第百十一羽. 忍び寄る黒幕の影
リディア襲撃の翌日、リディアとナジアは体調不良ということで学院を休んでいた。この王都の中でセリアの屋敷以上に安全な場所など存在しない。そして、その日の夕刻、西日の差し込む講師棟の執務室でセリアが書類整理をしていると、ヴェインから連絡が入った。
『セリア、今いいか?』
『大丈夫よ。それで何か掴んだのかしら。』
『冥紋の御手の奴ら、思いの外早く依頼主に接触した。』
書類を捲るセリアの指先が止まり、書類の端がかすかに揺れた。
『それで依頼主の素性は分かったのかしら。』
セリアが短く返すと、数呼吸の間。ヴェインの言葉が届く。
『あぁ、今その依頼主の屋敷の前だっ。』
『屋敷って、まさか。』
短い沈黙を挟んで、ヴェインの低く声が響く。
『そのまさかだ。それもかなりの大物だっ。五大貴族の中で貴族派筆頭の・・・ヴァレンティウス公爵家だっ。』
ーーーやはり、そうか・・・。
セリア自身もは学院内を調査した際に、ヴァレンティウス公爵に関する情報を得ていた。
『理由は・・・掴めそう?』
『潜り込んで見るが、あまり期待するなよ。』
『お願いするわ。ただし、あまり深追いはしないこと。時間を区切って何も成果がなければ、一旦引き上げて。』
『了解したっ』
ヴェインとの念話が途切れた直後、執務室に静けさが満ちた。セリアは背もたれにもたれかかり、天井を見上げ頭の後ろで手を組むと、長く息を吐いた。
ーーーそもそも何故、リディアが狙われている?
確かにリディアは王家の血を引いている。だがリディアを暗殺することにメリットがあるとも思えない。例えリディアが王家の血を引いていることを公にしたとしても、王位継承権に揺らぎが生じることはない。それを考えればリディアを暗殺したところで、何のメリットもない。
ーーーそれ以外に目的がるのか・・・。そもそもリディアの血筋はどこから情報がもれた?
リディアの出生については、ルーファウスの話では現国王とごく限られた一部の者たちしか知らない。冥紋の御手に情報が流れたのは、ヴェインの報告から考えればヴァレンティウス公爵からで間違いない。
ーーーヴァレンティウス公爵に情報を流したのは、いったい・・・。
セリアの頭の中にリディアの出生を知る人物が消えては浮かぶ。その時一人の人物が浮かび上がり、セリアは胸の内がざわめくのを感じた。セリアの直感がその人物が犯人で間違い無いと告げていた。だが、足りないピースをセリアの想像で補っているにすぎず、それを証明するためのピースがセリアの手元には無いのが現状だった。
『主様。今、お時間はよろしいでしょうか。』
セリアが考えに耽っているとイングリッドの声が脳の奥で響いた、そしてイングリッドの報告をセリアは天井を仰いだまま受ける。
『あぁ、問題無い。何か掴んだようだな。』
わずかに呼吸を整えたあと、イングリッドは掴んだ情報について話し始める。
『はい。孤児院の補助金の件ですが・・・結論から申し上げますと、減額通達は虚偽です。』
セリアの視線が鋭くなる。
『やはり、そうか・・・。』
『孤児院に対する補助の金額は、昨今の世情を鑑みて増額で予算に計上されています。そして計上された予算の満額が執行されています。その為、行政側の正式な書類上では既に処理済み、となっています。』
イングリッドの報告にセリアは、状況を正確に整理するために軽く瞼を閉じる。
『それで、その首謀者については判明しているのか?』
『はい、不正の主犯はフォロネスで財務を任されているベルンハルト・サロモン男爵でした。この男は孤児院の件以外にも、納品書は存在するのに、現物がまったく存在しないといった搬入記録の虚偽や数多くの不正に関与しているようです。二重帳簿も確認されました。不正に得た資金は、裏金として外部へと流れていました。』
『その裏金の行き先は・・・確認できたのか?』
セリアの問いに対して間髪入れず、イングリッドの声が返る。
『最終的に辿り着いたのは、ヴァレンティウス公爵です。』
頭の後ろで組んでいた手をほどき、椅子から立ち上がると窓から訓練場を眺める。そこにはレオンハルトと数人の生徒が自主練に励んでいた。
ーーーまさか、ここで繋がるとはね・・・。
『それで、証拠は十分揃っているのか?』
