キューティーローゼス
視線を逸らしたまま、しかし耳はしっかりこちらに向けているラウムに、レイが微笑を含んで問いかける。
「それで、どこにいますの?」
ラウムは空を仰ぎ見て、独り言のように呟く。
「城門に向かって右側——門兵の待機場の向かいにある部屋、城壁内部であるな」
「分かりましたわ」
「多少の犠牲はルシファーも承知しておる」
レイは、ラウムの横顔に微笑みを向ける。
「とても大きな貸しになりますわ」
小さくうなずいたラウムを見たレイは、ゾーヤに振り向いた。
「ゾーヤ!」
首を傾げるゾーヤに、紫のベネチアンマスクを差し出す。
「その仮面を着けてくださいまし」
「ん。分かった」
ゾーヤが静かにベネチアンマスクを身に着けるのを見届けたレイは、自らもまた、ゆっくりとピンクの仮面を顔に重ねた。
仮面をつけたふたりが、凛と並び立つ——だが、その姿はどう見ても、道を誤って怪しげな舞踏会にデビューしようとしている少女たちにしか見えなかった。
二人は手をつなぎ、レイは人差し指を天へと突き上げた。
それを見たゾーヤも、レイを真似て、人差し指を天に突き上げた。
「美少女仮面キューティーローゼスですわ!」
「……」
メイドたちは呆気にとられる——
「ん。美少女仮面」
悲痛な表情で頭を抱えるラウムを見ながら、メイドたちがひそひそと囁く。
「……誰か止めないんですか?」
「いいえ、ここで止めたら命に関わります」
レイはメイドたちの囁きを背に、まるで舞台に立つように、声を高らかに響かせた。
「さあ、ローズパープル!悪を懲らしめに行きますわ!」
「ん。レイと行く」
「レイではありませんの。レイはローズピンクですわ!」
「ん。レイはローズピンク」
レイは首から掛けた『幻影虚像録』を手に取り、なぞるようにページを開いた。
ラウムは少し距離を取るが、メイドたちは不思議そうに見つめている。
「ポエムでも読むのですか?」
「しっ、聞こえますよ!」
メイドたちのざわめきに耳を貸すことなく、レイは開いたページにそっと指先を滑らせた。
「おいでまし!レイの可愛いハチコロちゃん!」
「えっ!ローズピンクじゃないの?」
驚くメイドたちの頭上に暗雲が立ち込める。見上げていると、轟音と共に目の前に雷が落ち、土煙が舞い上がる。
再び驚き腰を抜かしたメイドたちが目にしたのは——土煙の向こうで、ゆっくりと立ち現れる異形の影。
熊のごとき胴は大地を踏み鳴らし、コウモリの翼は空気を裂き、ロバとヒヒの双頭が咆哮する。
その尾では、鎌首を擡げるコブラが静かに周囲を睨みつけた——
「ん。可愛い」
「さあ、ハチコロちゃん!レイたちを運んでくださいまし!」
メイドたちが息を飲む中、コブラの尾がふたりをすくい上げ、背に乗せた。
「美少女仮面キューティーローゼス出動ですわ!」
ハチコロの翼が大きく羽ばたく。空を切り裂くように、二人を乗せたその巨体は、悠然とルシファーの城へと舞い上がっていった。
「——ローズピンクじゃないの?」
メイドたちは立ち上がることもできず、最後まで腑に落ちない気持ちのまま、飛び去る後ろ姿を見送るしかできなかった——
ルシファーの城の城門が閉ざされる——城壁の上は慌ただしく兵が行き来し、少し離れた場所では、ローブを着た者たちが整然と並んでいる。
「隊長殿、間違いありません!こちらにまっすぐ向かってきます」
「総員戦闘準備!」
その声に、ヒヒの叫びとロバのいななきが答えた。
「何者だ!」
「美少女仮面キューティーローゼスですわ!」
武器を構える兵たちの目に映るのは、手をつなぎ、指で天を突き上げる——二人の自称『美少女』
だが、異形の生物に乗り、怪しげな舞踏会に向かうついでに、ちょっと立ち寄ったようにしか見えない——
「なんか。やばいやつが来たな——」
「——ああ、仕事でなければ、関わりたくない感じだ」
「……美少女——なのか?」
「仮面は分かるけど……」
「ローゼスって、花の方か?それとも武器の名前か?」
「やめろ、考えると余計やばいぞ」
兵たちは、その見た目に完全に気圧され、戦意より困惑が勝っていた。
——その空気を切り裂くように、隊長の厳しい声が響き渡る。
「その、——美少女仮面キューティーローゼスが、ルシファー様の城に何をしに来た!」
「た、隊長が美少女仮面とか叫んでるよ……」
「あの髭面で、キューティーローゼスはないよな」
——隊長の目論見は大いに外れた。
