第百八羽. セリア先生と暴走少女
セリアが王立学院で臨時講師を務めるようになってから、はや一週間が過ぎた。当初は実践に関わる授業だけだと思っていたが、蓋を開けてみれば、セリアは自分が考えていたよりも多くの科目を任されていた。魔法理論学、応用術式解析、戦術行動論、魔力数理といった専門的な科目だけでなく、数学、王国史や王国の地政学といった基礎科目も教鞭を執っていた。さらには魔導具基礎理論、応用魔導機構学といった魔導具に関する科目を教えていた。結果として学院の理論系主要科目ほぼすべてを一人で教える羽目になっていた。王立学院では、魔術や戦闘技術だけでなく、政治や文化も含めて総合教育を重んじている。本来なら複数の専門講師が分担して担当するはずの内容を、セリアは一人で引き受けていた。もっとも、それが可能なのはセリア一人の才覚というよりは、《オモイカネ》の力があってこそである。セリアのスキルの一つである、疑似人格搭載型の支援スキル。授業中、セリアが黒板に描く魔法陣や数式の背後では、この優秀なスキルである《オモイカネ》が瞬時に演算を行い、同じセリアのスキルである《グリモワール》から情報を選び出して情報を提示している。セリアの授業は、《オモイカネ》の支援によって成り立っているのである。
当初こそ、教室の空気は冷たく、生徒たちの反応は皆無であった。だが一週間が経過した今、かつてのような偏見に満ちた目を向ける者はもういない。そして教壇に立つセリアの声が静まり返った教室に響き、少しではあるが、耳を傾け始めていた。
黒板に描かれた魔法陣を実際にセリアが実演する。魔法陣が淡く輝き、構文が空間上に浮かび上がると、生徒たちは思わず息を呑んだ。理論と実演、その往復が、セリアの授業の特徴だった。魔法式を公式として分解し、次の瞬間にはその構造を空中に展開して見せる。理論が現象に変わる、その瞬間を目撃するたび、生徒たちの目に光が宿っていく。
セリアはチョークを置き、振り返る。
「・・・では、この回路が暴走する原因を、誰か説明してみてっ。」
セリアの声が教室に響き渡る。以前ならうつむいていた生徒たちが、いまでは自ら手を挙げ、互いに意見を交わし始めていた。特にシェリスは今まで得られなかった知識欲を刺激されて、積極的にセリアに質問をしていた。
その光景に、セリアはわずかに目を細め、教え甲斐のある生徒たちの姿に満足感を得ていた。
その日の授業が終わり、学院の鐘が静かに夕刻を告げた。教室を後にして人気のない回廊を歩いていたセリアは、足元、正確には学院の地下からの大きなエーテル反応を感じ取った。セリアはそのエーテルの発生地点に向かって歩き始めた。向かう先は学院地下にある練施設。厚い遮蔽結界を備えた個人訓練場は、生徒たちが自主練でこもる場である。
訓練場の一角から、微かに冷たい気配が漏れていた。結界を構築しているエーテルが不規則に波打ち軋んでいる。
セリアはそこで足を止める。
ーーーやはり、またやっているわね。
扉を押し開けた瞬間、強烈な冷気が肌を突き刺した。訓練場の内部は、床も壁も氷に覆われ、天井からは氷柱が垂れ下がり、幻想的な空間を創り出していた。中心には、息を白く染めながら一人の少女が必死に魔法を維持しようと奮い立っていた。
少女の名は、リリィ・アークライト。
リリィの肩で揺れる髪は白く霜を帯び、瞳だけが真っ直ぐに光っていた。だがエーテルの制御が拙いせいか、流れるエーテルを制御できず、魔法が暴走する寸前になっていた。セリアは必死に魔法を維持しようとしているリリィを、しばし黙って見つめていた。魔法が暴走するおおよその原因については初日にリリィを見たときから、セリアはおおよその目処がついていた。
リリィは、氷属性に特化した特殊な称号とスキルを持っている。氷華の継承者、氷属性の理を無意識の段階で構築し、術式を省略して即時発動を可能とする特異な称号。つまり、詠唱も術式も不要で、理論上どんな高位魔法でも即時発動できてしまう。そして氷霊同調、氷属性への同調効率を極端に高め、エーテルが氷属性へと変換される際の損失を無くす固有スキル。さらに、リリィの保有するエーテル量は学院でも群を抜いて多い。ここ一週間で確認した中では、王立学院内でリリィよりエーテル量の多い生徒は存在しなかった。
