第七十羽. テュラノスという男
ハノイの塔最上階である第四層、そこに足を踏み入れたセリア達の肌を張り詰めた空気が刺す。
そこはまるで、戦うためだけに設計されたかのような広大な空間だった。天井は遥か高みにあり、壁も床も同じく青白い魔晶石で形作られている。無駄な装飾もなくただ静けさだけが支配するこの空間を濃密なエーテルが満す。
そして、視線の先。空間の最奥・・・数段、高みに据えられた玉座の階段。その上に、一人の少年が座している。
名をテュラノス・クィントゥス。クィントゥス朝を数千年にわたり支配した古の王。そしてメールトュールから始まる一連の出来事を操っていた張本人。
玉座の身を委ねる少年は、脚を組み、左肘を玉座の肘掛けに預けた姿勢で静かに瞼を閉じていた。顎に添えた指先は僅かに曲がり、沈思する賢王のようでもあり、退屈を持て余す王のようでもある。その身に纏う装束は、柔らかな光を反射する銀白を基調に、淡い蒼と金の縁取りが施されたもの。戦場には似つかわしくない、まるで神殿の高位神官のような威厳と清浄を湛えている。
玉座の王は沈黙のまま、静かに、ただ静かにその時を待っていた。
玉座の背後には巨大な白輝石の柱が圧倒的な存在感を示し、淡く輝きを放つたびにテュラノスの装束もまた、光に照らされて幻影のように揺らめく。しかし、その姿が幻でないことは、空間を満たす緊張と静寂が証明していた。
「まさか・・・あんな巨大な白輝石が存在するとは想定外なのじゃ。」
メルディナの緊張感の籠った声が事態の最悪さを示していた。白輝石、その言葉にセリアは始原の迷宮で対峙した擬態型人造兵器の事が頭を過った。その時の白輝石ですら掌に乗る程度の大きさしかなかった。
「メルちゃん、それで・・・その、白輝石というは何なんだい。」
「エルヴィン・・・あなたも考古学者なら”白き悪魔”という言葉に聞き覚えがあるはずなのじゃ。」
「ま、まさか、あれが・・・しかも、あんなに巨大な・・・。」
メルディナの言葉にエルヴィンは表情が張り付き、呻くように言葉を縛りだした。
その時、わずかな気配の変化が空間を伝播する。
静かに、ゆっくりと、閉じられていたテュラノスの瞼が開かれる。
「・・・余を挑発した割には、辿り着くのが随分と遅かったな。とは言え、ここまで辿り着いた事は、称賛に値する。そこでだ、余からひとつ・・・提案がある。」
考える素振りを見せるかの様に軽く瞼を閉じるテュラノス。
そして、緩やかなに閉じた瞼を開けると組んだ脚はそのままに、僅かに微笑しながらその右手を前方に差し伸べる。掌を上に向け、まるで、この手を取ってみよ、とでも言わんばかりに、柔らかな仕草のまま言葉を発する。
「才を持ち、力を携え、信を貫き、ここまで至った者達よ。我が理に加わることを許そう。」
その言葉は、全員に向けられたものだった。だが次の瞬間、テュラノスの目がわずかに細められ、視線が一点に定まる。
「・・・中でも、セリア、そなたの才は筆舌に尽くし難い。」
王の声は変わらず穏やかだったが、その中には深い確信と、明確な評価が込められていた。
「強さに驕らず、弱さに流されず、自らの道を貫いてきた。その力、我が右に並び立つのに十分すぎる資格がある。」
玉座の王は、ひときわ穏やかな笑みを浮かべた。
「そなたには、特別の地位を約束しよう。人の世を導く“理の片翼”として、我が側に立て。セリア」
空間の静寂が張りつめた弦のように鳴った。選択を迫る王の掌は、いまだ宙にある。
「・・・・・・。」
セリアは答えなかった。伸ばされた王の掌を、鋭くも静かな瞳で見つめ・・・ただ、沈黙をもって応じた。
言葉ではなく、沈黙という意志で。
「そうか。やはり、その目は・・・」