「もちろん、この城をいただきに参りましたの!」
「ん。もらう」
響き渡ったローズピンクの言葉は、どう考えても『宣戦布告』だった。
兵たちの間に緊張が走る。数名の兵が伝令に走る姿も見える……
「降りてこい。まずはどこの手のものか聞かせてもらおう!」
「嫌ですわ!」
「降りてこなければ、攻撃を開始する!」
隊長は必死だった。『美少女仮面キューティーローゼス』などという存在に敗れれば、未来永劫、嘲りの対象となる——それだけは避けねばならない。そのためには、万全の体制で戦いの火蓋を切りたい——
頭の中では次の言葉を必死に探す……返答に応じて最大限の時間を稼げるように——
余裕の表情で城壁に立つ隊長の頭の中は、すでに余裕を失っていた……
必死の隊長は、完全に美少女仮面キューティーローゼスの目的を忘れている。
相手は『城をもらう』と宣言しているのだ。こちらの準備が整うまで待つはずがない——
「隊長!時間稼ぎは限界です。攻められる前に攻撃を開始するべきです!」
隊長の隣に立つ兵士が進言する——が、そこにローズピンクの声が響く。
「ブツブツ言ってると、キューティーロボ『ハチコロ』が容赦しませんわ!」
兵士たちは耳を疑った……
「何だよ『ハチコロ』って」
「あの乗ってる、おっかないやつか?」
「キューティー——?ロボ——?」
唖然とする兵士たちに、再びローズピンクの声が届く。
「食らいなさいまし、ローズタイフーン!」
掛け声と同時に、ヒヒの口から紅蓮の豪炎が放たれる。
「ん。凄い」
ローズパープルは手を叩いて感心していた。
城壁の上で身を隠し、逃げ惑う兵士たちは、心の中で叫ぶ——
「ローズでもタイフーンでもないだろ!」
刹那、城壁の向こうから、無数の火球が美少女仮面キューティーローゼスに襲いくる。
二人の前に、尾のコブラが立ちはだかった。
鎌首を擡げ、口を開くと、火球はそのまま吸い込まれるように、音もなく飲み込まれた。
「酷いことをしますわ!」
「ん。悪いやつ」
悪いやつはお前らの方だ!と、隊長は声にならない叫びを上げる。
「魔法はダメだ!矢を放て!」
城壁の上から、雨のように矢が浴びせられる。
黒い翼が軽く羽ばたくと、ハチコロの周りに渦巻く風を作り、その全てを地に落とした。
「な、なんてことをしますの!」
「ん。危ない」
それはこっちのセリフだ!と、数多くの兵士が心で叫んだ。
「仕方がありませんわ!ローズウィップをお見舞いですわ!」
ロバのいななきとともに、その目が輝くと、城壁に向かって無数の雷が落ちる。
その轟音に、城だけではなく都全体が震え、パニックに陥りはじめた。
ローズピンクの隣では、ローズパープルが耳を押さえていた。
「ん。うるさい」
兵士たちはもう誰も、ウィップの意味を口にしなかった——
兵士たちが次の攻撃に身構える中、ハチコロは高度を下げ、ゆっくりと着地した。
そして、城壁に近づくと、その上にいる兵士たちを、見定めるように見上げる。
「下から来るぞ!身構えろ!」
隊長の怒声に、兵士たちは腰を落とし、登ってくるであろうハチコロを狙い撃つべく武器を構える。
次の瞬間、轟音と共に城壁が揺れた。
一斉に立ち上がり、下を覗くと、破壊された城壁の中に入っていくハチコロが目に入った。
「まずい、この真下だ。一斉に攻撃しろ!」
武器を構え、覗き込んだ兵たちの目に、コブラの視線が届いた。
そして、口が大きく開かれると、先程飲み込んでいた火球が、一気に吐き出される。
「伏せろーー!」
兵士たちは身を隠し、耐えることしかできなかった。
——『キューティー』ってなんだ……
隊長は、言葉の意味を理解できなくなってしまった——
破壊した壁から侵入した部屋は、無人だった。
食べかけの食事が、そのまま残されているところを見ると、慌ててどこかに行ってしまったようだ。
「全部、食べかけですわ」
「ん。もったいない」
開いたままの扉を無視して、再び壁を破壊したハチコロは長い通路に出る。
「この前の部屋ですわね」
「ん。壁の向こうに誰かいる」
「行ってみますわ——」
扉があるのに壁を破壊するハチコロ——
崩れた壁を覗き込むと、狼の耳をもった少女が膝を抱えて座っていた。
「あなた、ルナリアですの?」
「はい……あなた達は?」
ルナリアは驚いた様子も見せず、空ろな表情で答えた。
「レイは、美少女仮面ローズピンクですわ」
