第八十七羽. 切なる願いと差し伸べられた手
セリアへの講師依頼に一同の興奮が覚めやらぬ中、ルーファウスは姿勢を正し、セリアたちを見回すと静かに口を開いた。
「学院の授業は理論に偏りすぎている。生徒は教本通りに詠唱を唱え、的に魔法を当てる。それができれば合格だ。威力を軽んじているわけではないが、評価の中心は正確さと安定性。だが、実戦ではそんな余裕はない。詠唱を最後まで唱える間に、敵は襲いかかってくるっ。」
その声には、王都の不穏を知る者らしい重みがあった。
「いざという時に必要なのは、机上の理論ではなく、生き残るための術だ。仲間を護り、己を護り、未来へと繋げる力。私は、生徒たちにそれを学んでもらいたい。」
セリアを真っ直ぐに見据え、声を少し強める。
「だからこそ、セリアさんに臨時で教壇に立ってほしい。あなたほど、実際の冒険と戦場を知る者はいない、と私は思っている。」
わずかに微笑み、しかし瞳は真剣そのものだった。
「私は、学びの場に政治を持ち込むつもりはない。ただ純粋に、次代を担う子供たちに、生き抜くための現実を学んでほしいのだ。彼らが未来を切り拓く力を手にできるなら、それは王国にとっても希望となるだろう。」
ルーファウスの説明が一段落したところで、場に小さな間が生まれる。その沈黙を破るように、アヤメがぽつりと呟く。
「・・・そういえば、僕たちって魔法を使う時に、詠唱してないよね?」
ヴェインがちらりと視線を寄越す。だが口を開くことはなく、興味を隠すように再び目を閉じた。
セリアが肩をすくめて、アヤメの疑問に答えようとしたとき、メルディナが静かに口を開いた。
「ふむ、アヤメよ、よいところに気づいたのじゃ。現代の魔法は本来、詠唱そのものに術式が組み込まれておるのじゃ。詠唱を進めれば順にエーテルが供給され、術式が組み上がり、最後に魔法名を唱えることで発動する。それが定められた手順なのじゃ。」
「それと、僕たちが詠唱していないのと、何の関係が?」
「そう、せくな。順を追って話すのじゃ。詠唱を省く、すなわち詠唱破棄を可能とするには、魔法の仕組みを深く理解し、明確なイメージを描き、必要なエーテルを感覚で正確に注ぐ必要があるのじゃ。さらに術式そのものを自ら演算処理し、構築できる才も要るのじゃ。まぁ、これは普通の人間には到底不可能な領域なのじゃ。」
メルディナは一旦言葉を句切り、アヤメに視線を移す。
「さて・・・なぜ妾たちが、もっと正確に言えば、アル、アヤメ、ヴェインがそれを可能とするか。それはセリアの眷属となったがゆえなのじゃ。セリアと繋がったことで、おぬしらの肉体も精神も、現代の人間をはるかに凌駕する高性能の身体に作り替えられておるのじゃ。その演算処理の速度も精度も、古代の術者すら凌ぐ域に達しておるのじゃ」
メルディナの突然の言葉にこの部屋にいる全員が驚きの表情を見せる。その中にはセリアも含まれていた。それを見たメルディナは、眉間に手を当て呆れたようにセリアに告げる。
「セリアよ、気が付いていなかったのか・・・何とも情けないのじゃっ。」
「まぁ、それは置いておいて、現代人が詠唱破棄出来るかについてだが・・・可能と言えば可能なのじゃ。たゆまぬ修練を積み、スキルを磨けば、術式の構築速度やエーテル供給の滑らかさは確実に増す。そうして得意な属性に限れば、詠唱破棄に近い、即時発動を実現できるのじゃ。じゃが、それはあくまで限定的なもの。完全な詠唱破棄とは隔絶した領域にあるのじゃ。」
メルディナの説明を聞いた、アヤメとヴェインは互いに目を見交わしている。リュカとフレイアは理解が追いつかず、ただ小さく身を縮めていた。
そんな中で、ルーファウスだけが深く息を吸い、瞳を細める。
「セリアさんの領域に到達するのは不可能だとしても・・・努力すれば、か。」
一同が驚きと混乱に包まれる中、ルーファウスだけが静かに頷いた。彼の瞳には、遠い未来を見据えるような強い光が宿っていた。そして低く呟き、唇の端にかすかな笑みを浮かべる。
