第九羽. アルジェント
見知らぬ天井を今、私はぼんやりと眺めている。
目覚めたばかりの意識に加え、数時間前まで絶望の果てに生きる気力を失い、終わりを待つだけの時間を過ごしていた。それと現実との落差が、目の前の光景をどこか遠く手応えのないものに感じさせていた。
アルジェント。
それが、今の私の名前。
この名前はつい先ほど、私が忠誠を誓った御方、セリア様より賜ったもの。それ以前は、セフィリア・オルコットと名乗っていた。
私は元々エルフの国であるラトレア王国に生まれ、近衛騎士団団長を務めていた。だがその道は、最初から望んだものではなかった。
下級貴族の家に生まれた私は、全くと言っていい程に王宮勤めには興味を抱かなかった。そして成人すると直ぐに家を飛び出し、自身の腕一本を頼りに冒険者となった。
冒険者生活は思いの外性に合っていた。実力が正当に評価され、結果が全てとして扱われる世界。順調に成果を積み重ね、気づけば五,六年で冒険者ランクAまで到達していた。
それから二十年。
冒険者ランクSにまで上り詰め、順風満帆な冒険者生活を送っていた。そんな時、冒険者ギルドからとある依頼が舞い込んできた。内容は、脅威度Aに指定されている魔物の討伐。
そして場所は、私の故郷であるラトレア。
魔物の討伐自体は成功した。だがその代償は大きく、数多くの犠牲を出した。その中には、当時の近衛騎士団団長の姿もあった。
そんな折、魔物討伐で功績を挙げた私に声がかかった。
近衛騎士団団長への就任という要請が。
故国の為になるなら、そう考えた私はその申し出を受け入れた。それが単なる王宮内での政争の具であるとも知らずに。
そして、それが転落の始まりであることにも。
近衛騎士団には、とりわけ上級貴族の子息子女が多く在籍していた。さらには選民意識が強く、血筋と家格こそが絶対の価値だと信じて疑わない者たちの巣窟。
それが近衛騎士団の姿でもあった。
元冒険者、さらには下級貴族という経歴を持つ私が、同じエルフでありながら、彼らにとって忌避すべき存在だった。それが自分たちの上司ともなればなおさら。
向けられるのは、妬み、嫉み、僻みといった負の感情。言葉にならぬ悪意が、視線となって日常的に突き刺さっていた。
そして、ある日、それは起こった。
私は部下の策略により、反逆者の汚名を着せられた。弁明の機会すら与えられぬまま投獄され、秘密裏に闇ルートで奴隷商に売り渡された。
初めこそ復讐の機会をうかがっていたが、程なくして何かの呪いが私の身体を蝕み始めた。今まで築き上げてきたスキル、鍛え上げた力。それらが音も無く奪われていった。
剰え手足を切断され、エルフの象徴である耳を失い、顔を火で焼かれた。それは私という存在をこの世から抹消するように。
絶望に蝕まれ、やがて私の心は何も感じなくなっていった。
痛みも、憎しみも、何もかもが。
それから幾年月が過ぎ去ったのか、それさえも分からない。
そんな私の前に、彼女が現れた。
はじめ私は彼女を認識できなかった。境界線が曖昧で、景色なのかさえ判然としない存在。今までと少し違うのは、何も感じなくなっていたはずの心が、微かに騒めいた。
それが何なのか分からない。それでも、確かに何かを感じた。
やがて彼女は、私の傍まで歩み寄り、耳元で静かに囁いた。
「私は・・・おまえを買おうと思っている。欠損している四肢や耳、顔にある火傷は私が必ず治す。もし生きたいと思うなら・・・瞬きを二回しなさい。」
その言葉を聞いた瞬間、今まで色褪せて見えていた世界に、少しではあるが彩画が戻った気がした。
その言葉に応えるように、私は必死に瞬きをした。二回の瞬きが、出来ていたかは分からない。だが、それでも全身全霊で彼女に答えた。
それが伝わったのか、彼女は再び私に耳元で囁いた。
「わかった。おまえを買うことにする。おまえの未来は私が預かる。」
その言葉を聞いて、私は決めた。この御方に、忠誠を誓おうと。この地獄から抜け出せるのなら、否、抜け出させてくれたのなら、絶対に。
そして私は、未来を歩むための術を手に入れた。失っていた四肢は戻り、顔の火傷も消え去っていた。嘗て近衛騎士団団長として剣を振るっていた頃のように。
