第七十三羽. 異界への突入
外で待たせていた調査隊と合流を果たしたエルヴィンは全体を見渡しながら、的確な指示を次々と飛ばしていく。エルヴィンの言葉に誰もが即座に動き、そして無言で応える。その統率力と冷静な判断力は、研究員達にとって絶対的な信頼の象徴のようにセリアには見えた。
そんなエルヴィンの姿を、セリアは少し離れた場所から見つめていた。普段ちゃらけているエルヴィンしか見ていないセリアとって、それは新鮮であり、改めてエルヴィンの優秀さが垣間見えた瞬間だった。
「セリアさん、ボスを見て驚いているでしょ。」
そんなセリアに人影が近寄ってきた。エルヴィンの秘書であるミーアだ。
「えぇ、確かに。まるで別人のようです。」
「アハハッ、そう思いますよね。普段はあんなんなんですけど、こういった場になると人が変わったようにみんなの中心で指示を出し始めるんですよね。」
セリアとミーアが見つめる先では、鋼製の脚を持つ台座が組み上がり、白輝石を接続するための基幹パイプが床を這って張り巡らされていく。物資の搬入には庭園が役立っていた。ハノイの塔にある機器類を何せ片っ端らからストレージに放り込んで行けばよいので搬入事態はすぐに終わった。
「それにしても優秀な人が多いですよね。」
「そうですね。特にサニエルさん、ルネさん、ガルデスさんにアリアさんは、特にそうですね。」
今あげた人物の得意分野や功績をミーアリアは話し始めた。
「と言っても、よく分かっていないんですけどねっ。」
ミーアの話を聞きながら、ユークリッド機関は確かに優秀な人材のるつぼである事を改めてセリアは実感した。そして、セリアが向ける視線の先には話に出ていたサニエルとアヤメが共同で作業に当たっていた
「サニエル、術式杭24本、並べ終えたよ。」
アヤメからの報告を受けてサニエルが術式展開用の魔導タブレットを両手で素早く操作しながら、術式杭の配置を確認していく。このタブレットにはセリアとエルヴィンの視覚から解析した空間の歪みの位置、そして術式杭の最適な配置位置が表示されていた。
「アヤメさん、2番をもう少し右に、それと11番を手前に」
「はぁい。2番はこれね。右と・・・。」
「それでOKです。」
「次は11番ね。これを手前っと。」
「OKです。」
アヤメとサニエルは術式杭を配置を一本ずつ整えていく。
「アヤメさん、OKです。これで術式杭の配置は終了です。」
白輝石の周辺ではエーテルを抽出するための連結作業が進められていた。
「ガルデス、こっちのラインは繋げ終わったぞ。」
「了解だ。そのラインで最後だ。ヴェイン、戻って来てくれっ」
「あぁ、分かった。」
「白輝石、主要五基との接続完了。出力中枢へ変換ライン接続。ルネ、一時経路を確認してくれっ。」
ガルデスが手早く命令を飛ばす。
「エネルギー充填ライン、一次経路は安定。変換炉の温度域、適正内に収束中。ガルデスさん、問題ありません。」
ルネが端末を指で弾き、各ラインの負荷状態を確認する。
「ヴェイン、アルジェントさん二次経路から術式杭へのライン構築に入る。次はこっちを手伝ってくれっ。」
「あぁ、分かった。」
「承知しました。」
ヴェインとアルジェンが慌ただしく動き回り次から次へとガルデスの指示に従ってライン繋げて行く。
「よし、これで終わりだ。ヴェイン、アルジェントさん、そこから離れてくれ。」
ガルデスの指示に従ってその場から離れると、二次経路に向けてエーテルを流し始める。
「二次経路も問題ありません。術式杭へのエーテルを供給も安定しています。」
ルネから報告を聞いたサニエルが術式杭の調整に入る。
「術式杭24本すべて起動。」
魔導タブレットに術式杭の稼働率、共鳴率など様々の情報が表示されている。タブレットを両手で素早く操作しながらサニエルは黙々と術式杭の調整を続けていく。
