第六羽. 領都ローレル
私はシルク・アデルフィート。アデルフィート辺境伯の次女。
地方からの領都ローレルへの帰途、私たちの馬車は盗賊に襲撃された。突然の怒号と斬撃の音。そして御者の悲鳴が馬車の中にまで響いた。私は恐怖で身を強張らせながら、その現場を馬車の隙間から覗いていた。
そこへ一人の女性が割って入ってきた。姿はよく見えませんでしたが、その声だけで分かった。間違いなく女性であると。
しかも獣人。
領都ローレルでは獣人への偏見は少ない。そして、もちろん私も偏見を持っていない。むしろ正直に言えば、好きです。
なお良いのは、うさみみ、なこと。
手に持つ大鎌が閃く度に盗賊たちが地に伏せ、あっという間に盗賊を討伐した。あまりに鮮やかで、恐怖よりも先に目を奪われてしまったほど。
そのお姿に、私は完全に魅入られていた。
助けていただいたお礼を申し上げるために、急ぎ馬車から降りた私の視界に、その方の姿が鮮烈に映る。ご尊顔を拝した瞬間、私の胸がぎゅっと締め付けられ、下腹部が微かに熱を帯びるのを感じた。
その佇まいはとても綺麗で、強く凛としていて、それでいてどこか柔らかい。
抱きつきたい。
そんな衝動が私の奥深くから込み上げ、私は理性を総動員してそれを必死で抑えていた。
その際に名前も伺った。
セリア様。
その美しく、甘美な響き。
ーーーあぁぁ、お姉様。お姉様、とても美しく、気高く、綺麗です。
心の猛りを何とか静めながら、私は冷静にローレルまでの道中を申し出る。その結果、快く同意していただき、領都ローレルまでの道中をご一緒してくださることになった。
ーーー神よ、この幸運に感謝いたしますっ。
訪れた幸運を神に感謝し、この至福な時を満喫することを心から誓った。
このシルク・アデルフィートという少女、外見はとても可愛らしく、立ち居振る舞いも貴族令嬢として申し分ない。
ただ、その内面は、かなり年季の入った腐女子であった。
そんなこととは露知らず、領都ローレルへの旅路をセリアは穏やかに満喫していた。
◇◇◇◇◇◇
当初、セリアのことをシルクは、”様”を付けて”セリア様”と呼んでいた。それは畏れ多いからやめてほしいと何度か伝えた。だが、命を救われた身である以上、それは出来ないと頑なに拒まれ、暫く平行線が続いていた。
そんな折、シルクから提案された呼び方が、”お姉様”である。セリアはそれも即座に拒否していた。距離が近すぎるし、何より照れくさい。だが”様”呼びの時とは違う別種の圧がそこにはあった。真っ直ぐで、無垢なその視線は、こちらの逃げ道を全て塞ぐようであった。
結局、セリアはその勢いと圧に押し切られる形で、”お姉様”呼びを渋々了承することになってしまったのである。
呼び方を巡って多少の押し問答があったものの、シルクが心から慕ってくれているのは伝わってきた。不思議と悪い気はせず、旅路の中で自然と会話も増え、少しずつ距離を縮めていった。
旅路自体は概ね順調に進んでいた。途中で魔物に遭遇することもあったが、その都度セリアが対処することで大きな被害も出ることはなかった。
「お姉様、街が見えてきました!」
その声に顔を上げると、シルクは心の底から安堵したような表情を浮かべていた。街が見えてきたことで、張り詰めていた緊張感がようやく解けたのだろう。セリアに向けたその笑顔は短い旅ではあったが、その中で一番の笑顔だった。
シルクに促され、セリアも馬車の窓から身を乗り出す。
そこには中世ヨーロッパを思わせる城壁で囲まれた街。それは城塞都市と呼ぶに相応しい規模の雄々しい姿があった。シルクは街と言っていたが、その表現では到底収まらない。
城門の前で馬車が停車し、シルクに続いて降りる。
シルクの父が、このローレルという街の領主であることは自己紹介の時点で分かっていた。しかし、これ程までに大きな都市だとは、正直思ってもみなかった。セリアはしばし言葉を失い、城壁と巨大な門をただただ眺めていた。
これだけ大きな都市の領主の娘を、思わぬ形で助けたのはセリアにとっては僥倖だったのかもしれない。
そうこうしていると、白銀の鎧を着た一人の騎士が進み出てきた。三十歳手前くらいの赤髪の人族。
ーーー女性からの受けは良さそうだな・・・。
整った顔立ちにセリアは率直な感想を抱くが、男に全く興味のないセリアにとってどうでもよいことだった。
「私はレクルスと申します。アデルフィート辺境伯騎士団の副団長を務めております。セリア殿、我が同胞の件について詰所まで同行して頂きたいです。」
