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転生したらうさみみでした  作者: 黒鉄神威
第五章 王都動乱編
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第百九羽. セリア先生の奇妙な課外授業


 放課後を告げる鐘が学院内に響き、校庭に夕陽が差し込む。生徒たちの笑い声が次第に遠ざかり、白い石畳に長い影が伸びていく。


 セリアは講師棟の執務室で、手元の書類に目を通していた。臨時講師として学院に赴任してから一週間と少しが経過していた。忙しくも充実した日々が過ぎていた。教鞭を執ることも重要な依頼であるが、セリアにはもう一つルーファウスから依頼があった。それは一人の少女の護衛。


 リディア・エルリック。現国王の孫でありルーファウスから見れば姪に当たる王家の血を引く少女。本人はその事実を知らぬまま生を送り、学院生活を過ごしている。リディアは十四才から入学という慣例を破り、十二才という歳で入学を果たした。王家の威光がないと言えば嘘になるが、彼女自身もかなり優秀であるのは間違い無い。そんな少女の身辺をルーファウスの依頼でセリアは密かに見守っていた。


 ただ、学院内であればセリアが目を光らせる事が出来るが、学院外となれば話は別だった。授業を終えたセリアが学院外に出られない時間、リディアが帰宅する道、学院周辺の街路、影の多い裏通り。そうした場面では、どうしてもセリア一人では手が届かない。そのため学院外の身辺警護は、ヴェインが引き受けていた。


 ヴェインは自身の気配を周囲に同化させ、人混みの中、あるいは屋根の上から、リディアの登下校経路をさりげなく護衛している。そしてセリアとは念話で常に繋がりあい、危険があれば即座に共有できる体勢をとっていた。


 そして今、リディアを狙う影がひとつ。


 影はリディアの同級生であるナジア・グレヴィル。ナジアは表向き学院に転入したばかりの一年生。成績は優秀で、端正な身のこなしをしている。だがその実は、暗殺教団、冥紋(めいもん)御手(みしゅ) の構成員。幼き頃より教団によって育てられた孤児のひとり。命じられた標的を迷わず殺す、このことだけを徹底的に教えられ、感情を切り捨て、生きる術として暗殺を叩き込まれた少女。


 今回、ナジアの任務はリディア・エルリックの暗殺。これが教団が顧客から受けた依頼であり、リディアの出生に関わる情報が、裏社会で微かに流出した結果だった。ナジアにとって命令は絶対であり、疑問を持つ余地など存在しない。失敗は死を意味し、成功はわずかな生存猶予。ただそれだけの、乾いた世界がナジアの全てであった。


 セリアは初日の顔合わせの時に鑑定で、ナジアが暗殺者であることは分かっていた。そして学院に潜り込んでいる理由もすぐに理解した。さらに模擬戦の時の立ち振る舞いは、他の生徒とは違い明らかに戦い慣れた者の特有の気配を纏っていた。周囲との距離を測り、決して群れない。まるで他人を観察するようなその視線に、セリアは鑑定だけでなく、その異質さを察していた。


 『セリア、動いた。ナジアがリディアの後をつけている。』


 ヴェインの声がセリアの頭の奥に届く。セリアは一瞬だけ目を閉じ、思考を整えた。


 ーーー思っていたより早く行動に移したわね。


 『位置は?』


 『学院裏手の小道。門を出た。まだ距離はあるが、動きが速い。』


 『了解。今すぐ向かうわ。』


 念話を終えたセリアは、椅子の背にかけていたローブを羽織る。


 「・・・さて、課外授業の時間ね。」


 微かな風が室内を抜け、次の瞬間、セリアの姿はその場から掻き消える。



 ◇◇◇◇◇◇


 リディアはいつも通り学院裏手の小道を歩いていた。街へ続く道は緩やかに曲がり、人通りも少ない。夕陽はすでに傾き、周囲に長い影を落としている。


 だが今日は、背後に微かな違和感があった。誰かが、自分の後をついてきている。リディアは歩を進めるふりをしながら、人影の気配を探った。その違和感は確信に変わり、人気のない開けた場所まで来たところで、足を止めた。


