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自分の姉は自分を大事にできないみたいです。

作者: 虹彩霊音



「に゛ゃー!!」


その叫びを合図に、わらわらと犬やら猫やらが外から城の中へ入ってきた。その様子は混沌としていて、まるで自分の命を脅かす凶悪なものから逃げているように見える。


「エニグマ様ー!!」


「助けてくださいー!!」


従者達が主の名を呼ぶ。彼らにだって戦う術はあるはずだけれど、彼らが群れても無意味なほどに相手は強いらしい。


「ホアァァァァァァァ!!!」


例の庭で招かれざる客が吼える。皆はこいつらを『はぐれ獣』や『はぐれ龍』………と呼んでいるらしい。折角美観のために植えた木や、しっかりと整えた地面を踏み荒らし抉る。火を吐いて城の壁を黒色に染める。ああ、なんて厄介なんだろう。



「私の楽土を汚すのは貴様か」



どこからか聞こえた低い声。威厳が感じられた。しばらくして水色の空に一つの黒い影が飛び出し、すっかり荒れた地面へ着地する。そこに居たのは少女だった。少女ははぐれ龍を睨みつけた、少女とは思えないその威圧感に彼の者は思わず尻込みをする。最初は誰も信じることはないだろう、この少女こそが皆が慕う主だなんて。


はぐれ龍はエニグマに向かって火球を吐いた。しかし、エニグマはその場所から微動だにしない。このままでは当たってしまう。


「そんなちんけな力を持ってここを襲ったのか? 笑わせるな」


そう言った直後、エニグマは火球をその手で弾き飛ばした。火球は空へと飛び、花火のように離散した。


「その命をもって後悔するが良い、私の楽土に足を踏み入れたことを」






「姉さん、大丈夫?」


ひょこり、とエニグマの背後にある扉が開き、そこから顔を覗かせた者。彼女の妹であるライトであった。姉を心配していた。しかし、エニグマはそんなものは無用だと言わんばかりの表情で


「私は最強だからな。それに、こんな奴に時間をかけるほど暇じゃない」


「うーん、それもそうだね」


エニグマの前には龍だった骸があった。頭は強い衝撃でばっくり割れ、脳髄が剥き出し赤く汚れた噴水がこの地に染み渡る。


「被害は?」


「ちょっと怪我した子が居るくらい。ファントムが手当してる」


「そうか。動ける者達にここらを直すように伝えろ」


「姉さんはどうするの」


「寝る」


そうとだけ伝えると、エニグマは高く跳んで自分の部屋の窓から城の中へと入っていった。





「いやー、エニグマ様って本当に強いよな!」


「エニグマ様が居ればここは安泰だ!」


「エニグマ様に勝てる者なんて居ないだろ!」


「あんまり動くな包帯巻けないだろ」


エニグマを安全な場所から見ていた従者達が格闘試合を見た後の観客のようなテンションでそう会話していた。溶岩に飲み込まれようとも不死鳥のように蘇るだとか、暗雲から雷に打たれようとも澄まし顔をするだとか、神でさえも殺せないだとか豪語していた。それはあまりにも彼らからすればエニグマが魅力的過ぎて誇張されたものかもしれないし、事実かもしれない。


「ファントム様! 本当にエニグマ様は強くてかっこいいですよね!」


「あぁ、そうだね」


もう姉に関する話は聞き飽きた。エニグマがはぐれ者を滅する度に従者達はファントムやライトに話すので、ファントムは耳にたこができていた。そもそも、そんな話どうでも良い。


かっこいいはともかくとして、姉があそこまで強い理由を妹は知っていた。姉は人間に造られたのだ、尋常じゃないほどの力を持たされて。姉は人間達の夢だった、希望だった。まぁ、姉はそれを絶望へと変えたのだけど。生まれ出でた場所を破壊し尽くした。そして、自分が生まれた理由を求めた。親が居ない者の考えとしては至極真っ当なものだろう。その理由が見つかったのかは、少なくとも自分は知らない。自分は姉のところに居れば安全だから姉の近くに居るだけだ。ただそれだけの話だ。



