第七十一羽. 決着テュラノス
絶え間なく交差する剣戟。
重く、鋭く、正確無比なエクレシスの刃が振り下ろされる度に床が軋み、空気が震えた。
テュラノスの攻撃をセリアは紙一重の間合いで受け流し、刃を滑らせるようにして後方へ跳ぶ。
セリアの呼吸には乱れもなく、表情には焦りもない。その瞳は、確かにテュラノスという強敵を映しているが、その先にある何かを探っているようだった。
セリアの瞳が微かに細められる。
先程かすかに感じ取った意志よりも強硬な意思をセリアは感じ取った。それは水面に描かれた波紋のように徐々にテュラノスの精神を揺れ動かしていく。
だが、テュラノスは気づいていなかった。
セリアが幾度となく繰り出した刃に精神干渉の術式を織り交ぜていることに。エーテルの揺らぎにまぎれるよう仕込み、テュラノスに感知させぬよう緻密に設計された楔。それがついに、テュラノスの精神を揺れ動かし、支配の均衡を崩し始めていた。
幾合に渡り打ち鳴らされる剣戟の音。幾度となく火花が散り、地鳴り、衝撃が拡散していく。そんな中、テュラノスは少しづつ自分の中に違和感が広がり始めるを感じていた。
そして、その時がきた。
テュラノスの眉間がかすかに寄る。
ーーー今のは・・・。
不快なざわめきが脳髄を撫でた。それは外部からの侵蝕ではない。明らかに内側から、精神の奥底にわだかまる異物。
ーーーまさか・・・テオドール。
既に亡き者として記憶の果てに仕舞い込んだ少年の名が、まるで水底から泡が浮かび上がるようにテュラノスの中に蘇った。
「・・・なぜ、だ・・・。」
思わずテュラノスの口から零れ落ちた言葉。
ーーー消したはず・・・消えたはず・・・いや、確かに・・・。
テュラノスの掌中に落ち、精神すらも消滅した存在。
「・・・ありえんっ!」
否定の声が怒声に似た響きで漏れる。過去、幾度となく他の肉体を渡り歩いたテュラノスの記憶の中に、一度として類似の事象は存在しなかった。
有り得ない事象を目の前に突き付けられたテュラノスの精神は、わずかに崩れ始めていた。
◇◇◇◇◇◇
果てがなく、終わりも始まりもない、深淵のような闇。
何も見えず、何も聞こえず、思考は薄く漂い、自我すらも周囲に溶け込んでいた。ここが何処なのか、どれほどの時を経たものなのか、もう分からない。
だが、そんな常態にほんの微かではあるが、変化が訪れた。自我がわずかに集まり初め、思考がわずかに回転しはじめた。
ーーー・・・誰かが・・・呼んでいる・・・?
声ではない。音でもない。けれど確かに呼びかける何かが、そこにあった。再構築される自我、クリアになる思考。
ーーー・・・ここは・・・どこだ・・・。
そして自身の名を取り戻した少年。
その瞬間、今まで感じなかった感覚がテオドールを襲う。自身の身体に何重にも絡みつく鉄の鎖が重さで軋む感覚。
心を縛り、動きを封じ、光を奪っていた非在の呪縛。
「・・・足掻け、・・・藻掻けっ。」
何処からか、誰からなのか分からぬ声にテオドールの魂は呻きを上げ、火が灯る。
「・・・っ・・・ぉ・・・」
声にならない声を上げ、かすかに喉元に熱が戻る。思念と呼ぶには拙い感覚が、内側から波紋のように広がって行く。
永遠の呪縛が、きしみを上げて壊れ始めた。
鎖が震え、束縛が裂ける感触が、皮膚を伝って這い上がってくる。それは痛みでもあり、自由のという名の快楽でもあり解放の兆しだった。
忘れていた重さ。足元が存在するという感覚。踏みしめるという行為を、再び思い出す。そして、何処まで続く闇の中、テオドールはようやく”立っている”と自覚した。
その瞬間、硬く、冷たい枷が、音を立てて砕け散って行く。
それでも、足元は何も見えず、瞳は何も映さず、虚無の感覚が五感を通じてテオドールに伝わってくる。
「・・・歩け、・・・前へ進め、その両の足でっ。」
