第七十四羽. ネザリエルの終焉
石材に似た、しかしどこか有機的な質感をもつ巨大な空間。幻層殿の第一階層。
その中央に黒煙のような気流が地を這い、静かに影が重なり合う。重なり合う影は絡み合い次第に立体的な姿を形成しはじめる。そして、その姿を露わにする。
それは凶暴さと異形が絡み合った、暴力の化身と呼ぶにふさわしい巨躯の獣。四肢は節くれだった獣脚で、爪はまるで他者を引き裂くためだけに鍛えられた鉤のよう。牙は血に飢えた刃のように並び、口元からは涎とも毒液ともつかぬ液体が滴り落ちる。
そして・・・その眼。
燃えるような深紅の瞳は、ただひたすらに破壊と蹂躙を渇望していた。そこには一片の理性も、感情も、知性の兆しすら存在しない。ただ、己の前にあるものを砕き、押し潰し、喰らい尽くすという本能の欲望のみが支配している。
次の瞬間、咆哮すら発さぬまま、地を穿つ勢いで突進を開始した。その一歩ごとに地面が抉れ、空間が震える。
セリアの横から影が飛び出し、攻撃を受け止める。
「セリア殿、ここは我々が引き受ける。先を急げっ!」
ノブツナは獣の攻撃を押し返すと、胸に一筋の傷をつける。
「ここまで来たんだっ。俺達もやるぞっ。」
獅子の心臓も前へと躍り出る。
「ノブツナさんっ。お願いします。」
「あぁ、任されたっ。」
『テトラ、すまないが、彼らのサポートを頼む。』
『まかされた。あるじ~。』
返事をするとテトラはフードから飛び出すと、セリア達と逆方向へと飛び跳ねて行く。
そして、一層からつんざくような獣の咆哮が響き渡った。
◇◇◇◇◇◇
暗い階段を駆け上がると、空間は一変した。
幻層殿の第二階層。
足を踏み入れた瞬間、空気が震える。辺り一帯は、透き通るような素材で形作られた巨大な円形のホール。天井は見えず、壁も曖昧に霞み、音だけが満ちている。足音、息遣い、衣擦れの音。全てが幾重にも反響し、空間全体が鳴動する楽器のようだった。
「ここは・・・」
アヤメが小さく呟いたが、その声すらも無数の反響となって広がっていく。言葉にすら注意を要する世界だ。
「空間が共鳴構造になっている・・・言葉一つで空間が歪むようなのじゃ。」
・・・ドン。
鈍い振動が足元から響き渡り、次の瞬間、空間の中央に黒い塊が現れた。異様に膨張した鼓膜のような体表。脈動する膜が波打ち、音の波を生むたびに空間が軋む。
「セリアねぇ、先に行ってっ。ここは僕とメルで受け持つからっ。」
アヤメが手にした長弓には、すでに三本の矢が番えてある。その矢先から微かに火花のような振動が漏れていた。
「妾もかっ。」
「出来ないっ?」
「何を言っておるのじゃ。妾に向かって。ここはアヤメの言うとり妾とアヤメで受け持つ。先に行くがいいのじゃっ。」
アヤメとメルディナの視線に頷き、階層を駆け抜ける、セリア、アルジェント、ヴェイン。
その刹那。
シュルルルルル・・・!
