「朱美さーん、買い物手伝ってくださーい」
カリサの声に応えるように、食堂から朱美が顔を覗かせた。
「しばし待つのだ。我も準備をせねばならぬ……」
その返事を聞き、カリサはため息を漏らす。
「時折、見せるあの変な口調はなんですか?」
「——あれは、頭がおかしいからだ」
突然響いた耀の声に驚き、カリサは思わずかごを落とした。
「大丈夫か?朱美がああなったのは、俺にも責任がある……」
「殿様、びっくりしましたよ。どこかお出かけですか?」
「ああ、ヴァレリアとデートだ」
「ふぇぇぇ!いつの間にそんな親密に……ヴァレリアさんも抜け目ないです」
カリサが落としたかごを、耀は拾い上げて手渡した。
「こんなに買い物するのか?」
「レイさんですよ。本当にたくさん食べるんです」
「元々よく食べるからな」
「そう聞きました。でも異常ですよ。三人前くらいを、一日五、六回も食べるんですから」
「食い過ぎだな」
「朱美さんの話だと、魔力を食事で補っているらしいです」
「そうだったか……レイには後で血を分けてやろう」
「血?ですか?」
「ああ。レイは俺の血を飲みたがる」
「ふぇぇぇ……なんだか怖いです」
ふと顔を上げたカリサが、耀の顔を見て微笑む。
「殿様……血を失った後は、ミルクを飲むといいんです」
「そうか。俺は外で待っている。ヴァレリアが来たら伝えてくれ」
玄関を後にする耀の背中に向かって、カリサがつぶやく。
「——殿様、逃しませんよ。レイさんにたっぷり飲んでもらいますからね」
——ヴァレリアと食事に来た耀は、メニューを見ながら、分からない言葉を尋ねた。
「ヴァレリアの言うとおりだな。こうして見るとよく分かる」
「良かった。殿様にそう言ってもらえると嬉しいな」
注文を終えたヴァレリアに、耀が低い声で問いかける。
「なあ、ヴァレリア……俺の嫁になりたいと言うのは、本心なのか?」
「ど、どうしたんだ……急に恥ずかしいだろう……まぁ、うん。心からそう願っている」
「そうか……だが、種族が異なると子は授からないと聞いた。それでも良いのか?」
「そ、そうだな……寂しくないと言えば嘘になるけど、私もカリサも同種族に見放された身だからな。どのみち子はできないかな」
小さくうなずいた耀が、さらに問いかけた。
「そんなふうに見放された奴は多いのか?」
「ああ、残念だが……多い。中には自ら命を断つ者もいる……」
悔しそうにうつむいたヴァレリアに、耀がさらに声をかける。
「そのような奴を集めることは可能か?」
「ああ、種族は偏るが、できると思う。しかし、殿様、どうしてそんなことを聞くんだ?」
「……もうすぐ分かる。待ってくれないか?」
「殿様がそう言うなら良いが……」
その後は、和やかに食事が進み、笑顔で話しかけるヴァレリアに、耀は静かにうなずき続けた。
最後の飲み物が運ばれてきたとき、にわかに外が騒がしくなり始める。
「殿様、表に止まってる馬車は、領主様の馬車じゃないか?」
視線を外に向け、カップをひと口飲んだ耀が、ヴァレリアに話しかけた。
「気にするな。これ、美味いな」
「ああ、それか……それは紅茶に少しお酒が入っているんだ。私は飲めないけど」
「酒が苦手か?」
「美味いと思ったことがない」
ヴァレリアが言い終えると同時に、テーブル脇に執事長が立った。
「旦那様、探しましたよ」
「俺は逃げも隠れもしない。探すのはお前らの勝手だ」
「そうではありますが……陛下がお呼びです」
「陛下?誰だそれは」
「ルシファー様です。明日、夫婦で顔を見せよと」
執事長の言葉に、耀は首を傾げる。
「夫婦?ラウムか?」
「レイ様です」
ルシファーの名に緊張を隠せないヴァレリアに、耀は優しく声をかけた。
「ヴァレリア、ちょうど良かったな」
「いやいや、私は行かないぞ」
席を立った耀に促され、立ち上がったヴァレリアに手を差し出す。