――――――――――――――――――



エニグマは自分の縄張りを侵されるのが大嫌いだった。折角見つけた楽土を穢されるのが大嫌いだった。だから彼女は容赦はしない、たとえ相手が悪意のない迷える子羊だとしても。悉く彼女は殺しにかかる。


ライトはそんな姉が心配だった。エニグマの惨たらしさに怯えているわけではない。いくら姉が強いからといって、何も起きないとは限らない。もし、大きな傷を負ったらどうしよう、と考えてしまう。


「よう、そんなところに突っ立ってどうした?」


「ああ、姉さん―――」


ライトはエニグマの姿を見て驚愕した。右腕に亀裂が入っていたのだ。肩から関節にかけて大きい亀裂が。もう止血はされているにしろ、その傷は見ているこっちが痛くなってくる。


「姉さん、それどうしたの」


「ああ、我ながら情けないよな。たかが雑魚二匹に攻撃をもらうだなんて」


「と、とにかく治さないと」


「あー、大丈夫大丈夫もう血は止まったから。しばらくすれば痕もなくなるって」


そうしてライトの頭を撫でた後、自分の部屋に行ってしまった。姉は相変わらず残忍な人だけれど、最初の頃とはかなり変わっている。家族だけは、大事にしているのだ。それが、嬉しい。だからこそ、心配である。姉は自分の身体を顧みず、敵を排除するまで攻撃を続けるのだから。



―――――――――――――――――――



「あ゛ゔあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!」


「!!」


ある日の朝、悲痛な叫び声で目が覚める。ファントムはその声に導かれるように目を覚ました。さっきまで悪夢を見ていたので現実に戻してくれたことは逆にありがたいのかもしれない、眠いけれど。廊下へ身を乗り出す。冷たい空気は普段と変わらない。ただ、そこに赤色が追加されているだけ。


「……うっ!」


強い刺激臭で完全に意識が覚醒する。牛や豚が焼けた臭いなどではない、人の血肉が焼けた臭いだとわかった。焦げ臭さの中に混じる血液の臭いがたまらなく不快だ。こんな臭いを嗅いで食欲を湧かせるのはよほど、それこそ食わなければ死ぬほどの飢えを持った獣くらいか。空気に漂う脂肪で唇がベタつく。袖で鼻を覆って周囲を確認する。


そういえば、この窓についた赤い手形はなんなのだろう。ファントムは調べることにした。しばらくしてわかったのはこの窓はよくエニグマがこの城に入るために使っているものだということ。ということは、この手形はエニグマのものということになる。姉がこれほどの傷を負うか? これは排除した者の返り血なのだろう。きっとそうだ、ファントムはそう思うことにした。べっとりとなすりつけられたこの血液は、落とすのにさぞ苦戦するだろうな。ご愁傷様、従者達。


廊下に赤い水玉模様が装飾されている。これも姉がつけたものだと理解できた。その水玉の道は姉の部屋の前で途切れていた。ファントムはその部屋の前に立つ。扉は血を落とすように擦りつけられていた。


「…………?」


さっきの叫び声は誰の者だったのだろう? さっき窓を確認したついでに外を見たが、そこにはズタズタに引き裂かれ、内臓という内臓が全て掻き出されて、骨は砕け髄が剥き出しになったはぐれ者の成れの果てしか見えなかった。あの者が人の言葉を扱えるか、否、デカくても所詮は低知能。そんなことはありえない。なら、あの声の主は一体?


考え始めた瞬間、冷や汗が流れた。この先に見える光景は一体なんなのか。想像のひとかけらもできない。したくもない。けれど、恐ろしいとわかってはいても好奇心は僅かながらにも湧いてしまう、ファントムは大きく一息ついて、湿ったノブを掴んでその先へ進んだ。



その先は闇だった。背後から差し込む太陽光。それのおかげでわかったことがある。この部屋は血で溢れているということだった。壁も床も天井も、余すことなく全てが赤色に染められている。赤色の中心で、苦しそうに蠢く黒い物体があった。その物体に手を伸ばそうと、ファントムは部屋に一歩踏み出す。赤い水たまりに足が入ってぴちゃりと音が響く。雫が跳ねて足が汚れる。