ただ違うのは、髪が銀色に、肌は褐色へと変わっていたこと。外見だけを見ればダークエルフと思われても不思議ではない。それもまた、忠誠の証として名と共にセリア様から賜ったもの。
ーーー今は、休もう。力を蓄え、心を整え、再び立ち上がるために。
そんな決意とともにある考えが、アルジェントの中に浮かぶ。
ーーーセリア様のお傍に在り続けるのなら、身の回りのお世話も必要なのでは・・・。であれば、メイドという役目も悪くはない。
そう静かに決意を固め、私は再び微睡の底へと身を委ねた。
◇◇◇◇◇◇
宴後のとある一室。
宴も滞りなく終わり、セリアはアインザック家より与えられた一室の寝台に身を横たえていた。室内は静かで、昼間の出来事がまるで嘘のように落ち着いている。だが、意識の奥では未だ整理しきれていない情報が渦を巻いていた。
『《オモイカネ》、アルの容姿が変化した理由について何かわかるか?』
『個体名:アルジェントの容姿が変容した原因は、主従契約の成立時、本人が無意識下で強く望んだ結果である可能性が高いと推測されます』
『主従契約・・・私に忠誠を誓わせた、あれのことか?』
『はい、ただし、今回の事象については、スキル《契約》が深く関与しています。』
『私はそんなスキル・・・持っていないはずだが。』
『報告が遅れましたが、奴隷契約をした際に獲得しております。』
立て続けに起こった出来事を思い返し、セリアは小さく息を吐いた。
『・・・色々ありすぎたからな。だが、今後は可能な限り即時報告を頼む。』
『承知しました。補足として、《契約》を取得に伴って、《テイム》が《契約》に統合されました。また奴隷契約の行使も可能となっています。』
《オモイカネ》からの説明を聞きながら、セリアは自分のステータスを確認した。
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【名前】 :セリア・ロックハート
【種族】 :兎人族
【性別】 :女性
【生年月日】 :3月24日/天輪歴2004年
【称号】 :八属性を制す者
【スキル】 :オモイカネ、グリモワール、ソウルイーター、魔眼、チャクラ
【眷属】 :アルジェント《エルフ》
【従魔】 :テトラ《テトラエレメンタルスライム》
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だが、スキル欄には、《契約》という文字はどこにも見当たらない。
『《契約》なんてスキルは表示されていないぞ。』
『失礼しました。説明が不足していました。』
《オモイカネ》が即座に応答する。
『マスターのスキルは、基本的に《グリモワール》で管理されています。その為、スキル欄には一切表示されません。』
『それじゃぁ、今表示されているスキルは何なんだ?』
『スキル欄に表示されているものは、マスターの根源的なスキルです。』
『根源的・・・?』
『はい。《グリモワール》での管理が不可能、あるいは管理対象外となる、マスター自身の存在と直結したスキル群を指します。』
”存在と直結したスキル群”、その言葉にセリアは僅かに眉を寄せた。抽象的で、どこか引っかかる表現。だが、今はそれを掘り下げる気力もなかった。
セリアはひとまず思考を切り替え、次の項目へ目を向ける。
《眷属》、そこには、アルジェントの名が記されていた。
「・・・なるほど。これが《契約》の結果、か。」
表示された名前を見つめながら、セリアは静かに息を吐いた。
明日の予定、そして今後の方針。今後のことを考えを巡らせていたが、思考が次第に鈍くなり、瞼がゆっくりと重さを増していく。
昼間の魔術行使による疲労、さらに宴で口にした酒の余韻。セリアの体力は、既に限界を迎えていた。これ以上考えても、今は答えが出ない。そう判断したセリアは、抵抗することなくあっさりと意識を手放した。
◇◇◇◇◇◇
翌朝。
朝食を終えたセリアは、屋敷の廊下をひとり歩いていた。そして、とある部屋の前に立っていた。
「どうぞ、お入りください。」
扉越しに返ってきた声は、昨日よりもはっきりとしている。その響きに、セリアは僅かに安堵を覚えながら、静かに扉を開けた。
室内に足を踏み入れると、長い綺麗な銀髪、褐色の肌の女性が寝間着姿のまま、ゆっくりと身体を動かしていた。それは慎重に、無理の無い範囲で、自身の身体を確かめるような動き。