恥ずかしそうに手を取る彼女の耳元で、耀は優しく囁く。
「——金がなかったんだ」
「はっ?」
振り向いた耀が、執事長に声をかける。
「悪いが、金を払っておいてくれ」
そう言い残し、耀はヴァレリアの手を引き、悠々と店を後にした。
店の外で談笑する耀とヴァレリアに、執事長が声をかけた。
「旦那様、従者はいかがなされます?」
「カリサは買い物に行っているしな……ラウムの屋敷にいるメイドを連れて行こう」
「承知いたしました。早速準備させます」
執事長の合図で、ひとりの騎馬兵が屋敷へ走り出した。
「ヴァレリア、悪いがひとりで帰ってくれ」
「ああ、気にしないで欲しい。殿様、お気をつけて」
「ああ。留守を頼む」
馬車に乗り込む耀の背中に、ヴァレリアは大きくうなずき、少し寂しげな笑みを浮かべながら、走り去る馬車を見送った。
ラウムの屋敷から転移陣を使い、ルシファーの都の近くまで転移した一行は、馬車に乗り込んだ。
日が傾き始め、森の中を馬車は疾走する。中では誰も口を開かず、車輪が道を叩く音だけが響いていた。
——翌朝、ラウムと耀、そしてレイの三人はルシファーの宮殿に向かった。
前にルシファーと面会した応接室に通された耀とレイは、これから何が話されるのか想像もつかず、ただじっとソファに腰を下ろしている。
ラウムだけは悠然と構え、時が来るのを待っているようだった。
「お越しでございます」
言い終わる前に扉が開き、マッチョが入ってきた。
「待たせた。主も奥方も壮健であったか?」
「レイは、兄様に殺されましたわ」
レイの言葉に高笑いするルシファーは、前とは違い、鮮やかなピンク色のゴスロリをまとっていた。短い袖とスカートからはたくましい腕と脚が露わになり、大胸筋を覆うブラウスは今にもはちきれそうで苦しげだった。
「相変わらず、いい趣味してるな」
「全くですわ」
耀とレイの言葉に、ルシファーは胸を張ってみせる。
「主が用意してくれたものであるが、よく似合っておろう?」
「ああ、似合っている」
ソファに腰を下ろしたルシファーは、身を乗り出して耀に話しかけた。
「さて、余が主を呼んだのは、ほかでもない。この王衣のことだ」
「それがどうした?」
「ラウムに聞いた話だと、主の奥方が二人揃わねば、このような王衣は作れぬと聞いたが……真であるか?」
真剣な表情のルシファーをよそに、差し出されたカップに口をつける耀に代わり、レイが答える。
「本当ですわ。レイとアンナがいなければ作れませんの」
「それは困る!」
ルシファーは身を乗り出し声を上げた。
「困ると言っても、アンナは人間の世界に置いてけぼりですわ」
レイが恨めしそうにラウムを睨むと、耀が口を挟む。
「あの状況では仕方がないだろう」
「然様であるな。レイがついてきたことが想定外であったゆえ」
「ラウムよ、もう一人の奥方を連れてこれぬか?」
「おそらく、あの者の魔力は尽きる寸前、思念となりし後は連れてまいれましょう。ただ……」
ラウムが言い終える前に、ルシファーの声が漏れる。
「地獄に来ると同時に身体を与えねばならぬか……」
「多分そうだな。アンナは全てを諦めようとしている。その状態で思念が地獄に来れば、ただ召されるだけだ」
耀の言葉に、レイもうなずいた。
「兄様の言うとおりですわ。身体は大きいですが、心はとても弱い……」
レイが何かに気づいたように、耀の顔を覗き込む。
「兄様、アンナのことが分かりますの?」
「ああ、分かる。俺の魔力だからな……だが、あと一時間も持たないんじゃないか?」
「急がねばならぬな」
ラウムの声に、耀は首を傾げた。
「ルシファーの服のためだろ?」
突然、レイが耀の腕にすがりつき、涙を浮かべた瞳で彼を見つめる。
「兄様、レイはアンナに会いたいですわ」
「余からも頼む」
頭を下げるルシファーに目を細め、耀は深くため息をついた。
