レイ様独壇場
「イオナさーん!」
お昼を過ぎた頃、家にアンナの声が響く——
「どうしたんですか?」
イオナが声のした方に向かうと、アンナが家事部屋の前で待っていた。
「見てください、できました」
家事部屋に入ったイオナの目に、壁一面にかけられた五着の巨大なロリータ衣装と、少し小さな一着のゴスロリが映った。
「すごいですね。あれは私のですか?」
一着のゴスロリを指差し、問いかけるイオナに、アンナが笑顔で答える。
「はい、イオナさんに似合うと思います。早速着てみてください!」
「ありがとうございます。アンナさん——そう言えば、真由美は?」
「真由美さんは疲れて、寝ていますよ。ご主人様が仕事から戻られるまで休憩です」
「そうですか。では、さっそく着替えてきます」
その服を手に取り、部屋を出ようとするイオナを、アンナが止める。
「イオナさん、ここで着替えればいいじゃないですか」
「いえ、お見せするには心苦しい、醜い傷がありますので——」
自室に向かうイオナの背に、アンナは首を傾げ、不思議そうに呟く。
「私なら気にしませんのに——」
部屋に戻ったイオナは、早速、ゴスロリに着替える。
黒と青を基調にしたドレス——参考にした本を元に、レイがアレンジを施し、可愛さの中にも気品漂う仕上がりになっていた。
コルセット風のトップスも、可愛いフリルの付いた肩口も、袖の長さも、多段フリルのスカートも、小悪魔的なデザインのブリムも、イオナの身体にピッタリと合っている——
「参考に渡した一着の服だけで、これを作り上げるなんて……」
感嘆の声と共に、イオナは鏡の前で、くるっと回ってみた。ふわりと浮かぶスカートが可愛さを増す。
鏡に映る自分は、顔が緩み、無意識に微笑んでいる。思わず恥ずかしくなり、頬を染めた——
「アンナ様に見ていただきましょう」
リビングに入ると、アンナがソファに腰をおろし待っていた。
「イオナさん——可愛いです」
鋭い視線が上から下へと素早く移る。仕上がりをチェックしているのだろうが、イオナは一瞬たじろいだ。
「アンナ様、ありがとうございます。このような服を着るのは初めてですので——あの……おかしくないですか?」
アンナは微笑んで、イオナを見る。
「よく似合っていますよ。イオナさんも可愛い服を、もっと着たほうがいいです」
「そ、そうですか……なんか馴れなくて、恥ずかしくなってきました」
「イオナさん、下着は履いていますか?」
「えっ、はい。履いています」
「脱いでください——」
一瞬、空気が止まったような沈黙。イオナの瞬きが激しくなる。
「……はい?」
「その服なら、下着を付けないほうがいいと思います。私的に——」
威圧感すら漂う視線が、イオナを捉える……だが、その瞳には色香が見え隠れしている。
「アンナ様、脱ぐのはいいですけど、それ以上は、レイ様に怒られますよ」
「冗談ですよ。でも、あのご主人様なら喜ぶかもしれません」
「あの方は服に興味を持たないのでは?」
「言えてますね」
ほっと胸を撫で下ろすイオナが、窓ガラスに映る自分に目を向ける。
今までの自分とは、まるで別人のように、輝いて見えた。可愛い服を着ただけで、自分の姿だけでなく心も可愛く見える。
そんな不思議な感覚に酔いしれていると、リビングのドアが開く音が耳に入った。
「イオナ、何を踊っていますの?」
レイの容赦ない声が、イオナに届く。
恥ずかしそうにうつむいたイオナに、レイが近づき、彼女の周りを一周した。
「可愛いですわ。イオナ、良く似合っていますの」
「えっ!」
驚きの声を上げるイオナを無視して、レイはアンナに振り向く。
「アンナ、あと何着かイオナに作ってくださいまし。可愛いですわ」
「そうですね。少しボリュームをもたせた、エンタシススカートなんてどうでしょう?」
「いいと思いますの。イオナのために、もっと可愛いのを考えたいですの。レイがデザインしますわ」
レイは嬉しそうに、自室へと向かう。
「イオナさん、では、残りを運んでもらえませんか?」
「はい、早速——といいたいところですが、どうやって運びましょうか?」
アンナは笑顔で答える。
「あれ、畳めるようになっているので、大きめのキャリーケースがひとつあれば、運べますよ」
「では、私はキャリーケースを取ってきます」
