第百六話. セリア先生の初授業
学院長室での顔合わせから二日後。年末年始の短い休暇を終え、王立学院は再び喧騒を取り戻していた。冬の日差しが白く染め上がった校舎に反射して、全体を淡く照らし出す。空気は透き通り、吐く息が白く滲む午前。静かな陽だまりの中、教室には九人の生徒がまばらに座っていた。どの顔にも緊張の色はなく、ただ倦怠と退屈だけが漂っている。
足早に廊下を行き交う教師たちの足音の中、二つの足音がとある教室の前で止まり、教室の扉が静かに開く。そこから姿を現したのは、王立学院の講師であるレティシア・ミルヴァーナ。彼女はいつも通り穏やかな微笑みを浮かべていたが、眼鏡の奥に見える瞳には、どこか諦めに似た疲労が滲んでいるように見えた。
「静かにしなさい。新しい先生を紹介するわよ。」
だが、レティシアのその言葉にも、九人の生徒たちはほとんど反応を示さない。窓の外の雪をぼんやり眺める者、机に突っ伏したまま微動だにしない者。このクラスは、貴族の子弟の傲慢や、魔術の才能があっても素行に問題がある者など、学院が手を焼く者ばかりを集めた吹き溜まりだった。彼らの間には、これから始まる講義や講師の交代について期待も興味も、微塵も感じられなかった。
レティシアは小さく息をつき、扉の方へと視線を向けた。
「・・・いい? 彼女は多忙な身をおして、あなたたちのために来てくださった臨時講師よ。失礼のないようにっ。」
促され、扉の外からセリアが静かに入室する。その瞬間、セリアの纏う濃密なエーテルが教室を支配し、圧倒的な重圧に生徒たちの視線が一斉にセリアに集まる。
生徒たちの前に現れたのは、学院ではほとんど見られない褐色の肌を持つ兎人族だった。ましてや学院の講師となればなおさらである。学院の講師は人族かエルフがほとんどで、それ以外の人種はいないと言っても過言ではない。ただでさえ異質な上に、セリアの服装は、王立学院の講師としてはあまりに常識外れだった。白いブラウスに黒のベスト、赤を基調としたチェック柄の短いスカート。そこからしなやかで引き締まった長い足が伸び、黒のニーハイソックスとブーツが覆っていた。その上から、まるで闇をそのまま纏ったかのような漆黒のローブを羽織り、その姿は講師というより、自由な気風の学生のようにも見えた。
さらにシャツの上からでもわかる均整の取れた身体。そして何よりも生徒たちの目を奪ったのは、圧倒的な存在感を持つ胸の膨らみ。九人の視線は吸い込まれるように、一点へと注がれる。
セリアの存在感に一瞬、教室内の時が止まる。誰もがその異質さに言葉を失っていた。セリアはそんな視線を意にも介さず、ゆっくりと教壇の前に立つ。
黒と紅の瞳が教室を見渡し、落ち着いた声で口を開いた。
「只今、レティシア先生から紹介にあずかりましたセリア・ロックハートです。普段は冒険者をしていますが、今日から三ヶ月間、臨時講師として授業を担当します。」
セリアの自己紹介が終わり、一時の静寂の後、ざわめきが走る。
「兎人族だと? 学院の講師に?」
「冒険者? 貴族の教育に野外帰りを据えるなんて冗談だろう。」
「そんな格好で教壇に立つとは、品位というものを知らないのか。」
「・・・肌の色まであれでは、どこの出身だか分かったものじゃない。」
一部の生徒からは侮蔑と嘲笑。セリアの種族と外見、さらには冒険者であるという事実は不満を爆発させるに足る理由だった。何も期待していない生徒たちが感情を露わにしたのである。だがセリアは微動だにせず、生徒一人ひとりの顔をゆっくりと見渡した。その視線は、ただ静かに、観察し、全てを見透かしているようであった。
そして、口元にかすかな笑みを浮かべ、あえて生徒たちを挑発するように口を開く。
「私のことを、野蛮な冒険者と嘲笑うのは自由。だが、一つだけ言っておく。あなたたちがどれほど高貴な血筋であろうと、どれほど理論を諳んじようと、実践では何の役にも立たない。ましてや・・・この私にすら勝つことのできない弱い存在。その厳然たる事実を、一刻も早く理解しなさいっ。」