どうやら先触れで情報が伝わっていたようだ。
ーーー無くなった人たちを、少しでも早く同僚や家族のもとに返したべきだろうな。
セリア自身に思うところもあり、また断る理由も無いことから、その申し出に快く頷いた。
城門でシルクと別れ騎士団の詰め所へ行くと、そこには金髪の女性が佇んでいた。軽装の皮鎧を身に着け、髪が邪魔にならないように後ろで束ねられている。
「隊長殿、セリア殿をお連れ致しました。」
「んっ、ご苦労!」
そう言って振り返った金髪女性の耳は長く、いわゆるエルフという種族だ。二十歳前後のように見えるが、本当にエルフなら外見などあてにならない。
「お初にお目にかかる。私はアリエル・シュピーゲル。お気付きかもしれないがエルフだ。そして騎士団の団長を務めている。」
そう言って差し出された手を握り返し、セリアも名乗る。
「セリア・ロックハートです。気ままな旅人をしています。」
「セリア殿、此度は同胞を連れ帰って頂き感謝の言葉もありません。」
恭しく頭を下げるアリエルに対して、セリアは言葉を返す。
「私がもう少し早く到着していれば、助かる命もあったのでしょうが・・・。」
「それはセリア殿が気にすることではないです。シルク様をはじめ助かった命があります。それだけで十分です。それでは、こちらで引き取ります。」
指定された場所に騎士達の遺体を置き、黙祷と祈りを捧げた。
「こいつらは・・・まだ幸せな方だ。」
通常であればは外で亡くなった場合、遺品として身に着けている何かを持ち帰り、遺体はその場で埋めるか燃やすらしい。アリエルのその言葉に、この世界が死と隣り合わせである事をセリアは改めて実感した。
「少しよろしいでしょうか?」
丁度、一連の用事を済ませたのを見計らったかのように、背後から声が掛けられた。
振り返ると、いつの間にか道中一緒であった執事がそこに立っていた。
ーーーたしか・・・そう、キースウッドという名だったはず。
「キースウッドさん、どうかしましたか?」
「セリア様、旦那様が御会いしたいと申しております。時間を頂戴できますでしょうか?」
アリエル、レクルスに視線を向けると、二人はどこか申し訳なさそうに、そして諦めろと言わんばかりに首を横に振っていた。
特段断る理由を持ち合わせていなかったセリアは、小さく息を吐き、その申し出を受け入れた。軽くアリエルとレクルスに挨拶を済ませると、そのままキースウッドに従いセリアは領主の館へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
館の中は広く、手入れが行き届いていた。高価そうな調度品の数々がいたるところに整然と飾られていた。廊下ですれ違う使用人の数も多い。使用人には人族だけでなく、獣人族の姿も多く見受けられた。
そして、すれ違う使用人たちは皆、歩みを止め恭しくセリアに頭を下げていった。
ーーー慣れないな・・・。
胸の奥がわずかにむず痒くなるような扱いに、セリアが抱いた正直な感想。だが、そういうものだと割切り、セリアはその感情を表に出さぬように意識し、軽く会釈を返していった。
「セリア様、こちらになります。」
ある扉の前で立ち止まると、キースウッドはセリアに声をかけてから扉をノックをする。
「入ってくれ。」
返って来た声は、低く落ち着いた渋みのある声だった。おそらく、この部屋にシルクの父であり、この領地を治める領主がいるのだろう。セリアはこの世界に来て初めて出会う貴族に、若干の緊張を強いられていた。
「それでは、セリア様どうぞ」
扉が開かれ、キースウッドに先に入るよう促される。
「ありがとう。」
キースウッドに短く礼を告げると、セリアは一度だけ深呼吸してから促されるままに室内へと足を踏み入れた。
部屋の中は応接室といった様相で、中央には一脚の大きなテーブルが配置され、その周りに座り心地の良さそうなソファが配置されている。
上座に位置する場所には、一人の男性がゆったりと腰かけ、穏やかな表情でセリアを出迎えた。そして、その隣にはシルクが座っている。
「この度はお招きいただき、誠にありがとうございます。」
ソファーの横に進むと、一礼し言葉を綴った。
「君が娘と一団を救ってくれたセリア殿だね。私はシルクの父、アインザックだ。今回の事は本当に感謝している。」
そう言って、アインザックは立ち上がった。
「ありがとう。」
言葉とともに深々と頭を下げた。
