第百二十二羽. テトラの奮闘
迷宮に足を踏み入れてから、ずっと続く張り詰めた緊張。それが当たり前になっていたがゆえに、九人は自覚していなかった。疲労が、身体と精神を確実に蝕んでいたことを。
壁に背を預け、水分の補給、ほんの少量の保存食を胃に入れただけで、肩から力が抜けていくのが分かった。やがて、全員から寝息が漏れ始める。
時間にして、わずか十分ほど。本来であれば、迷宮の内部で全員が眠りに落ちるなど自殺行為に等しい。
だが、この場にはテトラがいた。周囲の警戒を維持したまま、あえて彼らを休ませる。この事態はテトラが良かれと思って張り切った結果でもあった。
まず最初に目を覚ましたのは、ナジアだった。
はっと、息を呑むように目を開く。一瞬、自分が何処にいるのか分からずにいた。だが次の瞬間、自分が迷宮にいること、そして眠っていたという事実に気づいて表情が強張った。
慌てて身体を起こし、辺りを見渡す。周囲には魔物の気配も、戦闘の痕跡もなかった。その事に安堵したナジアは、すぐ隣で寝ているレオンハルトに声をかける。
「レオン、起きてっ。」
数度、肩を揺するとレオンハルトの身体がびくりと跳ねる。目を開いた瞬間、その瞳に宿ったのは困惑ではなく、明確な警戒だった。
「あっ・・・。」
短く息を呑み、反射的に上体を起こすと、手は無意識に武器を手繰り寄せる。
「大丈夫。何も異常はないよ。」
すぐ傍から掛けられたナジアの声に、レオンハルトは安堵の表情を浮かべる。そしてナジアと視線を交わすと、二人は無言のまま頷き合い、他の仲間たちを起こしにかかった。
全員が覚醒するまで、そう時間はかからなかった。
そして、目を覚ました彼らは自分たちの身体の変化に気づく。身体から重だるさが抜け落ち、身体が軽い。そして筋肉の軋みも消えている。
頭の中も、ここへ来る前より不思議なほど冴えていた。この短い眠りは、鋭気を養うだけで無く、超回復をもたらしていた。
自分の身に起きた変化に戸惑いながら短い時間で支度を整えると、九人の学生とテトラは、探索を再開する。
先行するテトラの後ろに続きながら九人は、足取りの軽さ、思考の冴えをより実感していた。そして何より変わった点は、止めを刺すまでが早くなっていた。
テトラが弱体化した魔物に対し、学生たちは迷いなく瞬時に距離を詰める。剣閃は鈍らず、魔法は過剰にならず、連携に言葉を必要としなかった。
一撃、二撃。
魔物が崩れ落ちるまでに要する時間は、確実に短くなっていた。
テトラが拘束に移る前に、勝負が決まる場面も増えていく。やがて、テトラは削るだけで十分だと判断し、拘束をすることを止めた。
もはや守られているだけで無く、テトラを含めた実戦としての連携が自然と出来上がっていた。
成長している。
誰も口には出さないが、その事実を誰もが噛みしめていた。
途中で休憩を挟みながら、迷宮の探索を続けた一同の前に巨大な扉が姿を見せる。
それは迷宮の岩盤そのものを削り出したかのような巨大な扉。左右に開く構造であることは分かるが、取っ手らしきものは存在せず、継ぎ目すらほとんど見えない。ただ中央に、縦に走る一本の線だけが刻まれている。
扉の表面には一見すると装飾など何もないように見えたが、よく見れば表面には幾何学的な文様が薄く刻まれている。人の手による意匠とはどこか異なる、規則的な紋様。その扉の前で、一同は足を止め見上げていた。
扉の向こうに強敵が待ち受けていることは、誰の目にも明らかだった。それを口にする者はいない。ただ、沈黙だけが一同の間に横たわる。
息を呑み、レオンハルトが一歩前に出た。
その息を呑む音が、沈黙の中で異様なほどはっきりと耳に届いた。静まり返った空間だからこそ、その小さな音が全員の耳に突き刺さる。
レオンハルトは静かに扉へと手を伸ばす。石の冷たさが掌に伝わった瞬間、扉は軋む音もなく、ゆっくりと動き始めた。
開かれていく暗闇の向こうへ、テトラが先頭に立って歩みを進める。九人はその後に続いて扉の中へと踏み入る。
全員の姿が扉の中へと消えたその時、背後で重い音を立てて扉が閉まり始める。
そして、奥から声が響く。
「学生諸君。ようこそ、螺層巌窟・グラヴァシールへ。」
落ち着いた、しかし底知れぬ冷たさを帯びた声だった。