その言葉に、教室の空気が張り詰めた。数人の生徒は顔色を変え、一気にセリアへの警戒を強める。
セリアは教壇から一歩、生徒たちへと歩み寄った。
「それと、あなたたちが興味を抱く年頃なのは、まぁ・・・理解できる。」
セリアは一呼吸置き、その場にいる生徒たち全員に向け、はっきりと告げた。
「けれど、あまり淑女の胸を凝視するのは感心しないな。」
その言葉に、男女問わず数人の生徒が顔を赤らめ、慌てて視線を逸らした。しかし、一人だけ、セリアの視線に視線をそらさず、睨み返す金髪碧眼の少年がいた。五大貴族の一つ、ヴァレンティウス公爵家の嫡男であるレオンハルトだ。彼は顔を真っ赤にして、席から立ち上がった。
「私がそんな下卑た視線を向けているとでもいうのかっ!」
教室に響き渡るレオンハルトの大きな声は、怒りと、それを押し殺そうとする虚勢が入り混じっていた。
「冒険者風情が、五大貴族であるヴァレンティウス家の私に向かって、無礼なっ!」
その傲慢で高圧的な態度は、まさに貴族派の傲慢さを体現していた。セリアは、挑戦的な視線を向けるレオンハルトを上から見下ろし、口角を上げた。
「公爵なのは、あなたの先祖が勝ち取ったものであって、あなたが偉いわけではないだろう。」
セリアの冷徹な一言が、レオンハルトの貴族としてのプライドをえぐり取る。しかし、セリアの追撃は止まらない。
「しかも、血統魔法が使えず、嫡男にも拘わらず、次期当主は弟に決定しているとか。随分と情けない話ね、ヴァレンティウス家の御曹司。」
その言葉は、レオンハルトの心を貫いた。彼が最も隠したがっていた、最大のコンプレックスだ。
「・・・何故それをっ!」
レオンハルトは全身を震わせ、怒りに満ちた目でセリアを睨みつけた。その表情には、激しい怒りだけでなく、核心を突かれた恐怖が浮かんでいた。セリアは馬鹿にしたような視線をレオンハルトに送り、鼻で笑った。
「それくらいの情報は簡単に手に入るさっ。」
その言葉が、レオンハルトの怒りが爆発し、理性のタガを完全に外した。
「貴様っ・・・!」
レオンハルトは激高し、自席から勢いよく教壇のセリアへと荒々しく詰め寄った。レオンハルトの行動に周囲の生徒たちが思わず息を呑む。
「黙れ、この下賤な兎人族が! 貴様のような野蛮な冒険者に、私の名誉を汚されてたまるかっ!そこまで言うなら、貴様がどれほどのものか見せてもらおうじゃないかっ!」
レオンハルトは、腰に携えていた白革の手袋を、荒々しく引き抜いた。そして、その手袋を勢いよくセリアに向かって思い切り投げつけた。手袋は宙を舞い、ほとんど音もなくセリアの胸元に当たり、静かに床へと落ちていった。
「聞け! セリア・ロックハート! ヴァレンティウス家嫡男として、貴様に決闘を申し込む!」
教室は完全に静まり返った。
セリアはその手袋をしばらく見つめ、やがて小さく息をついた。
「決闘・・・ね。」
床に落ちた手袋を拾い上げたセリアは、それを軽く手の中で弄びながらレオンハルトを見据えた。
「いいわ。その申し出、受けてあげる。ただし・・・。」
セリアはわずかに笑みを浮かべた。
「あなた一人ではつまらない。あなたたちの力量を確かめるのに丁度いい機会だから、クラス全員でかかってきなさいっ。」
一瞬の静寂の後、教室中が驚愕とざわめきに包まれる。
「全員だと・・・?」
「冗談じゃない・・・」
「相手にならないって言うのか・・・?」
あまりの傲慢とも取れる宣言に、生徒たちは一瞬、冗談かと思った。だがセリアの瞳に宿る光を見た瞬間、それが本気であることが誰の目からも明らかであった。セリアは、生徒たちの驚きなど意に介さない様子で、教室の隅で事の成り行きを見守っていたレティシアへ視線を投げた。
「レティシア先生。申し訳ないけど、この後の講義は場所を変える必要があります。」
「は・・・?」