「…………あぁ」


その音に気がついたのだろう、黒い物体がこちらへ振り向いた。その口から泡を出しながら。


「エニグマ姉さん、どうしたの」


「別に」


「別にじゃないでしょ。珍しいね、姉さんがここまで痛手をもらうだなんて」


「どうやら、『血毒』があったみたいだ。血が全然止まらなくて……止血剤飲んでも効果なくってよ……」


なんだよ、それ。ファントムは口には出さなかったけれどそう吐いた。じゃあこれは、相手からもらった傷ってことか。これが標的の返り血だったならどれほど貴方は皆が望む貴方であったか。


この惨劇が姉の傷によって開かれたものならば、あの酷い臭いにも説明がつく。右手に熱を宿し、それで無理やり止血したのだろう。それが、どれほどの苦痛であったか。そんなの、自分が考える道理はない。


「……休んだ方が良いよ」


ファントムはエニグマの頭に手を乗せる。すると、エニグマは徐々に微睡んで、そのまま流れるように床に倒れて眠りに落ちた。これをライトが見たらどう思うだろうか。あまりのショックでご飯が食べられなくなるのではないか。あの人はこの人のことが大好きだから、自分と違って。


「直しておいてやるか……」



―――――――――――――――――――



他者に愛され、必要とされる世界。その世界を誰からも価値を見出されず、必要とされない世界から彼女はずっと傍観していた。


そして、その世界から差し出される愛や思いやりというものは、そう見せかけた偽善だということも理解していた。光のガワを被った闇だと、彼女はそう認識していた。



「姉さんに咬まれちゃった」


「だからあの人には近づかない方が良いって言ったじゃない。私達にですら敵意剥き出しなんだよ?」


「……それでも、私は姉さんをあのままにしておくのは嫌だよ」



ファントムはライトの言動に疑念を抱いた。あんな、世界全てを恨み、不信し、遠ざける生き物にどうしてそんなに尽くせるのか。


それと同じように、またエニグマも思っていた。人間という者は勝手に相手に期待をして、そこに嵌るように矯正する。初めは敬意から始まり、それに応えられない者だと理解した途端それは失望と侮蔑に変わる。そうして怒りをぶつけては勝手にどこかへ消えていく。そういうものだと彼女は学習していた。あいつだってそうだ。私に尽くそうと努力できるのも今のうちだ、いずれ私に愛想を尽かす時が遅かれ早かれ来るだろう。


彼女にとっては自分以外の存在は自分を脅かす天敵だった。だが今はひたすらに身体中が痛む。完全にこの傷が治るまでは自分が造った奴隷達に業務を任せ、自室に閉じこもるしかない。



その後は自分を生んだこの世界を、大軍を率いて悉く滅ぼしてやると決めていた。




閉じこもって、数ヶ月が経った。毎日飽きずにその苛立つ顔を見せにきたあいつが今日は部屋には来なかった。部屋に来られて、咬んで引っ掻いて追い払うまでがもはや習慣になっていたから、エニグマは多少動揺してしまった。しかし、喧騒がなく静寂の中休めるというのは好都合。エニグマは気にせず眠ることにした。


「…………」


何やら外が騒がしい。窓からこっそり顔を出して外の様子を見た。奴隷達が龍に攻撃を仕掛けられていた。そんなに群れているのに、どうして龍一匹も退けられないのか。エニグマは冷淡な顔でその光景をただ見ていた。


「……………」


見かねたエニグマは窓を開けて戦地に降り立った。別に、奴隷達に情が湧いたわけではない。ただ減った分を新しく造るのが面倒だからである。エニグマの拳を喰らった瞬間、頭蓋は砕け脳がぐちゃぐちゃに原型も止めることなく液状化した。龍は呆気なく撃沈した。周りに居た奴隷達はあっけらかんとしていた。なんだ、ただ軽く小突いただけで死んだのか。龍の実力と、こんな雑魚にも勝てない周りに失望の呼吸をした。


それからというものの、城の業務は奴隷に任せ、エニグマが侵入者を排除するという習慣ができた。それが最善の選択だったからである。



――――――――――――――――――



「随分と暴れてくれたなぁ、えぇ!? 何処へ姿を消したかと思って探してみれば、結局ここに留まってやがったか!! しかもめでたいことに戦力を携えて!! 造った覚えのない奴らがたくさん居るじゃないか!!」