「干渉制御フィールド、三層目まで同期。次元保護フィールドの再展開、波長の共鳴完了。」
「ガルデスくん、エーテル充填率はどれくらい。」
「現在42%。目標値まであと・・・15分といったところだっ」
「了解。それじゃ、インフラ班はしらばく休憩してていいよっ。」
エルヴィンの声が現場に響き渡った。
◇◇◇◇◇◇
その頃、ハノイの塔一階層にある部屋ではアリアとメルディナの二人は端末を眺めながら、空間干渉と開いた次元の扉を固定するための魔法陣構築に勤しんでいた。
「転位空間の歪曲波動値・・・基準値から3.4%上振れ。これでは安定化計算式が破綻するわ。」
アリアの指が、端末に描かれている三次元エーテルフレームの一点を指し示す。膨大な構造式の中に、複数の演算分岐が高速で書き換えられていく。
「ただの空間干渉じゃない・・・異界からの逆流反応が周期的にノイズを返してる。こっち側で強制的に参照軸を再設定するしかない。」
「ならば、ここを中心にベクトル転換の計を組み込むべきなのじゃ。偏差はこの係数で調整できるはずなのじゃっ」
そう言いながら、メルディナが冷静に演算端末に指を滑らせる。
その姿を見て、アリアは無意識に小さく息を呑んだ。
ーーーほんとうに・・・すべて計算しているのね、メルディナさん。私なら思考が焼き切れてるわ。
しかし実際には、メルディナはほとんど内容を理解しておらず、《オモイカネ》の演算補助が極限まで支援していた。アリアがそれに気づくことは・・・まずない。
「・・・この係数で基礎反応式の同期が取れるのじゃ。あとは補助層の逆波抑制式を挿入すれば、空間亀裂の安定固定が理論的に可能になるのじゃっ。」
「よし、こっちは変動係数の追跡プロット完了。誤差域0.15%、許容範囲内ね。それと想定運用時間は約52分。」
メルディナが端末を閉じ、短く頷いた。
「理論的には、これで開いた扉を閉じさせず、こちら側で一定時間固定できるはずなのじゃ。・・・ただし、その維持には莫大なエーテル出力が必要なのじゃが・・・それは、問題あるまい。」
構築した魔法陣のデータを最上階にいるサニエルに届けるアリア。
「サニエル、この魔法陣を術式杭に入力お願いっ。」
「もう終わったの? アリア。」
「えぇ、メルディナさんのおかげで想像以上に早く構築できたわっ。」
「それは楽しみですねっ。」
アリアから受け取ったデータをタブレットで展開していたサニエルはその内容に唖然とする。内容があまりにも高度な事と、幾つか自分では分からない箇所が存在するからだ。食い入るように魔法陣を眺めていると術式杭への入力が完了した報せがタブレットに表示される。
「エルヴィンさん、こちらの用意は終わりました。」
「了解だよ。サニエルちゃん。」
これを以て、全ての準備が完了した。
◇◇◇◇◇◇
ミーアとみんなの作業を眺めながら休息を取っていたセリアのもとにエルヴィンが顔を見せる。
「セリアちゃん、こっちの準備は整ったよっ。」
エルヴィンの報告に否応なくセリアの顔に緊張の色が浮かぶ。
「それで・・・どれくらいの時間、維持できるんですか。」
「理論上は52分。機器を最大稼働させても1時間、といったところかな。急遽作成した魔法陣なので実績が皆無。それと、アクシデントなどを考慮すると、30分と考えた方がいいと思う。」
「わかりました。ありがとうございます。エルヴィンさん。」
「・・・それと、これに失敗した場合は再突入は不可だと思ってほしい。エネルギー源となる白輝石のエーテル蓄積量は問題ないと思うんだけど、再稼働には長時間の冷却と再調整が必要になる。」
「それを待っていると、確実に閉じてしまうと。」
「その通り・・・。」