肘を肘掛けから離すと静かに背筋を伸ばし、重々しい動作でゆっくりと腰を上げるテュラノス。玉座の影が淡く揺れ、テュラノスの影が床へと伸びる。そのまま数歩前へと進み壇の縁にまで歩み寄ると、セリア達を見下ろし・・・その瞳を細めた。
「かつて、余は過ちを犯した。国を割り、崩壊に導き、終焉を迎えるというな。その結果、民草を絶望の淵に追いやり、弱き為政者が支配する世を作るきっかけを与えてしまった。」
当時の事を思い起こしたのか、テュラノスの顔は慚愧の念に歪んでいた。ゆっくりと片腕を掲げ握った拳を自分の顔の辺りまで降ろす。そしてテュラノスは叫ぶ。
「力なき為政者が王座に座する時、秩序は崩れ、法は玩具と成り果て、民は混迷の泥に沈む。力なき為政者ほど、世界を壊す毒はない。」
握った拳を解くと両の手を広げ、天を仰ぐ。
「ゆえにこそ、力ある我が手によって管理、運営された先にのみ、世界が幸福へと至り、未来がある。見よ、この塔を。この空間を。これこそ、我が罪の檻にして、新たなる秩序の胎動の場・・・」
テュラノスを包む空気が一瞬震えた。
「人の世は、絶えず争い、壊れ、疲弊していく・・・ならばっ!」
拳を握りしめ、地を打つように振り下ろす。
「力なき王が築けぬ理想を、余が現実にて成就せん。万世を統べし覇王にして、死をも拒みし永劫の支配者。この先にこそ・・・正しき未来はあるのだっ!」
テュラノスの声が天へと放たれ、白輝石の柱が微かに淡く光を揺らす。その余韻が空間に広がると同時に、場には静寂が降りた。
まるで、空間そのものが呼吸を止めたかのような一瞬。
一拍、間。
そして、テュラノスはゆっくりとその場に視線を落とす。玉座へと続く階段を下り、そこから真っ直ぐにセリアを見据えた。
右手を掌を上に向けたまま、再び前へと差し出す。
「今一度、問おうっ。」
その声音は低く、だが明確に、最後の勧誘が込められていた。
「余の手を取るつもりはあるか?」
問いかけるテュラノスの目を真っ正面から見据えるセリアには、少しの違和感があった。リアンの語る人物像と、今、目の前に人物の印象が異なるのだ。歴史を語る際、立場や視点によって解釈が異なり、同じ出来事でも異なる評価や意味合いを持つ事が往々にしてある。
リアンが語った歴史もそう言った事なのだろう。テュラノスの言い分の全てに共感は出来ないが、一定の理解は出来た。
その上で・・・セリアは静かに言葉を継ぐ。
「・・・テュラノス、お前の言葉に、まったく理解できるところがない、とは言わない。理想を掲げる気持ちも・・・。」
そこまで言って、セリアは一歩前に出た。その瞳に宿っているのは・・・確固たる拒絶の意思。
「・・・その手を取るつもりはないっ」
瞳と共にはっきりとセリアは断言する。
「敢えて言うが・・・この世界は、もう・・・お前のような為政者を、必要としていないっ」
その瞬間、空気が一変した。
テュラノスは瞼を閉じ、一息だけ小さく笑みを浮かべる。
「・・・そうか。ならば、セリア、貴様を排除して余の抱く現実を再現するのみっ。」
言い終えるより早く、白輝石の柱が強く光を放つ。
◇◇◇◇◇◇
「さぁ、始めようか・・・セリアよ。」
言葉と同時に、テュラノスの周囲を奔るエーテルが一斉に解放される。白輝石の柱が雷光の如き輝きを放ち、濃密なエーテルが辺り一帯に吹き荒れる。
「来るぞっ。」
セリアが即座に《スサノヲ》を構える。仲間達も、即座戦闘を整える。
飛び上がると同時に掲げられたテュラノスは右手。その掌には紅を帯びた六芒の魔法陣が幾重にも折り重なり合い複雑な幾何学模様が描き浮かび上がる。描かれた魔法陣に高密度のエーテルが圧縮し始める。
「滅界光槍」