空間の奥から、鋭い共鳴音とともに歪んだ波動刃のような衝撃がセリアたちの背中を狙って襲いかかる。
「・・・甘いのじゃっ」
メルディナの作り出した青白い多重結界が瞬時に展開される。波動刃がその障壁にぶつかった瞬間、ガラスのような音が弾け、衝撃が空間に拡散した。
「おぬしの相手は妾達なのじゃ。間違えるでない。」
◇◇◇◇◇◇
階段を駆け上がった先、幻層殿の第三階層。
そこは異質な静けさに包まれていた。
空間全体が淡い薄闇に覆われ、四方の壁も床も天井も、すべてが滑らかで光を反射しない黒銀色の材質で構成されている。まるで、光そのものが拒絶されているかのような感覚。
セリアたちが足を踏み入れた瞬間、周囲の影が、まるで生きているかのようにゆらりと揺れた。
「・・・空間が歪んでいるなぁ。」
ヴェインが一歩前へと出る。ヴェインの影がほんの僅かにズレて床に浮かんでいた。
「錯視じゃないな。実際に座標がずれているな。足元の陰すら、相対的にずれて見える」
ヴェインが宵闇を構えながら、周囲に視線を巡らせる。
「姿は見えないが・・・気配は確実にあるな。」
その瞬間、空間に“音”が落ちた。靴音だ。
コツ、コツ、コツ。
奥の闇から、まるで左右対称に響く足音が二つ、揃って歩み寄ってくる。
だが、姿は見えない。さらにもう一歩、気配が近づいた、そのとき。
突然、目の前に影が走った。
一閃。
空間を裂くように現れたのは、二人の剣士、完全に同じ容姿を持つ、白い仮面と黒装束の双子だった。
「殲滅対象、確認」
左の者が機械的に呟く。
「行動開始。」
「ここは俺とアルジェントに任せて先に行け。セリアッ。」
「セリア様、お任せください。」
アルジェントとヴェインの言葉にセリアが静かに歩き出す。
だがその背に、双子の一人が剣を振るおうと駆け出した。
「・・・やらせるわけがないだろっ!」
ヴェインが一閃。雷光のような斬撃が影を裂き、双子の剣士を後退させる。
◇◇◇◇◇◇
幻層殿の第4層、そこには荘厳な石造りの建築物がセリアを待ちかねていたように佇んでいた。建物の中央には漆黒の司祭服にた装束を身に纏う異界の住人、ネザリエル・イクリス。
そして、その背後には、瑠璃色の結界の中で鎖に繋がれたふたつの小さな影。リュカとフレイアの姿があった。
「・・・ホウ。おやおや。これはこれは・・・」
拍手をもって称賛するネザリエル。裏腹に仮面の奥から響く声には、そんな感情は微塵も乗っておらず紅の光点が歪んだように笑う。
「ワタシの想定ヨリずっと、早い到達だったようだネ。流石デス。」
セリアの目が、ネザリエルの奥に囚われた双子へと移る。
「・・・リュカ、フレイア。無事のようだなっ。」
「アナタ、本当に理解してナイようデスね・・・。あの二人、素材としては極上なんデスよ。」
仮面の奥の紅点が一層輝きを増す。
「フェンリルの血統・・・ただの獣人とは訳が違う。身体性能、魔素親和性、成長性・・・どれを取っても規格外。使用域において最上級の素材デス。それに加えて、さらに、アノ二人には、異常なまでの双子紐帯性がある。まるで一個体のように反応が連動する・・・分割・統制に特化した理想的な個体群デス。アレはネ・・・ちょっとやソッとじゃ再現できない。実に素晴らシイッ。」
自身の吐く言葉に酔いしれ、仰ぎ見る。
「ワタシはそれを、丁寧に分解し、調整し、再構築する。感情なんてムダなモノは廃棄し、必要なモノだけを残して・・・最適化してイク。ワタシが求める・・・完全な生命体へと昇華させるのデスっ。」
仮面の奥の紅点が、ぞっとするほど嬉しげに揺れた。
今までになく熱く語るネザリエルをセリアは冷ややかな目で見つめ、溜息交じりに投げかける。
「話しは・・・それで、終わりかっ。」
「何を・・・。」
「イロハ、エルミオス」
何かを言いかけたネザリエルを無視してセリアは従魔の名を口にする。何も無い空間からセリアの言葉に誘われて二体の従魔が姿を現す。
その光景を見たネザリエルは、芝居がかった口調で冷笑した。
「・・・ふン、従魔を呼び出したか。まさか、この舞台で、しかもその程度の小細工で、勝てるとでも思ってるカナ。いや、むしろ・・・絶望を引き延ばしたいだけカナ?」
しかし、セリアはそれに応えず、腕の中に抱くふたつの存在をそっと見やる。そこにいたのは、いつの間にか救い出されていた双子。リュカとフレイア。
「お前の相手は私一人で十分だ。この子たちを、運んでもらうだけだ。」
「・・・ッ! な、いつの・・・!?」
仮面の奥から漏れる言葉は、今までの芝居めいた余裕が霧散していた。
観測不能という名の激震。
ネザリエルは確かに封鎖した空間の中で双子を捕らえていた。そこから感じる気配も、術式も、寸分の揺らぎも無い事を把握していた。
なのに・・・。
「ありえない・・・それを観測者たるワタシが・・・見落とすはずなど・・・。」
「こちらから問おう。何時から二人が・・・そこにいると、錯覚していたんだ・・・」
「バカな・・・そんなコトが・・・。」
「エルミオス、イロハ。この子たちを外へ。」
セリアが命じると、二体の従魔は即座に頷くような仕草を見せ、背に乗せたリュカとフレイアと共に宙を駆ける。
蒼と翠の軌跡が宙から消えかけたその刹那。
「逃がすかァあああああッッ!!」
ネザリエルが絶叫し、爆発的な加速で空間を切り裂く。
ーーーこの速度に追いつけるものか・・・あの従魔ごと再度っ!!