「……ルシファーはともかく、レイの頼みなら仕方がないな」
耀の言葉に、レイとルシファーの顔に輝きが戻った。
「ラウムよ、その思念を連れてこれるか?」
「容易いことです。すぐに向かいましょう」
「うむ、頼んだ」
黒い霧に包まれ、霧散するように消えるラウムを見て、ルシファーは耀に話しかけた。
「この部屋では余の魔術を使うには狭すぎる。玉座の間へ参ろう」
ルシファーに案内され、玉座の間へ入った三人は、誰もいない広間の中央に立つ。
「余の魔術は主の想像を超える。楽しみにしておれ」
うなずいた耀に、ルシファーはさらに続けた。
「すまぬが、主の魔力を使わせてくれ。奥方の身体は、すべて主の魔力で創り上げるゆえ」
「ああ、構わない……待て……どうやって」
レイが、期待に満ちた笑みを浮かべて耀を見つめる。
「兄様、口づけですわ。そのマッチョと口づけしてくださいまし」
「なぜレイは楽しそうなんだ?」
「アンナのためですわ。それに男同士なら、レイは許して差し上げますの」
耀は大きくため息をつき、ルシファーの顔を見た。
「男だな……」
「無論……」
「良いのか?」
「——構わぬ」
「俺の魔力を存分に使え」
覚悟を決めた耀がルシファーの腰に手を回すと、ルシファーは耀の肩をぐっと抱き寄せた。
吐息がはっきりと感じられるほどに近づいた二人のまぶたが、ゆっくりと閉じていく。
「なぁぁぁ、バラ色に輝いて見えますわ!」
レイの期待に満ちた声が玉座の間に響き渡ると同時に、二人の唇が重なった。
——相葉家のリビングでは、アンナに寄り添うように、イオナが腰を下ろし肩を抱いた。
「アンナ様、お水です」
「ありがとうございます。ご主人様の容態は?」
「未だに意識が戻らないようです」
「真由美さんは?」
「耀様につきっきりです。子に触るので休むようには言っていますが……寝付けないようで……」
水をひと口飲んだアンナは、ふっと息を吐いた。
「ご主人様を守れなかった……私の役目も、ここまでのようです」
イオナは目を見開き、声を震わせる。
「そんなことはありません!」
「見てください、イオナさん……もう、私の身体の魔力が尽きてしまいます」
アンナが見せた腕は、黒紫色に変色し、かつての美しい肌は見る影もなかった。
「そろそろお部屋に戻りましょうか……」
そう言って立ち上がろうとするアンナを、イオナが抱きしめて引き止める。
「アンナ様、最後まで側にいさせてください。お願いします」
「あまりきれいなものではありませんから、見られるのは恥ずかしいですね」
「——お願いします」
すがるイオナに力なく抱きつき、アンナは涙を零した。
「分かりました。イオナさん、ご主人様と真由美さんをお願いしますね」
「はい、全力で支えます」
アンナはふと視線を落とし、遠くを見るように呟いた。
「もうひとりのご主人様はどこへ行ったのでしょうか……レイと幸せにしてくれていれば良いですが……」
「あの方のことです……きっと、レイ様だけでなく、たくさんの女性と幸せにされていますよ」
「そうですね」
しばらく部屋は沈黙に包まれた。別れを惜しむように抱き合う二人は、互いを励ますように、どちらともなく肌を撫で続ける。
「——もう一度会いたかったです」
「きっと会えます」
アンナが小さく漏らした声に、イオナが答えたその刹那、腕に抱いていた温もりが黒紫色の霧へと変わり、ゆるやかにほどけながら宙へと広がっていった。
霧は指先をすり抜ける風のように空気へと溶け、抱きしめた感触の記憶と淡い香りだけを残す。
——その静けさを裂くように、相葉家の屋根から一羽のカラスが羽ばたき、低く鳴きながら空の彼方へ消えていった。
——切なさを残した空気をよそに、異なる世界の宮殿では、とんでもなく場違いな光景が繰り広げられていた。