「………ぐ、ゥゥ!」


「おい、メス。早くあいつを呼べ、さもないとお前の家族が痛い目見るぞ。まぁ、あいつがそんな情あるわけがないな! はははは!!」


今日はいつもとは違った。現れたのは生物兵器となった熊を連れた人間だった。ライトは姉が来るまで時間稼ぎをしていた。普段なら光と同等の速さを出せるはずだが、この人間は自分達が気付かないうちにこの場に毒を振り撒いたようだ。毒が身体を蝕んで、うまく動くことができない。


「はぁ……はぁ……ぅ、あああああ!!」


「はっ、まだ暴れる元気があるみたいだな。大人しくお前も捕まれよ!! お前にもあの失敗作と同等の訓練を施してやる!! あの生意気な失敗作にはしねぇからよぉ!!!」




「おっと……ついに主のお出ましか」


戦いが激化する直前、ついにエニグマが姿を現した。人間を見るや否や強く威嚇をする。


「おぅおぅ、威勢だけは変わっていないことだこと。失敗作……いや、あいつらはエニグマと呼んでいたな?」


「……今更なんの用だ」


「あいつらはみんな口を揃えてお前にはもう関わるな、と言っていたが……そうはいかねぇ。お前みたいな奴を手駒にすれば、きっと客は喜ぶだろうよ。世界を揺るがすその力を、喉から手を出して欲しがるだろうよ!!」


この世界の人間は、犬や猫をペットにするように、小さな龍や獣をペットにしている者が居るようだ。愛玩目的に品種改良された種類ならともかくとして、一部の人間は野生のガタイの良い龍や獣、それこそファンタジーやメルヘンに出てきそうな獰猛で凶悪な存在に惹かれ、自分の管理下に置こうとしたがる。それを叶えるのが男の仕事だった。


腹立たしい。その犬の糞以下の薄汚れた顔で私の楽土に足を踏み入れるな。とっとと帰れ、ゴミ野郎。貴様らに干渉するつもりはない、私のことなんて放っておいてくれないか。エニグマはその足を踏み出そうとした時だった。



左目が壊れた音がした。エニグマの左目が男の持っていた鞭によって粉々に割れていた。宙を待った目の破片が、太陽光に当てられダイヤモンドのように輝く。そして、傷口に塩を塗られた時のような痛みが時間差で襲いかかってくる。その痛みで顔を顰める。


「お前の弱点はわかってんだよ!! 左目さえ壊せばこっちのもんだ!!」


「ぅぅぅ!」


ライトが男の足首に咬みつく。すると男はライトを蹴り上げた。それだけで済めば良かった、熊がライトの腹を力強く殴ったのだ。骨が軋む音が鳴る。貫通していないのが不思議なくらいだ。ライトは血色の吐瀉物を吐く。柘榴のように点々と地面に落ちる。ライトはエニグマの眼前にまで吹き飛んだ。あまりの痛さに呻き声すらも出なかった。


ひゅ、とエニグマに悪寒が走る。身体全てが動かなくなる。ドアの向こうに閉じ込めて、もう二度と思い出さないと誓った記憶が、治ったはずの古傷が再生される。


「おぅおぅおぅ! 仲間がやられてビビってんのかぁ!? 『最強』と謳われていた割には情けねぇんだなぁ!!」


「ぅ………」


「……抗う気力もなくなるほど痛ぶってやるよ」



どうして、思った?


自分なら、彼女を救ってあげられるんじゃないかって、想いさえあれば、何もかも上手くいくだなんて、そんなのただの空想論でしかないのに。


彼女の過去のひとかけらも知らないのに、全てを理解したような気になって……




「造られた存在がまた新たに存在を造るだなんてどういう戯言だ? あぁ!? そうやって自分の孤独を癒そうってか!! 心底気持ち悪くて虫唾が走るぜ!! そんなことしたってお前は独りだ、家族なんていねぇんだよ!!!」