その瞬間、ネザリエルの視界が揺らぐ。
「・・・ッ?」
ネザリエルの視界には遠ざかる従魔。そして冷徹な声色がネザリエルの耳に届く。
「・・・どこへ行くつもりだっ?」
そこで自分の置かれている状況に理解がおよんだ。自分の顔がセリアの手によって覆われている事を。もっと正確にいえば、鷲掴みにされている事を。
ーーーバカな・・・アノ速度のワタシを腕一本デ・・・。
状況を理解しはじめたネザリエルの視界が反転する。ネザリエルの顔を掴むセリアの手に力が流れ込み、そのまま・・・。
叩き伏せた。
床が軋み、蜘蛛の巣状に罅が走る。
呻き声も、反応も、何も出ない。ネザリエルの自負していた全てが、いま音を立てて崩れ始める。隙間から見える視線の先には、冷え切った炎のような、怒りの奥に沈むセリアの紅い瞳がネザリエルを見下ろしていた。
「・・・あの子達に手を出した、自分の愚かな行為を悔めっ!」
その声音は冷たく、けれど確かな怒りの芯を孕んでいた。
叩きつけられたネザリエルが、かろうじて息を吸ったその瞬間、セリアの腕が再び躍動する。
「──ッ!?」
次の瞬間、視界が跳ね上がる。
セリアはネザリエルの顔面を掴んだまま、膂力だけでネザリエルの身体を、まるで玩具を放り投げるかの様に空へと無造作に放り投げた。
だが、それは序章に過ぎない。
「穿てっ!」
セリアの声が響くと、直後、宙にいるネザリエルへ向かって、雷撃が解き放たれる。
「ふざけるなッ!!」
ネザリエルは咄嗟に自身の身を守る術式を発動した。それはかつて、リュカとフレイアを攫った際にセリアの攻撃を完全反射した障壁。しかも、それを幾重にも展開した。
だが・・・。
「刻めっ! 貫けっ!凍てつけっ!」
セリアが言葉を紡ぐたびに、風の刃が、大地の爪が、そして凍てつく空気がネザリエルを襲う。
「がッ・・・!? あ、ぁ、あああああッ……!!!」
ネザリエルの叫びと共に張り巡らせた障壁が、一枚、二枚・・・否、全てが一瞬にして粉砕されていく。
そして、一際強く、力を込め、言葉を紡ぐセリア。
「爆ぜろっ!」
目には見えぬ何かが螺旋を描きながらネザリエルに収束しはじめる。そして一拍の後、全てを塗り潰すように爆炎と爆音を周囲へと拡散する。
「クク、く・・・ッ。まさか、ここまでとはネッ。」
ギリギリのところで先程よりも高密度の障壁を多重展開する事で逃れた。
立つ事さえ困難なほどに傷ついた身を起こし、ようやく視線の先にセリアを入れたその刹那。
「・・・っ!?」
セリアの姿が視界から掻き消えた。
「どこ・・・」
言葉が出きる前に。
ゴゥッ!
次の瞬間、ネザリエルの顔面にセリアの右膝が突き刺さり、鈍く重い衝撃音が響き渡る。
「がっ・・・!!」
眼球が震え、視界が歪む。ネザリエルの身体は空中でしなりながら後方へと吹き飛ぶ。かろうじて体幹をねじって着地しようとするも、その瞬間にはすでに・・・悪夢が忍び寄ってた。
着地したセリアの左足が地を蹴る。次の動きは右脚の回し蹴り。重力すら無視したかのような軌道と速度で、その脚は雷光のようにネザリエルの頬へと襲いかかる。
バァン!!