『はい。直接証拠には至りませんが、裏金を記載した帳簿、外部へ流す際の書類など、全部ではありませんが処分前に確保出来ました。またヴァレンティウス公爵家の紋が入った手紙なども確保しています。孤児院への通達の際に使用された書類も偽造であることが判明しています。』
『何故、偽造文書だと?』
『王国統一文書ではなくフォロネス独自の簡易書式を使用しているのですが、印章は本物の地方監察官の刻印なのですが、数年前に廃止された古い刻印が使用されていました。それに正式文書としては、かなりずさんな内容となっています。』
セリアは今のイングリッド説明に少しの疑問を抱いた。
『孤児院に接触したのか?』
『はい。現地確認の必要がありましたので。・・・何か不都合がありましたでしょうか?』
『特に問題・・・というほどではないが・・・。』
ーーー子供たちは、元とはいえ軍人を見て怖がらなかったのだろうか・・・。
一抹の不安を覚えたセリアだったが、その後のイングリッドの報告にその不安も吹き飛んでいく。
『孤児院の件で・・・一つご報告があります。』
イングリッドの声が僅かに慎重さを帯びていた。
『報告?』
『先日、孤児院が襲撃されました。』
『襲撃っ!子供たちやシスターは大丈夫なのか?』
『その点は大丈夫です。運良く我々が居合わせたので大事に至りませんでいた。』
イングリッドの報告に胸をなで下ろしたセリアは、イングリッドに続きを促す。
『それで、襲撃の理由は?』
『襲撃者を尋問したところ、孤児院にいる子供たちを誘拐することが目的だったようです。奴隷として流す予定だったと。本当の目的は偽造通達書の回収のだったようです。』
『依頼人の素性は明かしたのか?』
『それについては、分からないの一点張りです。おそらく事実でしょう。今のところ確証はありませんが、十中八九サロモン男爵の手の者だ思われます。』
『そうだろうな・・・。それで孤児院には誰かつけているのか?』
『はい。今はカティアとヘルマが孤児院にいます。私とナタリアはフォロネスにいます。』
『分かった。孤児院の調査は切り上げてくれ。カティアとヘルマはそのまま孤児院で待機。イングリッドとナタリアは王都まで来てくれっ。』
『御意。』
念話が静かに途切れた。
沈みゆく夕陽を眺めながら、ヴェインとイングリッドの報告が示すことへとセリアは考えを巡らせていた。それぞれの報告が示す点がどのように繋がり、何を描き出すのかセリアは言い知れぬ不安を抱きながらも、どこか楽しそうに笑みを漏らす。
そんな折、控えめに執務室の扉を叩く音がに響いた。
「どうぞ。」
セリアが応じると、扉の向こうから柔らかな声が返ってくる。
「セリア先生、よろしいですか? レティシアです。」
続けて扉が静かに開き、レティシアが顔を覗かせる。
「セリア先生。学院長がお呼びです。学院長室までお願いします。」
「レティシア先生、わざわざありがとうございます。すぐに伺います。」
レティシアは軽く礼をすると急ぎ退室する。レティシアも事務処理が残っているのか急ぎ自分の執務室へと戻っていく。セリアは椅子の背にかけているローブを手に取ると執務室を後にした。
◇◇◇◇◇◇
学院長室へ向かう道すがら、廊下は夕闇に染まり始めていた。静けさが漂う廊下は冷え込み、セリアの靴音だけが規則正しく響き渡る。
「入りなさい。」
扉の前に立ち軽くノックすると、中から学院長であるアゼリアの落ち着いた声が返ってきた。
セリアが扉を開くと、部屋の中央に配置された来客用のテーブルと椅子が目に映る。夕陽が窓から差し込み、空気に淡い陰影を落としていた。テーブルを挟む形で、向かい合う二人の姿があった。
一方には学院長アゼリア。その正面には、ルーファウスが静かに腰をかけていた。
セリアは学院長室に入ると、扉をしめ、丁寧に会釈する。
「お呼びにより参りました。」
アゼリアが穏やかな笑みを浮かべ、片手で空いた席を示す。
「セリア先生。お越しいただきありがとうございます。どうぞ、お掛けください。」
促されたセリアは、学院長の横へと腰を下ろした。向かい側のルーファウスが礼儀正しく軽く頭を下げ、セリアも静かにそれに返す。
ルーファウスは頭を上げると、静かに口を開いた。
「・・・リディアの件について、セリアさんから話を聞きたくてね。私が派遣しているメイドたちから、連絡が入った。」
昨晩、セリアはリディアが襲撃されたことをルーファウスから派遣されているメイドに伝えていた。まさか昨日の今日で話を聞きに来るとはセリアは思っていなかった。焦っているとは思うが、第一王子である以上、公務などで数日後になると考えていた。