「私の想像よりも、かなり早くここへ辿り着いたのは驚嘆に値します。加えて、誰一人欠けることなく、とは・・・。」
暗闇に包まれ、その姿は見えない。だがその声には、確かに聞き覚えがあった。そして誰もが同じ人物の顔を思い浮かべた。
沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。
「・・・なぜ、ゲイル先生が・・・ここに?」
一拍置いて、声が返る。
「そうですね。君たちが邪魔になったから・・・ですかね。」
その言葉に、空気が張り詰める。
「それって・・・自分の生徒たちが一方的に負けたことで、自分の評価が下がるのを気にして、ってこと?」
答えの代わりに、足音が響いた。
こつ、こつ、と。
不気味なほど規則正しい音とともに、周囲が徐々に明るくなっていく。闇が後退し、広大な空間が姿を現す。
そして、その中心からこちらに向かって歩くゲイルの姿が浮かび上がった。
「確かに、ジーン君の言う通り、先の模擬戦で完全敗北を喫したことについては・・・それなりに思うところはあります。」
一度、言葉を切る。次の瞬間、鋭い眼光が学生たちを射抜いた。
「それ以上に・・・君たちは強く成りすぎた。我々の計画に、もし万が一と思わせる程に・・・。」
場の空気が重くなる。
「これから起こることを恨むなら、そこまで強く育てたセリア先生を恨むことです。」
その言葉と同時に空間内のエーテル密度が高くなり、魔法陣が浮かび上がった。それは一つや二つではない。百を超える魔法陣が一斉に展開され、そこから魔物が次々と姿を現す。
「ナジア君。」
名を呼ばれ、ナジアの肩が僅かに跳ねた。その声にナジアは、自分の中の何かを鷲づかみされたような感覚を覚える。
「私は君の能力を・・・とても、高く評価しています。だからこそ、君には・・・生き残るための選択肢を与えよう。」
沈黙。
そして、冷酷な宣告。
「そこにいる八人を・・・今ここで殺しなさい。そうすれば、君だけは助けてあげましょう。」
「・・・っ!」
ナジアが声を荒げる。
「ここにいる皆は、私の大事な仲間だっ。そんなこと・・・それに、なんで私だけっ!」
ゲイルは、感情を見せずに言った。
「直接会ったことはありませんが、私は君のことを昔から知っています。」
そして、次にゲイルの口から出た言葉にナジアの様子がおかしくなる。
「執行者No.XIII・・・影法師。」
その名を聞いた瞬間、ナジアの顔から血の気が引き、身体が震え出す。
「・・・な、何故、その名前を・・・。」
静かな答えが返る。
「何故も何も・・・その名は、私が付けたのですから。」
低く静かな声がナジアに向けられる。
「さあ、私の手を取りなさい・・・影法師。」
威圧感の籠もる声が再び向けられる。
「影法師っ。」
その名がゲイルの口から発せられるたび、ナジアの様子は明らかにおかしくなっていく。震えが激しくなり呼吸が荒くなっていく。
ナジアは自分の身体を押さえ込むように、両腕で抱き締め、そのまま膝をつく。
「ナジア、大丈夫っ!」
リディアが駆け寄り、震えるナジアの身体を包み込むように抱きしめる。確かなリディアの温もりがナジアに伝わっていく。
「何をしている、影法師っ!」
張り上げたゲイルの声が、容赦なく降り注ぐ。
「影法師、君は我々が作る影の中でしか、生きられない存在だ。そう・・・我々が・・・そう作ったのだから。今さら光の差す場所で生きられるはずがない。」
ゲイルの鋭い視線がナジアを突き刺す。
「さあ、早く私の指示に従いなさい。」
その瞬間。
「ナジアは、私たちの大事な仲間で・・・そして、私の大切な友達だっ!」
リディアの叫びが、空間を切り裂いた。
「ナジアが、お前に従うはずなんて・・・そんなこと、するはずがないっ!」
その声に震えていたナジアの身体が、ぴたりと止まる。
「・・・ありがとう、リディア。」
それは、リディアにだけ聞こえるほど小さな囁きだった。
ナジアは、ゆっくりと立ち上がり、そして真正面からゲイルを睨み付けた。
「私は・・・影法師なんて名前じゃないっ!」
一歩、前へ。
「私は・・・ナジア・グレヴィル。セリア先生の教えを受ける、九人の一人だっ!」
腰元から短剣を引き抜くと、ためらいなく投げ放つ。