再び響く、炸裂音。
ネザリエルの身体は風に舞う紙屑のように、横薙ぎに数十メートル以上吹き飛ばされ、壁面へと激突した。ネザリエルの身体が埋まるように叩きつけられ、壁面に放射状に亀裂走る。
煙が立ち上るなか、セリアは一歩、また一歩と無言で歩み寄る。
轟音の余韻が残るなか、瓦礫をかき分けるようにしてネザリエルが這い出てくる。
衣は破れ、仮面には幾条もの罅が走っていた。かつての気高く不遜な姿は微塵も残っていない。
膝をついたネザリエルが、血に塗れた手を差し出し、懇願を始める。
「待ってクダサイ・・・ワタシが悪かったッ!」
ネザリエルは頭を垂れ、哀願するように吐き出す。
「・・・下層の連中にも命じマス・・・戦いは中止ト。もう二度と、アンタの世界に干渉シマセン・・・」
そのとき、セリアの瞳がスッと細められた。
「・・・そんな事はどうでいい。」
呟くように、だが冷ややかに。そして続く言葉は、静かに地獄の蓋を開くようだった。
「もうとっくに・・・戦いは終わってる。」
ネザリエルの背筋が粟立つ。ネザリエルはわずかに首を傾けた。
「な、に・・・?」
それは愚かな問いだった。
セリアが一歩、前に出る。その歩みが地を踏むだけで、周囲の空気が震える。
「・・・何を勘違いしている。」
その声は、冷たくも淡々としていた。
「お前が選べる選択肢は・・・死だけだっ」
そして・・・。
セリアの殺意が、烈風のように炸裂する。
次の瞬間、轟音と共に爆ぜた光と衝撃がネザリエルを襲い、その両腕が、肩口からごと吹き飛んだ。
「がっ・・・ア、アァァァァッッ!!」
血煙を撒き散らしながら後方に倒れ込むネザリエル。苦悶の咆哮と共に、地に転がる仮面の残骸が冷たく鈍く響いた。
断ち切られた両腕から血飛沫を撒き散らし、地を這うようにして逃れようとするネザリエル。その動きはすでに本能に駆られた獣と遜色がなかった。
「ヤ、ヤダ・・・ヤメテッ!」
仮面はすでに砕け、その下からのぞく顔には苦悶と恐怖と絶望が入り混じっていた。ネザリエルは血で滑る地面に顔を擦りつけながら、喉を嗄らすように懇願する。
「頼む・・・お願いダ・・・命だけは・・・命だけはっ!」
だが、その哀願の声は届かない。
否、それはすでに聞き終えられていた。
セリアは静かに、そして無感情に、その唇から詠唱が紡がれ始める。
「・・・姿無き根源の器 揺れ動く混沌」
それは、終焉を呼ぶ魔法の始まり。
「絶えず巡る 力の螺旋」
詩のようでありながら、刃のように鋭い響き。
ネザリエルの目が、見開かれる。
「ま、待っ、やめ、ヤメロ・・・!!」
その叫びは、風の中に消えた。
「崩壊と連鎖 暴虐の檻 全てを包む万色の光」
空間が軋み、色彩が飽和していく。七色の残光が幾重にも重なり、次第に一つの核を成していく。
ネザリエルは泣きながら身を引く。血まみれにながら、それでもなお命を乞う。
「ワタシはただ、観測しただけだっ・・・そんな、殺すコトないダロ・・・!? オレハ、間違ってなど・・・」
「絶望と狂気の詩を吟じ 蒙昧なる己が無知を知れ」
そして、無慈悲に術の行使を告げる。
「核撃術式 色滅」
術が行使された瞬間、世界が、黙した。
そして・・・爆ぜた。
世界が裂けるような閃光が迸り、全ての色が色に塗りつぶされ、混じり合い消滅していく。。
その中心にいたネザリエルは、抗う間もなかった。
「・・・ア゛ア゛ア゛ア゛ァアアアアアアアアッッ!!!!!」
もはや言葉ではない、悲鳴だけの叫び。肉体の境界が崩れ、精神の芯すらも分解されていく。防御も、遮断も、転移も、再構成も・・・何も通じない。
ネザリエルの存在そのものが、色の奔流に呑まれ消滅していく。
・・・静寂が終わりを告げる。
そこに残されたものは、何もない。ただ微かに揺れる空気と、鼻腔をくすぐる焦げた匂い。この場にネザリエルが存在した痕跡すら残されていなかった。
『マスター、幻層殿から突入組の退避を確認。個体名:リュカ、フレイアも退避を完了。』
『了解』
セリアは短く返すと、ゆっくりと後ろを振り返る。
『マスター、もう一つ報告があります。色滅による影響でこの空間への出入り口が急速に不安的化しています。』
『残り時間はっ。』
『およそ15秒。』
ーーーまずい・・・時間が・・・。
『マスター、既に準備は整っています。』
ーーー流石だ、《オモイカネ》。
「飛べっ!」
セリアは最後に一度だけ辺りを見渡すと、その姿が消える。
セリアの帰還と同時に、異界の裂け目が閉じ、幻層殿、音もなく沈黙へと包まれていった。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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