そうして男は重い一撃を放つ。鞭は剣のようにエニグマの左腕を切り取った。体から切り離された腕は断面から血と機械片を散らしながら宙を舞って地面に落ちる。


「…………」


もう、微動だにしなくなった少女のありとあらゆる場所から鮮血が流れ、重力に従い赤い糸のような細いすじが現れ、手先足先から垂れて少女の真下に水たまりを作った。


「やっとくたばったか。このメスも檻に入れておけ」




「お前が檻に入れ」




その声と共に、その場に投げられたのはピンが抜かれた手榴弾。白く光って大爆発を起こした。


「何だ、まだいやがったのか!!?」


「居たよ」


そこに現れたのはファントムであった。この光景に一切の動揺を見せずに、男の前に立つ。


「はははっ、何かと思えばチビなガキじゃねぇか!! お前に一体何ができ―――」



男の声を遮るように銃声が響いた。



「な……」


熊の眉間に見事に穴ができていた。ファントムの右手にはハンドガンが握られていた。銃口から薄い煙が漂っている。


「おや、熊は頭に銃弾喰らった程度じゃ死なないのは本当なんだね」


「ッ………」


「あれれぇ〜? さっきまで馬鹿みたいに吠えてたのに、コレ見たら急に黙っちゃって。そりゃ鞭じゃ拳銃に勝てるはずがないもんね?」


「うるせぇ!! やっちまえ!!」


男が熊に指示を出す。熊はファントムの斜め下から容赦なくアッパーを見舞う。ファントムの小さな身体は大きく宙へ飛んだ。くるり、と身体が一回転した時、にやりと笑ってファントムは言った。


「残念、私は幻影ハズレでーす」


その声の直後、ファントムの身体が霧がかって離散した。男は動揺して辺りを見回した。しばらくして背後から檻の鍵を解錠する音が聞こえた。後ろを振り向くと、捕まえた獲物達が檻から抜け出していた。


「あれ、どこ見てたの? 私は最初からこっちに居たよ?」


「て、てめぇ、おちょくるのも良い加減にしろ!!」


「何怒ってんだよ」


先ほどとは違う声のトーン、男は怯んだことを隠すように鞭を振るう。しかしファントムはそれを容易く受け止め、あろうことか引きちぎる。


「むしろ怒りたいのはこっちなんだけど。よくも私の姉さん達をボコボコにしてくれたね? それだけじゃない、とんでもない罵声を浴びせてさ……全部見てたし聞いてたよ。取り消せよ、その言葉全てを」


「あぁ? 何言って……」


「初めて見たエニグマ姉さんは、ボロボロだった。その表情は自分以外の全てを恨んでいる者のそれだった。ライト姉さんはそんなエニグマ姉さんのことを決して見捨てはしなかった。愛情なんて与えられたことないくせに、まるで前世から受け継がれた記憶がそう語るかのように、ライト姉さんはエニグマ姉さんに愛情を与えた。最初こそ否定し退けていたが、やがてそれを受け入れるようになって、今のエニグマ姉さんになった。その時、初めてエニグマ姉さんの楽園が出来た」


ファントムは大きく息を吸って大声で続ける。


「エニグマ姉さんが死ぬ気でいつも戦うのは、ようやく手に入れた楽園を手放したくないからだッ! 居場所が無いということがどれほど辛いのか知ってるからだッ! エニグマ姉さんはどんなやつより強いんだッ!! ライト姉さんはどんなやつよりも優しいんだッ!! それをお前みたいなやつが、その汚い口で……ごちゃごちゃとバカにすんじゃねぇぇえぇぇぇ!!!」


それは、姉達でさえも自覚していなかったこと。隠れてずっと見守っていた者だからこそ出る言葉。その覇気に空気が振動する。


「……は、誰もが涙する姉妹愛だな。こいつら全員ぶち殺せ!!」


熊が野太い咆哮をしながら、ファントム達にその剛腕を振るう。


「………は、エニグマ姉さん!?」


「ヴ、ア゛ア゛ア゛……」


エニグマがファントムの前に飛び出した。その破れた左腕に雷を纏わせながら。それに導かれるように、太陽は暗雲で隠される。暗雲は点滅し始めて、徐々にその間隔を狭める。そして、稲光が発生し、エニグマに落ちた。


「私の……()()に……触るなァ……ッ!!!」


極限にまで溜まった電気を一気に放出した。霹靂神は降臨した。激しく視界が点滅を繰り返す。数多に生み出された鳴神は木を薙ぎ地面を焦がす。民はそれに震え、ただ身体を伏せることしかできなかった。