そして、暴走の根本原因はエーテル制御が極めて拙い点。術式構築の省略により、術式構築時に必要量のエーテルを吸引する仕組みが作動していない。制御できない程のエーテルが過剰供給され、暴走に至る。そのため、リリィが暴走を克服するには、エーテル制御を身に付けるしかない。それが地道ではあるが、最も早い道のりである。
ーーー本来なら数多くの魔法を使えるようになるよりも、エーテル制御が大事なんだが・・・。
セリアは小さく息を吐いた。
「・・・ずいぶんと派手にやっているわね。」
突然響いた声に、リリィは驚き肩を震わせた。振り返ると、そこには氷の世界を興味深げに見渡すセリアの姿があった。その姿は教壇に立つ講師ではなく、数多くの戦場で幾多の現象を見抜いてきた術者の目。
「せ、先生・・・!?」
セリアが軽く片手を上げると、周囲の氷結式が微かに震え、暴走しかけた魔法陣が収束していく。その光景にリリィは息を呑んだ。
初日に行った模擬戦のあとから、セリアは生徒たちに繰り返し説いていることがある。それは、エーテル制御こそすべての根幹である、ということ。エーテルを増やすことや数多くの魔法を使うよりも、まずエーテルの流れを認識して、扱う感覚を身体に刻み込むこと。これは前衛であっても同じ事がいえる。
そして、それがセリアの授業方針の根幹であり、毎日の課題でもあった。多くの生徒がわずかながらも成果を見せ始めていたが、リリィだけは違った。才能は誰よりも突出しているリリィであったが、肝心の制御については全くといっていいほど成果が出ていなかった。たった一週間、その短い期間で大きな成果が出るわけではない。それでも、周囲の生徒にくらべて歩みが遅いことにリリィは少なからず焦っていた。
それがこの放課後の自主練に繋がっていた。
セリアはゆっくりと氷の床を踏みしめながらリリィに歩み寄った。冷気が二人のあいだを流れ、淡く霜が舞う。
「そんなに焦らなくていいわ。」
穏やかな声を発したが、リリィの表情は強ばり、まるで叱られる子供のように怯えていた。そんなリリィの頭に手を載せ優しくなでる。
「焦らなくていい、ゆっくりと一歩ずつ。」
セリアのその声に強張るリリィの顔から安堵が滲む。そんなリリィの両手をセリアはそっと取る。
「まず、しっかりとエーテルの制御を身につけること。魔法の練習はそのあと。まずは私に向かってエーテルを流してみて。」
その言葉にリリィはセリアに向かってエーテルを流す。リリィの手から流れ込む膨大なエーテルをセリアは体内で整え、僅かな量のエーテルをもう片方の手から流し込む。リリィの手の中に、微かな温もりが生まれる。セリアが流し込んだエーテルが、やわらかく脈打ちながらリリィの体内を満たしていった。
「今私が流し込んだエーテルを感じ取って。」
促され、リリィは静かに目を閉じる。意識を深く沈め、セリアから流れ込むエーテルを自らの体内で探す。数秒の沈黙の後、リリィはそっと息を吐いた。
「・・・感じ取れましたっ。」
セリアは軽く頷く。
「いいわ。そのエーテルを・・・今度は、あなたの意思で動かしてみて。」
リリィは集中した。
だがすぐに、流れは乱れ、指先がかすかに震える。
「焦らなくていい、落ち着いて・・・ゆっくりと。」
セリアの声が、リリィの胸の内に溶け込むように響く。時間の感覚が遠のくほど、二人は静かにその作業を繰り返した。
どれほど経っただろう。ようやく、ほんのわずかだが、リリィの中のエーテルが静かに動いた。
「・・・動いたっ。」
自分でも驚いたように呟くリリィにセリアが微笑を浮かべた。
「よく出来たわ。」
その柔らかな声に、リリィの頬がほんのりと赤く染まった。
「さぁ、もう一度やってみましょう。」
セリアは同じ工程を繰り返させた。そして、それは翌日も、またその翌日も続いた。放課後の訓練場に、二人の姿があるのがいつしか当たり前になっていた。セリアは淡々とした表情のまま、必要な時だけ言葉を投げかける。リリィはそれに応え、幾度も失敗を重ねながらもエーテルを動かす感覚を掴んでいった。
そして一週間が過ぎた頃、リリィの中にに新たな力が芽生える。
エーテルを制御するための基本的なスキルである《エーテル操作》を獲得。
