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カラス召喚

「——(それがし)を召喚したのは、其方(そなた)であるか?」


カラスが足元から、じっと僕を見上げている。


「——ほう、これは……」


黒く怪しく輝くその瞳は、僕の心の深淵(しんえん)を覗こうとしているようだ——


真っ白な封筒に入っていた、真っ黒な手紙。

それを手にした瞬間、あたりが眩しい光に包まれた。

思わず床に落としたその紙に描かれた、不思議な紋様(もんよう)から現れた、一羽のカラス。

そのカラスに、上から目線で話しかけられている。——僕の名前は、相葉(あいば) 耀(よう)

今年、三十一歳になるバツあり自称独身貴族。


「カラス?なんで?」

「某を召喚したのは、其方かと聞いておる」

「カラスが喋ったのか?」

「姿はカラスであるが、某は其方ら人間が悪魔と呼ぶ存在である」

「手紙の中からカラスの悪魔が出てきた?」

「其方、手紙と申したか……」


カラスは一瞬、沈黙した。黒く光る瞳が、じっと僕を見上げている。僕は何が起こったのか分からず、ただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす。

そんな僕に、自称『悪魔のカラス』は、なおも話しかけてくる。


「其方は自らの意思なく、某を召喚したとでも申すのか?」


良く考えてみると、床の上に立つカラスに、悪魔の威厳など全く感じない。そのくせに偉そうな口調——もはや滑稽(こっけい)でしかない。


「意思も何も、ただ手紙を開いただけだ」

「手紙などで、某が召喚されるわけがなかろう」

「カラスでなくても、手紙から出てくることは無いと思う。どんなタネか分からないけど帰ってくれないかな?」

「それはできぬ。召喚者の願いを聞かねば、某が顕現(けんげん)化した意味がなかろう」


理由は分からないが、カラスは終始、斜め上の理屈で話を進めてくる。

この無意味な問答を終わらせたくて、僕は少し声を張った。


「いや、僕は召喚しようなんて思っていなかった。だからさっきまで願いなんてなかったんだけど、今一番の願いは君に帰って欲しいことかな」


ここは紛れもなく僕の家。飯を食って寝るだけとはいえ、僕の家に間違いない。居心地がいいわけではないけど、順調とは言えない僕の日々に、酒を飲んで寝るくらいの癒しは与えてくれる。言わば最後の砦なのに、自称悪魔のカラスに居座られるなんて、どれだけついてない日なんだ——