 「・・・私の事をつけているようだけど、何のつもり?」


 リディアは振り返り、何者かに向けて声を張る。リディアの声に何の反応もなく、だた静寂だけが広がる。だが次の瞬間、茂みの影がわずかに揺れた。


 人影が一歩、また一歩と姿を現す。


 現れた人影にリディアの瞳が驚愕に揺れた。


 「・・・ナ、ナジア?」


 現れたのは同じクラスの少女、ナジアだった。普段からあまり感情が表情に表れるタイプではない。だが今のナジアは冷淡な表情のまま、感情を欠いた灰色の瞳でリディアを見据えている。


 「ナジア・・・一体、何のつもり?」


 リディアの問いかけに、ナジアの唇は一切動かなかった。それどころか一切の表情が動かず、その沈黙の代わりにナジアの両手がゆっくりと腰へ伸びる。金属が擦れる音とともに。二振りの短剣が鞘から抜き放たれる。そして、そのまま静かに構える。


 その瞬間、ナジアを中心として空気が変わり、殺気が突き刺さるようにリディアへと向けられる。自身に向けられた殺気にリディアは喉奥が冷たくなるのを感じた。


 ーーー・・・本気で、私を殺すつもり・・・?


 リディアに迷っている時間などなかった。背負っていた槍を瞬時に構えたが、その時にはすでにナジアは動いていた。


 ーーー速いっ。


 その動きは授業の時とは比べものにならず、影のように滑り込み、あっという間に刃が喉元へ迫る。リディアは紙一重で身を捻り、その攻撃を槍の柄で受け流す。槍から伝わる衝撃に微かに手がしびれる。何よりも武器越しに伝わる殺意に、改めてナジアの殺意が本物であることをリディアは理解した。


 もう一撃、そして三撃目。ナジアの攻撃は鋭く、その無駄のない動きにリディアはすぐに追い詰められる。懸命に回避するが、今のリディアでは動きを目で追うのが精一杯で、身体は全くついていけなかった。


 ーーー・・・まずい。このままじゃ・・・。


 ナジアの短剣が閃き、リディアの頬をかすめる。血の雫が落ちた瞬間、このままでは命を奪われるのも時間の問題であることをリディアは悟った。


 ナジアの足が地を蹴る。


 風を裂く音が走り、短剣の切っ先がリディアの心臓めがけて一直線に迫った。


 ーーー来る。避けられないっ。


 刃が眼前に迫り、リディアは死を覚悟した一瞬。ナジアの腕が止まった。否、止められた。ナジアの細い腕を、しなやかな指先が掴んでいた。


 「・・・っ!?」


 音も無く現れた存在に、ナジアの瞳が大きく見開かれる。直前まで、この場にはナジアとリディア以外の気配は一切なかった。それなのに、その指先の主は、まるで初めからそこに佇んでいたかのように静かにナジアの腕を掴んでいた。


 「そこまでよっ。」


 その声に現場の空気が一変する。夕陽を背にしたその姿が、リディアの視界に映る。


 「セ、リア、先生・・・。」


 驚きと安堵が入り混じったような表情を浮かべ、リディアはその場で膝から崩れ落ちる。そしてナジアは、ここに来て初めて声を発する。


 「い、いつから・・・。」


 ナジアの喉奥が震え、その声には言葉にならない動揺が滲んでいた。だが、すぐにナジアの瞳から動揺が消えて、迷わず次の行動に移る。セリアに掴まれたままの腕を軸に、もう一方の短剣を躊躇なく振り抜いた。


 自分に向かって一直線に走る殺気と刃を前にしても、一切の動揺にも見せず、微動だにしないセリア。刃が触れる寸前、指先の力がわずかに抜ける。ナジアはその隙に自身の腕を強引に引き抜く。自由になった瞬間、ナジアは地を蹴り、素早く大きく後方へ跳ぶ。数メートル、いや十メートルほど距離を取り、低く身を落として再び構えを取った。


 夕陽に照らされた刃が、冷たく光る。


 セリアの姿を見たリディアの中で安堵感が生まれ、身体が緊張から解放される。そして数秒遅れて恐怖が込み上がり、リディアの身体が震え出す。


 「もう、大丈夫っ。」


 しゃがみ込み、優しく頭を撫でながら言葉をかけるセリア。その言葉に自然と震えが治まり、再びリディアの中に安堵感が生まれる。静かにゆっくりと立ち上がったセリアは、視線をナジアに向ける。その鋭い視線にナジアは、背筋に冷たいものが奔り、えも言えぬ感覚を覚えた。


 ナジアはセリアから視線を逸らさずに、すぐに状況を判断していた。目の前にセリアが現れた時点で、任務は失敗だと判断できる。それは暗殺教団、冥紋(めいもん)御手(みしゅ)において死と同義だった。


 ーーー戻らないと。せめて、この情報だけでも・・・。


 自分に待つのが死だけだと理解していながらも、ナジアの頭の中では教団に対する忠誠しかなかった。ナジアはわずかに体勢を沈め、地面を蹴った。影のように走り、道の奥へ向けて一気に距離を取ろうとする。


 だが、その瞬間。


 バンッッ!!