鋭く、一直線に。
ゲイルがそれをかわした、その瞬間。
ナジアの姿は、消えていた。
次の刹那、ゲイルの背後にナジアの気配が現れる。自らが投げた短剣を空中で掴み取ると、ナジアはそのまま踏み込み、迷いのない一閃を放った。
完全に虚を突かれたゲイルは反応が遅れる。寸前でナジアの斬撃をかわしたが、完全にかわしたわけではなかった。
ゲイルの頬に一筋、うっすらと赤い線が走り、血がにじみ出る。
一瞬の沈黙。
ゲイルの動揺をナジアは見逃さなかった。一気に畳み掛けようとするが、それ以上にゲイルの底知れぬ圧力を感じ取り、即座に後退を選択する。そして迷いなく距離を取り、仲間の元へと戻る。
その判断の速さに、ゲイルは目を細めた。
「・・・まさか。ここまでとは。」
ゲイルは自分に傷をつけたこと。さらにわざと作った隙に飛び込むこと無く後退したナジアの判断力に、小さく、だが確かに驚嘆を滲ませた。
次の瞬間、ゲイルは片手を上げた。今まで微動だにしなかった魔物が行動を開始する。それは攻撃開始の合図だった。
それを見て、テトラが声を上げる。
『みんな、じゅんびはいいっ!』
短い呼びかけに、九人が視線を交わし頷き合う。
次の瞬間。
テトラが、先頭を切って魔物の群れへと飛び込んだ。その後ろにシン、ライネ、リディア、ナジアの四人が続く。
後方では、ジーンが魔導銃を構え、正確無比な射撃で援護に入る。さらにその後ろからシェリス、クレア、リリィの三人が間断なく魔法を叩き込んでいく。
予定調和のような乱れぬ連携。この迷宮で培ってきた力が遺憾なく発揮される。百体以上いた魔物が、次々と屠られ数を減らしていく。そして最後の魔物が倒れ伏し、最後の咆吼とともに消え去る。
エーテルの残滓が漂い、広間に再びの静寂が戻る。
「実に、素晴らしいっ!」
その静寂を破るように手を叩く音と、饒舌な声が響き渡った。
「・・・ですが、これで終わりです。」
次の瞬間、ゲイルの眼前で空間そのものが歪み始める。そして幾何学的な紋様を描きながら、ひときわ大きな魔法陣が展開される。これまでに出現していたものとは、明らかに規模の違う魔法陣が。
エーテルの密度が跳ね上がり、周囲の空気が重く沈む。その異様な雰囲気に学生たちは無意識に身構える。
その刹那、魔法陣の中心から、何かが現れた。
まず、影。
次いで、異様に大きな四肢。
そうして、一体の魔物が姿を現す。
それは、先ほどまで召喚されていた魔物とは、明らかに異なる存在。単なる大型個体ではなく、存在しているだけで、その場の空気が変わる。
存在の質そのものが違う。
全高はおよそ五メートル。人の形を基調としているが、歪な程に身体の構成比率が異常だった。肩幅は異様に広く、胴体は分厚い。四肢は無骨で柱のように太い。関節一つ一つが、無理矢理力を押し込められたかのように膨らんでいる。
体表は、金属とも石とも、あるいは肉とも判別しがたい。鈍くくすんだ色合いの外装が、筋肉の隆起に沿うように張り付き、その表面には規則的な溝と刻線が走っていた。
それらは単なる装飾ではなく、溝に沿って濃く澱んだ瘴気がゆっくりと循環している。その瘴気が肉体を内側から締め上げ、外装ごと強化している。呼吸のように脈動するたびに魔物の体躯はさらに重く、さらに硬くなっていくように見えた。
眼孔に相当する位置がぼんやりと淡く光っているだけで、顔と呼べる部位からは表情と呼べる物が一切感じられない。
向けられる視線には、感情も意思も感じられない。あるのはただ、排除すべき対象を捉えるための機能。
一歩、踏み出す。
それだけで、床が軋み、空気が押し潰される。その圧倒的な質量と圧が、周囲の空間を支配し始める。この場にいる誰もが、本能的に理解した。まともにやり合って勝てる存在ではないと。
「行くぞっ!」
それでもレオンハルトは踏み込む。正面から、剣を振るい、巨躯の魔物へと斬り込んだ。それと同時に、左右からシンとリディアが展開する。シンは脚部を狙い、リディアは関節の可動域へ刃を差し込む。
遅れて、ナジアが影のように消え、背後から要害を突いた。
だが、刃が触れた瞬間、全員の腕に返ってきたのは、鈍く、重い感触だった。突き立てた刃は、巨躯の魔物に傷一つ追わせることができなかった。それどこか瘴気に締め上げられた外装と肉体が、衝撃を受け止め、分散し、攻撃を押し返した。