再び聞こえるその声と同時に、テオドールは何かを感じた。どこか遠くから、微かな光と気配が、自身の存在を刺激する何かを。
そして何かが、優しく包み込む。意識の底に届くほどに深く。それは言葉ではなかった。
声でも、手でもない。けれど、確かに”在る者の意志”。
テオドールは、意思を宿した目を携え、一歩を踏み出す。
ーーー・・・歩けるっ。
踏み出したテオドールの足を中心に光が広がり、何も存在しないはずの虚無に何処まで続く路が現れた。
歩くたびに、内から意思が湧き上がる。次第にその足は速くなり、いつしかテオドールの足は駆けていた。
遥か先にある、わずかに・・・本当に、わずかに、揺らめく光に向かって。
突如、テオドールを支えていた光の路が音も無く崩れ始める。揺らめく光まであともう一歩というところで。必死に手を伸ばして掴み取ろうとするが、そのあと少しが果てしなく遠くテオドールに諦め身持ちが浮かび上がった。
それでも必死に藻掻くテオドールの身体が重力に引かれ始めたその時、光り輝く手が差し伸べられた。
ーーー掴むんだっ、この手を・・・。
重力の糸を振り払うかのように、テオドールはその手を・・・掴んだ。
掌に伝わる確かな感触。包まれる感覚に身を委ねテオドールは自分の意識が薄れて行くのを感じていた。
◇◇◇◇◇◇
不快なざわめきがテュラノスを襲う。
瞳孔が開き、見開かれた瞳、テュラノスは自分の身体に起きた感覚に膝を着き、苦悶の表情を浮かべる。
テュラノスは即座にエーテルの流れを組み替え、己が精神核に干渉するような術式を展開する。それはかつて、テオドールの意識を封じるために使用した、封印結界の再起動だった。
「何故だっ・・・何故。貴様の意識は・・・消滅しないっ。何故だぁぁっ!!」
テュラノス・クィントゥスの咆哮が戦場に響く。声と共に、彼の両目が不自然に震えた。焦燥と苛立ちが混じり、額には滲むように汗が浮かび上がっている。
テオドールの意識が覚醒した事で、身体の制御が効かず、動きの一つひとつが、まるで別の存在に引っ張られているかのように歪んでいた。。
そして、テュラノスの理性が揺らぎはじめ、瞳が恐怖の色に染まりかける。
「終わりだ、テュラノス。おとなしく滅びを受け入れろっ。」
「・・・滅び、だと・・・・」
その言葉が、彼の心を貫いた。まるで心臓を撃ち抜かれたような衝撃が全身に走る。
「・・・あってはならぬっ。余が・・・滅びるなど、あってはならぬ、断じてっ!」
歯を食いしばり、理性の仮面がひび割れ、その下に剥き出しの敵意がセリアを睨みつける。だがその怒りすら、内側から膨らむ焦燥に押し潰されそうになっていた。もはや精神の内部では、テオドールの意識が完全な目覚めの寸前まで来ていた。
「・・・滅びるわけにはいかぬっ!」
震え力の入らない足に力を込め、無理やりに身体を従え立ち上がるテュラノス。
「応えよっ。我が呼び声に応え、その力を示せ!」
掌を掲げ、叫ぶテュラノスに呼応するかのように白輝石の柱が軋みを上げ、蒼白の輝きが空間全体を塗り潰していく。
主の呼び声に応え、エーテルの収束を始める。
閃光が爆ぜた。その光の中から狂気を孕んだテュラノスの声が響き渡り、テュラノスの身体が膨れ上がっていく。
「我が理想は、ただの夢想ではない。
嘆き、絶望、その先に築き上げた人の世の完成形。
誰もが救われ、誰もが迷わぬ、完全なる秩序。
それが、今ここで潰えてなるものか。
我が呼び声に応え、その力を示せ。
ここに刻め。
世界に新たなる秩序の胎動を・・・我が理を刻む最初の刻印!」
掲げた手の甲に刻印のような物が浮かび上がり、全身の肌理が亀裂のように発光しはじめる。白輝石が膨大なエネルギーを送り込み、テュラノスの肉体をこの世ならざる異形の存在として創りく替えていく。