 激しい衝突音とともにナジアの身体が弾け飛ぶ。目の前の空間に透明な壁が存在していた。


 「・・・っ!?」


 跳ね返され、地面に転がるナジア。蹌踉(よろけ)ながらも起き上がったナジアは理解した。自分が既に相手の術中にあり、檻に囚われていることを。


 「ここから逃げることは・・・不可能だと思っていいわ。出たいのであれば、私を倒す事ねっ。」


 背後からの声に振り返れば、セリアが歩み寄っていた。その歩幅は小さく、穏やかでさえあるのに、ナジアの背筋に電流のような恐怖が走った。そしてナジアの本能が囁く。戦いの先にあるのは死だけだと。


 ーーー逃走は不可能。どうせ・・・死ぬのならっ。


 次の瞬間、ナジアは顔を伏せたまま息を吸い、迷いを完全に切り捨てた。


 ーーー戦うのみっ。


 灰色の瞳が鋭く細められ、短剣を握る手に力がこもる。全身に殺気を纏い、ナジアは地を蹴り矢のようにセリアへと跳んだ。殺意の本流がセリアに向かって迫り、二振の短剣が弧を描き閃く。


 その速さと鋭さ、精度は、リディアを圧倒した際の動きとは比べ物にならない程に凄まじく、ナジアの暗殺者としての本気が垣間見えた。だが、セリアはナジアに向かって静かに一歩を踏み出すだけだった。


 ナジアの刃が首筋をかすめ、内側へ斬り込む軌道が閃く。セリアの身体がほんの少しだけ横へ傾いた。それだけでナジアの刃は当たらなかった。もう一歩踏み込めば確実にナジアの刃は、セリアを捉える。だが、ナジアにとってその一歩が果てしなく遠く感じられた。


 「・・・っ!」


 それでもナジアは即座に切り替える。切り返し、逆手構え、肘打ち、足払い、ナジアの連撃が一息にセリアに叩き込まれる。


 だが、どれ一つとしてセリアに触れることはない。


 「・・・強すぎるっ。」


 その絞り出すような声が、ナジアの喉奥で小さく震えた。理解したくなくても、身体が必然的に理解してしまう。


 それでもナジアは止まらない。


 跳ぶ、回り、複雑な軌道を描く二振の短剣は一撃ごとに、ナジアの命を削る覚悟を乗せていく。次第にナジアの息は乱れ、視界がわずかに揺れる。それでも前へ、さらに前へと足を動かし続けていた。


 セリアはただ静かに見つめていた。


 ナジアは残された体力が僅かであることを悟り、最後の一撃に踏み切った。片手の短剣を投げ視線を誘導すると、もう片方の刃をセリアの心臓めがけて突き出す。


 残りの全てを込めた渾身の一撃。


 その刃が触れる直前、ナジアの持つ短剣が砕け散る。自分が手にしている武器が一瞬にして破壊された事に、ナジアの動きが一瞬だけ止まる。次に思考が動き出した時、ナジアの額にセリアの右手人差し指が触れていた。


 「もう・・・終わりにしましょう。」


 その言葉とともにナジアの全身に衝撃が走る。


 「・・・が・・・っ・・・!」


 声を発する間もなくナジアの動きが止まり、力の抜けた掌から刃の砕けた短剣が零れ落ちる。


 ーーーこの人には・・・勝てない。


 技術、力の圧倒的なまでの差。そして一挙一動の精度と、致命的なまでの格の差。決して見ることの出来ない(いただき)が目の前にあることを、ナジアの暗殺者としての本能が理解してしまった。目の前にいる、この女、セリア・ロックハートとは戦っていけないことに。


 そして、陽が沈み、周囲が闇に染まっていく中、ナジアの身体は崩れ落ち、深い底に意識が沈んでいった。ナジアの身体が崩れ落ちる瞬間、セリアはそっと腕を伸ばし抱き留めた。抱き上げたナジアの身体は、完全に力が抜けたこともあり思いの外重く感じられた。