四十代半ばといったところだろうか。身長はセリアよりも少し低い。まだまだ意欲に満ち溢れた目をしており、日頃から身体を鍛えているだろうことは服の上からでも感じ取れた。
さらに、どこの馬の骨とも分からないセリアに対して、迷わず頭を下げるその姿にセリアは好感を覚えていた。
「たまたま通りかかっただけなので、そんなに気にしないで下さい。」
あの時、多少なりともこの周辺の情報を得たいという多少の打算はあった。だが、領主の娘だったから助けたというわけではなく。そこに困っている人がいたから助けた。ただそれだけに過ぎないのだから。
「そういうわけにはまいりませんっ!」
セリアの言葉に、声を上げたのはシルクだった。立ち上がり、前のめりになる姿には、まだ恩が返せていないとシルクの思いがひしひしと出ていた。
「旦那様、お嬢様。」
場を落ち着かせるように、キースウッドが静かに割って入った。
「まずはセリア様に座って頂いてはいかがでしょうか。お茶の用意も致しますので。」
キースウッドに指摘され、立ち話になっていることに気付いた二人は慌てて声をかける。
「こ、これはとんだ失礼をした。さあ、セリア殿そこにかけてくれ。」
「そ、そうです、どうぞおかけになってください!」
二人の言葉と動きが思いの外似ているを見て、セリアは苦笑交じりにソファへと腰を下ろした。思った以上に柔らかく、座り心地のよい感触が伝わりセリアは少し驚いた表情を見せた。
セリアが落ち着いたのを確認してから、アインザックとシルクもそれぞれ座り直した。
「セリア様、こちらをどうぞ。」
キースウッドが手際よく三人分のお茶とお茶菓子を用意する。お茶からは湯気とともにフルーティーな香りが鼻先をくすぐり、添えられた菓子からは甘い匂いが漂ってきた。
「遠慮なく食べてくれ。」
そう言って、アインザックは自ら先に菓子へと手を伸ばした。この場では、たとえ勧められても客がすぐに口を付けることは少ない。それを承知したうえで、まず自分が食べてみせ、セリアにも促したのだろう。
「それでは、頂きます。」
一言添えてから、セリアは言われるまま菓子に手を伸ばした。口に含むと、優しく心地よい甘味が口の中に広がる。続けて紅茶を口にすると、フルーティーな香りが鼻から抜けていき、爽快感のある渋みがお茶菓子の甘みをを引き立てていた。
「美味しいっ。それにお菓子とお茶がとても合っています。」
「そうかそうか、口にあったようでなによりだ。」
満足げに頷いたアインザックは、そこで少し表情を引き締める。
「それでだな今回の件について、私の方から感謝を形にして示したいと思っているのだが・・・。」
何か希望はあるかと促す視線がセリアに向けられる。そこには自分の娘と当家に関わる者の命が救われた以上、限度はあるがセリアの望む物を礼として用意する心づもりがうかがえた。
「それでは、遠慮なく。」
セリアは一拍置いてから、静かに言葉を選ぶ。
「まずは、当座の資金。次に、色々と情報が欲しいです。情報については可能な範囲で構いません。」
いったん言葉を句切ると、セリアは要求した理由を語り始める。
「当座の資金についてですが、色々事情がありまして路銀が尽きていまして。なので暫く生活出来るだけの資金で構いません。そして、情報についてですが、この辺りの地理を含め全く知識がないもので。」
その返答に、アインザックは特に驚いた様子も見せず、納得したように頷いた。そしてキースウッドに小声で何事かを伝える。
「少し待ってくれ、今キースに用意させる。」
暫くして戻ってきたキースウッドの姿を見て、セリアは思わず言葉を失った。
「・・・!!??」
部屋へ戻ってきたキースウッドはカートを押していた。その上には、口がはち切れそうな袋がいくつも積まれている。一目で相当な量だと分かる光景だった。
「ふぅ、ふぅ・・・セリア様、お待たせしました。」
カートで運んできたにも拘わらず、息を切らすキースウッドの額にはうっすらと汗が光っていた。そのままキースウッドは袋をテーブルの上に一つずつ置いていく。置くたびに重量感のある音とともに、硬貨が擦れる音が響いた。
「どうぞ、ご確認ください。」
促されるままにセリアは目の前に置かれた袋の中を覗きこみ、思わず息を呑んだ。中には黄金色に輝く硬貨が、これでもかと言わんばかりに詰め込まれている。あまりの光景に開いた口が塞がらず、どう反応してよいのか分からなくなっていた。
「うむ、これだけあれば当座はしのげると思うのだが・・・足りるかね?」