激しく交わる二人から溢れ出す魔力が、黒紫色の霧となって部屋に立ち込め、次第に視界を覆っていく。
「凄まじいですわ……一体アンナをどんなふうにしますの?」
一抹の不安を覚えながらも、レイは二人から目を離せない。
やがて霧は玉座に集まり始め、黒い塊へと変わっていった。
霧が晴れてもなお、部屋の中心で互いを求め合う二人を見て、レイの心に別の不安がよぎる。
「兄様、男色に目覚めたのでは……いえ、そんなことはありませんわ」
玉座の黒い塊に、緑色の光玉がすっと飛び込んだ。
瞬間、塊はゆらめきながら形を変え、やがて人の輪郭を形作っていく。
「うまくいったようであるな」
不意に響いたラウムの声に、レイは平静を装って答えた。
「そ、そのようですわ……」
「しかし、この二人、もう事は足りているはずであるが……」
ラウムが視線を向けた玉座には、メイド服姿のアンナが腰を下ろしていた。
「……ここは?」
アンナはゆっくりと立ち上がり、玉座から降りて周囲を見回す。
そして、その目に飛び込んできたのは——ゴスロリをまとったマッチョと口づけを交わす耀の姿だった。
「——ご、ご主人様……」
膝から崩れ落ちるアンナに、レイが駆け寄り肩で支える。
「アンナ、落ち着いてくださいまし。あれは……アンナの身体を創るための儀式ですの。そう……儀式ですわ!」
自分にも言い聞かせるように叫ぶレイの声で、耀とルシファーはゆっくりと唇を離したが、どちらも目をそらさず、微笑ともため息ともつかぬ息を吐いた。
「どうであったかな、余の接吻は」
なぜか頬を染めたルシファーに、同じく頬を染めた耀が答える。
「意外と良かった……癖になりそうだ」
その言葉を聞いたレイは、膝から力が抜け、アンナと共に床に倒れ込んだ。
未だ抱き合ったまま何か言葉を交わし続ける二人に、囁くような声が届く。
「お前、何か言ったか?」
「余は何も申しておらぬ」
「は、離れてくださいましー!」
叫び声の方向に顔を向けると、怒りの形相を浮かべたレイと、悲しげなアンナが床に膝をついていた。
二人を見た耀とルシファーは、小さくうなずき合う。
「うむ。成功だ」
「ああ、そのようだな……しかし、アンナの胸が少し大きくなっていないか?」
「主の願望であろう」
「そうか、感謝する。こうして見ると、やはりアンナも愛おしい」
ルシファーは静かにアンナの前へ歩み寄り、そっと手を差し伸べた。
「この王衣は奥方が作ったのであろう。礼を申す」
その手を取って立ち上がったアンナは、衣装をじっくりと見つめる。
「良く似合っています……」
「なぜ、そのように悲しい顔をする?」
アンナは耀に鋭い視線を向け、声を震わせた。
「会いたいと焦がれたご主人様に、ようやく会えたと思ったら……変態男とキスをしていたんです。悲しくなりました」
耀とアンナの間に漂い始めた不穏な空気を察し、ラウムが割って入った。
「陛下、この者共を連れて戻ります。また宮殿を破壊しかねませんので」
「相変わらず激しい夫婦だな。良い、また落ち着いたら顔を見せよ」
アンナに歩み寄ったラウムが、耳元で低く呟く。
「某のことも含めて争いになろう。某の闘技場を使うと良いのであるな」
アンナはラウムの顔をじっと覗き込み、ため息をついた。
「やっぱり……女だったんですね、ラウムさん。後でゆっくり話を聞かせてください」
耀に駆け寄ったレイが、耳元で囁く。
「兄様、十日ほど、アンナに監禁されてくださいまし……あの怒りは、兄様しか抑えられませんわ」
「ああ、分かった」
「いや、愉快な夫婦だ。余も楽しませてもらった」
高笑いを残し、ルシファーが玉座の間を後にする。
残った四人の間には、鋭く張り詰めた空気が漂い——互いの視線だけが静かに交錯していた。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
 




