第百五話. 微かで確かな違和感
晩餐会から二日後。
雪は王都の街路を白く覆い、陽はまだ中点に届かず、朝の冷え込みを残した風が王都を吹き抜けていく。王立学院の尖塔にも淡い氷の結晶が輝き、学院の施設を白く染め上げていた。セリアの姿は、そんな学院の理事長室にあった。
壁際一面の書架には古びた魔法書や巻物が並び、窓際の鉢植えは露を帯び淡く光を返している。部屋の中央にある椅子に学院長であるアゼリア・フォルセウス、その隣に講師レティシア・ミルヴァーナが腰をかけている。そして机を挟んで反対側に、セリアとルーファウスの姿がある。
今日は臨時講師就任にあたっての最終確認と、担当クラスの引き継ぎのための会談である。
「お忙しいところをありがとうございます、学院長。」
ルーファウスが口を開き、セリアを紹介しはじめる。
「彼女が臨時講師として招く、セリア・ロックハートです。」
アゼリアは頷き、穏やかに微笑んだ。
「お話はルーファウス殿下より伺っています。この学院へようこそ、セリア殿。臨時とはいえ、あなたのような優秀な方を迎えられるのは大変光栄なことです。」
「こちらこそ。お引き受けした以上、全力で臨みます。」
セリアは背筋を伸ばし、軽く頭を下げ礼を返す。そして隣に座るルーファウスはセリアに向き直ると柔らかく微笑みながら口を開く。
「改めて、セリアさん。臨時講師の依頼を受けて頂き、ありがとうございます。」
アゼリアが口を開く。
「殿下からお聞き及びかもしれませんが、実戦形式の講義を中心にお願いする予定です。設備や資料の使用制限は設けません。必要なものがあれば、遠慮なく申し出てください。」
セリアは静かに頭を下げる。
「承知しました。内容については、生徒たちの状況を確認しながら決めて行きます。」
「貴族派の講師たちが多少うるさいかもしれません。何かあれば私に言ってください。」
アゼリアの声は僅かに低く、呆れが含まれていた。アゼリアの言葉にセリアが疑問を抱くような顔をしていると、横からルーファウスが軽く息を吐き答える。
「学院内には政治を持ち込まない、というのが創立以来の不文律です。ですが・・・一部の講師や生徒の間で行動が最近目につくようになっています。特に貴族派に属するゲイル・バレルという講師の行動が問題視されています。彼はセリアさんの臨時講師の件でも最後まで反対していましたから。」
「分かりました。私の方でも気を付けます。」
セリアが頷き答えると、次にレティシアが、穏やかに口を開いた。
「次は私の番ですね。セリアさんに受け持ってもらうクラスについてです。実はこのクラス、担当の講師が数ヶ月前に行方不明になって・・・。臨時で私が引き継いでいました。他の講義もあり手が回らない状態でしたので、例え三ヶ月でもセリアさんに来て頂いてとても助かります。」
一旦区切るとレティシアは手元にある資料をセリアに渡す。
「それで、こちらが授業記録や生徒の進行状況はすべてまとめた物になります。ご確認ください。」
「ありがとうございます。助かります。」
セリアは書類を受け取ると笑顔で返した。そして一通り内容を確認する。
「ある程度、状況は理解しました。詳しくは持ち帰って目を通します。」
セリアの言葉にレティシアが頷き答える。
「はい、よろしくお願いします。」
レティシアの引き継ぎが終わったのを確認したアゼリアは書類に署名を入れ、確認の印を押すと手渡した。
「これで手続きは完了です。学院の名において正式に任命いたします。どうか、よろしくお願いします。」
セリアはそれを受け取り、一礼する。
「確かに受け取りました。尽力いたします。」
ルーファウスが軽く笑みを浮かべ、席を立つ。
「では、これで顔合わせは終わりです。セリアさん、お願いします。」
「承知しました。」