それはまだ小さな一歩に過ぎなかったが、リリィにとってはようやく自分の内にあるエーテルを動かす感覚を身につけられた大きな一歩でもあった。それからリリィの暴走は次第に減り、セリアの補助なしでも少量の制御が可能になっていった。
その後、セリアは徐々に姿を見せる回数を減らしていった。時折姿を見せては、リリィの姿を黙って見守っていた。リリィは一人で黙々と訓練を続け、日を追うごとにエーテル制御を洗練させていった。
そして、一ヶ月後。
リリィの《エーテル操作》スキルはLvⅠからⅩに達し、《エーテル操作》の上位スキルである《エーテル制御》を獲得していた。同時に氷属性の系統では、《氷属性操作》の先にある《氷属性制御》獲得していた。
そして夕刻の光が差し込み、淡く赤く染まる空の下、王立学院の中庭に併設された実技訓練場、その中央に、セリアとリリィ、二人の姿があった。
暴走に怯えていた少女の姿は、はもうどこにもなかった。今や凛としてセリアの前に立っていた。その周囲に漂う冷気は穏やかで、もはや不安定さはない。対するセリアは、教え子の成長に微かな微笑を浮かべた。
「準備はいい?」
「はいっ!」
リリィの声は静かで、凛としていた。
「それじゃ・・・始めましょうかっ。」
セリアの声が響くと、リリィの周囲に氷の華が一斉に咲き誇る。
「フロスト・ランス!」
リリィの声とともに数十本の氷槍が氷の華から同時に射出され、まっすぐセリアに襲いかかる。冷気が描く軌跡が空を裂き、寸分違わずにセリアに向かって飛来する。
それに対してセリアは一歩も退かず、片手を掲げた。その瞬間、セリアの周囲に氷の剣が一斉に出現し、氷槍を次々と迎撃していく。ぶつかり砕け散る氷に夕日が反射し、周囲を淡く染め上げる。上空では氷剣から逃げるように数本の氷槍が複雑な軌道を描いている。
氷槍の制御にリリィが気を取られている隙にセリアは次の行動に移る。空気を裂くような音とともに、鋭い風の刃が放たれる。それに気が付いたリリィは両手を突き出し、即座に防御式を構築する。瞬時に出現した氷の盾が再生と消滅を繰り返し、風の刃を防ぎきる。
「反応も速くなったわね。」
セリアの声に、リリィは短く息を吐き頭を上げる。その瞳の奥には、決意の光が宿っていた。
ーーー先生に、見せたい・・・。
リリィは荒くなっている呼吸を整えるように深く大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐きながら静かに目を閉じ、両手を胸元で組む。今までリリィの周りに咲き誇っていた氷の花が散ると訓練場全体の気温が急降下し、大気中に細かな氷の粒が舞い舞い始める。リリィの掌から流れ出したエーテルが地を奔り、淡く光る紋を描きはじめる。そしてリリィの背後に新たの花弁のような薄氷が一枚、また一枚と咲き始めた。十、二十、三十枚とリリィの周囲に氷の華が咲き誇る。それは雪の結晶を拡大したような繊細な構造を持ち、まるで芸術作品のようであった。
周囲の気温がさらに低下し、まるで時間そのものが停止したかのように静けさが辺りを支配する。さらにリリィの背後に一際大きな一輪の花が咲くと、周囲の華と共鳴するように輝きはじめる。
「・・・フロスト・ペタル!」
花弁の縁から青白い光の筋が伸び、それぞれが細い流れとなって前方へと伸びていく。その光のような筋は周囲の熱を急速に奪い極低温の流れの束となり、一直線にセリアに向かって進んでいく。通り道の空気は悲鳴を上げながら凍りついていった。
セリアの瞳がわずかに妖しく光る。
「・・・その美しい魔法をもう暫く見ていたいけど・・・。」
セリアの掌に紅蓮の輝きが灯り、熱線が青白い光の筋に向かって突き進む。紅と青の閃光がぶつかり合り、互いの力が削りあう。やがて、爆ぜるような白光が辺りを包み、視界が一瞬で真白に染め上げる。
静寂が訪れ光が消えた時、膝をついたリリィの姿が現れる。そしてその前方では、風にローブをはためかせながらセリアが悠然と立っていた。
肩を上下に激しく動かし荒く呼吸をするリリィは、震える両足に必死に力を込めながら立ち上がる。そしてセリアに向けた眼差しには、確かな力が宿っていた。
「・・・私は、まだ・・・やれ、ますっ!」