「やはり、未来を切り拓くのは研鑽を重ねた者たちなのだな。才覚の有無だけではなく、日々の鍛錬こそが道を開く・・・そのことを、メルディナさんの言葉が証明してくれた。」
ルーファウスの声には確かな確信が宿っていた。そして、驚きに揺れる中で、彼だけは深く頷き、まるで自らの思想に裏づけを得たかのように。
ルーファウスはそのまま沈黙を保った後、表情を引き締めて重い口を開く。
「実は・・・セリアさんに臨時講師をお願いしたのには、もう一つ理由があります。」
低く落とした声に、部屋の空気が張り詰める。
「・・・この話はこの場限りにしてほしい。絶対に他言無用でお願いします。」
一同が無言で頷くのを確かめると、ルーファウスは短く息を吐くと静かに口を開く。
「・・・リディア・エルリック。今年十二歳にして学院に特別入学を許された少女がいます。」
一瞬、皆の視線が交わる。ルーファウスは続ける。
「彼女の才は群を抜いている。炎、雷、風、土・・・四つの属性を操り、さらに槍術にも秀でています。だが、彼女には決して公にできぬ血筋が・・・。」
ルーファウスは眉間に手を当て、言い淀むように視線を落とした。
「・・・身内の恥をさらすようで、あなたたちには申し訳ないのですが、リディアという少女は現国王、父の孫だ。つまり私の姪にあたる。若き日の父が冒険者の女性と結ばれ、その間に生まれた子・・・その娘にあたります。」
一同に緊張が走る。
「私は、彼女を継承争いや政治の渦に巻き込みたくはありません。王家の血を引くと知れれば、利用しようとする者、排除しようとする者が必ず現れます。本人はその事実をまだ知りません。父と私以外でこの事を知っているのは母だけです。今のところ安全ではありますが、彼女を、リディアを見守ってほしいっ。」
ルーファウスは長く息を吐き、ゆっくりと席を立つと、深々と頭を垂れた。王族としての威厳をかなぐり捨てて、絞り出すような声で言葉を紡ぐ。
「・・・身内びいきと思われるかもしれない。だが、これも私にとって大事なことなんだ。先に話をした理想についても嘘はない。セリアさん・・・どうか引き受けてほしい。」
その瞬間、背後に控えていた近衛騎士団長ガルムが目を見開き、一歩踏み出した。
「殿下、頭を下げるなどっ!」
しかし、ルーファウスは片手を軽く挙げてその言葉を制した。
「よい、ガルム。これは私の意志だ。」
その姿は、もはや王族の体面ではなく、一人の人間としての必死の願いを映していた。
セリアは静かに息を吸い、ルーファウスを見つめた。
「・・・ルーファウスさん、何故そこまで?」
問いかけに、ルーファウスはソファーに腰を下ろすと、ゆっくりと視線を落とした。
「・・・私は、かなり前からリディアのことを知らされていた。そして幼い頃の彼女と会ったことがある。当然、本人は覚えていないだろうが・・・私の指を、小さな手でぎゅっと握ったことがあったのだ。」
ルーファウスは自らの手を見つめ、その記憶を確かめるように拳を閉じる。
「その感触を、私は今も忘れられない。あの小さな手を守りたいと、ずっと思い続けてきた。」
王族の顔ではなく、一人の人間としての想いが滲んでいた。
セリアはしばらく黙してルーファウスを見つめ、やがて小さく頷いた。
「・・・分かりました。臨時講師の件、引き受けましょう。」
◇◇◇◇◇◇
石造りの堂々たる門と、その奥に広がる瀟洒な館。
余計な装飾はないが、柱や窓の細工、手入れの行き届いた庭が、ここが王族の所有であることを雄弁に物語っていた。使いきれぬほどの部屋数を抱える、第一王子ルーファウスの離宮である。
その館を前に、セリアたちの姿があった。
ほんの少し前、ルーファウスとの会談が終わった直後、ルーファウスから王都滞在中の宿泊先について尋ねられた。