「それはできぬと申したであろう。其方の意思なく召喚するなど、あり得ぬ話である」


カラスは僕に背を向け、小さな足音を響かせ、僕から少し距離をとると、ぴょんと跳ねて振り返った。


「まあ良い、其方が望みを言わぬなら、某が其方の望みを探るまでである」


その言葉と同時に、カラスは突然、翼を大きく広げた。

僕の周りで黒い霧が、音もなく渦を巻き始めた。渦巻く霧と一緒に、僕の意識が周りの空気に溶け込むような感覚に陥る。

疲れ果てて寝落ちする時に似た感覚だが、意識ははっきりとしている。

だが、身体(からだ)は動かない。なぜ、僕はあの霧を避けなかったんだ——


——


「何を言ってるんだ。頼んだ内容と全然違うじゃないか」


元同僚の伝手で、やっと仕事にありつけた取引先の応接室に立っていた。


「いえ、そんなことはありません。頂いた契約どおりの……」

「いつの話をしてるんだ?三日前に変更すると伝えただろう」


喜多原(きたはら)部長の、粘りつくような声が響くたび、空気はじっとりと重くなっていく。


「その日には、もうほとんど完成していました。ですから、変更はお断りしたはずです」

「断るだ?お前に断れるわけないだろう。変更しなければ、使い道のないシステムになるだけだ。そんなことも理解できんのか?」


この、喜多原 (たもつ)という、背が低く小太りで、ハゲ散らかした頭の中年は、この会社で調達を牛耳(ぎゅうじ)っている。

元同僚が僕の腕を高く売り込み、システム構築プロジェクトの仕事にねじ込んでくれたのだ。


「そうは申されましても——では、どうすれば……」

「とりあえず、その出来損ないを引き渡してもらおう。あとは他の会社に頼む。その後に、お前の貢献度を私が評価して、それに応じた額を支払うことにする」

「しかし……」

「つべこべ言わずに言われたとおりにしろ!いいや、言われたとおりにするしか、お前にはできないはずだが」

「では、変更に応じます……」

「納期は明日までだ。違約金を払う覚悟があるのならあと三日待とう」

「違約金?」

「そうだ。契約書に書いてあるだろう?契約どおりの仕事と言うなら、その辺もちゃんと理解しての発言だろ?」

「お前に温情をかけて、出来損ないにいくらか払ってやろうと言ってるんだ」


恩着せがましく、撫でるように言ったその言葉は、信用に値しない。口元には(こら)えきれなかったであろう、不敵な笑みが(こぼ)れている。


「分かりました」

「分かったならさっさと引き渡す準備をしろ。明日中に引き渡さなければ、容赦はせんぞ」


僕は思わず、微笑んでしまった——そして、一言呟く。


「——そうですか」


溢れ始めた、目の前の男に(いだ)く気持ちが、スッと消えていくのを感じた……


「何を笑ってるんだ!気持ち悪い!分かったならさっさと帰って言われたとおりに進めろ!」

「——失礼します」

「なんなんだ、お前は……」

「ああ、それと請求書は見積もりどおりの額で出してくれよ」


部屋を出る僕の背中にかけられたその言葉に、僕は振り返ることなく、微笑んで応じる。


「——分かりました」


とりあえず逃げ出せた。

僕は嫌なことや、逃げたい気持ちが湧き上がると、つい微笑みを浮かべてしまう。いや、無意識に微笑んでしまう。と言った方が正しい。これで多くの人に不快感を与えてきたことは自覚している。そしてこれは——幼い頃からずっと僕を支配している——


「ダメだったか……」

「もう少しコミュニケーションを取っていれば、こんなことにはならなかったのかな……」


嫌なことは忘れようと、完成とは言い難い成果物を送りつけて、帰路についた僕は、暗くなった空を見上げて呟いた。


「あいつの伝手(つて)でありついた仕事も、このざまだもんな……」


暗い空に吸い込まれそうな感覚に(とら)われる。


「——死ねるな」


僕の周りの空気が一瞬、重く(よど)んだような気がした。

同時に僕は流されるような感覚に陥る——


——


生まれつきなのか、育った環境のせいなのか、僕は人付き合いが苦手だ。

大学を卒業して、何とか就職できた会社でも、同僚、上司、取引先とも馴染めず、大した実績もないのに無駄に高い給料を、申し訳なくもらっている。


「ダメか……」

「なに落ち込んでんだよ」


デスクでうつむく僕に話しかけてくる男、会社で唯一、僕のことを気にかけてくれる、同期入社の袴田(はかまだ) 悠斗(ゆうと)だ。


「悠斗も協力してくれた業務システムの提案が、さっき正式に不採用になったよ……」


性格も明るく、爽やかイケメンの悠斗は、プログラマーとして一流とも言える才能を持っている。今回の企画も「採用されたらプログラムは任せろよ」なんて言ってくれていた——


「あれ?結構うまくいってるって言ってたよな?」

「ああ……そのはずだったけど、クライアントから断られたって——」

「でもよ。あれはクライアントと何度も打合せを重ねて、何度も修正してたし、採用は間違いなかっただろ。俺もいい企画だったと思うぜ」

「そうなんだよな……僕も自信を持ってた企画だった」


悠斗はしばらく黙って僕を見つめていたが、ふいに表情を引き締め、顔を少し近づけて小声で言った。


「不採用は誰から伝えられた?」

「部長だよ」


間近で見るその横顔は、イケメン過ぎて男の僕でさえ惚れてしまいそうだ。


「あの野郎……一言文句を言ってやるぜ!」


そう言って悠斗は部屋を出て行く。


「——いい奴だよな」


僕のために声を荒げてくれる人なんて、今までいただろうか。

それとも——僕は、微笑みを浮かべて悠斗を見送った。

悠斗が部屋のドアを閉めると同時に、僕は再び流されるような感覚に陥る。

それは一瞬、時間を遡るように流れる……抵抗することはできないだろう——抵抗する気も起こらない。


——


うだつの上がらない僕にも、好意を持ってくれる異性が現れた。

彼女の想いに流されるがままに結婚し、つらい事があっても、家に帰れば癒される幸せができた。


「お帰りなさい」

「ただいま。知紗(ちさ)

