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策士

「それは、本当なのですか?」

「紛れもない事実じゃ」


ダンタリオンにより、地獄へと召喚されたイオナは、ラウムの召喚が解かれたことを聞かされ、動揺していた。


「契約をも破棄したと……ありえません」


ラウムは耀の命を守り、耀はラウムに命を捧げる――その契約を反故(ほご)にする理由はどこにもない。

耀はラウムに守られ、生きてゆける。悪魔とはいえ、それがもたらす恩恵は大きい。

寿命が尽きる寸前に、悪魔に命を刈られるだけで、耀の前に立ちはだかる全ての障害は、容赦なく取り除かれる。


「信じられんような顔をしとるな」

「はい、召喚を解くだけでも良かったはずですが」


震える声で答えるイオナに、ダンタリオンは微笑む。


「ラウムのやつが、御館様(おやかたさま)への興味をなくしたんじゃ」

「――興味をなくした?」

(しか)り、この機会を待っておったのじゃろう」

「——では?」

「ラウムの術中に落ち、愚かな男と成り下がったんじゃ」


そう言い放ったダンタリオンは、不敵な笑顔を浮かべる。

突然、ゆっくりと扉が開き、足音が部屋に入ってくる。


「ダンタリオン、その言い方は語弊がある。契約の反故を望んだのは、あの者であるゆえ」

「――ラウム様」


ラウムはソファに腰をおろすと、足を組みイオナに視線だけを向ける。


「イオナであるか。ちょうどよい、後で頼みがある」

「はい——それより、本当に、耀様ご自身の意思なのですか?」

然様(さよう)である。あの者には拒む時間もあったゆえ」

「なぜ?」

「それは分からぬのであるな」


イオナの心には思い当たることがあった。アンナの急変により、耀と共に時間を過ごすことが多くなった人物――

真由美と過ごす時間が多くなるにつれ、何かが狂いはじめ、変わっていった——


「アンナ様とレイ様は?」

「あの二人は既に護衛とならぬであろう」

「確かに……互いを求めあっています」


イオナは息を呑み、目を見開いてラウムを見た。


「まさか――先にあの二人を?」


ラウムはイオナから視線を()らすと、足を組み替えた。


「イオナよ。まだ気づかぬのか?」


ダンタリオンがイオナに呆れたような表情を見せ、話を続ける。


「ラウムは御館様に宿る、魔力の本質を探っておったんじゃ。御館様との契約など何でも良かったはずじゃ」

「賢しい爺は嫌われるのである」


ラウムの低い声に、ダンタリオンは鼻で笑い、その姿を視界から逸らす。


「まあ、其方(そなた)が御館様の死を幾度となく防いだのも事実ではあるが……」

「しかし、悪魔との契約を破棄するとなると、相応(そうおう)の代償が必要ではないのですか?」

「然り、契約を反故にするなど、我らにとってあってはならぬ――が、ラウムはそれを逆手にとったんじゃ」


イオナの胸の内で、怒涛(どとう)のように問いが渦巻く。なぜ、耀様は自ら手放したのか。

何を差し出し、その代償としたのか。そして――ラウムは、なぜ平然としていられるのか。


「な、何を要求したのですか?」


再び震えるイオナの声が、ラウムに向けられた。

ラウムは身体(からだ)を起こすと、テーブルからティーカップを手に取る。


「うむ。あの者の心の深淵(しんえん)に潜む男を貰い受ける」


そう言って、ティーカップに口を付けた。


「あの方をこの世界に連れてくるのですか?」


イオナの手が小さく震えていることに、自身でも気づかなかった。


「それは分からぬのであるな――あの者が死すれば、心の深淵より解き放たれる。それを奪うつもりであるが……」

「――その時にならなければ、分からんのじゃ」

「では、それまで契約を維持しておくのが善策では?」

「それは否であるな。長く生きてもらっては困るゆえ」


イオナは、その言葉に愕然とする。何度も命を救った人間を、こうもあっさりと――切り捨てるのか。

うつむきながら、何かを探るように視線を彷徨(さまよ)わせるイオナに、ダンタリオンが話しかける。


「イオナよ。御館様の死する運命は断ち切れぬ――」

「——然様、あの者は寿命を全うできぬ運命にある。一度死して(よみがえ)れば別であろうが」

「そんな――それでは死が近いと言っているようなものです……」