「まだ決めていません。どこか宿屋を・・・これから探そうかと。」
そう答えたセリアに、ルーファウスは苦笑を浮かべて言ったのだ。
「今から宿を探すのは骨が折れるでしょう。普段は使っていない離宮があります。よければ滞在先として使ってください。」
ルーファウスの提案に、一行は顔を見合わせた。王族の離宮など、想像もしていなかったからだ。だが、セリアは静かに頷き、その提案を受け入た。
こうして一行は離宮へと案内された。
重厚な扉を押し開けると、広々とした玄関ホールが一行を迎えた。高い天井には大きなシャンデリアが吊り下げられ、窓から差し込む光を受けて静かに煌めいている。あまり利用されていないと言っていたが、隅々まで手入れが行き届いていた。磨き込まれた床は艶を放ち、壁に掛けられた絵画や装飾も埃一つない。
「・・・ほとんど使われていないはずなのに、随分と行き届いているのじゃ。」
メルディナが小さく呟く。
主であるルーファウスに代わり、案内役を務めるガルムが笑みを浮かべて答えた。
「王族の持ち物ですからな。例え殿下の利用頻度が低かろうとも、管理の手は常に入っています。」
重い鎧姿のまま、しかし無駄のない所作でガルムは廊下を進む。
「この先の部屋をお使いください。どれも王族の客を迎えられるだけの備えは整っております。」
ガルムの案内でそれぞれの部屋が割り当てられ、一行はひとまず荷を解いた。十分すぎるほど整えられた部屋に腰を落ち着けると、王都に来たのだという実感がようやく湧いてくる。
「では、私はこれで失礼いたします。」
任を終えたガルムは恭しく一礼し、館を後にした。
一息ついた後、一同は食堂に集まり、用意されていた軽い昼食を共にする。食事を終えると、それぞれが思い思いの行動へと移った。
「俺は少し街を見てくる。」
ヴェインは腰の剣を軽く叩きながら、早々に館を出ていった。
「僕たちは買い物に行ってくる。」
アヤメとメルディナも連れ立って街へ向かう。
一方、アルジェントは昼食後に眠ってしまったリュカとフレイアを抱き上げている。
「セリア様、私はリュカさんとフレイアさんを寝かし付けております。どうぞお気兼ねなくお出かけくださいませ。」
玄関へ向かう途中、セリアは振り返ってアルジェントに声をかける。
「そうだアル、ついでにテオの修行も見てやってくれっ。」
「かしこまりました。責任を持ってお預かりいたします。」
呼ばれた少年は、顔を引きつらせた。
「・・・えぇ・・・。」
嫌そうに眉をひそめるその表情に、場の空気が少し和む。和やかな空気を背にセリアは館を後にした。
◇◇◇◇◇◇
エリトルス王国の首都である王都セイグラムは、中央区、西区、東区、南区、北区と大きく五つの区画に分かれている。中央区には王城がそびえ、その周囲を住民の憩いの場として利用されている広場が囲む。
西区には大聖堂と聖堂広場を中心に聖職者や巡礼者の街並みが広がり、東区には貴族街とともに王立学園や魔導研究院が立ち並び、知と権勢の匂いが漂う。
南区には闘技場を中心に商業区と職人街が広がり、日夜を問わず人々の熱気に包まれている。
北区は市民街と冒険者ギルド、宿場街や歓楽街がひしめき合い、さらに北区の外郭付近には貧民の暮らすスラムが広がっていた。中央区から各区へと放射状に大通りが伸び、王都の四方の門へと繋がる。こうして街全体をひとつに結んでいた。
年明け三月に模擬戦が行われる予定の場所である闘技場。それが今セリアが向かっている場所である。セリアは貴族街の屋敷が並ぶ東区を抜け、南区へと歩を進めた。行き交う馬車や従者の姿は多いが、整えられた石畳と規則正しい街並みが貴族街らしい静けさを保っている。
やがて東区を抜け、南区へ入ると、空気は一変した。商業区の大市は昼時ということもあり、行き交う人波で賑わっていた。呼び込みの声、職人街から響く槌音、香辛料や焼き立てのパンの匂いが風に乗って流れてくる。王都に入った時は南門から続く大通りを通って王城へ向かったが、今はその道を逆にたどりながら、人の波に紛れてセリアは足を止めることなく歩き続ける。