「ねえ、耀たん——一緒にお風呂入りましょうよ……」


知紗からのお風呂への誘いは、その後のベッドへの誘いでもある。


「ああ。ご飯を食べたら一緒に入ろう」

「嬉しい……」


そんな生活を送りながら、何度かの季節が渡り、半年が過ぎた頃、僕は知紗の言動に何か違和感を覚えるようになった。

ほんの些細なことであるが……いや、この違和感は知紗と付き合い始めた頃から、あったような気もする。


「ただいま」

「お帰り。今日は一緒にお風呂に入りましょう」

「いや、今日はシャワーだけで済ませたいんだ」

「それはダメよ。もう準備できてるんだから、一緒に入らなきゃダメ」


知紗は優しい笑顔を向けているが、その声は一瞬硬くなり、瞳から輝きは消えた。

一瞬の僅かなその変化で、僕の拒否が許されないことを理解させられ、微笑みを浮かべて答える。


「分かったよ。知紗一緒に入ろう」


知紗は新婚当初から一緒にお風呂に入ると、僕の身体を洗ってくれる。


「耀たんならもっとできると思うの」

「それは、高く買い過ぎだよ」

「ううん。絶対にもっと評価されるべきだと思うの」


近頃はこんな話が増えてきたような気がする。違和感の原因はこれだろうか——


「知紗が僕を贔屓目(ひいきめ)で見ているからだと思うよ。現に会社ではそんなに評価されてないし」

「違うの、耀たん。もっと自由にできる道があるんじゃないかな、って思って……独立しちゃうとかさ」

「独立?」


知紗は僕の分身を優しく手で包み洗う。


「そうよ——ここだけじゃなくて、耀たんも立つときだと思うわ」


夫婦同士の親密な表現に過ぎないが、知紗の甘く優しく(ささや)かれるようなその声とは裏腹に、僕を見つめるその瞳の奥からは、得体の知れない威圧的なものを感じる。

知紗は、会社で実績を残せず、苦しんでいる僕のために真剣に考えて逃げ道を作ってくれた。違和感を振り払うように僕はそう信じるが、無意識のうちに、知紗に微笑みを返して同意した。


「分かったよ。知紗も手伝ってくれるかい?」

「もちろんよ。私は勤めていた頃、経理をやってたんだから任せて」


お風呂から出た僕は、知紗に手を引かれ寝室へ向かう。


「お仕事、一緒に頑張るから、今夜は耀たんが頑張ってね」


二ヶ月後、僕は知紗に催促されるように、会社を辞めて、フリーランスのエンジニアとして独立した。


「耀たん、通帳預かるわね」

「あぁ、無理はしないでくれよ?」

「大丈夫よ。それにこまめな記帳が利益を生むものなのよ」

「そうなのか、知紗はやっぱり詳しいな」

「うふふ……私に任せて!」


胸を張る知紗の頼もしさ——それを信頼し、全てを預けた。


元職場の伝手を使いつつ始めた営業活動が、思わぬ成果を生み、順調なスタートを切ることができた。


「耀たん。すごいわよ。今までの収入が嘘みたい」


僕の身体を洗いながら、知紗が喜んでいる。


「知紗がこまめに管理してくれてるからだよ」

「嬉しいわ。ついに耀たんの時代が来たって感じね!」


しかし、一年が過ぎる頃には、人付き合いの苦手なところが目立つようになったのか、勢いは頭打ちになってきた。


「売上げが下がってきたわね。最初が順調過ぎただけかしら?」

「ごめんな。僕はどうも人付き合いが苦手で、人を突き放してしまうような事をしてしまってるのかもしれないんだ」

「そんな部分もあるのかもしれないわね」


僕の身体を洗う知紗は、話を続けた。


「ねえ耀たん、耀たんの苦手な部分を、丸投げしちゃうってのはどうかしら?」

「苦手な部分を?そんな事できる?」

「もちろんよ。そのためには資金が必要だし、銀行から融資を受けない?」

「そんなにお金がかかるの?」

「手持ちの資金もあるけど、ちょっと不安だから……やっぱり借りた方が安心できるかもしれない」


知紗はいつも僕のことを見て、僕の欠点を補う方法を考えてくれていたのだろう。僕はそんな知紗に報いたい。それに、知紗のことだから、返済の計画も考えたうえで、今話してくれているのだと思う。


