第五羽. 辺境伯のご令嬢
風に揺れる樹々の梢と、抜けるような青空。テトラに身を預けたまま、セリアは視界に広がる景色を静かに眺めていた。
降下しながらのワイバーンの群れ、そしてレッサードラゴンとの戦闘。戦闘中に感じていた高揚感もすっかりと遠のき、無茶とも思えた戦闘への満足感が胸の中に残っていた。
そして、浮遊島から飛び降りるという無謀を本当にやり遂げたのだという実感が、セリアの胸の中に遅れて満ちてきた。
右の掌を空に突き出し、セリアは指の隙間から零れ落ちるハレーションを暫く眺めていた。やがて小さく息を吐き、何かを決意したように掲げていた右手を握りしめる。
「さぁて、街を目指すとしますかぁっ。」
そう言って身を起こすと、セリアはテトラの身体から勢いよく飛び降りた。その直後、先ほどまでの巨大さが嘘だったかのように、テトラの身体が収縮していった。まるで風船の中の空気が抜けていくようにみるみる小さくなっていくその姿。
ーーー消えた質量は何処へ・・・。
小さく愛らしくなったテトラのその姿を見つめながら、セリアが漠然とした疑問を抱いていた。
ーーーそんなこと、考えてしょうがないか・・・。
気持ちを切り替え、軽く息を整えたところで、セリアはようやく周囲の違和感に気づいた。視界の端に植物の緑とは明らかに違う色が混じっていることに。草を押し潰して転がる影、濡れた黒。折れた角、裂けた翼。目を凝らすほどに増えていく魔物の死体が、辺り一面に散らばっていた。
「・・・?」
一瞬、思考が停止する。
さっきまで透き通るような青空と青々とした樹々を映していた視界が、いつの間にか魔物の死骸で埋め尽くされる。そんな落差にセリアは、一瞬にして憂鬱な気分へとなっていく。そして鼻先に運ばれてくる生温い鉄の匂いが、さらにその感情を加速させた。
それと同時に先ほどまで巨大なテトラに身を包まれていたとは言え、周囲にこれだけの惨状が広がっていたことに全く気が付かなかった。その事実に、セリアは自分が少し間抜けに思えた。
これだけの数の魔物が倒れている。それが偶然であるわけがない。セリアは無意識に地面で飛び跳ねているテトラへ視線を向ける。
「テトラ・・・周りのこれは、いったい?」
『したいだよ~!』
周囲の異様な光景についてテトラに尋ねると、いつもの明るい気の抜けた声がセリアの脳内に響いた。テトラの応えは、確かに答えとしては間違っていない。だが今知りたいのは、そんなことでは無い。
改めて周囲を見渡すセリア。周囲に散らばる魔物の死骸は、ざっと数えても十や二十では無い。
「そ、そうなんだが・・・そういうことを聞いているわけではなくてね・・・全部、テトラが倒したのかな?」
『えぇ~と、おそいかかってきたから、かってやったの!!!』
その声は誇らしげですらあった。そして褒めてと言わんばかりに、セリアの周りをぴょんぴょんと跳ねていた。
「あ、ありがとう、テトラ!」
その言葉を聞いたテトラが、嬉しそうに、さらに勢いよく飛び跳ねた。
ーーーこうしていると可愛いんだけどなぁ。
飛び跳ねるテトラを眺めながら、率直な感想を胸の中で漏らす。一方で周囲へと視線を巡らせながら、もう一つの感想が浮かび上がる。
ーーー恐ろしい子だな。
可愛らしい見た目で、この惨状とは。その落差が、どうにも現実感を狂わせる。そして現時点だと自分よりテトラの方が強いのでは、と思わざるを得なかった。
「・・・とりあえず。」
現状を把握するために、セリアは、テトラのステータスを確認する。
ーーーステータス。
セリアの視界に半透明のスクリーンのような物が浮かび上がる。
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【名前】 :名前:テトラ
【種族】 :テトラエレメンタルスライム
【性別】 :不明
【称号】 :なし
【スキル】:四属性魔法、四属性魔法無効、物理無効、膨張縮小、分裂、吸収