イオナの声には、いつもと違い、どこか弾んだ音が混じっていた。
「はい、では畳んで準備をします」
家事室に戻るアンナを見送ったイオナは、弾むような足取りで、縁側のガラスに映る自分に、笑顔を振りまきながら自室に戻った。
キャリーケースを持って、家事室に入ったイオナを、アンナが残念そうに見つめた。
「イオナさん、もう着替えたのですか?」
「はい、悪魔の世界に行きますので——服は着替えておきました」
「なにか関係があるのですか?」
「ロリータファッションは『魔王専用』らしく、他の者が着てはいけないそうで——」
アンナは首を傾げながらも、キャリーケースに入るよう、考えながら服を畳んでいく。
「男性のものなのは分かっていましたが、魔王さんが着るのですか?」
「はい、そのようです」
アンナは思わず吹き出した。
「可愛い魔王さんですね」
静かな時間が流れる——イオナはアンナの指先の動きを眺めていた。ひとつひとつ丁寧に折り畳まれる服、その合間にふと漏れる、柔らかくも寂しげな吐息——アンナの呟きが漏れる。
「悪魔の世界って、どんなところでしょうね……」
イオナはその表情に滲んだ、寂しそうな影を見逃さなかった。
「あの方に会いたいですか?」
一瞬、アンナの手が止まる。
「——はい」
「私もです」
「手の届かない存在になりましたね」
「あれだけ怖かった方が、こんなにも恋しく思うとは」
「どうしようもない人なんですけどね」
「はい」
キャリーケースを閉じたアンナは、笑顔で顔を上げる。
「できました。では、イオナさんお願いしますね」
二人はキャリーケースをリビングに運び、うなずきあった。
リビングで、イオナはキャリーケースを大事そうに抱きかかえ、目を閉じる。
祈るような呟きに答えるように、黒く輝きのない魔法陣が、イオナの頭上に浮かび上がる。
そして、ゆっくりとイオナを飲み込むように、降りていく。
消えたイオナを見届けたアンナの目の前には、キャリーケースが残されていた——
「これを置いていって——イオナさんは何をしに行くのでしょう」
キャリーケースを拾い上げ、首を傾げるアンナの前に、再び黒い魔法陣がゆらめきながら現れる。
ゆっくりと上昇する魔法陣から、イオナが現れた。
「おかえりなさい。早かったですね——忘れ物ですよ」
「忘れたのではありません。運べないようです——」
「……困りましたね?せっかく作ったのに——」
立ち尽くす二人の耳に、可愛らしい声が届く。
「どうしましたの?」
声の主に、アンナとイオナが振り向く。
「レイですか——イオナさんしか召喚できないそうで、困っていました」
「イオナを召喚?どういうことですの?」
可愛らしく首を傾げ、微笑むレイの問いに、イオナが小さく肩をすくめて、申し訳なさそうに答える。
「レイ様もご存知のとおり、私は悪魔ダンタリオン様の眷属なのですが、ダンタリオン様が私を召喚しても、荷物までは運べなかったのです——」
「たぶん、召喚と同時では運べないですわ」
レイの言葉に、アンナとイオナは驚いた表情を見せる。
「レイも精霊が贈り物をあげたいと言うので、贈り物を持った精霊を召喚しましたけれど、召喚された精霊は何も持っていませんでしたの」
レイの概念者の召喚術は、ますます極められている——
伊耶那美の召喚も初めはその姿を虚空に映し出すだけだったが、今では伊耶那美を召喚できるようになった。
神と呼ばれる存在すら、召喚してしまうその非常識な術は、普段隠れて精霊と戯れることで鍛え上げられたようだ。
妙に納得するアンナとイオナに、レイは話を続ける。
「ラウムのように、一度召喚されたものが、運ぶのは可能ですわ。後は、あの兄様のように膨大な魔力を持っているか——どちらも無理ですわ」
「なので、レイがその荷物を持って伊耶那美の世界に行ってきますわ」
落ち込む二人に、明るい声が届いた。イオナはぱっと明るく表情を変え、レイに同意する。
「なるほど、一度概念世界に持ち込めば後はどうにかなる可能性が高いですね」
「でもどうやって、行くんですか?」
未だ、不安を抱えるアンナに、レイが答える。
「ミスティが行けますの、レイも行けますわ——存在として、レイとミスティは同じですの」
「でも、荷物を運べますかね?」
「運べますわ。先日ミスティはこっそりお酒を持っていきましたの」