「任せていいかい?」


僕の身体を流し終えた知紗は、僕の背中から抱きついてくる。柔らかくも張りがあるものが、自然に僕の背中に押しつけられる。


「嬉しいわ。耀たんが私を頼りにしてくれて。一年目の売り上げがすごかったから、十分な融資を受けられるわよ」


翌週、僕は知紗に言われるがまま、融資関係の書類を記入した。


「——これで全部?」

「うん。あとは私が銀行に持っていくだけ」


書き終えた書類の束は、思ったよりも薄かった。


「あとは任せておいてね」

「頼んだよ」

「——やっとね……」

「——何が?」


知紗の独り言が気になった僕に、知紗は優しくキスをしてくれた。


「愛してるわ。耀たん」


一月(ひとつき)後、知紗は僕の前から姿を消した。融資を受けた分を含めて、全ての現金が引き出され無くなっていた。


「——どうして」


答えなど出るはずがない疑問をただ繰り返す、そんな無駄でしかない時間を過ごしているうちに、僕は一つの結論を導き出す。


「最後はひとりになる……」


微笑みを浮かべた僕は、そう呟いた。


三日後、代理人を名乗る弁護士から、『持ち出した現金は慰謝料とする——なお、これをもって今後一切の金銭的請求・接触を禁じるものとする』

そんなことが書かれた手紙と、離婚届が届いた。手紙の終わりには、彼女の名前すらなかった。到底納得できなかったが、僕は早くひとりになるためだけに、知紗からの要求を全てのみ、離婚に応じた。


それが僕のあるべき姿だから——


知紗が去った家には、微笑んだ僕が望んだとおり、ひとりだけが残った。

彼女の香りがまだ(かす)かに残る寝室に座る——

この家には、かつての幸せが染みついている——

しかし、同時にその幸せが幻想に過ぎなかったことも、痛感させられる——

いや、本当はもっと早くに気づいていた。

ぼんやりと思いに(ふけ)る僕の心には、憎しみや怒りはなく、後悔と安堵が混ざり合っている。そして、微笑んだ僕からは、その感情すら消えていく——


僕はこの家に特別な思い入れはない。街から遠く、買い物も不便な場所で、周囲は自然がとても多い。知紗が気に入って購入しただけだ。リフォームはしたが、田舎造りは変わらない。

——不便以外は、いい環境に恵まれている……そう言い聞かせて、僕はこの家に暮らし続けることにした。

本当は——引っ越すための資金がないだけだ。

与えられた貧しさと、残されたつらい記憶をひとり抱きしめ、この広いだけの家に留まるしかない。

そんなことを考えていると、また流されるような感覚に襲われる。


——


ふいに、誰かに見られてるような気がして視線を向けると、例のカラスがいた。


「カラスは賢いって言うしな。お喋りができても不思議ではないか——」


じっと、カラスを見つめていると、斜め上からの口調を思い出す。


「でも、厨二(ちゅうに)病だよな……このカラス——」


普通であれば驚きのあまり、大声を出してもおかしくない状況。それなのに、不思議と冷静にカラスを観察している自分に、少し驚いてしまう。


「見事であるな。人の身でここまでの力を澱ませ、それでもなお崩れぬとは……驚嘆(きょうたん)に値する」


いつの間にかテーブルの上に移動した厨二カラスに、なぜか僕は褒められたらしいが、何のことやら、さっぱり分からない


「は?何を言ってるんだ?」

「其方ほどの力は久しく感じておらん。面白いものを見せてもらった礼に、その喜多原とやらの尊厳を、絶望するほどに(おとし)めてみせよう」

「それで、僕に何かいいことがあるとは思えないんだけど……」

「ならば元妻にでも……」

「……」


厨二カラスがじっと僕の方を見ている。

目をこっちに向けると、首を傾げるような仕草に見えて、ちょっと可愛らしく思えてきた——


「——望まぬのか?」


でも、この口調だ——前言撤回。


「いや、別にいいし、大体どちらも終わったことだし。帰ってくんないかな。てか、帰れよ」


厨二カラスは、僕の声が聞こえなかったかのように、わざとらしく目を()らす。


「まあ良い——いずれもいつかは果たすことゆえ、早いか遅いかの差であるな」

「いや、だから帰れよ」


厨二カラスは僕の言葉を無視して、テーブルの上に置きっぱなしにしていた、バーボンウイスキーの瓶に視線を向けた。

最近、僕が好んで飲む安い銘柄のものだ。


「ところで、これは酒であるか?」

「ああ」

「某に飲ませてくれぬか?」

休憩時間や移動時間に書いていますので、のんびり投稿を進めます。

出来上がっているあらすじから考えて、R15設定にしました。

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