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「・・・。」
テトラのステータスを眺めながら、言葉が喉の奥で止まる。
スキル内容が明らかにおかしい。最後に確認したときには四属性魔法無効、物理無効などは無かったはずである。物理攻撃と四属性魔法が無効であれば、人であれ魔物であれ攻撃手段が無いに等しい。現時点でテトラがセリアより強いのは明らかであった。
その事実に若干落ち込み、セリアはテトラのステータスをそっと閉じる。
『あるじ~、どうかした?』
その無邪気な声に、セリアは小さく息を吐いた。
「なんでもない・・・いや、あるといえば、あるんだが・・・。」
言葉を選びかけて、やめる。
説明しても、理解されないと分かっていた。
ーーー本当に、恐ろしい子だな・・・。
だが同時に、これからの旅において、これほど心強い存在もない。それもまた事実であり、セリアは気持ちを切り替え、テトラを心強い旅の友と思うことにした。
胸中に複雑な思いを巡らせているセリアことなど知らぬ存ぜぬとばかりに左肩に乗ってきたテトラが、さも当然のように胸元に移動を開始する。
そしてそのまま胸の谷間に収まろうとするテトラを摘まみ上げるセリア。
「そこに、入るのはやめなさいっ!」
『だって、いごこちがよいからぁ~。』
一喝するセリアに、全く反省の色を示さないテトラ。
「フードの中か肩の上に乗ってること。それとむやみに乙女の谷間に入らないことっ!」
『は~い!』
そんなテトラの反応に苦笑しながら、セリアは左肩にテトラを乗せて歩き出した。だが、その足は直ぐ止まることになる。何故ならどちらに進めば街道にぶつかるのかさっぱり分からない。セリアが途方に暮れていたその時だった。
ズン、と腹の奥を叩かれるような、鈍く重い衝撃音が響き渡った。乾いた破裂音ではなく、雷鳴とも異なる、まるで地面そのものが、一度だけ深く呻いたかのような音だった。
「・・・今のは?」
衝撃音は一瞬で消え、森は再び静寂に包まれた。森の至る所から鳥や獣の鳴き声が響き渡り、ざわめきが広がっていた。だが衝撃音が轟くことはなかった。
だが、この場で確かに分かるのは、何処かで何かが起こったという事実。セリアは無意識に音がした方角に目を向ける。
樹々の隙間、葉の重なりの向こうに微かに見える黒煙。
『《オモイカネ》、正確な位置を特定できるか?』
『マスター、解析が完了。情報を表示します。』
間を置かず、《オモイカネ》からの解析結果がセリアに届く。視界の片隅に小さな情報ウィンドウが浮かぶ。文字列が一行、また一行と並び、冷静に状況を切り分けていく。
ーー音源推定:北東。
ーー距離:およそ千二百メートル。
ーー衝撃波到達:なし。二次振動:微弱。
ーー燃焼反応:あり。煙源確認。
表示された情報にセリアは小さく息を吐いた。
「・・・千二百。思ったより近いな。」
そして、次の報告が続く。
ーー周辺地形:踏圧痕多数。
ーー街道相当の地形を確認。
「街道・・・か。」
今の状況を考えれば、これほどありがたい情報はない。同時に、煙が上がっているという事実だけで、状況が穏当でないことも分かる。
セリアは黒煙が滲む方角をもう一度だけ見上げ、左肩のテトラに視線を落とした。
「テトラ。行くぞっ。」
『りょーかい!』
テトラの軽い返事に、セリアは《オモイカネ》が示す方角に向けて足を踏み出す。セリアが走り出した直後、《オモイカネ》からさらなる報告が届く。
『マスター、先のワイバーンとレッサードラゴンとの戦闘経験により、転移スキルがアップグレードしました。』
転移距離の拡張により視認範囲外であっても座標が特定出来れば、目的の場所に転移可能になった。《オモイカネ》からの報告を確かめるように指定座標の手前に転移する。次の瞬間、セリアの姿は現場から少し離れた樹の枝にあった。
セリアの視線の先には、豪華な馬車が一台。明らかに街道を行き交う商人や街道馬車とは異なる造りだ。馬車の前方には争った跡と黒く焦げた跡が。焦げ跡からは煙が細く立ち上り、焼け焦げた匂いが一帯に立ち込めていた。