短い返答のあと、セリアは静かに扉へ向かう。廊下に出ると、冷たい朝の空気が頬を撫でた。振り返ることなく歩き出す背に、学院の鐘が一度だけ鳴り響く。
◇◇◇◇◇◇
王立学院での顔合わせを終えたセリアは、王立学院の敷地内をルーファウスの案内で一巡りしたのち、王宮へと向かっていた。馬車の車輪が雪をかき分ける音が静かに響き、窓から見える流れる景色は、白く染まる街並みに陽光が反射して幻想的な一枚の絵画のようだった。
昼を少し過ぎた頃に王宮に到着したセリアとルーファウスは、王宮の一角にある部屋へと案内された。窓から射し込む柔らかな光が、白磁の皿を淡く輝かせていた。長卓の中央では燭台で微かに揺れる炎が、金糸を縫い込んだ王妃ソフィアの衣に光の筋を描いている。長卓の奥である上座には国王ゲイルノートが座し、その手前の長卓にはソフィアとルーファウスが並ぶ。セリアは二人の正面に腰を下ろし、向かい合う形で席に着いた。
王族との昼食とはいえ、雰囲気は思いのほか和やかで、ゲイルノートも笑みを絶やさず談笑に応じている。厳かな晩餐会とは違い、ここには家族の団欒のような温かさがあった。
料理は王宮の厨房が腕を振るったもので、香草を添えた白身魚のムニエルに、淡い色のスープ、焼きたての小さなパン。セリアはナイフを置き、静かに息をつく。
「・・・とても美味しかったです。」
その言葉に、ソフィが微笑み、ルーファウスもどこか嬉しそうに頷いた。やがて食後の茶が運ばれ、淡い香りが卓の上に広がる。セリアはカップを手に取り、ひと口含む。
「・・・このお茶、とても美味しいですね。」
セリアの感想に王妃が嬉しそうに答える。
「王宮でも特に評判の茶葉なんです。」
ゲイルノートも小さく笑みを見せ、場に再び穏やかな沈黙が流れた。その静けさの中で、ゲイルノートがゆっくりと口を開いた。
「さて、晩餐会の時にも話した報酬についてだが・・・。」
ゲイルノートの声に、ルーファウスが軽く頷き、控えていた侍従が一歩前に出る。銀盆の上には王家の紋章が刻まれた小箱。侍従が静かに歩み寄り、セリアの前にそれをそっと置く。セリアは一瞬だけゲイルノートへ視線を向け、頷きを受けてから、箱に手を伸ばした。蓋を開けると、双翼の獅子を刻んだ金色の徽章が静かに収められている。柔らかな光を反射するその紋章を見つめ、セリアは思わず小さく息を呑んだ。
「これは・・・?」
ルーファウスが穏やかに微笑み、言葉を添える。
「王家の印です。王家の名を必要とする場面があれば、これを示してください。」
セリアは指先で徽章をそっとなぞり、静かに蓋を閉じた。
「分かりました。ありがたく頂戴いたします。」
ゲイルノートが頷き、言葉を続ける。
「うむ。信頼の証でもあり、王家があなたの行動を認めたしるしでもある。」
その言葉に、ソフィアが穏やかに微笑む。
「そしてもう一つ。」
ゲイルノートは声の調子を落とし、続けた。
「ルーファウスの離宮を、そなたに譲渡することにした。もともと滞在していた場所だろう。これよりは正式にセリア殿の所有となる。」
セリアはわずかに見開く。
「・・・離宮を、私に・・・?」
「うむ。正式な褒美として受け取ってほしい。形式上の所有権はセリア殿に移すが、維持費などは王家が負担する。」
ソフィアが柔らかく微笑む。
「セリアちゃんがそばにいると、私たちにとっても安心なの。王都に何かあれば、きっと誰よりも早く気づくでしょう?」
セリアは静かに息を整え、手の中の箱を見つめた。
「・・・過分なお心遣いありがとうございます。徽章、そして離宮ありがたく頂戴いたします。」
ルーファウスが微かに笑みを返す。
「セリアさんの居場所として、これ以上に相応しい場所はないさ。」
香る茶の余韻とともに、穏やかな時間が静かに流れていく。