この部屋は、アルジェントの為に宛がわれた一室。
「おはよう、アル。身体の具合はどうだ?」
「おはようございます。セリア様。はい・・・問題ありません。とは言っても、本来の調子を取り戻すには、大分かかりますが。」
その受け答えには、まだ遠慮が滲んでいるものの、声色には確かな回復の兆しがあった。
「それは、徐々に戻していけば良い。話があるのだけど、少しいいか。」
セリアは部屋に備え付けられたテーブルの椅子を引き、腰を下ろす。そして、向かいの席を視線で示しながら、アルジェントを呼び寄せた。
アルジェントはテーブルの前まで来たが、椅子には手を掛けず、そのまま背筋を伸ばして立ったままでいる。
「アル、そこに立ったままでは、私が話にくい。そこに座って欲しい。」
そう促されても、アルジェントは首を横に振った。
「セリア様・・・私は奴隷です。それが主人と同じ席に座るなど、許されることではありません。」
その言葉は、この世界に染み付いた価値観。そして、アルジェントが固辞するのには、十二分な理由であった。
そんなアルジェントの様子にセリアは小さく息を吐き、やれやれといった様子で椅子の背に体重を預ける。
「確かに・・・アルと私には奴隷契約としての主従が存在する。だが、それだけじゃない。」
セリアは視線を逸らさず、穏やかに言葉を続けた。
「私は、これから一緒に旅をする仲間だと思っている。同じ目線で、同じ景色を見て、同じことを感じ、考えていきたい。そう思っている。だからこそ、そこに座って、私と話をしてほしい。」
しばしの沈黙。
アルジェントは一瞬、視線を伏せ、それから深く一礼した。
「・・・承知しました。それでは、失礼します。」
そう言って、アルジェントは静かに椅子へと腰を下ろす。
「ふぅ・・・これで、やっと話が進められるな。」
セリアは小さく肩を落とした。
『《オモイカネ》、これからの会話を・・・外に漏らさないようにする事は可能か?』
『防音障壁をこの部屋に施す事で可能です。』
『なら、実行してくれ。』
『承知しました。』
空気がわずかに震え、部屋全体が外界から切り離された感覚が広がる。
「まず初めに、仲間を紹介しよう。テトラ!」
名前を呼ばれると、セリアのコートのフードから小さな影が飛び出し、テーブルの上に着地した。それは青く透き通るような身体したスライムだった。その小さく愛くるしい姿を見て、アルジェントは思わず声を漏らす。
「か、可愛いっ!」
アルジェントの言葉が嬉しかったのか、その場で飛び跳ねる。
『テトラだよ~。わるいスライムじゃないよ!!!』
「これは・・・テトラさんの声ですか?」
『そうだよ~』
「念話が使えるなんて・・・すごいですね!」
『えっへん!』
テトラは何処で覚えたのか分からない誇らしげな返事すると、アルジェントの膝上に飛び移った。
『テトラ。そこで大人しくしていること!』
それを見たセリアは、念話でテトラに釘を刺した。
『は~いっ。』
渋々といったトーンで返事をすると、アルジェントの膝の上で大人しくすることを決めたテトラ。
「次は・・・アルのことを教えて欲しい。ただ無理やり聞き出すつもりはない。話したくなければ、それで構わない。」
セリアの言葉に、アルジェントは俯き、しばらく沈黙した後、ゆっくりと身の上を語り始めた。
「・・・わ、私は、エルフが統べる国、ラトレア王国で近衛騎士団団長を務めていました。ある日、部下に嵌められて・・・反逆者として捕らえられました。そして・・・奴隷商に売り払われました。」
アルジェントの声が、僅かに震える。
「喉を潰され、顔が分からなくされたのは・・・私の身元を分からなくするためだったと思います。四肢を奪われたのは・・・復讐を恐れて、でしょう。」
言葉が途切れる。
「・・・どれほどの歳月を・・・奴隷として過ごしていたのか・・・もう、わかりません・・・。」
「辛い話をさせてすまない。」
アルジェントの顔に影が差すような、そんな雰囲気を感じ取ったセリアは話を途中で遮った。
「そこで・・・ひとつ聞かせてほしい。」
「・・・なんでしょうか?」
セリアは、アルジェントの目を真っ直ぐ捉える。
「アル・・・復讐をしたいか?」