その言葉が、意思が、周囲を微かに震わせる。リリィの意思に反応した《氷華の継承者》が、魔法の上位存在としていまだ研究対象となっている魔術を、新たな力として開示した。リリィのエーテルが急激に奪われ、青白い光が魔法陣を幾重にも描きはじめる。それはリリィを覆うように立体積層魔法陣となり、周囲に影響を与えはじめる。
リリィの唇が微かに動く。
「・・・氷の理よ、世界のすべてに静寂を・・・氷界凍律。」
その瞬間、発動した。
訓練場全体がリリィを中心に凍結していく。空気中の分子すらも凍結していく。その範囲を徐々に広げ、氷に覆われた領域は、時間そのものが凍りついたように、風も音も止む。危険を感じたセリアは、瞬時に訓練場を覆うように結界を張る。
リリィの魔術による影響がセリアに届く寸前、影響を及ぼしていた領域がもとの空間へと戻っていく。そしてその中心にいたリリィは肉体の限界を超え崩れ落ちていた。
『《オモイカネ》、今の現象、何かわかる?』
『おそらく、あらゆる物質の運動エネルギーを瞬時に奪う魔術だと考えられます。氷界凍律の使用は、個体名:リリィの意思に反応した結果だと推察します。』
『リリィの意思に・・・反応?称号が?』
『私もスキルです。』
《オモイカネ》の言葉に押し黙ると、セリアはリリィに駆け寄る。
「よく・・・頑張ったっ。」
その声は穏やかで、どこか温かかった。静かにリリィを抱きかかえると、セリアはそのまま保健室へと運び込んだ。
◇◇◇◇◇◇
まぶたの裏に、柔らかな光が滲んだ。重く沈んでいたリリィの意識がゆっくりと浮かび上がる。そこには冷たさも、痛みも無く、ただ静かな温もりが身体を包んでいた。
「・・・ここは・・・。」
リリィからかすれた声が漏れる。視界がぼやけ、白い天井が見えた。かすかな薬草の香りがリリィの鼻をくすぐる。ようやく自分が学院の保健室のベットの上だということに気が付く。
近くで本の閉じる音がした。
「気が付いたのね。」
リリィが顔を向けると、片手に本を持ち窓際の椅子に座るセリアの姿があった。淡い光を背に、紅と黒の双眸が穏やかにこちらを見つめている。
セリアはそのままリリィの顔を覗き込む。
「・・・身体に違和感はある?」
「多少身体は怠いですが、大丈夫だと思います。」
リリィは一瞬だけ戸惑い、小さな声で答えた。そして申し訳なさそうな声で問いかける。
「あの、私・・・また、暴走を・・・?」
セリアは静かに首を横に振る。
「違うわ。暴走はしてないわ。あなたは、少し自分の限界を越えようとしただけ。」
セリアは淡い微笑を浮かべながら、手で軽くリリィの髪を撫でる。
「焦らなくていい。今はゆっくりと休むこと。それが一番の修行よ。」
リリィはしばらく黙っていたが、やがて小さく唇を開いた。
「・・・私、先生の期待に・・・応えられましたか?」
微かに震えるその声に、セリアはより一層、表情を和らげる。
「えぇ。十二分にね。」
それだけ言うと、窓の方へ視線を向けた。窓の外では夕陽が沈み、保健室の白壁が橙に染まっていく。静かな時間が流れる中、セリアがふと思い出したように口を開いた。
「それと、ひとつだけ言っておくわ。最後に使った氷界凍律は、危険だから、私の許可が無い限り使っては駄目。」
リリィは瞬きをして、かすかに首を傾げた。
「最後の・・・氷界凍律? それって・・・何ですか?」
セリアは短く息を吐き、わずかに目を伏せる。
「覚えていないなら、それでいいわ。もし思い出しても、使わないように。」
その声音は穏やかでありながら、どこか深い警告を含んでいた。
リリィは戸惑いながらも頷く。
「・・・はい、セリア先生。」
セリアは静かに頷き、手にしていた本を再び開く。橙の光が窓辺から差し込み、ページの上で仄かに揺れる。そして二人の穏やかな呼吸音だけが、保健室に静かに流れていた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
【読者の皆様へのお願い】
作品を読み、少しでも「面白い」、「先が読みたいと」と感じた方は、ブックマークと評価をお願いします。
気合を入れて妄想に妄想を重ねて執筆する原動力になります。厨二病感満載の詠唱も考えて行きます。
改めてお願いします。