「問題ありません。これで終わりにします。時間も30分あれば十分です。」
「それじゃぁ、やりますかっ。」
エルヴィンの声が現場全体へと波紋のように広がっていく。そして・・・その声に全員が配置に着く。
「エーテル充填率99%」
ガルデスの張り上げた声が響く。
「術式杭への安定供給確認。術式杭の共鳴率、67%・・・72%・・・100%。術式展開。座標軸確定開始。」
サニエルが声を張り上げ、タブレットを走査する。臨界稼働による想定外の誤差を常時修正しながら、余計なエネルギーを最小化していく。
その横ではアリアがこの術式に必要な各係数をメルディナと共に調整していく。
「因子共鳴波、基準点突破。外部干渉を抑制、次元境界の剥離を開始します。」
アリアの声が微かに震える。されど、その目はどこまでも冷静だった。
「次元境界の剥離まで、残り10秒・・・9・・・8・・・。」
アリアの声がカウントを刻むたびに、裂け目が確かに息を吹き返していく。
「5、4、3、2・・・」
そして・・・。
「・・・0」
術式杭が描く魔法陣が光を放ち、天井まで届く光柱が轟音と共に展開された。
セリアの瞳に映っていた僅かな空間の歪みが、それが・・・裂けた。
物理法則を否定するかのように、中央の座標が歪み、まるで水面に指を差し込んだように空が波打つ。
「補助円陣起動、虚軸固定!」
サニエルが叫び、最終補助装置の回路が順に起動する。紫がかったエーテル粒子が中央へと集い、既に開きかけていた空間の裂け目が現実へと接続された。
「目標空間・・・接続完了。」
ガルデスが最終確認を取る。
「ルネちゃん、各種ラインと機器に異常は?」
「問題ありません。安定稼働してます。」
張り上げたルネの声を聴いたエルヴィンがセリアに向き直る。
「セリアちゃん、約束通り・・・お膳立ては、ばっちりだろっ。」
「えぇ、十分なほどです。」
「空間境界、安定。保持中・・・カウント開始。」
サニエルの報告に合わせ、突入組は順に足を踏み出していく。
突入組はノブツナ、獅子の心臓、庭園。つまり調査隊に同行している冒険者全員だ。ノブツナは直近出番が無かった事でどうしても、という本人たっての希望。実力的にも申し分ないため、セリアは即答した。獅子の心臓は明らかに力不足なのは否めないが、本人達の意思とは全く関係なく師匠の鶴の一声で参戦が確定した。その時、獅子の心臓の面々が悲壮感漂う顔をセリアに向けたが、セリアは顔を逸らす事しか出来なかった。
続々と空間の裂け目へと突入組が消えて行く中、セリアは最後までそこにいた。
「なぁ、エルヴィン。」
「何かな、セリアちゃ・・・。」
セリアの言葉にきょとんとした顔と一緒にエルヴィンの言葉が止る。セリアがエルヴィンを呼ぶ際、必ず敬称が付いていた。言葉遣いも丁寧だった。
今、敬称を略してエルヴィンの名を呼んだのだ。
「もう・・・待つ必要はないっ。」
「そっかぁ、それは良かった。実は待つの苦手なんだよね、僕は・・・。」
「なら、丁度よかった。」
満足したような、優しさ溢れる顔でエルヴィンはセリアの背中に向かって話しかける。
「行っておいで・・・セリアちゃん。」
「あぁ、行ってくるっ。」
静かに研ぎ澄まされた刃のような覚悟を目に宿し、セリアは静かに足を踏み入れた。
「ボス、セリアさんと何かあったんですか?」
セリアの背中を見送ったミーアは会話の内容が気になり、話しかける。
「何でもないよ。セリアちゃんがほんの少し心を開いてくれた。ただ・・・それだけさっ。」
◇◇◇◇◇◇
異界、そこはセリア達が住まうフェニスティアとは全く異なる様相を見せた。巨大な闇の帳が空を覆い尽くし、そこには星も月も太陽すら存在しない。そもそも見上げているものが空なのか、それすらも怪しい世界。
