第三羽. 邂逅
目の前に広がる空間は、ただ漆黒の闇が横たわっていた。空間が歪んでいるかのような錯覚と底無しの虚無を思わせる光景。
セリアはその光景に息を呑んだ。
たった今、目の前で起こったことは、セリアの知るいかなる科学法則ともかけ離れていた。ガラスのように砕けた魔法陣。音もなく消えた壁。そして、その先に広がる不気味な闇。この小屋の地下室が、世界の理から切り離された特異点になってしまったかのようだった。
「《オモイカネ》、これは、一体・・・どういう状況だっ」
セリアは震える声で問いかけた。その問いかけに、《オモイカネ》は冷静に応じる。
『まだ解析途中だったため、正確な回答は不可。ただ推測すると、封印を解く鍵はマスターである可能性が大です。』
「わ、たしが・・・。」
『可能性の一つですが。封印が解けた今、マスターの意思で立ち入ることは可能です。しかし、内部の正確な状況は不明であり、危険が伴います。』
セリアは、目の前の闇をじっと見つめた。
恐怖はあった。それでも、止められない好奇心が胸の奥から湧き上がって来るのセリア確かに感じていた。さらに封印が解けた以上、この闇が今後どう影響を及ぼすのか、それを自ら確かめる必要性も感じていた。
セリアは一度大きく息を吸い込むと、決意を固めた。
「ここに居ても仕方ない。行くぞ、《オモイカネ》。」
『承知いたしました。』
踏み入るとそこに多数の部屋があり、一部屋一部屋確認しながら奥へと進んでいく。開かない部屋も数多くあったが、蔵書部屋、実験部屋など多種多様な部屋が存在していた。
そして最奥の部屋にたどり着いた。今までの部屋とは雰囲気からして明らかに違う。そもそもドアからして違う。なにせ、威圧感さえ放つ重量感ある両開きの扉が、「さぁ開け」と言わんばかりにそこに存在している。
意を決して両手を扉に添える。力を込める前に、扉は音を立てず内側に開いていった。扉が開くのと同時に、部屋の中に明かりが灯る。
「・・・怪しいよな・・・どうする?」
『現状、危険な要素は確認できません。』
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か・・・。」
少し進んだところで、扉の閉まる音が後ろから聞こえた。慌てて駆け寄り開けようとするが、扉は微動だにしない。
突如、《オモイカネ》の緊迫感のある声が頭に響く。
『周囲のエーテル濃度が増大!!』
部屋の中央に突如として魔法陣が浮かび上がり、薄暗い部屋を明るく照らし出した。魔法陣を挟んで向こう側には、豪華な一脚の椅子が浮かび上がる。そしてその椅子に座る人影が浮かび上がる。人影は既に躯と化していた。項垂れるように座っている躯は白骨化しており、金糸や銀糸で刺繍された豪華な黒のローブを羽織っている。
「《オモイカネ》、これはいったい・・・。」
呆然と呟くセリアに対して、《オモイカネ》が状況を説明する。
『高度な認識阻害が施されていた模様。』
「脱出方法は?」
『現在、模索中』
「脱出など出来んよ。」
目の前にある躯から、突然声が漏れた。それは、空間そのものを震わせるような、深く、冷たい声だった。
「ククク、まさか本当に現れるとはなぁ。」
項垂れていた頭がゆっくり起き上がりこちらを見据える。その眼窩の奥に、怪しく光る燐光が灯っていた。
『アンデットの上位種、エルダーリッチです。』
再び《オモイカネ》の声が響く。
目の前にいるエルダーリッチの圧倒的な存在感に足がすくむ。
ーーーやばい、全く勝てる気がしないが、やるしかないよなぁ。
などと思っていると。
『現在の勝利0%。』
《オモイカネ》から絶望的な言葉が聞こえてきた。
「だめじゃん!」
思わず叫んだセリアは慌てて口を押える。
「そう身構えなくてもよい、襲おうなどと思っておらん。」
椅子から立ち上がりながら、そう云ってエルダーリッチは言葉を続ける。