レティシアが呆気に取られた声を漏らすと、セリアはわずかに口元を緩めると、教室の隅に佇んでいたレティシアに指示ではなく依頼の形で言葉を続けた。
「実戦形式の授業に最適な、適度な広さと魔法防御が施された演習場の確保をお願いできるかしら?」
「ちょ・・・ちょっと待ってください。セリア先生っ!」
しかしセリアは落ち着いたまま、視線だけをレティシアに向けた。
「先生、悪いけど・・・訓練場をひとつ、貸してもらえますか? 授業の一環として、少し実践的にやってみようと思います。」
その声には、挑発も怒気もなく、淡々とした静けさだけがあった。だが、それがかえって強烈な圧を伴って教室を支配していく。レティシアは小さく息を呑み、周囲を見回した。生徒たちは誰もが気圧されたように沈黙している。
もはや止められない。そう悟ったレティシアは、観念したように軽く頷いた。
「・・・わかりました。すぐに手配します。」
セリアは静かに一礼した。
「レティシ先生、感謝します。」
生徒たちはこの時、まだ知らなかった。
この世の中に、絶対的な強者が存在するということを。
◇◇◇◇◇◇
王立学院には複数の訓練場が存在する。大小、個人使用を含めればかなりの数にのぼる。中庭に隣接する訓練場は、実戦用の訓練場としては最大の面積をほこり、周囲を結界壁が囲んでいる。結界壁は魔法にによる干渉を遮断するだけで無く、外界から独立した環境が保つ役割を果たしている。外では雪が積もっていても、場内は常に適温が維持され、天候の影響を受けることはない。しかし、冬の陽光や冷たい空気など、外界の季節感はわずかに反映されるため、冬の日差しが射し込む静かな訓練場という情景がセリアの前に広がっていた。
セリアたちから離れたところに立つレティシアは見渡しながら、まだ信じられない思いで呟いた。
「・・・本当にやるのね。」
中央に立つセリアは、ゆったりとした動作で両手を広げ、生徒たちを見渡す。
「一つ、条件を追加しましょう。」
唐突な言葉に、生徒たちの視線が一斉に集中した。
「もし、あなたたちの攻撃が一度でも私に当たったら・・・あなたたちの勝ち。もちろん、死なない程度には手加減してあげるから、安心しなさいっ。」
その声は静かだが、確固たる威圧を帯びていた。誰もが一瞬、冗談かと思った。だがセリアの瞳には微塵の揺らぎもない。
「これで少しはフェアになるでしょう?」
わずかに口元を緩め、静かに言葉を続けた。
「では・・・始めましょうか。」
セリアが静かにそう告げた瞬間、張り詰めた空気が訓練場を満たした。その言葉を合図にしたかのように、レティシアが前へ一歩進み出る。彼女は深く息を吸い込み、場内に響くように声を張る。
「これより、セリア先生と生徒九人による模擬戦を開始します。」
レティシアの宣言に反応してシン、ライネ、ナジアが一歩前へと出て前衛の位置につく。レオンハルト、リディア、ジーンが中衛につきエーテルの流れを整える。そして、後衛にはリリィ、クレア、シェリスが配置につき詠唱の準備を開始する。
九人の生徒が頷き、それを見たセリアもゆっくりと頷き返した。視線と意志が交錯し、場の温度が一段と上がる。レティシアは全員の動きを確認すると、張り詰めた声で開戦を告げた。
「はじめっ!」
その瞬間、空気が弾け、エーテルの奔流が訓練場を駆け抜けた。冬の陽光を貫くように閃光が走り、九人の生徒が一斉に動き出す。
前衛のシン、ライネ、ナジアの地を蹴る音が重なり、シンが盾を全面に押し出してセリアに接近する。ナジアの影が地を滑り、シンの背後から躍り出たライネの稲妻を纏った双剣がセリアへと躍りかかる。そして時間差で中衛のレオンハルト、リディア、ジーンの三人が同時に地を蹴る。
だが、セリアは微動だにしなかった。
シンの突進が目前に迫った刹那、セリアは無造作に片手を前へ出した。その掌が重装の盾を軽々と受け止める。不思議と衝撃音はなく、二人の間に風が舞い、僅かに砂埃が舞い上がる。
「・・・っ!?」