反応の薄いセリアを見て、アインザックはどこか不安そうな表情を浮かべる。もしかしたら足りないのでは、と言いたげな顔だった。
「じゅ、十分ですっ。 というか、一袋あれば十二分ですっ!」
セリアは数週間の生活ができれば、とそれくらいの感覚でいた。だが蓋を開けてみれば、貨幣価値が分からないが、おそらく数十年単位で生活に困らぬ程の大金が目の前に現れた。
セリアは慌てて、一袋だけを手に取ろうとした。
「お待ち下さいっ。」
しかし、それはキースウッドによって止められた。その声に顔を見上げると、そこには先程までの穏やかな表情とは異なる、鋭い眼差しをしたキースウッドの顔があった。だが次の瞬間には、何事もなかったかのようににっこりとした笑顔のキースウッドに戻っていた。
そしてキースウッドは静かに首を横に振る。
「お嬢様と騎士団を助けていただきました。さらにセリア様が捕らえたガロアなる男ですが、近頃この周辺を騒がせている盗賊でした。被害に遭っている貴族も多いようです。」
キースウッドが言葉を句切ると、セリアを見つめ静かに口を開く。
「そういったことも加味されております。」
その言葉を受け、アインザックが改めて告げる。
「正当な対価だ。どうか、遠慮なく受け取ってほしい」
領主の娘が助けられたと言う事実は、公にしないにせよ確実に知れ渡る。人の口に戸は立てられない、もし受け取らなかったなどという話が漏れれば、外聞が悪くなるのは領主側だ。盗賊の件も絡めば、なおさらである。
さらに面子を大事にする貴族としては、ある程度の金額を用意しなければならない。貴族としての矜持を察したセリアは、一瞬の迷いと一緒に短く息を吐く。
「はぁ・・・。」
ーーー何て面倒くさい生き物だ・・・。
天井を仰ぎ見ながら、声に出さず正直な感想を抱いた。そしてセリアは受け取る判断をした。
「分かりました。ありがたく頂きます。」
「わかって頂けたようで助かる。」
セリアの理解を感じ取ったアインザックは、安堵したように微笑んだ。
「えっ? どういう?」
一連のやり取りをただただと見守ることしか出来なかったシルクは、二人の間で交わされたやりとりの意味が理解出来ず、きょとんとした表情を浮かべていた。
セリアは報酬の金貨をストレージに収納すると、二つ目の要求というか相談について口を開く。
「私はこの辺りの出身ではなく、かなり遠くから来ました。」
セリアは一度言葉を切り、周囲の反応を窺ってから続ける。
「街の位置関係や基礎的な文化、それに今いただいた金貨のような貨幣についても、ほとんど知識がありません。」
お金もさることながら、この世界の事柄、常識そのものが一切分からない。そんなセリアにとってこの状況は死活問題以外のなにものでもない。《オモイカネ》で地形情報を把握することは出来ても、そこにある名称まではわからない。ましてや文化や風習はなおさらだ。ただ一度覚えてしまえば、外部記憶装置のように即座に引き出せる。
「それならばお姉様、私がご教授いたします!」
シルクはやっと役に立てると感じたのか、握り拳を作り意気込んで立ち上がった。だが、セリアは静かに首を横に振った。
「お気持ちは嬉しいですが、もう少し一般的な視点での情報が欲しいです。確かに貴族の方々からの情報も重要ではありますが、庶民寄りの感覚も知っておきたくて。」
セリアの言い分から娘の教養の問題ではないと理解し、アインザックは適当な人材がいないかと思案する。
「それでは、奴隷を購入されてはいかがでしょうか?」
その間を縫うように、キースウッドが助言を挟んだ。
「奴隷?」
その言葉に、セリアは思わず聞き返した。キースウッドは一度小さく頷いてから、先を続ける。
「この話は、少々長くなるかと存じます。差し支えなければ、一度食事を挟まれてはいかがでしょうか?」
その提案に、アインザックは腕を組みすぐに同意した。
「確かに、その方が落ち着いて話せるな。ちょうど昼時だ。ぜひ、我が家で食事を共にしてほしい」
「これだけの報酬も頂きましたし、その上昼食をご馳走になるというのも・・・」
「セリア殿、これは感謝の気持ちだ。それに娘も喜ぶ。」
「お姉様、ご一緒しましょうっ!」
シルクも嬉しそうに声を上げる。
セリアは少しだけ迷い、この親子の圧に負けて昼食をご馳走になることにした。
「・・・では、お言葉に甘えさせていただきます。」
こうして話は一旦区切られ、セリアは領主館で昼食の席につくこととなった。