身に纏っていた装束は裂け、白金に輝く鎧のような構造体がその下から現れる。テュラノスの愛刀であるエクレシスも変容を遂げる。右腕と一体化し、燃え盛るような光を纏った一振へと。
「ウオオオォァァァッッッ!!!」
咆哮が塔の天蓋を貫いた。拒絶、憤怒、執念、そして・・・滅びへの本能的な恐怖を孕んだ狂気に満ちた咆哮。
すべてが混ざり合った叫びが、音という形で空間を満たしていく。
「理想の為に・・・理性を捨てたか。」
セリアは目を細め、その様を静かに見据えていた。
「テュラノス、お前の理想に吞み込まれつもりはないっ。全力で抗わせてもらうっ。」
セリアは静かに《スサノヲ》を構えながら呟いた。
テュラノスは猛獣のような雄叫びと共にエクレシスを振り上げる。振り下ろされた瞬間、空気が破裂した。セリアは咄嗟に《スサノヲ》を交差させて受け止めるも、その衝撃は地を震わせ、二人の足元に放射状の亀裂を生む。
「・・・くっ」
全身に圧がのしかかる。《スサノヲ》越しに伝わる重さは、もはや武器ではなく質量兵器。踏みとどまる足が軋み、体勢が崩れる寸前、セリアは咄嗟に刀身を滑らせて受け流す。エクレシスの刃が火花を撒きながら軌道を逸れ、同時にセリアの姿が掻き消える。
神速の移動。そして、影技・刺閃。
直後、テュラノスの背後に現れたセリアが渾身の一閃を放つ。
しかし、テュラノスは振り返らずに左腕を差し出し、闇の外殻が盾のようにせり出す。セリアの刃はそれに食い込み、火花を散らすが、穿つ事が出来ず収束していたエーテルが霧散する。
セリアの攻撃を受けながらも放たれたテュラノスの一撃がセリアを跳ね飛ばす。セリアは空中で身を捻って受け身を取り、深く息を吐いた。
変容したテュラノスは、エーテルの出力も、戦闘における反応速度も、すべてが先程までのそれを明らかに凌駕していた。
テュラノスは唸り声をあげながら自身の背より六条の光を放射する。それは羽のように展開し、まるで意志を持つ触手のように蠢いていた。
次の瞬間、セリアは地を蹴る。
その動きはまさに閃光。
六条の光を紙一重で躱しながらセリアはテュラノスに向けて駆け出す。六条の光と共に幾度となく唸りを上げて振り下ろされるエクレシスは、地を砕く剛撃。質量も速度も、常軌を逸していた。
迫りくる攻撃の全てを舞うよう回避するセリア。そしてその姿はテュラノスの懐へと辿り着く。だがそこに待ち構えていたのは、唸りを上げる左拳であった。
咄嗟に後方へ飛ぶことで威力を軽減したが、宙に投げ出されたセリアの身体は恰好の餌食となった。宙で翻り態勢を整えたセリアは迫りくる六条の光を目の前に《スサノヲ》を軽く薙ぐ。
その刹那、セリアの周囲に花びらが舞い踊る。花びらは六条の光を覆い尽くし、消滅させるとテュラノスの周囲を漂い始める。
「影技・捌ノ型 八閃幻舞・爆」
テュラノスを覆う無数の花びらが、セリアの言葉に従い次々と爆ぜていく。テュラノスは咆哮を上げながら爆発の渦へと沈んでいく。
爆発の最中、再び咆哮が轟く。周囲の爆炎を跳ね除け現れた姿は、満身創痍の一言だった。皮膚の至る所は焼け焦げ爛れ、エクレシスも刀身の半ばから折れていた。
だが、それでも瞳の奥にある本能とも言うべき執着に陰りの色は見られなかった。
そんなテュラノスの姿をセリアは憐れみを湛えた瞳で見つめた。
テュラノスの瞳はもはや理性を宿さぬ虚無の窪みとなり、白輝石のシステムの一部とり、執着心とう動力で動く操り人形と化した古の覇王の成れの果て。
本来ならもう動く事の叶わない身体に白輝石がエーテルを送り込む。徐々に傷が癒えはじめ、テュラノスの瞳が妖しく輝き始める。
セリアは《スサノヲ》を横に構えると、左手を根本付近に添え、詠唱と共に切っ先へゆっくりと移動させる。
「静寂に至りし路
導くは千の御手 照らすは千の眼
交わり 溶け合い 森羅万象の果て
帰すは始まりの場所 我が導きを以て至れ」