霹靂神が空へ帰った、暗雲は徐々に晴れていった。焦げた臭いが蔓延る中、エニグマの姿が確認できた。その目の前には人間と熊……だったモノ。


「エニグマ様……ありがとうございます……」


従者の一人がそう口にした。それを皮切りに次々と従者達がエニグマを讃える。しかし、それを振り払うようにエニグマは


「私に、そんな言葉を投げつけるな。私のミスで、お前達はそんなにも傷ついてしまった……」


「で、ですが……」


エニグマはゆっくり城へと足を進めた。その背中はあまりにも悲しそうだった。


ずっと傷ついて、逃げ続けて、ようやく楽園を見つけたと思えば、そこに住む者達はみんな傷ついた。自分のせいで。傷ついたのが自分だけならどれほどマシだったか。自分が傷つくことよりも、他人が傷つくことの方がどうしてこんなにも辛いのか。


『お前は独りだ、家族なんていねぇんだよ!!!』


世界へ復讐しようと、皆を造ったつもりだった。けれど、本当はただ……自分が生きてて良いと、そう言ってくれる人が、欲しかっただけなのかもしれない。



―――――――――――――――――



喰らってやる。


私の傷は完治の一歩手前まできた。


忌々しいその面をしたお前は、魔力を蓄えているから私の糧になることくらいは出来るだろう。至極煩わしいお前を消して、私を生み出した世界への復讐の一歩を踏み出す。


そうして喉笛に咬みついた、鉄の味がすぐ口の中に広がった。


「……………」


咬みついた、というのにこの少女は一切抵抗しなかった。痛みを訴える声ひとつもあげなかった。


「………?」


喰らうことをやめた時、少女はどうしてやめたのか、という表情で私を見た。一つ違えば、確実に喰われていたというのに、この少女は恐れていなかった。私の手によって自分の命が散ることを。


甚だしい、興が冷めた。この少女はいつもこうだ、私の気分を狂わせてくる。


「……………」


こいつがここまで私の近くにいるのは、それほど強く忠誠を誓っているのか、それともそのくだらない愛情とやらを受け取ってほしいからなのか。どちらにせよ、失うのは惜しい気がしてきた。それを逆に利用して、私の駒にしてやろう。



そう思っていたはずだった。





「……………」


「……おはよう、で良いのかな?」


「……………」


涙で目が覚める。辺りを見渡せば自分の部屋だと理解できた。ベッドの横でファントムが椅子に座ってこちらを窺っている。


「……ライトは」


「隣」


言われるがままに隣を見ると、丁重に手当されたライトが安らかに眠っていた。


「……お前が?」


「当たり前じゃん。エニグマ姉さんは手当しなくても大丈夫みたいだね。すっかり傷が治ってる。左腕以外は………感電したくないから包帯巻かせてもらったよ」


身体を確認する、左腕以外はすっかり治ったようだ。左目は瞼は再生したけれど、眼はもとよりないから眼窩は空洞である。


「ずっと起きてたのか?」


「そうだね、暇だから。他の皆は大丈夫、もう処置はしてある」


「そうか………」


それを聞いて安心した。エニグマは深くベッドに身を沈める。


「エニグマ姉さん」


「………何だ」


「あんまり無理すると、ライト姉さん泣いちゃうよ」


エニグマはライトのことを見た。こいつは私のことが好きすぎる。昔からどれだけ私が嫌おうと、こいつは私のことを嫌いにはならなかった。


「エニグマ姉さんが血塗れで部屋に閉じこもってた日があったでしょう? 私が部屋を掃除してバレないようにしたけど、やっぱり隠すのは難しいね。エニグマ姉さんの胸の傷を見てライト姉さん泣いてたよ、嗚咽しながら姉さんに謝ってたの。ライト姉さんが悪いわけじゃないのにね」