「ゾーヤは、美少女仮面ピンクパープル」
「違いますわ。ゾーヤは『ローズパープル』ですの」
「ん。ゾーヤは、美少女仮面ローズパープル」
「——レイさんと、ゾーヤさんですね……」
そう呟いたルナリアに、ローズピンクは目を見開き、驚きの声を上げる。
「な、なぜバレましたの——」
「ん。バレた。殺す——」
ルナリアは捕らえられ、ここに監禁されたときから、殺されるのを覚悟していた——
でも、自分で名乗ったのに、バレたとか——そんな理不尽な理由で殺されるのは嫌だと、心から思った……
「ゾーヤ、殺してはいけませんわ」
「ん。分かった」
ローズピンクとパープルが、ハチコロの背から颯爽と飛び降りた。
そして、ローズピンクが首から下げたノートを手に取り、そっと開く。
「ハチコロ、お疲れ様でしたわ」
ハチコロは、甘えるようにローズピンクに頭を擦り寄せ、ノートに吸い込まれるように消え去った。
ノートを閉じたローズピンクは、ルナリアの元へと歩み寄り、膝をついて彼女と目を合わせた。
「——あなたに聞きたいことがありますの」
「——はい」
空ろな瞳で答えるルナリアに、ローズピンクが問いかける。
「あなた、主人の元に戻りたいですの?」
「——主人?」
ルナリアは小さく首を傾げている。
「殿様と呼ばれる男ですわ」
ルナリアは大きく息を吸い込みながら、目を見開く。
そして、輝きを取り戻した顔を、まっすぐに向け答える。
「戻りたい!」
だが、すぐにルナリアは何かを思い出したかのように、表情を曇らせうつむき呟く。
「でも——私は殿様に無断で殿様の元を離れた……」
「それはどうしてですの?」
「父が無理やり——殿様には仕えさせられないと……」
「あなたはどうしたいですの?」
「もし……もし、許してもらえるなら、戻りたい。もう一度、殿様に会いたい!」
「この世界に二度と戻れなくなっても?」
「構わない!もう一度会えたら、死ぬまで殿様のそばから離れない」
ローズピンクの背中から、ローズパープルの声が聞こえる。
「ローズピンク、来た!」
「早かったですわね——」
遠くで響き始めた足音が、近づいてくるのが分かる。
「その覚悟は本物ですの?」
「はい!」
ローズピンクの言葉に、ルナリアは大きな声で答えた。
ローズピンクは大きくうなずき、ルナリアの手をとり振り向く。
「ローズパープル!」
「耀のとこ?」
「そうですわ」
「掴まって」
ローズパープルの肩に、ローズピンクとルナリアの手が触れた瞬間、まるで、アルバムのページを捲るように、目の前の景色が一瞬で変わった。
ルナリアは目の前に広がる光景に、目を疑った……
様々な色の何かが蠢くように渦巻く空間——そこに腰をおろし、じっと佇んでいる殿様——
その殿様に纏わりつくように身を摺り寄せる、布一枚だけで身体を隠した四人の美しい女性——
その様子を、触手に宙吊りにされ、「くっ、殺せ……」と呟きながら、蔑むように見る天使の女——
混沌という言葉が相応しい世界……何も言葉が出ず、ただ立ち尽くすしかできない。
耀に纏わりついている女性が、一斉に三人に目を向ける。
刹那、怪しさを孕んだ笑顔を浮かべると、四人が飛びかかってきた。
あまりの速さに、ルナリアは身構えることもできなかった。
——恐怖を感じたルナリアを尻目に、四人の美女は隣に立っていたローズパープルを愛で始める……と、いうより、もみくちゃにしている。
「おねね様、可愛らしゅうございます」
「ん。来た——」
「おねね様、この仮面お似合いでございます」
「ん。ローズパープル」
「おねね様、勇ましきお名前にございます」
「ん。かっこいい」
「おねね様、もっと近くに寄ってくださいな」
「ん。これ以上は無理」
その様子を見ていたローズピンクが、小さく呟く。
「——なんですのこれは?」
ローズピンクは仮面を外すと、ローズパープルに声をかける。
「ゾーヤも適当に変身を解いてくださいまし」
「ん。分かった」
「おねね様、まだダメでございます。もうしばしそのままで……」
無意識にまばたきが早くなっているルナリアが、心の中で呟く。
『あれ、変身だったんだ——』
レイは周りの渦を観察するように見回しながら、ゆっくりと耀に向かって歩き始めていた。
目を閉じている耀の前で止まると、黙ったままその膝に腰をおろし、おもむろに抱きついた。
「兄様、お会いしとうございましたわ」
「——レイか」