レイの観察力には頭が下がる。彼女は軽い足取りで、一度部屋に戻ると、一冊のノートを首にかけて戻ってきた。
「レイ様、それは?」
「兄様の黒歴史、『幻影虚像録』ですわ!悪魔に会うかもしれませんの、お守りですわ」
いつの間にか専用のケースまで作り、首から下げた一冊のノートは、お守りというより、ポシェットのような見た目になっていた。
「おいでまし、伊耶那美ちゃん!」
レイの声に呼応して、白く輝く美しい霧がレイの周りに立ち込める。
その霧がひとかたまりとなった次の瞬間、霧散するように晴れた霧の中には、伊耶那美が佇んでいた。
「これは、第二妻殿。いかがお過ごしであったか?」
「元気ですわ。それより、レイを伊耶那美の世界に連れて行ってくださいまし!」
「構わぬが——さて、いかなる御用向きにて参られるか?」
「この、荷物をラウムに届けたいですの」
「されば、今宵はゾーヤ殿の参られる折。共に赴かれては如何か」
レイは、伊耶那美の手招きに応じて、キャリーケースを引きずり、彼女に近づく。
伊耶那美に抱き寄せられたレイと共に、輝く霧のように身体が虚空へと消えていく。その最中、二人の会話が部屋に残る。
「第二妻殿は、現世に生きる相葉耀と、悪魔と謳われし相葉耀、いずれに心を寄せられておるか?」
「悪魔の方ですわ」
「さらば、用を済ませたのちに会われるがよかろう」
アンナとイオナは目を見開く。
「ちょっと!私も連れて行ってください!」
アンナの声も虚しく、二人は虚空へと消え去った——
「レイ様、可能性があることを分かって、自ら行くとおっしゃったのですね——」
青白く輝く空間がどこまでも続く世界——伊耶那美が治める黄泉の国は、無という表現が相応しい世界を保っていた。
「相変わらず何もありませんわ」
レイの声に、答える声が響く。
「レイ殿、久しぶりじゃ」
「ミスティ!ずっとここにいましたの」
「そうじゃ、ここで伊耶那美殿や、黄泉醜女殿たちと語らって過ごしておっての」
レイは肩をすくめ、ため息をつき、呆れた表情で、ミスティに問いかける。
「楽しいですの?」
「ふむ。時を忘れるのじゃ」
「それなら、いいですわ——」
レイは辺りを見回す……
「前から思っていましたが、死者の国と言う割に、何もいませんわ」
ミスティがうなずき、答える。
「妾も気になっての、伊耶那美殿に問うたのじゃ」
「それで、何か分かりましたの?」
「ふむ。この地面があるじゃろ?この裏に死者が漂う世界があるそうでの。言わば、こちら側は神の領域じゃな」
「ここでは、何も変わらず、何も朽ちず……ただ在るだけですの?」
レイが首を傾げ、ミスティに問いかける。
「でも、それでは、際限なく死者が増えますわ」
「然様じゃな。現世の浮世を望めば新たな生として降り、浮世を恨めば消滅する——全ては自由で良いそうじゃ」
「意外ですわ——」
ただ静かに佇むだけの時間——ミスティは何も話さず、ただ虚空を見つめ、時折ため息をついたりしている。
レイもミスティを真似て、じっと虚空を見つめてみた——何も面白くなく、次第にその空間がゆりかごのように感じられ、夢の世界へと誘われる……
「おこしであります」
伊耶那美の声で、開いたレイの目にゾーヤが映った。
「——来た」
「ゾーヤ、久しぶりですわ!」
そんなレイをゾーヤはじっと見つめる。
少し首を傾げ、考える素振りを見せたゾーヤが、レイに近づく。
「うん。久しぶり」
「疲れているかもしれませんが、早速、レイをラウムのところに連れて行ってくださいまし」
「うん。捕まって」
レイが、ゾーヤの肩に触れた瞬間、まるで絵本のページを捲ったかのように、一瞬で景色が変わった。
そして、目の前には、大きな屋敷が建っている。
「……ここは、どこですの?」
「私の家。今日は遅い、ラウムのところは明日」
歩き出すゾーヤについて、レイも屋敷へと向かう。
彼女に続いて屋敷に入ると、かける足音が近づいてくる。
「ゾーヤさん!殿様の様子はどうだった?」
「ゾーヤさん!殿様は私を恋しがっていたでしょ!」
「ん、大丈夫」
答えになっていないゾーヤの返事に、納得したように目を輝かせる二人の少女——少女なのだろうか?
ひとりはケンタウロスのように、馬に女性の上半身がついている。ケンタウリスというものだろうか?