シンの瞳が見開かれる。まるで自分の突進そのものが吸い込まれたかのようだった。さらに、セリアの体が僅かに回転する。背後に忍び寄ったナジアの姿を確認せずに、逆足で軽く後方へ蹴りを放った。
「ぐっ・・・!」
ナジアの体が宙を舞い、砂埃を巻き上げながら勢いよく地を転がる。続けざまに、雷光を纏ったライネが迫る。双剣が縦横に閃き、稲妻の軌跡が空気を裂く。
セリアは半歩、わずかな重心の移動だけでそれらをかわした。セリアの輪郭が揺らめくたび、ライネの剣閃は虚しく空を切る。そして、ライネの胴が無防備に開いた瞬間、セリアの拳が静かに、突き出された。
音もなく、空気が爆ぜた。
「・・・がはっ!」
ライネの体が大きく仰け反り、数メートル先まで吹き飛ばされ、地面を転がる。セリアはそのまま前を向き直り、盾ごと固まっていたシンの盾に軽く掌を向けた。盾越しに凄まじい衝撃がシンの身体を突き抜け、その場に崩れ落ちる。
シンへの攻撃直後のわずかな隙を狙い、死角から二つの影が同時に迫る。レオンハルトの剣が炎を纏い、リディアの槍が光を引いて突き出された。
だが、セリアの姿はすでにそこにはなかった。
レオンハルトの剣先が空を裂き、リディアの槍がその後を追う。だが、セリアにとっては隙などではない。それぞれの軌道がまるで初めから分かっていたかのように、絶妙なタイミングですり抜けるようにかわす。レオンハルトとリディアの連撃が次々と襲いかかるが、セリアはその一つひとつを難なく避けていく。足運びは静かで、揺れる銀髪が光を受けて僅かに輝くだけであった。
「なんでっ・・・!」
「なっ・・・!?」
リディアとレオンハルトが驚愕の声を上げた瞬間、側面からジーンの魔導具が光を放つ。ジーンの手には小型の魔導具が握られており、そこから複数のエーテル弾が射出された。退路を塞ぐように飛翔したエーテル弾をセリアは、弾丸の合間を抜けるようにかわしていく。その足取りは、まるで弾道の未来を見通しているかのようだった。
「下がれっ!」
レオンハルトの鋭い声が響き、その声にリディアとジーンが頷く。リディアは崩れ落ちているシンを軽々と担ぎ上げると、後方へと飛び退く。それを見たジーンが後方へ退避しながらセリアの足止めに魔導具を放り投げる。魔導具が爆発するのを合図に、後衛のリリィ、クレア、シェリスから魔法が解き放たれる。
「エアロ・カルバリオン!」
「ルクス・レイ!」
「フロスト・ランス!」
シェリスの風刃が無数の軌跡を描きながら突進し、クレアの放つ光線がそれを貫くように一直線に走る。リリィは暴走しないようにと込めるエーテルを最小限にと意識を集中していたが、それでも暴走一歩手前のエーテル量が込められた氷槍が僅かに遅れて放たれた。風と光が絡み合いながら着弾し、砂塵をまき散らす。その後を追うように、軌道上の空気を凍らせながら氷の軌跡を描きながら数本の氷の槍がセリアへと命中する。セリアのいた場所を中心に氷の世界が姿を見せる。
「止めだっ!」
後退したレオンハルトが叫び、剣先に炎を灯す。
「フレイム・バースト!」
火柱のような爆炎が放たれ、先ほどのエーテルの奔流をさらに押し込む。
「サンダー・ボルト!」
雷光が奔り、リディアの槍から放たれた稲妻が爆炎の渦を貫く。
「シェイド・ブラスト!」
ナジアの闇弾が二人の攻撃に追従し、爆ぜるように闇を纏った一条の軌跡が一直線に走る。
さらに三属性の攻撃が重なり、訓練場全体を覆う程の轟音と閃光。砂塵が巻き上がり、誰もが目を覆った。
「あなたたち、いくら何でもやりすぎよっ!」
レティシアの焦りの声が生徒たちに響く。
「レティシア先生、問題ありません。」
徐々に晴れゆく爆煙。静寂の中に、凜としたセリアの声が響いた。砂塵の向こうに立つその姿は、傷一つなく、漆黒のローブの裾をゆるやかに揺らしていた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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