「はい、兄様の愛しいレイですわ」
レイは目を細め、僅かな笑みを浮かべたまま、耀の顔をじっと見つめる。
そして、そっと目を閉じ唇を重ねた——
レイはさらに求めるように、耀の頭を抱き寄せる——絡み合う二人の表情が美しく映える。
その二人の唇の隙間から、血が滴り落ちた——レイの顔は紅潮し、激しく耀を求め続ける。
どれくらいの時間が経っただろうか、唇を離し二人は見つめ合った——
「レイ、舌噛んだだろ」
レイは恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、まっすぐに耀を見つめている。
「はい、噛みましたわ……少し、噛み切ってしまいましたの——」
相変わらず無表情なまま、耀は話しを続ける。
「何かあったのか?」
「はい。地獄と呼ばれる世界で、大暴れした兄様の後始末をしてきましたわ」
「俺はそんなに暴れたか?」
「ええ、それはもう盛大に暴れたようでしたわ」
「——手間をかけたな」
「いいえ、妻として当然ですの」
耀は胸に身を委ねるレイを、優しく抱きしめた——
時が止まったかのように、じっと身を委ねていたレイが、思い出したかのようにすっと立ち上がった。
「兄様、お土産がありますの」
「何か持ってきてくれたのか?」
「はい、地獄から攫ってきましたの」
レイの手招きを見て、ルナリアは恐るおそる耀の元へと歩み寄った。
「兄様、ルナリアですわ」
耀の目がルナリアを捉える。輝きのないその瞳に映されたルナリアは、緊張した表情を浮かべていた。
「殿様、ごめんなさい——」
深々と頭を下げた自分は、輝きのないその瞳にどのように映っているのか——不安と覚悟が混ざり合っていく。
だが、耀の瞳が捕らえていたのは、ふわふわとしたダークグレイの耳と、腰元から豊かに伸び、優しく広がる尻尾だった——
「兄様、ルナリアはローズイエローにしますの。鍛えてくださいまし」
「レイ、感謝する。ちょうどモフモフしたい気分だった」
二人の会話が耳に届き、折れそうになった心を精一杯隠しながら、ルナリアは顔を上げた。許されたのだろうか——
レイがルナリアの肩をそっと押す。振り向いた目に入ったレイの仕草を見て——ルナリアは耀に抱きついた。
「存分に堪能してください——」
その様子を見たレイは、目を細め小さくうなずくとゾーヤに振り返る。そして……まだ、もみくちゃにされているのに驚いた。
「まだ、やっていますの?」
キャッキャと声を上げて喜んでいるゾーヤに、レイは少し大きな声をかける。
「さあ、ゾーヤ連れて帰ってくださいまし!」
「ん。帰る」
切ない表情を浮かべる四人を振りほどいて、ゾーヤはレイに駆け寄る。
再び、レイは振り返ると、ルナリアを膝に乗せ、尻尾をモフモフしている耀に目を細める。
「兄様、次はアンナも連れてきますわ」
「アンナにはつらい思いをさせたからな——」
「大丈夫ですわ。今はレイの身体に夢中ですの」
レイは曇りのない笑顔を浮かべた。
「——お前ら」
「では、兄様。ごきげんようですわ」
「ん。ごきげんよう」
二人は一瞬で消え去った——
ルナリアは心の中で呟く。
『ありがとう……でも——ローズイエローにはなりたくないです』
誰にも声をかけられなかった、堕ちた天使朱美は、静かに涙を流した——
その後、伊耶那美の助力もあり、レイは達成感を胸いっぱいに自宅へ帰り着いた。
「ただいま戻りましたわ!アンナ、お腹が空きましたの!」
ダイニングテーブルで、優雅なティータイムを満喫していたアンナとイオナが、レイを一瞥する。
「イオナさん、何だかレイのお肌が艶めいていますね」
「そうですね。瞳も潤んでいます」
ティーカップを置いたアンナが、冷たい声をかける。
「レイ、食事なら冷蔵庫に入っています。好きなものを勝手に食べてください」
「レイは頑張ってきましたのに——もう少し、労ってもいいはずですわ……」
独り言を呟きながら、冷蔵庫を開けたレイは、膝から崩れ落ちる……
「——納豆しかありませんわ」
その頃、ルシファーが治める地獄では、美少女仮面キューティーローゼスの手配書が配られていた。
必死に行方を追う兵士たちを嘲笑うかのように、街中では『美少女仮面キューティーローゼス』の人気が高まっていく。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
 