反動で身体が硬直した次の瞬間、アグリオスの巨腕が、横薙ぎに振るわれた。その無造作に震われた暴力は、空気を裂き、衝撃が爆ぜる。
四人の身体がまとめて吹き飛び、地を転がる。
「くっ!」
後方から、エーテル弾が襲いかかる。
ジーンの魔導銃だ。
正確に急所を狙うが、弾丸は弾かれ、火花を散らすだけで終わった。
さらに、シェリス、クレア、リリィの三人の魔法が重なる。三人が連携し、出力と角度を変えながら魔法を次々と叩き込む。だが、ジーンが放ったエーテル弾と同様に魔物の巨体には、全くダメージを与えることが無かった。
攻撃が全く効いていない。その事実が、重く、はっきりと突き付けられた。学生たちが体勢を立て直そうとした、その時。
学生たちの脳裏に言葉が響く。
『みんな、さがってっ!』
学生たちが後退するのを確認すると、テトラが前に躍り出た。
その様子にゲイルが、嘲るように口の端を吊り上げる。
「・・・スライムごときが、何をするつもりだっ。」
一拍置いて、命令するように言葉を継ぐ。
「やれ、アグリオスッ!」
それを合図に巨躯の魔物が、ゆっくりと動き出す。巨大な影がテトラを覆い、巨腕がテトラに向かって振り下ろされる。その攻撃には理屈も技巧もない。質量をそのまま叩き付けるような叩き潰すための一撃。
衝撃は、床を砕き、空気を爆ぜさせた。まともに受ければ、人であれ魔物であれ、形を保てるはずがない暴力。
押し潰されたはずのテトラが、ゆっくりとアグリオスの巨腕を押し返していく。テトラの物理攻撃に対する高い耐性がアグリオスから受けた衝撃をほぼ無効化していた。
拳を完全に押し返したテトラの身体が膨れ上がり、直径一メートルほどの大きさへと変貌する。そんなテトラに再びアグリオスの鋭い一撃が放たれる。
だが、床が抉れることも、空気が悲鳴を上げることも無かった。テトラの身体が一瞬だけ穿たれ、直ぐにもとに戻り始める。全ての衝撃を吸収していた。
テトラとて攻撃をただ受けるだけではない。テトラから触手が鋭く伸びる。研ぎ澄まされた一撃が、アグリオスの胴に叩き込まれる。
鈍い音が奔り、外装が抉れ、その下の肉体がわずかに露出する。アグリオスにとって体表についた傷は浅く、致命にはなり得ないものだった。それどころか、傷を受けたという事実そのものを、認識していないかのようだった。
アグリオスの反撃、それをテトラが正面から受け止める。衝撃がテトラの身体を大きく歪ませるが、そのまま反撃に転じる。
力と力よる正面衝突。だが両者の持つ高い物理耐性が、両者の決着を妨げる。致命傷となる一撃を与えられず、果てなき殴り合いへと突き進んでいた。
崩れることのない殴り合いの均衡を、学生たちは固唾を呑んで見守っていた。巨大な魔物と、ただ一体で渡り合うテトラ。
「スライムごときが、ここまでやるとは・・・まったくの想定外です。」
その常識外の光景に気を取られているところに、嘲りを含んだ声が響いた。
「ですが・・・あちらに気を取られたままで、良いのですか?」
次の瞬間に灼熱が、空気を引き裂く。放たれた火球が、一直線に学生たちへと迫る。
「っ!」
シェリスが、間一髪で防御結界を展開した。結界は悲鳴を上げるように砕け散り、衝撃に弾かれたシェリスの身体が、後方へと吹き飛ぶ。
「シェリスさん!」
駆け寄ったクレアが、即座に回復魔法を唱える。さらにゲイルは反撃の機会を与えること無く、絶え間なく火球を放ち続けた。一撃ごとに、火球の威力が増していくのが分かる。結界は張られるたびに砕かれ、防御のたびに、学生たちの消耗が積み上がっていく。
そして、それまでとは比べものにならない、学生たちを丸ごと飲み込むほどの巨大な火球が形成された。
結界を張り直す余裕はない。誰もが、そう悟ったその時。
『・・・やっと、きたっ。』
テトラの念話が、学生たちの頭に鮮明に響いた。そして学生たちの目の前に、静かに漆黒が舞い降りた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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