 セリアがこの場に到着する前から、リディアとナジアを監視するような気配があった。その気配が戦闘が終わった直後、速やかに動きを見せた。


 ーーーやはり、動いたわね。


 セリアはそのままの姿勢で、ヴェインに念話を繋げる。


 『ヴェイン、後を追える?』


 すぐに応じる気配が返ってくる。


 『誰に言っているんだ。既に動いている。どうやらスラム街に向かっているようだっ。』


 セリアは腕の中の少女へ静かに目を落としながら、淡々と告げる。


 『・・・後は任せるわ。』


 『了解だっ。』


 念話が途切れ、再び静寂が訪れる。


 セリアは抱きかかえているナジアの顔を見つめた。その顔は、戦闘中の凄絶(せいぜつ)な殺気を放っていたときと似ても似つかない可愛らしい顔をしていた。


 「・・・こうして見ると、年相応の女の子ね。」


 誰に向けるでもなく、静かな声が零れる。



 ヴェインの気配が遠ざかり、周囲に怪しい気配が無いことを確認したセリアは、振り返ってリディアに声を掛けた。


 「・・・リディア、大丈夫?」


 セリアの問いに、リディアはかすかに頷くと立ち上がろうとする。だが膝がまだ震えているのか、思うように力が入らず、身体がふらついていた。


 その様子を見たセリアは、静かに声をかけた。


 「・・・落ち着くまで、少しここで休みましょう。」


 言うが早いか、セリアはナジアを抱えたままストレージから薄布でできた敷物を取り出す。抱えたナジアを落とすこともなく、セリアは器用に敷物を地面へ広げる。そして、そっと腕の中のナジアを敷物の上へ寝かせる。


 リディアは、まだ震える足で無理に身体を支えようと立ち尽くしていた。その姿を見て、セリアはためらいなく歩み寄る。


 「はい、こっち。」


 そう言ってリディアの身体を軽々と抱き上げる。抵抗する間もなく抱えられたリディアは驚きに目を丸くしてセリアを見上げていた。セリアはそのまま、敷物の上までリディアを運び、慎重に地面へ下ろした。


 セリアはリディアの横に腰を下ろすと、柔らかい声で続けた。


 「今日は、うちに来なさい。さすがにこのまま一人で帰すのは危ないわ。」


 リディアの表情がわずかに曇る。自分がなぜ襲われたのか。そして、もしセリアが来なければ、確実に命を落としていたという事実が、リディアの脳裏に押し寄せる。胸の奥がぎゅっと締め付けられ、リディアは小さく息を呑んだ。


 「騒がしいとは思うけど・・・そこは我慢して。」


 セリアの声は静かだが、どこか包み込むような温かさがあった。リディアは何も言わず、ただ静かに頷く。そして、視線が、横たわるナジアへと向けられた。その視線の意味を察したセリアは、言葉を添える。


 「安心していいわ。ナジアも一緒だけど・・・今は完全に私の監視下。さっきみたいなことは絶対に起こさせないから。」


 しっかりとしたその言葉は、リディアの不安を押し流すように力強く、それでいて確かな優しさが垣間見えていた。


 リディアは小さく息を吐き、ほっとしたように頷く。


 「・・・はい、セリア先生。」


 先ほどまで震えていた足に、ようやく力が戻っていくのを感じた。リディアはぱっと表情を明るくし、そのまま勢いよく立ち上がる。


 その姿を見て、セリアも自然と口元を緩める。


 「もう大丈夫そうね。」


 軽く確認するように言うと、セリアはナジアを抱きかかえて立ち上がる。腕の中の少女は相変わらずぐったりと眠り、可愛らしい寝顔をさらしていた。


 リディアはその横で、敷かれていた敷物へと歩み寄る。


 「これ、片付けますね。」


 そう言って手際よく敷物を畳むと、セリアのストレージにしまう。空はすっかり夕闇へ溶け込み、街灯に明かりが灯る時間となっていた。


 「さぁ、行きましょう。私の住まいはすぐよ。」


 「はいっ。」


 リディアは勢いよく返事をし、セリアの少し後ろへ並ぶ。


 夕闇の中、夜風が静かに足元を撫で、セリアとリディアは貴族街の奥にある屋敷に向けて歩き始めた。


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