歩くセリアの視線の先には、すでに巨大な建造物の姿があった。遠くからでもその存在感は圧倒的で、近づくにつれてその威容はさらに増していく。
王都セイグラムの象徴のひとつである、闘技場。
白石と鉄で築かれた半円形の巨壁は、近づく者を圧倒する。高さ五十メートルを超える外壁に刻まれた彫刻は、勝利と栄光を讃える戦士たちの姿。まるで古代から続く伝説そのものが石に封じ込められているかのようだった。
収容人数は四万。
王都二十五万の民のうち、およそ六人に一人が一度に押し込められる計算だ。祭礼の日には人々の歓声が雷鳴のように轟き、街全体を震わせると言われている。観覧席は三層に分かれ、市民席は常に熱狂で揺れ、貴族席には豪奢な帳が張られ、最上段には王族のための黄金装飾の特別席がそびえている。
中央のアリーナは直径百メートルを超える円形の舞台。魔術障壁が常時展開され、観客を炎や剣戟から守りつつ、迫力だけはそのまま伝える。
市民にとっては娯楽の殿堂、貴族にとっては名誉の舞台、そして王族にとっては民心を掌握する象徴。王都の三大名所のひとつに数えられる理由が、目の前の威容だけで十分に伝わってきた。
セリアは歩みを止め、しばしその姿を見上げる。
「・・・ここで、三月に模擬戦をするのね。」
セリアは視線を戻すと再び歩みを開始する。闘技場の中へと向けて。
門をくぐり、厚い石の通路を抜けると、視界の先に広がったのは円形の闘技場だった。客席は無人のまま静まり返り、石造りの段座席には風が吹き抜ける音だけが残響している。
広大な砂地の舞台には誰一人おらず、踏み荒らされていない地面が白々と広がっていた。観客の歓声も剣戟の音もないその空間は、むしろ不気味なほどの静けさをたたえていた。
ふと視線を巡らせると、無人のはずの観客席に、一つの人影が佇んでいた。その人物は舞台を見下ろすように立ち尽くし、風になびく不釣り合いな金髪のツインテールが異様さを増していた。
ただならぬ雰囲気に、セリアは思わず踵を返そうとするが、その瞬間、人影がゆっくりとこちらを振り向いた。
ーーー・・・まずいっ!
セリアが直感した次の刹那、その姿が視界から掻き消え、気づけば隣に立っていた。
確かに目で追えていたはずなのに、現実感が伴わない。唖然とするセリアの耳元に、艶やかな声が響く。
「あらぁ、アナタがセリアちゃんねぇ。思ったより可愛らしいじゃないのぉ。いやだわ、そんなに、緊張しなくてもいいのよぉ?」
エリーは楽しげに言葉を投げかけると、その大きな手をひらりと振り、まるで旧知の友人にでもするようにセリアの肩を軽く叩いた。
瞬間、セリアの身体に鈍い衝撃が走る。常に展開しているはずの防壁が、まるで存在しなかったかのように素通りし、内側へ直接響いたのだ。
「・・・っ!」
思わず表情を引き締めるセリア。だがエリーは何事もなかったかのように、艶やかな笑みを浮かべ続けていた。
「あらいやだぁ、ごめんなさいねぇ。アタシったら、ちょっと強く叩いちゃったかしらぁ?」
悪びれる様子は微塵もなく、むしろ楽しんでいるような声だった。
セリアは唖然としつつも、視線を大男に向ける。その大男はセリアの身長を優に超え、身体のパーツは太くごつい。さらに艶やかな金髪をツインテールにまとめ上げ、ピンク色のワンピースを着こなしている。
そう、いわゆるおネェといやつだ・・・。
目の前の大男の仕草と声の調子に、セリアは得体の知れない違和感を覚えずにはいられなかった。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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改めてお願いします。