空気は重く、漂う霧が微かに視界を覆う。光源のない闇の中で、エーテルに微かに反応した構造体が、白磁のような鈍い光を発して周囲を浮かび上がらせていた。
そして、岩とも金属ともつかぬ素材でできた一本道が行く先を指示していた。
「セリアッ、やっと来たかっ。何かあったのかっ。」
霧の帳を払いながらヴェインが姿を見せる。
「いや、大丈夫だ。少しエルヴィンと話をしていただけだっ。」
「そうか、ならいいんだが。」
「それで、みんなは。」
「先行している。今のところ障害になりそうなものは無い。」
しばらく歩を進めると、霧は晴れ大きな門が姿を見せる。その門の前には先行していた突入組の姿があった。そして見知らぬ者が相対するように立っていた。
「セリアねぇ、何かあったの?」
「大丈夫だ。それよりも・・・。」
ネザリエルと同じような黒衣に包まれたその存在は、背筋を伸ばし、整然とした姿勢で到着したセリアを見据える。
「全員揃うまで、正確に言えばセリア様の到着までここで待つようにと、あの者が。」
アルジェントから現状の説明を受けている中、黒衣の存在が口を開く。
「お揃いのようですね。では、始めさせて頂きます。まず初めに私目の名はジルドレ。ネザリエル様の部下のようなものです。」
ジルドレは説明をしながらセリア達に背を向けると、門に軽く手を触れる。すると、門は音も無く静かに開き始める。門が開き切るとジルドレはセリア達に向き直り、仰々しくセリア達に一礼する。
「・・・ようこそ、幻層殿へ」
丁寧に首を垂れるその動作には、どこか儀礼的な荘厳さがあった。
「ここは皆様の為にネザリエル様が特別に用意された領域。階層構造を成し、各層にはいずれも手練れを用意しています。きっと楽しんでいただけると思います。」
ジルドレは再びセリア達に背を向けるとゆっくりと歩き出す。
「第一階層は歪なる番獣の間、知性なき暴力の化身がお相手します。第二階層は詠唱する反響の間、音と波動による広域攻撃を主体とした範囲制圧を得意とする者が待ち受けております。第三階層は双影の使徒の間、速度と幻影を駆使する双子の剣士がお相手します。」
ジルドレは一旦言葉を切ると、もったいぶるように続きを話し出す。
「そして・・・第四階層にはネザリエル様がお待ちになられています。」
門をくぐりながらジルドレが各階層についての説明をしていく。ジルドレの言葉を無言で聞いていたセリアだが、ジルドレの背に向かって問いを投げる。
「・・・なぜそんな情報をわざわざ私達に開示する?」
セリアの問いにジルドレはほんのわずかに首をかしげ、振り返らずに答える。
「さぁ、それは私にも・・・。ネザリエル様の考えを、私目ごときに理解できるものではありませんから。」
肩をすくめたその姿には、歪んだ忠誠と諦観だけが滲んでいた。
ジルドレの歩みが止り、その先には上へと延びる階段が姿を見せる。
「この先が第一層となります。そして私の案内はここまでとなります。では、ご武運を・・・。」
右手を胸に当て軽く頭を下げるジルドレ。
「そうでした。一つお伝えするのを忘れて事柄がありました。攻略についてですが、皆様のお好きなようにして頂いて構いません。順番に攻略するもよし、各階層を並行して攻略しても構いません。今度こそ、失礼いたします。」
そう告げると同時に、ジルドレの姿は空気に溶けるように掻き消えた。
不穏な静寂がその場を包む。残されたのは、ただ冷たく張り詰めた空気と、第一層へと続く階段。
セリアは数歩前へ出ると振り返り、突入組の顔を見渡す。そしてセリアは静かな声で一言発する。
「・・・行くぞ。」
セリアの言葉に言葉をもって返す者はいなかった。だがその代わりに、揺るぎない瞳がセリアに集まる。そこに言葉はいらなかった。すでに全員が同じ方向を見ている。
目指すは、ただ一つ・・・。