もうひとりは、牛のような耳に、牛のような尻尾がついていて、牛のような大きな胸が目を引く。
あっけに取られているレイを、二人が首を傾げて見つめる。
「ゾーヤさん。そちらの方は?」
「耀の奥さん、二番目」
「ふぇーー!何もおもてなしできませんよ。ゾーヤさん先に教えておいてくださいよー!」
慌ててキッチンへと向かう牛少女を尻目に、もうひとりは不思議そうに首を傾げる。
「奥さん……なのか?幼いように見えるが……」
「そうですわ。レイはレイですの。で、あなたは?」
ふいに向けられた可愛い笑顔に、頭を掻きながら答える。
「悪い……私はヴァレリア。馬の獣人だ。で、さっき走っていったのがカリサ。牛の獣人だ」
「そうでしたの。で、兄様とはどのような関係ですの?」
「兄様?」
首を傾げるヴァレリアに、ゾーヤが答える。
「耀のこと」
「殿様のことか!ここで立ち話もなんだから、中にどうぞ!」
「では、お邪魔しますわ」
リビング兼食堂に通されたレイは、大きなテーブルに目を見張った。
「こんなに大きなテーブル、何に使いますの?」
カリサが用意したお茶とケーキを、椅子に腰掛けたレイの前に、丁寧に並べながら答える。
「子供たちが十人いますから、みんなで揃って食事ができるようにしたんです」
「十人もいますの?孤児ですの?」
驚いて聞き返すレイに、ゾーヤが答える。
「うん、親は殺された」
「そうでしたの——気を悪くしないでくださいまし」
少し、トーンの落ちたレイの声を聞き、ヴァレリアが明るく話し始める。
「ゾーヤさんが母親代わりなんだ。私が子供たちに勉強を教えて、カリサが食事を用意する」
「毎日、楽しいですよ」
笑顔のカリサに、レイが笑顔を返す。
「カリサは凄いですわ」
「ありがとうございます。あ、あの……私も殿様のお嫁さんになれますかね?」
「なれますわ」
遠慮がちに聞いたカリサに、レイは即答した。
「じゃ、じゃあ私はなれるか?」
「なれますわ」
ヴァレリアの問いにも、レイは即答して、話しを続けた。
「兄様は、拒みませんの。あなたたちが心から望めば、受け入れてくださいますわ」
「ゾーヤさんが前に言ったとおりだな……」
「——そうですね」
「うん」
ゾーヤは嬉しそうに胸を張る。
「それで、あなたたちと兄様の関係を教えてくださいまし」
レイの声に、カリサが少しうつむき、頬を赤らめ、指先でもじもじとスカートの裾を触った。
「あ、あの……私は殿様に……その——裸で胸を吸われました……」
ヴァレリアも視線を逸らしうつむき加減で、恥ずかしそうに口を開く。
「私は——背に乗った殿様に……胸を鷲掴みにされて、草原を走った——」
レイはテーブルに肘をつき、頭を抱える——
「——あの兄様はいったい、この世界で何をしていましたの……」
——翌朝、レイはゾーヤとヴァレリアに連れられて、ラウムの屋敷へと向かう。
道中の町並みは、まさしく中世のヨーロッパのような趣があり、レイは懐かしむように目を細めた。
飛び交う人の声や、馬車の車輪が石畳を叩く音、全てが心を満たしてくれる。そんな気分で街を歩く。
「——着いた」
ゾーヤの声に顔を上げると、大きな屋敷の前に立っていた。周囲の喧騒に気を引かれ、レイは全く気付いていなかった。
「大きいですわ」
「それはそうだろう、領主様のお屋敷だからな」
ヴァレリアの言葉に、レイは感心したようにうなずき、門に足を進める。——が、すぐに止められた。
「何者だ!」
「下等なサキュバスが入っていい場所じゃない」
立ちふさがる門番に、レイは冷たい目を向ける。
「レイは、ラウムに用があって来ましたの、通してくださいまし」
「貴様、領主様の名を呼び捨てるとは!」
「捕らえろ!」
凄む門番を睨みつけるレイ。それをじっと見つめるゾーヤ、慌てた表情のヴァレリア——
——そのとき、穏やかでありながら、威厳を孕んだ声が割って入った。
「待て!」
声の主を見ると、燕尾服に身を包んだ初老の男性が立っていた。
「執事長殿!」
レイはその男に目を見開いた——背丈も体格もその顔も、全てがラウムに瓜二つだった。
執事長はレイの前に歩み出ると、丁寧に腰を折る。
「ようこそ、お越しくださいました」
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。
出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。
 