セリアの質問に対して、アルジェントは静かに天井を見上げた。そして、再びセリアの目を真っ直ぐ見据える。
「・・・考えていないと言ったら、嘘になります。それでも・・・今は、セリア様とテトラさんと・・・これからのことを考えたいと思っています。」
その声は静か迷いの無いものだった。
未来を思っていると、アルジェントははっきりと口にしている。だが、一連の出来事がアルジェントの心に暗い影を落としているのは間違いない。それをセリアははっきりと感じ取っていた。
それを乗り越えるかどうかは、最終的にアルジェント自身の心の在り様に委ねられる。それでも、セリアは可能な限り、手を差し伸べるつもりでいた。
たとえ復讐という選択をすることになったとしても。
「そうか・・・わかった。それじゃぁ・・・最後に私の事を話そう。」
そう前置きして、セリアは自分のことを話し始めた。この世界とは異なる世界で死を迎え、気が付いた時にはこの世界にいたこと。さらに、この世界に来てから、まだ一ヵ月程しかたっていないこと。
アルジェントは一言一句漏らさずに聞き取るように、静かに耳を傾けていた。
続いて、セリアは今後の方針を伝える。
「この世界、フェニスティアは、私の知らないことだらけだ。貨幣価値も分からないし、文化も私の前世とは全く違う。見たことの無い景色や食べ物、旅をして色々なものに触れたいと思っている。」
少し言葉を区切り、続ける。
「その為に冒険者登録をするつもりだ。この街で暫く冒険者として活動をした後、他の街を巡る旅に出ようかと思っている。その時、アルに手伝ってほしい。」
セリアの言葉を聞き終えると、アルジェントは膝の上にいたテトラをそっとテーブルの上へ降ろし、静かに立ち上がった。
そして、深く頭を下げる。
「承知しました。何処まででも・・・お伴する所存です。」
救われた命であることを、アルジェントは改めて噛みしめる。どこまでも付き従う。その誓いを、心の奥で新たに刻んでいた。
「それとアル。ちょっとした軽い運動くらいなら構わないが、今日一日は身体を休めておくように。」
席を立ちながら、セリアは告げる。
「あの・・・セリア様。」
アルジェントが、少し遠慮がちに声をかけてきた。
「昔の感覚を取り戻すために・・・暫く修練したいのですが・・・。」
思いがけない申し出に、セリアは足を止める。
「分かった。明日から行えるように、私からアインザック様に相談してみよう。」
部屋の出入り口に向かいながら、そう答えた。
「よろしくお願いします。」
『アル、またね~』
テトラが明るく挨拶をすると、テーブルから飛び降りて、セリアの後を追いかけ、フード中へと収まった。
扉を開けたところで、セリアは振り返る。
「アル、あらゆる理不尽に抗う力を・・・手に入れるぞっ。」
一言だけ告げて、セリアは部屋を後にした。
部屋に残されたアルジェントは、部屋を出ていくセリアの背に向かって深く頭を下げる。やがて頭を上げたアルジェントの顔は、確かな決意に満ちていた。
◇◇◇◇◇◇
アルジェントと話をしてから一週間が経過した。
当初は、庭の一部を借りてセリアが直接修練の相手をするつもりでいた。だが、修練についてアインザックに相談した結果、騎士団の練習へ参加することになり、アルジェントは騎士団での練習に励むようになった。
それと並行して、アルジェントはメイドの修行を始めた。
「セリア様の身の回りのお世話を、旅先でも行えるようにしたい。」
そう言って、アルジェントは全く譲らなかった。セリアの事となると頑なな所があり、セリアは了承以外の返答が見つけられなかった。
その間、セリアはエーテル制御や錬金術の修行に励み、思いの外充実した日々をアインザック邸で過ごしていた。時折、アルジェントに付き合って騎士団の練習に顔を出し、適度に身体を動かすこともあった。
セリアたちは、未だにアインザック邸に滞在している。その理由は至極単純な理由だった。アルジェントの修練について相談をした際、アインザックが発した言葉。
「ならば、暫く当家に滞在すればよい。」
その提案で、この街に滞在している間はアインザック邸に滞在する流れとなった。この話がシルクの耳に届いた時、シルクが狂喜乱舞したのは、言うまでもない。