ルーファウスの声は一見冷静ではあるが、奥底に焦りを押し殺しているのが傍目からでもよく分かるほどであった。ルーファウスにとって、リディアは血縁である以前に、守るべき存在なのだ。
セリアは深く息を吸い、まっすぐに視線をルーファウスに向ける。
「昨日の夕刻、学院からの帰り道。リディアは暗殺者に狙われました。暗殺者は暗殺教団、冥紋の御手に身を置く暗殺者です。」
アゼリアがわずかに眉を寄せた。学院長としての判断を迫られる重さが、その表情に影を落とす。
「・・・我が学院の生徒が暗殺者に狙われるなど、由々しき事態ですな。セリア先生、リディア君を襲った冥紋の御手の暗殺者については分かっているのですか?」
アゼリアの質問に対してセリアは頷き、間を置くと静かに口を開く。
「リディアを襲ったのは、リディアのクラスメートでもあるナジア・グレヴィルです。」
セリアの答えに、ルーファウスが目を見開く。だが、それ以上に学院長であるアゼリアの顔が驚愕に歪む。
「まさか・・・当学院の生徒に暗殺者がいるとは・・・。」
肩を落とし右手で顔を覆いながらアゼリアは、セリアに言葉の続きを向ける。
「それで・・・ナジア君は、今どうしていますか?」
「今は・・・私の屋敷で保護しています。」
「学院への復帰は可能なのですか?」
「学院長、彼女は暗殺者です。それもリディアを傷つけようとした。それを気遣う発言をするとはっ。」
語気を強めて、ルーファウスがアゼリアに詰め寄る。そんなルーファウスを見たことの無かったセリアは、ルーファウスの行動に驚き、言葉を挟む。
「殿下、気持ちは分かりますが、落ち着いてください。」
「すまなかった。少し取り乱してしまった。学院長・・・申し訳ない。」
「構いません。しかし殿下がこうまで感情的になるとは、長生きはするもんですな。」
「学院長・・・。」
「おっと、すまない。生徒の時分より殿下を見ている私としては嬉しくてつい。」
先ほどまでの気落ちした様子は何処へ行ったのか、懐かしむように笑みを浮かべていた。
「そうじゃ、ナジア君のことだったな。確かにナジア君は暗殺者なのかもしれない。だが当学院の生徒でもある。もし暗殺教団を抜け出すことができるなら・・・私は、生徒として変わらず迎えるつもりだっ。」
教育者としての確固たる信念を宿した瞳に、ルーファウスは開きかけた口を閉じた。
「それで、セリア先生・・・今のナジア君はどんな状態なんですか?」
セリアは椅子に深く座り直し、アゼリアとルーファウスへ向けて落ち着いた声で語り始めた。
「・・・まず前提として。ナジアに施されていた暗示や精神干渉とった魔法的な支配は、すべて解除しました。」
セリアの言葉にアゼリアだけで無く、ルーファウスもわずかに安堵の息を漏らす。だが、セリアはそこで言葉を切らず、静かに続けた。
「ですが、それはある種、ナジアの表層を縛り付けていた鎖を外したに過ぎません。」
アゼリアが眉を寄せる。
「・・・それは、どういうことですか、セリア先生。」
セリアは視線をアゼリアとルーファウスの二人に交互に向け、はっきりと伝えた。
「ナジアの根本的な問題は、魔法による精神支配ではありません。幼少の頃から冥紋の御手という閉鎖的な組織で育てられ、自分で考えること、自分で選ぶことを放棄せざるをえなかった。それが生存手段になっているんです。」
ルーファウスが息を飲む。
「・・・組織への依存、ということか?」
「えぇ。命令されるままに動けば、生きていけた。考える必要も、選ぶ必要もなかった。恐らく・・・命じられる方が楽、という状態になっていたのでしょう。」
アゼリアとルーファウスの表情に、重い沈黙が落ちる。
セリアは続けた。
「ですから・・・精神支配が解けた。だからといって問題解決にはなりえない、ということです。むしろこれからが本番です。」
「これから・・・?」
アゼリアが問い返す。
セリアは頷き、淡々と状況を説明する。
「ナジアは・・・命令に頼らず生きるという、人として当たり前のことを一から学ぶ必要があります。自分の意思で選び、判断し、間違い、克服するという・・・当たり前の行為を、これから学んでいくんです。」
ルーファウスの視線がわずかに痛みを帯びる。
「・・・だから、すぐに普通の学院生活などできるわけがない、ということだな。」
「えぇ、本来なら。」