高密度に圧縮されたエーテルが光の槍を形作り解き放たれた瞬間、セリア達に向かって凄まじい光が空間を圧縮しながら突き進み始める。
「散会っ!」
セリアの短い指示に、仲間たちは即座に反応した。アヤメとメルディナは後方へと、アルジェントとヴェインは左右へと展開。また従魔組も後方へと退避する。
散会したメンバーには反応を示さず、光槍はただ一直線にセリアを標的にしていた。
セリアは《スサノヲ》にエーテルを収束させると、迫りくる光槍に向かって振り抜く。振り抜いた《スサノヲ》の刃からは、エーテルが一条の光となって解き放たれる。エーテルの刃は光槍を飲み込み、勢いのままに外壁を破壊する。
直後、セリアの足元に影が落ちる。
「遅いっ。」
テュラノスが巨剣を横薙ぎにする姿をセリアが目の端で捉える。セリアはギリギリのタイミングでテュラノスの大剣を《スサノヲ》で受ける。
大剣の威力にセリアの足が地面から浮かび上がる。テュラノスがそのまま大剣を振り抜くと、セリアは数メートル吹き飛ばされる。
ーーーなんて、威力だっ。
「エクレシスの斬撃に耐えられるとは、その剣、かなりの業物のようだなっ。」
エクレシスを構え直すテュラノス。エクレシスの白銀の刀身には、テュラノスのエーテルに呼応するかのように青白く文字が浮かび上がる。セリアはテュラノスに視線を合わせたまま立ち上がる。その時、セリアは自分の視界に映る物に何か違和感を覚え、周囲を素早く見渡す。
そこにあったのは広がる青白い空間。いつの間にか仲間達との距離が数十メートルも離れていた。しかも、その間には干渉障壁が張られている。
「・・・これはっ。」
「余と貴様が戦うには、先のままでは・・・狭すぎるのでなっ。」
テュラノスの低い声が響いた。
「少々広くしたっ。それに・・・邪魔が入っては興がそがれる。」
セリアは静かに呼吸を整え、再び《スサノヲ》を構えた。
そして、その口元には僅かな笑みが零れる。
両者の間に、音もなく殺気が満ちる。
先に動いたのはセリア。地を蹴り、音も無くテュラノスの懐に入り込む。斜め下から切り上げるように斬撃が、テュラノスの左側面に狙いをつける。
「その程度っ」
エクレシスが振り下ろされたのは、セリアが踏み込んだ直後だった。斬撃の軌道は、正面から叩き潰すというテュラノスの絶対の意思が垣間見えるものだった。刃と刃がぶつかり合う衝撃は大気を震わせ、床面が爆ぜるように砕け散った。
放射状に広がるひび割れ。
そして、その衝撃はセリアにも襲い掛かる。全身に凄まじい圧力がのしかかり、踏みしめていたはずの大地が沈んだかのような錯覚をセリアは抱いた。
一瞬の攻防でセリアを支える全身の筋肉が悲鳴を上げ、わずかに膝が沈む。
「・・・っ!」
支えきれずに体勢が揺らぎ、関節が軋む。腕から刀が弾かれそうになる。
ーーーまずいっ、このままじゃっ。
セリアは腕の力をわずかに緩ませエクレシスの軌道を逸らす。エクレシスの刃は勢いのままに《スサノヲ》の表面を火花を散らしながら滑るように大地に向かって突き進んで行く。
自身を襲う重圧から解放されたその刹那、セリアはその一瞬の隙に跳躍。
衝撃の余波から抜け出すように後退し、空中で身を捻りながら体勢を立て直した。
◇◇◇◇◇◇
幾度も刃が交錯するたびに、空間は悲鳴を上げ、大気に満ちるエーテルが荒れ狂う。テュラノスの一撃一撃が空間そのものに圧力をかけるような剣撃でセリアを押し潰そうとしてくる。
テュラノスに加護を与えているかのように白輝石の柱は共鳴を強め、テュラノスの一撃が激しさを増す。
一進一退の攻防の最中、セリアは刃に沿ってチャクラとエーテルを流し込む。一見すればそれはただの補助による強化だが、その中には極めて繊細な精神干渉式が織り込まれていた。さらに高度な隠蔽の術式を組み込み、精神干渉をテュラノスに勘づかれないように施していた。