馬車の周りには、見るからに騎士と分かるような鎧を着た者が数名。その脇には既に事切れた騎士が数名。そしてそれを取り囲むように、馬車の前方に15、後方に4。騎士側に分が悪いの火を見るより明らかであった。
「・・・盗賊の類い、か。」
騎士を取り囲んでいる者たちの風体を見ながら、呟くセリア。
「辺境伯騎士団の名にかけて、お嬢様を守り切れっ!」
鼓舞をし続け何とか士気を保とうとしているが、風前の灯なのは自明の理である。さらに辺境伯と言っている以上、馬車には乗るのは貴族。
助けるか、見捨てるか、それは確認してから決めるつもりでいた。だがその場に居合わせれば、見捨てるという選択肢は、セリアの中に湧いてこなかった。
あまり貴族とは関わりたくは無かった。それでも見捨てるという選択肢はあまりにも後味が悪い。せめて真っ当な貴族であることを祈り、枝から飛び下り、戦闘現場へと近づいていく。
「横槍を入れて申し訳ないが、どちらが悪者かな?」
セリアの問いに対して、騎士団の隊長らしき人物が即座に返答する。
「我々はアデルフィート辺境伯が騎士団。ご助力頂きたいっ!」
「私にも打算があるので・・・そこは、お忘れなくっ。」
そう言ってセリアは瞬時に馬車の前へと移動する。
「この方たちの生死は問わないと思っていいのかな?」
「あぁ、問わない。仮に生き残りがいたとしても、どのみち死罪だ。」
「了解、こちらは私が引き受けるので、後方はお願いします。」
騎士に答えながら指を鳴らす。すると馬車を中心に結界が形成される。
「多少の攻撃なら弾くので馬車は安全です。」
『テトラ、念のため馬車の護衛を頼む。』
『りょーかい!』
そういってセリアの肩から下りると、テトラは馬車の屋根に移動していった。
『それと《オモイカネ》、今回は支援なしで。対人戦闘訓練も兼ねているから。』
『承知しました。ただし、万一の場合は即時に介入しますっ!』
ーーー心配性だなぁ。
《オモイカネ》の強い意志に、セリアはちょっとした感想を抱いていた。自分たちが無視されている。セリアのそんな雰囲気に、盗賊の一人が苛立ちを隠そうともせずに怒鳴り声を上げた。
「無視してんじゃねえぞっ!」
「たかが獣風情が調子にのるなぁぁ!!!」
さらにセリアの正面にいる男が、セリアの身体を隅から隅まで舐め回すように眺める。
「獣風情だが・・・いい身体してるじゃないか。あとでたっぷり遊んでやるよ!!!」
その台詞と共に下卑た笑いがこだまする。
「はぁぁ、その要望は叶えられないな。なにせ・・・ここで全員、私に刈られるのだからっ!」
溜息交じり告げると、《ツクヨミ》をストレージから出現させる。
「かかってきなっ!」
左手の掌を上に向けて、指を折曲げる動作をしながら盗賊を挑発する。
「全てを略奪しろ!!!」
ボスらしき者の掛け声に呼応して盗賊が一斉に迫ってきた。
まず真正面から向かってきた男の剣を柄で弾き、間髪入れずに鳩尾へ蹴りを叩き込む。男は呻き声を上げながら後方へ吹き飛び、これで中央の流れが一瞬止まった。
その隙に左右から迫ったきた六人を、鎌の一振りでまとめて薙ぐ。刃は胴を上下に断ち切り、返す動きで後方から飛来した矢を回転させた鎌で弾き落とした。
「・・・残り八っ。」
最初に蹴り飛ばした男は、もう起き上がることはない。そして目の前で起きた一連の出来事に、盗賊の足が止まる。
「先程までの威勢はどうした?」
セリアは一歩踏み出し、左腕を胸の下に添えて強調する。
「この身体を弄びたいのだろ。さぁ、かかってこいっ!」
舌なめずりしながらの挑発に、数人の盗賊が歯噛みする。
「来ないのか。なら・・・こちらから行くぞっ。」
一気に間合いを詰め、そのまま鎌を横一文字に振り抜く。二つの首が宙を舞った。その勢いのまま体を回転させて前進し、弓を構えている一人を袈裟斬りに、さらに右隣を左逆袈裟斬りにて切り裂く。
次の行動に移ろうとした瞬間、何かを感じて後方へ跳ぶ。直前まで立っていた場所に、炎が叩きつけられた。