「本来なら・・・?」
セリアの意味ありげな言葉に、アゼリアとルーファウスは思わず同時に言葉を発するとセリアに視線を向ける。
「昨晩、ナジアとリディアは仲直りして、友達になりました。二人の関係は、どちらにとってもプラスに働くはずです。リディアの存在は、ナジアが依存から抜け出すための・・・良い切っ掛けを与えてくれることでしょう。なので、すぐにでも学院に復帰できます。」
「さすがセリアさん。既にそこまで解決していたとはっ。」
ルーファウスのセリアを賞賛する言葉に、一拍置き、セリアは締めくくった。
「二人には・・・無限の可能性があります。今回私は、そんな彼女たちをスタートラインに立たせる為の手伝いと、後押しを少ししただけです。」
セリアの言葉が学院長室の中に落ち着いた空気を満たしたとき、ルーファウスがふと眉を寄せ、不思議そうにセリアを見つめた。
「・・・セリアさんは、その・・・お幾つなんですか?」
唐突な質問に、セリアが瞬きを一つする。
アゼリアも目を丸くするが、すぐに柔らかな笑みに戻り、ルーファウスの真意を察したように言葉を添えた。
「確かに。セリア先生の言葉を聞いていると、どうも年下の若い講師には思えませんな。まるで長年の教育者のような言葉ですな。」
ルーファウスも続けて、気まずそうにしながらも率直な感想を述べる。
「いや、その・・・学院長の言葉にあるように。私より年下のはずなのに、どう聞いても年上のようで・・・。」
セリアは小さく溜息をつき、手を額に当てながら呟く。
「・・・いくら殿下とはいえ、女性に歳を聞くのは、礼儀としてどうかと思います。」
たしなめるように言うセリアの声は涼やかだが、微かに呆れが混ざっていた。
ーーー前世じゃアラフィフだからな。落ち着いて聞こえるのも当然といえば当然か・・・。
アゼリアとルーファウスの言葉に対して、セリアは心の中で、誰にも言えない本音が、ひっそりと浮かんでいた。
セリアの表情がほんのり苦笑に変わったのを見て、アゼリアもルーファウスもそれ以上追及せず、空気が柔らかく和んでいく。
だが、その和やかな空気の中で、ルーファウスは急に表情を引き締め、まっすぐセリアを見据える。
「・・・セリアさん。もう一つ、尋ねたいことがあります。」
ルーファウスの声の調子が変化したことを感じ取ったセリアは、姿勢を整える。
「何でしょうか?」
ルーファウスは息を整え、重々しく口を開いた。
「リディアの暗殺を指示した人物、その特定は、既ににできているのでしょうか?」
アゼリアも視線を落とし、セリアの答えを固唾を呑んで待つ。セリアは一拍の沈黙を置き、声のトーンをわずかに落として応じた。
「・・・冥紋の御手に接触した人物が、ヴァレンティウス公爵家の屋敷へ入るところまでは確認しました。」
学院長室の空気が一瞬にして重く沈む。重々しい空気の中、セリアは淡々と続けた。
「まだ不十分ですし、証拠もありません。それでも、十中八九・・・ヴァレンティウス公爵が関与していると考えるべきでしょう。」
ルーファウスの瞳の奥に鋭い光が走る。アゼリアも深く眉を寄せ、ルーファウスの次の言葉を待つように沈黙していた。ルーファウスは静かに息を吸い込んだ。そして、重く沈んでいた表情をわずかに持ち上げる。
「・・・ここまで判明していれば十分です。セリアさん、よくここまで調べてくれました。ありがとうございます。後は持ち帰って、父上と話し合います。」
その言葉には、王家の一員としての覚悟と判断が込められていた。
アゼリアも深く頷き、場を締めるように言葉を添えた。
「では本日のところは、これでよろしいでしょう。セリア先生、ルーファウス殿下。情報提供、感謝いたします。」
三人は立ち上がり、学院長室に静かな余韻が満ちる。ルーファウスは軽く一礼し、セリアへと短く目を向ける。
「リディアのこと、頼みます。」
「承知しました。」
その確かな言葉に、ルーファウスはわずかに表情を和らげ、扉の向こうへと歩み去っていった。残されたセリアはアゼリアと短く挨拶を交わし、学院長室を後にする。夕暮れの光が廊下へ差し込み、一日の終わりを告げるように長い影を落としていた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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