左手が辿った《スサノヲ》の表面には紅い紋様が幾重にも浮かび上がり、エーテルが収束していく。
「奧技・終ノ型 神音」
セリアは静かに渾身の一振りを放つ。冒険者ギルドで受け取った少年少女の切なる願いを込めて。
光が一閃し、その場の全てを支配する。傷なき巨体が静かにその場で崩れ落ち、白輝石の柱もその役目を終えたかのように沈黙する。
時が凍りついたかのような静寂の中、変容したテュラノスの身体が砕け、エーテルが蒸発し宙へと消えていく。後に残るは少年の姿。
「・・・ここは・・・?」
光の残滓と化したエーテルが漂う空間に、立ち上がるひとつの人影。床に横たわる少年と同じ容姿を持つ少年の姿。
本来の身体の持ち主であるテオドール。
少年の瞳に宿る意志は確かに、自らのものだった。
長きにわたる支配の眠りから解き放たれた少年は、静かに横たわる自分の身体を見つめ、重く、そして確かに、息を吐いた。
微かに目を開けたテュラノスが口を僅かに開く。
「まさか・・・余が敗れるとは・・・。これは余が贈る最後の褒美だ・・・ありがたく受け取れ・・・」
その言葉を最後にテュラノスの精神が消滅したのをセリアは感じ取った。そして横たわるテュラノスのから漏れる出た光の残滓がテオドールと溶け合うと、エーテル体のテオドールの姿が静かに消えて行った。
◇◇◇◇◇◇
テュラノスの消滅によって、干渉障壁が消え去り、拡張されていた空間はいつの間にかもとに戻っていた。白輝石の柱が沈黙した事で空間を満たして高密度のエーテルもいつの間にか感じなくなっていた。
「セリアねぇっ!」
最初に駆け寄ってきたのはアヤメだった。真っ直ぐにセリアの元へ走り寄ると、、思いきりセリアに抱きつくアヤメ。
「無事で良かった・・・」
「心配かけたな。」
柔らかく笑い、アヤメを見つめるセリアの瞳は、張り詰めた緊張の糸が解け柔らかさが戻っていた。その背後からはアルジェント、メルディナ、ヴェインらが次々と姿を現す。
「セリア様、ご無事で何よりです。」
「無事なようで何よりなのじゃっ。」
「流石だなっ。セリア。」
「セリアちゃんなら、やると思ってたよっ。」
そしてその後ろからリュカとフレイアが顔を出す。
「ママ・・・大丈夫?痛くない?」
アヤメが離れとセリアはしゃがみ込みふたりの顔を見て答える。
「大丈夫っ。何処も痛くないよ。」
そう言って手を広げると、リュカとフレイアは勢い良くセリアに駆け寄る。心配そうにセリアを見ていた顔には満面の笑みが溢れていた。
「セリア様、この少年はもう大丈夫なのでしょうか。」
テオドールの側で膝を着くアルジェントが慎重な声色でセリアに尋ねた。
「目を覚ますのに時間が掛かるかもしれないが、もう心配はいらない。既にテュラノスの気配は感じない。」
「それじゃぁ、後はこの少年を保護して帰れば、ギルドの依頼は達成だねっ」
「そうだねっ。こんなとこから早くおさらばしようっ」
アヤメの言葉に頷くエルヴィンに疑問の声が上がる。
「ところで、エルヴィン様、ここからどうやって脱出するのでしょうか?」
アルジェントの質問に慌てた雰囲気でエルヴィンが答える。
「えっ、僕知らないよっ。」
エルヴィンの冗談のような言葉に一同が言い合いをしている中、この空間に異常が生じたのはその時だった。空間が音もなく震え、何かが軋むような世界そのものが悲鳴を上げるような重低音が響き渡る。
次の瞬間、空が割れた。空間に裂け目が走り、ガラスを砕くような鋭い音と共に空間が砕け落ちる。
砕けた先から覗くのは、歪んだ空間。
そして、色も形も定まらない、捻じれた断層の向こうから異形の存在が姿を現しす。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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