「ほぉ、よく避けたな。」
「あとは俺がやる。お前ら、下がれっ!」
生き残っている三人が即座に後退し、代わって一人の男が前へと歩み出る。
「俺の名はガロアだ。この盗賊団を率いている。名前を教えちゃくれないか?」
「私はセリア。ただの通りすがりだ。」
セリアが答え終えるのと同時に、ガロアが切り掛かってきた。初撃をかわし、即座にセリアが切り返す。その一撃を、ガロアは柄で受け止めた。
「かなり、やるな。どうだ俺の仲間にならないか?」
「冗談にしても笑えないな。それに・・・弱いやつの下につく気はないっ!」
剣を押し返しガロアが数歩下がったところを、セリアは《ツクヨミ》を回転させ石突を鳩尾へ叩き込む。
「シャドー・オブ・ペイン」
それと同時にセリアは魔法を放った。
ガロアは身体を激しく痙攣させると、そのまま崩れ落ちた。周囲を見渡すと残っていた盗賊は、既に散り散りに逃げ去っていた。逃げ去る後ろ姿を一瞥したセリアは、追撃の判断をせずに《ツクヨミ》をストレージへと格納する。
後ろを振り向けば、馬車の後方もすでに制圧が完了したところだった。剣を鞘に収め、隊長らしき人物がこちらに近寄ってくる。
「私はパブロフ、この隊の隊長を務めている。貴殿には感謝する。」
「そんなに気にしなくていい。こちらにも打算があります。」
地面に伏している敵の首領を見て質問をしてくる。
「これは・・・どうなっているのだ?」
「あぁ、これは私の魔法で動けなくしている。麻痺、暗闇、毒といった状態異常を対象に付与する魔法です。」
そう答えながら、ストレージから紐を取り出し、ガロアを手早く縛り上げていく。
そんなやり取りをしていると、馬車の扉が開き、一人の少女が降りてきた。金髪を陽に煌めかせ、ぱっと見でも高価で仕立ての良さがわかる衣服を身に着けている。この世界の基準はわからないが、少女は日本人の感覚でも美人と呼んで差し支えない容姿だった。
少女はセリアの前まで来ると、丁寧に一礼する。その所作は外見も相まって、優雅でいっそうの高貴さを醸し出していた。
「この度は、危ないところを助けて頂き、誠にありがとうございます。アデルフィート辺境伯の次女、シルク・アデルフィートと申します。」
セリアは軽く頭を下げ、自己紹介を返す。
「これはご丁寧に、私はセリアと申します。しがない旅人です。」
シルクは少し遠慮がちに、言葉を選びながら尋ねてきた。
「あ、あのぉ・・・セリア様。これから、父が治める街、領都ローレルに向かうのですが、よろしけれ・・・ご一緒していただけませんか?」
「構いませんよ。ただ無作法なのはご了承ください。」
その提案に笑顔で答えると、シルクの顔に満面の笑みが広がった。
「では、ご一緒に参りましょう!」
シルクはセリアの手を取り歩き出そうとする。
「シルク様、少しお待ちください。私は少々やることがあります。お先に馬車にお戻りください。」
シルクを馬車へと促し、パブロフに向き直った。
「パブロフ殿、亡くなられた騎士達の遺体はどうされるのですか?」
「騎士達の亡骸はローレルまで運びたいのだが・・・」
亡くなった騎士達をローレルに連れて帰れない悔しさに顔を歪めるパブロフを見て、セリアは一つの提案を持ちかけた。
「亡くなられた騎士達は私がローレルまでお運びいたします。」
「それはありがたい。そかし・・・どうやって?」
疑問を口にするパブロフに応えず、セリアは騎士の亡骸へと近づく。次の瞬間、亡骸が何もなかったかのように消えていった。
全ての亡骸を収容し終えたセリアは、呆然としているガロアのもとに戻ってくる。
「色々と収容する能力を持ち合わせているので。」
「助かります。このままここで埋葬するつもりでした・・・これで、彼らを家族のもとに返せます。」
パブロフが深々と頭を下げ、お礼を言う。
そのあと、盗賊の遺体処理などを済ませ、出発の準備が整う。領都ローレルに向かい始めた頃には、空が赤く染まり始めていた。