ーーーさて、後は何処まで気付かせず出来るか・・・。
セリアはあくまで正面から斬り結びながら、テュラノスの精神に対して楔を一撃ずつ、針の穴に糸を通すような感覚で干渉を重ねていく。
精神に波を立てる術は、気づかれればすぐに防がれる。だからこそ、セリアはところどころで繰り出す大技と完全に融合させることで、まるで技の余波であるかのように偽装していた。
「裏霞っ」
セリアは鋭い足捌きで踏み込みながら、《スサノヲ》から一閃を放つ。放たれた斬撃がテュラノスに向かって直進していくなか、突如、斬撃が淡く霞のように掻き消える。
霞のように消えゆく斬撃の向こうで、虚を突かれたテュラノスの意識が一瞬セリアからそれる。その隙を見逃さず、セリアはテュラノスとの間合いを一気に詰める。
セリアの行動に気付いたテュラノスがエクレシスを振り上げた直後、その顔が苦痛に染まる。霞のように消えた斬撃がテュラノスの背後から襲い掛かっていた。
苦痛を追い払いエクレシスを振り下ろすテュラノス。それを半身で躱したセリアはそのまま次の構えへと移っていた。わずかに膝を落とし、腰を沈めた次の瞬間、セリアが嵐のごとく旋回する。
足運びに無駄はなく、身体の軸を保ったまま、回避と斬撃を一体化させた流れるような動きが弧を描き連続して繋がっていく。
縦、横、斜め。
交差する軌道が渦を生み、テュラノスを徐々に追い詰めていく。この戦いが始まって以来、初めて見せる明確な反撃の意思。
そして、テュラノスも初めて後退した。テュラノスの後退に合わせて、素早く次の攻撃へと移るセリア。
後退したテュラノスが地に足が着くよりも早く、セリアの鋭い刺突技が襲い掛かる。辛うじてエクレシスで受け止めたが、威力を殺す事が出来ずにテュラノスはるか後方に吹き飛ばされ、地を転がる。
「・・・まさか、この空間で・・・ここまでやるとはっ。」
その瞳にわずかに混じるのは、驚きでも、怒りでもない。
静かなる、理解。
この戦場で、確かに己を追い詰め得る存在が目の前にいるという現実。
「余とここまでやり合えるとは、古き神々というのも伊達では無いわけかっ。」
「悪いが私には、その古き神々とやらが、さっぱりわからない。」
「嘘を言っている目では・・・ないかっ。自分の出自を知らないとは。」
「そんな事に・・・興味がないからなっ。」
「それでは、続きと行くかっ。次は余から行くぞっ!」
セリアに向かい駆け出した、その時。
異変がテュラノスの身体を襲う。それはほんのわずかであるが確かな均衡の揺らぎ。テュラノスの奥底に眠る、もうひとりの存在に波紋を広げるには十分過ぎる程の揺らぎ。何重もの鉄鎖に縛られるように拘束され、閉ざされていた意識が、ゆっくりと水面に浮かび上がろうとしていた。
それにテュラノスは気付く事はない。なぜなら、テュラノスのすべては今、自分の前に立ちはだかるセリアに向けられている。その一瞬の集中が、長らく保っていた精神支配の均衡を、静かに、確実に、蝕み始めていた。
ーーー効果が出始めたか・・・
テュラノスの微かな異変をセリアも感じ取っていた。強固な壁に微細な亀裂が入ったような、絶対に封じられていたはずの領域から、わずかな意識の断片が反応を示した。誰にも気づかれないほど淡く、けれど確かな命の反応。
テオドールの自我が確実に、そして着実に目を覚まし始めた。
セリアはテオドールの意識を解放するための最後の工程へと移る。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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