「それは是であるな」


イオナは失念していた。相手は上位の悪魔。全ては悪魔の手のひらで踊らされていた――

魔力の本質を持つ、もうひとりの耀の存在を知り、それを手に入れる方法を探っていた――

一体何のために……だが、イオナにとってそれは既に知りたいことではなくなった。

ここに呼ばれた理由――それは、選ぶ自由を与えられたということ……

――心の奥底に眠る、まるで輝きのない瞳を持ったもう一人の耀。

その心に焦れる人物が、あの身体から開放され、顕現する日が近い——


「ダンタリオン様。お願いがあります!」


声を張り上げたイオナに、ダンタリオンは笑いながら答える。


「みなまで言うな、イオナ。ラウムがこの世界に連れてきたのち、其方の全てを受け入れることができれば――」

「私はあの方の眷属(けんぞく)になれると――」

「然り。ワシの眷属としての役割は終わりじゃな。但し、受け入れられねば、其方は死するがの」

「――それは覚悟の上です」


嬉しそうに輝かせるその瞳には、既に迷いを捨てた光を宿していた。

さっきまで震えていた手を強く握りしめるイオナに、ラウムが呆れた表情を見せる。


「いずれにせよ――あの男は既に『悪魔』と呼ばれる存在であるゆえ。この世界にいるのが良いであろう」


その声を聞き、浮かれた気持ちを強引に沈め、イオナはラウムに向き直る。


「それで、ラウム様――私に頼みとは?」

「ルシファーに頼まれた服を、届けて欲しいのである」


服――イオナには思い当たる服があった——


「もしかして、アンナ様と真由美が作っている、ロリータ系の?」

「然様である。(それがし)が運ぶ予定であったが、召喚を解いたゆえ運ぶことができぬ」

「それなら、もうひと月もかからず完成すると思います」


イオナの言葉を聞き、ラウムは深くうなずいた。

それを見て、ダンタリオンがイオナに声をかける。


「完成したら、伝えよ。ワシがイオナを召喚するよって」

「では、完成いたしましたら、ダンタリオン様にお伝えします」

「うむ。(しか)と頼む」


イオナは笑顔で、ラウムに答える。


「はい。私の分もお願いしてありまして……ふふっ、楽しみにしてるんです」

「ほう、じゃがイオナ――その服はこの世界で着てはならぬぞ」


ダンタリオンの忠告に、イオナは首を傾げる。


「どうしてですか?」

「ルシファーが申すに、あの服は『魔王専用』なんじゃと」


大きなものを作っていたが、まさかルシファーが着るとは――

ダンタリオンが苦笑いを浮かべ、ラウムは静かに目を伏せた。

二人の様子から、これ以上話してはならないと、イオナは悟った。


——しばらく前、ダンタリオン様に呼び出された私は、これまで計画していたことを、一気に進めることにしました。

私は心を決めました。あの方に全てを捧げることを——そのために、些細なことに時間を取られるわけにはいきません。

そして今、斜陽の最中にある、会社の社長と握手を交わしています。

世間からバッシングを受け、金融機関との取引が停止される寸前になり、ようやく妥結しました。

この会社『グラインドテックソリューション』を、ただ同然で手に入れたのです——


「あなたの英断に感謝いたします」

「いえ、もはや手元に残された駒が、打てる形ではなかったのです――もう少し早く決断していれば、高く買ってもらえたんでしょうが……」


苦笑いを浮かべる相手は、一端の(ほころ)びから瞬く間に崩壊していく会社を、手をこまねいて見ているしかなかったはずです。


「その代わり、あなたには会社に残っていただき、十分な報酬を支払いますので」

「そうですか――社員は――」


ここに及んでも社員を心配するあたり、この国らしいと言えばらしいのでしょうか。


「ご心配なく、不正に関与した者以外は残っていただきます」

「そう言っていただけて、安心いたしました。あなたが社長になられるので?」

「いえ、私は関与しません。代わりに三名が役員に就き、立て直しを図ります」

「そうでしたか――どのような形でも、会社が残るのであれば、私はそれで十分です」


一代で築き上げた会社に、相当な愛着を持っているようですが、急激な成長に対応するため作った、稚拙な組織と、それを任せる人間を間違えたのが、彼の運命の分岐点だったのでしょう。