「……そうだ、あれは私が悪いんだ」


「そうだよ、エニグマ姉さんが悪いんだよ。もうさ、ライト姉さんのことを苦しめるのはやめようよ。エニグマ姉さんが苦しむ度に、悲しんでるんだよ」


「……そんなの、わかってる―――」


「わかってない」


「……………」


幼いながらも、真剣さが宿ったその声を前にして、エニグマは一旦喋らず聞くことに専念した。


「残された人が、どんなに辛いかなんて。皆、エニグマ姉さんを心から尊敬して、大事にしたくて、幸せになってほしいと願ってる。そもそも、どうしてそんなに自分を大切にできないのさ? 失敗作? 生きてちゃいけない? そんなことを吠える奴らは皆死んだ。もしまだそんなことを言う奴が居るのなら、私が全員殺してあげるからさ」


「……私が力ある者だからここに居るだけだろう、少なくともお前は」


「最初はそう思ってた」


「………何?」


「エニグマ姉さんの近くにいれば安全だから私はここに居る、そう思ってたはずだった。でもさ、エニグマ姉さんがライト姉さんのことを受け入れるようになって、表情もだんだん柔らかくなって、それで皆とも関わるようになってからさ……感じたんだ、なんて心地が良いんだろうって。なんていうか、自分も穏やかになったんだ。そうか、これが家族っていうものなのかもって。だから、あの時ずっと閉じこもって自分だけでも逃げようとしたけど、気が変わった」


「……はっ、まさかお前の口からそんな言葉が出るなんてな」


「私はライト姉さんほど誰かに同情なんてできない。だって、私はその人じゃないから。その人の苦痛も、悲しみも、知らない。これでもエニグマ姉さんのことは心配してるんだよ。エニグマ姉さんが居なくなったら、普通に寂しいし」


ファントムは微笑んでそう言った。


「………ん」


そこでライトが意識を取り戻す。のしかかる鈍い痛みに抗いながら身体を起こす。目覚めて放った、最初の言葉は


「……なんで、泣いてるの」


「……は?」


言われて気がついた。ファントムはその赤い瞳から涙を流していた。


「ただの汗だよ。泣いてない」


姉二人が起きたことに安堵したことがバレたくなくて、無謀な嘘をついた。けれど、堰を切ったようにどんどん勢いを増して、雨粒が濁流に変化して、自分の服が濡れていく。


「ぁぁ、くそ。なんで止まらないんだ! くそ、くそ!!」


「ファントム……」


癇癪を起こす子供のように、ただファントムは泣き喚く。姉二人はファントムを撫でて必死に宥めた。お願いだから、頼むから、泣き止んでくれと。


「……っ、……は、ぁ」


感情の昂りがようやく収まって、ファントムは泣き止む。エニグマはファントムを引き寄せて、額と額をくっつけた。すまない、と何度も謝った。



「エニグマ様………」



「お前達……起きてたのか」


従者達であった。部屋の入り口から三人を気にかけていたようだ。


「申し訳ありません、エニグマ様。私達が未熟であるばかりに、今回の被害が……」


「……いや、今回ばかりは相手が悪すぎた。まさか、改造された熊だなんて……」


従者の一人が前に出て言う。


「エニグマ様、どうか自分を愛してやってください」


「何?」


「皆、貴女が大好きなんです。心から尊敬して、貴女のようになりたいと思ってるんです。貴女に造られたことに皆幸福なんです。だから、そんなに自分を雑に扱わないでください。皆、悲しみます」


「エニグマ様が敵を排除する光景を見るといつもかっこいいとか思っちゃうけど、それでエニグマ様が傷つくなら俺はそんなことしてほしくないよ……」


「エニグマ様が努力してるのは皆知ってるから……皆貴女の味方だから……エニグマ様には、生きてて欲しい……」


「あぁ………」


その言葉で、昔からずっと自分を縛っていた鎖が、次々と壊れていくのがわかった。そうか、自分は生きてて良いのか、生きる価値があるというのか。


「……ファッ!? エニグマ様が泣いておられるぞ!?」


「皆! 今すぐに笑顔にするぞ!! もふもふ攻撃だ!!」


「は!? おい待てやめろッ、お前ら何人居ると思ってんだ入り切れるわけがない!!」


「へ、部屋が爆発するぅぅ!!」



長く、その世界を歩き、求め、ようやく辿り着いたその先で、輪廻からはみ出た少女は


自分が生きる理由を知った。



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