「まず名乗っておこう。」
「我の名前は、イング・アルペジーラ。遥か昔に栄えた王朝、ミズガルズの最高位魔導士にして、錬金術師でもある。そして、悠久の時、其方が訪れるのを待っていた。」
「私を?、なんで?」
思わずその言葉に聞き返していた。
「その理由をここで語ることは叶わん。知りたければ、其方自身で確かめる必要がある。そのための力を其方に授ける。そのためだけに我はここにおる。まぁ、信じるかは、其方次第だがな・・・。まぁ、異世界から来たのであれば、力は必要じゃとおもうがな。」
イングのからの思いもよらない発言に言葉を漏らす。
「何故それを?」
「云うたであろう、其方を待っていたと。我がいた時代の力が今の時代でどれだけのものかは、我にもわからん。なにせ、ここでずっと寝てたようなものじゃからな。」
笑いながら気さくな物言いで語っていたが、次の瞬間打って変わった殺気を込めた低く冷たい声が響く。
「それでも、今の其方を狩るのは造作もないぞ。」
向けられた一瞬の殺気に呼吸をするの忘れ、床にへ垂れ込む。
「まぁ、このぐらいの殺気、其方ならすぐにあしらえるようになる。」
低く笑いながら、雑談するかのように語りかけてくる。
「はぁ~、イング、落ち着くまで少し時間がほしい。」
乾いた笑い交じりの声を絞りだした。
「構わんよ。」
そう云ってイングは私の目の前にしゃがみ込んだ。そしてセリアの耳を触り出した。
「もふもふで触り心地がよいのぉ、こんなもふもふ我も欲しいなぁ。」
今骸骨の顔が真正面にある。恐ろしいことこの上ない。
だがひるまずセリアは口を開く。
「あのぉ、やめて貰えませんか。それにあげません。そもそも骨で触り心地とか分かるんですか?」
イングは少し間をおいて、セリアの問いに答える。
「分かるよっ!」
そして親指を立て、サムズアップしながら、続きを答える。
「なにせ、違いが分かる男だからなっ!」
某コーヒーCMのようなことを言い出し、また椅子の前に戻っていった。
そんなたわいもない会話で落ち着いたころで、セリアは少しイングを観察した。イングはただ黙ってセリアを見つめていた。骸骨なので目がないけど、と冗談めいたことを思い、笑みが漏れた。
落ち着いたことを見計らったのか、イングが続きを語りだす。
「其方には3つ授けるものがある。まずは、我が持つ魔法、錬金に関する知識。次に我が所有する魔道具やこの浮遊島を含めた物理的なもの。そして最後に其方専用の武器じゃ。」
語られた言葉に疑問を覚え、セリアは聞き返す。
「今なんて言いました。」
「其方専用武器のことか?」
「その前、この浮遊島とか言ってませんでした?」
「そうじゃよ」
「我らが今いるここは遥か上空にある島じゃ! 地上約1万2000メートル。面積は約5千平方キロメートル。」
ーーー5千平方キロメートルって言われても、全く想像が出来ん。
『マスター、千葉県が約5、156平方キロメートル。』
ーーーなんて、広さだっ。
骸骨なので表情がない。なのに「すごいだろぉっ」と言わんばかりのドヤ顔感がそこにあった。
「質問なのですが、ここからはどうやって下りるのですか?」
「そこは与える知識にあるので心配するな。知識を授けるから、ほら、目の前にある魔法陣の中央に立てっ!」
イングは魔法陣を指さし、セリアを促す。彼女が魔法陣の中央に位置するのを確認すると、イングは魔法陣にエーテルを流し始める。
魔法陣が眩く輝き、天井にまで届く光の柱が生じる。生じた光の柱は次の瞬間に光の粒となって飛散する。光の粒はセリアの周囲を回転し始め、徐々にその半径を狭めていく。そして全ての光の粒が彼女の身体の中へと消えていった。
一連の出来事が収束し、イングが目の前までやってくる。
「次はこいつじゃ。」
そう言って、イングは右手で指を鳴らす。
骨でもなるの? なんで? などとセリアが思っていると、イングがすかさず口を挟む。