全ては私の思惑通り――残された問題は、耀様をどう説得するかだけです——


「あなた、おはよう」


包まれるような優しい声に、ゆっくりと目を開く。静かだった時間が、外で鳴く鳥の声と共に動き始める。

次第にはっきりとしてきた視界には、いつものメイド服に着替え、僕を覗き込む真由美が映った。


「おはよう」

「そろそろ着替えましょう」

「……もう、そんな時間か」


真由美に手伝ってもらい、身支度を整え顔を洗いに向かう。

リビングに差しかかったとき、視線の先にソファで本を読むイオナが目に入った。

手に本を持ってはいるが、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、その静かな(たたず)まいは、何かを待っているように見えた。

嫌な予感しかしない……


顔を洗いリビングに戻ると、イオナは本を閉じ、すっと立ち上がる。


「耀様、おはようございます」

「おはよう――で、今日は何の話だ?」

「さすがは耀様です――私の心までお見通しなんですね」


刹那(せつな)、真由美の鋭い視線が僕に向けられる。


「イオナ……本題を話してくれないか?」

「これは、失礼しました。昨晩も励んでいましたね?真由美――」


真由美に話したように言っているが、それは僕に向けられた言葉だろう。


「実は耀様にお願いがございます」


はじめからそう話してくれればいいのに、なぜひとつ無駄な話を挟むのだろうか?

イオナが、こんな回りくどいことをする時ほど、内容は重大なのだから、既に何かの儀式のようにしか思わない。


「来月から、グラインドテックソリューション社の取締役となっていただきます」


その言い方は、既にお願いじゃないだろう——


「断る」


僕の声を無視したイオナは、真由美に顔を向ける。


「真由美、あなたもです」


キッチンで料理を作っていた真由美が顔を上げる。


「はい?」

「耀様お一人にするのは――不安ですものね、真由美」


真由美は少し考えるような素振りのあと、目を見開いた。


「ええーー!」


ようやく、イオナの言葉を理解したようだ――

僕はソファに腰をおろす。


「何で僕と真由美なんだ?だいたい僕はあの会社のおかげで、大損するし、警察には呼ばれるし、家には押しかけられるし、悪い印象しかないんだ」


いつの間にか隣に座っていたイオナに目を向ける。僕の話を聞くその微笑みの向こうには、怒りの形相でこちらを睨む真由美と、その肩に手を添えて宥めようとするアンナの姿が映り込んでいた。


「それに、真由美はあの会社で働いているときに、休みなく働かされ、精神的に追い込まれていただろう?そこに真由美を選択するのは、おかしいんじゃないか?」

「まず、前提として、あの会社は既に耀様のものです」

「何を言っているんだ?」

「私が耀様にお願いした仕事の報酬から、一部を引いていたのはご存知ですよね?」

「ああ、知っている。でもあれは、税金か何かだろう?」

「いいえ、あれは私からの仕事の依頼が終了した後に、耀様が困らないように残していたものです。それが尽きるまでに、次のお仕事を探してもらえるように、と考えておりました」

「そうだったのか――その口ぶりだと……」

「はい、耀様もご存知のとおり、既に耀様の構築したものは十分な完成度で、あとはスポット的に依頼する仕事しか残っていません」


イオナは申し訳なさそうな素振りを見せているが、仕事の件については、感謝しかない。

露頭に迷う寸前で、イオナに手を差し伸べてもらえた。だからこそ、僕の今がある。


「そうだよな――イオナには本当に良くしてもらった。感謝している。で、なぜあの会社が僕のものなんだ?」

「その引いていた報酬の一部で、あの会社の株式を全て取得しました。もちろん耀様の名義で」


そういう意味だったのか――

イオナが忙しくしていたのと、『楽しいことになる』と、含ませ気味に言ってたのは、このことだったんだな。

関心と呆れが入り交じるなか、真由美の声が聞こえてくる。


「あの会社って、まだ残っていたんですね。あれから、全然話を聞かなかったので、もう潰れたのかと思っていました」

「確かに真由美の言うとおりだ、今のあの会社を手に入れても、責任しか残らないんじゃないのか?」


反射勢力との密接な関係、強制労働と給与の搾取。極めつけは、喜多原(きたはら)が何者かに殺された事件だ。

その後、専務の大河内(おおこうち)と喜多原が長年にわたって行っていた数々の不正が明るみに出た。

挙句、大河内の愛人にまで会社から給料が支払われていた――

ゴシップ誌が飛びつき、センセーショナルに書きたてたから、あの会社が未だに残っているのが不思議なくらいだ。

イオナは静かにうなずき、僕を見つめる。その眼差しは、さっきまでと違い、真剣なものに変わっていた。


「はい、それは否めません。ですが、あの会社は借入金がない上に、社員寮として多くの不動産を自己所有しています」

「それが目当てだったのか?」

「いいえ、それは保険です。所有しておけば活用法はいくらでもあります」

「それに加え、離れてしまった取引先の多くは、社長自ら足を運び、一から関係を築いた、大手や優良企業です」


確かに、あの会社の発展は大手企業との取引があるからだと聞いたことがある。

だが、社会的なイメージが重要なそれらの企業は、あれだけ面白おかしく報道され、警察の家宅捜索も受けた企業を切り捨てるのが当然だろう。


「それは殆ど失われただろう。今からでは厳しいんじゃないか?僕に営業は無理だからな――」

「その社長には、取締役として残ってもらいます」

「大丈夫なのか?いろいろと――」


僕のふんわりとした問いに、イオナはおかしそうに笑う。


「あの方は経営者ではなく、根っからの営業畑なんです。それが、社内の放置につながり、あの結果を招いた」

「ある意味、被害者ではあるんだな――」


僕が呟いた言葉に、真由美が反応する。


「社長は優しくて、いい人ですよ。ほとんど会社にいないので、数えるほどしかお話したことがありませんけど」

「会社のイメージは失墜しましたが、あの方個人への信頼は、まだ残っているはずです」

「初心に戻るか――」

「はい、足を運び頭を下げれば、戻ってくる企業もあります」


経営陣を刷新し、堕ちた企業イメージを一から作り直し、今の社長が築き上げた取引先を取り戻す。

それでもダメなら、所有不動産を処分して、出したお金を取り返す――

ここまで考えてあるんだ、イオナの中では、既に全てのストーリーが出来上がっているのだろう。

ここで、新たな疑問が頭に浮かんだ。


「社長はイオナがなるのか?」

「いいえ、最終的には耀様の判断ですが、私は石井(いしい)を推薦します」


石井さん?イオナのボディガードを務めている、あの石井さん?


「驚いた顔をしていますね」

「ああ、正直驚いた」

「石井はボディガードですが、その目的は私のそばで働き、学ぶためだったのです」

「そうだったのか――」

「石井は経歴的にも今回の件に適任です」

「元、警察官だもんな」

「警察でも、組織犯罪対策を専門にしていました。今回のような内部腐敗の処理には、これ以上ない人物です」

「僕は表に立つことはないと、考えていいんだな?」

「はい、耀様には得意な部門に特化して、ご活躍いただきます」


僕は腕を組み、しばらく考えるふりをする。

既に心は決まっているが、即答するとイオナの手に落ちそうな気がする。


「だいたいのことは、理解できた」

「では、耀様――」

「断る!」


「あぁん……めまいが……」


直後、わざとらしい声と共に、イオナが僕に抱きついてきた。力強く抱きしめ、頬を擦り寄せてくる。

耳を優しく撫でる吐息が、心地よさすら与えてくれる――

違う、僕の視線の先、キッチンでは鬼のような形相になった真由美が、包丁を手にこっちを睨んでいる。

アンナと、さっき入ってきたレイが、何かを言い聞かせているようだが、これは非常に不味い状況だ――

焦る僕の耳元で、イオナが(ささや)く。


「安定した収入があれば、安心して毎晩、真由美と励めると思いますが――」


確かに、イオナの言うことには一理ある。だが、抱きついて言うことなのか?


「耀様、早く決断しないと、嫉妬深い真由美のことです――どうなるか分かりません」


断られたら、こうするつもりで、真由美がキッチンに必ずいる、この時間を選んだな——


「耀様、いいお返事を聞かせてください――なんでしたら、口づけも交わしましょうか……」


不味い、イオナも本気だ――少し離れ、僕の顔を正面にして、目を閉じた——


「――分かった……イオナの言うとおりにする」


僕の答えを聞いた瞬間、イオナの口元が、満足げに、しかしほんの少しだけ、冷たい笑みに(ゆが)んだ。

イオナの描いたストーリーに、僕は面白いほどきれいに乗せられていたようだ。

その後、真由美に「あなた、お話があります」とだけ言われ、僕は観念して部屋に連れて行かれた。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。


休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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