「なんで、なるのと思ったじゃろ!」
そして再び、ドヤ顔感満載でセリアに種明かしをする。
「魔法じゃよ、様式美ってやつじゃ。」
様式美ってなんだ、と思いながら、ケラケラと笑いながら説明しているイングを眺め呆れかえった。
「そんなことより、右手首を見よっ。」
右手首には、いつの間にか黒いブレスレッドがあった。表面には何か模様が刻まれている。
「そのブレスレットには幾つか機能がある。その中で一番の機能がストレージじゃ。容量はほぼ無限、そして時間による劣化が発生しない。言い換えれば時間が停止しておる。その他の機能については、其方のスキルが理解しておるじゃろ。」
『先程得た知識の中に該当するものがあります。』
《オモイカネ》の言葉を受けて、セリアは頷く。
「わかった、おいおい使い方を理解するさっ!」
イングはセリアの返答に頷き、話を続ける。
「さて、最後にこいつじゃ」
そう云とイングとセリアの間にある空間に歪み生じ、そこから金属のインゴットが出現した。そのインゴットには高濃度エーテルが内包されており、その影響なのかインゴットの周囲が少し歪んで見える。
宙に浮いたままのインゴットをセリアが観察していると、イングから指示が飛んできた。
「このインゴットに触れてみよ。」
イングからの声に促され、目の前にあるインゴットに手を触れるセリア。インゴットに触れた途端、大量のエーテルがインゴットに持っていかれ、液体金属のような形状になり、うねうねと動き出す。まるで某映画に出てくるアンドロイドのように。懐かしい映画を思い出しているとイングの声が耳に届く。
「もうそろそろ、終わるぞ!」
我に返ると目の前のインゴットだったものは棒状の何かに姿を変えており、一瞬眩しく光り、生命の誕生のような何か神秘的な雰囲気さえ感じさせた。そしてその姿を現したのは、黒く巨大な鎌。通常、鎌は内側に刃が存在するが、この鎌は外側にも刃がついている。表面にはうっすらと波紋が浮かび上がっていた。
出来上がった武器に満足感を抱き、イングが告げた。
「これは、其方のための武器であり、其方と共に成長する。」
その言葉に頷き、宙に浮いている鎌を握る。もう何十年も使っているかのように手に馴染んだ感覚。自然と鎌の銘が浮かび上がってくる。
「銘をツクヨミ。ツクヨミ、この世界を一緒に駆け抜けるぞっ!」
ツクヨミに語りかけると、まるで「もちろん」とでも云っているかのように、一度鳴るのを感じた。
「さて、我の役目もこれで終わりだ。」
イングは肩の荷が下りたような安堵感交じり告げた。
「イングはこれから、どうするんだ?」
「役目を終えた以上、ただ去り行くのみ。それにもう、この体を維持するエーテルも残されておらんからな。」
「そうか、折角知り合えたのに・・・。」
「そんな悲しい顔をするな。」
イングが目の前まで来て、セリアの両肩に手を添えた。そして、最後に一言。
「其方の歩む道に幸多からんことを、切に願っておるよ。」
その言葉を言い残し、イングの体が崩れ落ち消滅していった。イングの最後の言葉と添えた手からは温かさを感じた。
「イング、ありがとう。このローブは貰っていくけど、いいよな。」
ローブを拾い上げると、紙がローブから零れ落ちる。拾い上げた紙には文章が書かれていた。
ーー追伸、地上に降りるなら修行も兼ねて、この浮島にある迷宮に挑む事をお勧めする。それと、このローブも餞別として、其方に進呈しよう。外行きには少々目立つと思うので、その辺りも考慮しているので安心してくれ。なおこの手紙は読み終えると自動的に消滅する。
アディオス アミーゴ
”なぜにスペイン語が?”、と思っていると突然紙が燃え上がった。慌てて手を離すと、空中で灰も残らず消滅していった。すると金糸に銀糸と豪華であったローブが漆黒のローブへと変貌していった。
漆黒の巨大な鎌とローブから”死神”と呼ばれるようになる。これはもう少し先のことである。