◇◇◇◇◇◇
国王夫妻との昼食を終えたセリアは、ルーファウスの案内で王宮の応接間へと移った。午後の光が高窓から射し込み、白い壁と絨毯にやわらかな陰影を落としている。長卓の片側にルーファウスとセリア、対面にはルーファウスのきょうだいたちが並ぶ。穏やかな空気がその場に流れていた。
「セリアさん、紹介します。右からオーベルヌ、スーベリア、そして末妹のアビゲイルです。」
ルーファウスが順に手を向けて紹介していく。
武闘大会でも優勝経験があると聞いていた通り、オーベルヌは鋭い眼差しをしていた。しかし、その口元に笑みが浮かぶと、不思議と親しみのある印象をセリアに与えていた。
「兄貴の客人だって? 次男のオーベルヌだ、よろしく頼む。」
続いてスーベリア。落ち着いた物腰と整った所作が印象的で、王家の頭脳と言われるだけあり、穏やかな気品の中に高い知性を感じさせた。
「初めまして、セリアさん。三男のスーベリアです。お会いできて光栄です。」
そして最後に紹介されたのは、末妹のアビゲイル。淡い金の髪が光を受けて柔らかに揺れ、宝石のような瞳が穏やかに輝く。
「お会いできて嬉しいです、セリア様。アビゲイルと申します。お見知りおきを。」
セリアは軽く一礼しながら、自然な流れで鑑定を走らせた。オーベルヌ、スーベリアに対しても鑑定を行っていたが、セリアはアビゲイルの鑑定結果に違和感を覚えた。表示された内容は、王族や貴族の令嬢として特筆すべき点のない、ごく一般的なもの、それ自体には何の不自然さもない。だが、その内容に、どこか言葉にできない違和感を感じていた。
ーーー何か・・・引っかかる。何だ、この違和感は・・・。
理由を掴めないまま、セリアは微笑みを返す。
「こちらこそ、皆さまにお会いできて光栄です。セリア・ロックハートと申します。今後ともよろしくお願いいたします。」
セリアは座ったままではあるが、深々と頭を下げた。
「セリアさん、頭を上げたください。兄さんの命の恩人。だとすれば私たちにとっても恩人です。」
スーベリアの言葉に、アビゲイルも頷きながら言葉を重ねる。
「スーベリアお兄さまの言うとおりです。ですから、そんなに畏まらないでください。」
セリアが頭を上げると、オーベルヌが同意を示すように深く頷いていた。室内には温かな空気が満ち、友人を迎え入れるような視線がセリアに向いていた。
スーベリアがセリアへ視線を向け、柔らかく問いかける。
「ルーファウス兄さんから聞いたのですが、学院で臨時講師をするそうですね。講義の準備は順調ですか?」
「えぇ、問題ありません。あとは実際に生徒を見て細かな方針をたてようと思っています。」
「そうですか、僕もセリアさんの授業を受けてみたみたいです。」
「お前はそんな時間などないだろうにっ。」
隣に座るオーベルヌが即座にスーベリアの言葉に釘を刺す。
「確かにね、最近忙しいからね。そういえば、セリアさんは、ルーファウス兄さんの離宮に滞在しているのですよね?滞在先は落ち着けていますか?」
セリアは軽く会釈し、落ち着いた声で答える。
「えぇ、とても静かな場所で大変助かっています。」
ルーファウスが微かに笑みを浮かべた。
「離宮は普段は使っていなかったからね。信頼できる人に使ってもらえるなら、それが一番。」
アビゲイルが穏やかに頷く。
「お兄さまの離宮は静かで落ち着いていますもの。セリア様にもきっと気に入っていただけると思っていました。」
「その離宮なんだが、先ほど報償として正式にセリアさんの所有となったんだ。」
その言葉に一同が驚きの目をセリアに向けた。セリアは一同の視線を受け柔らかく微笑みを返した。
「過分な報償ではありますが、先ほど国王陛下より話しがありました。」
「でも・・・ルーファウス兄様の命を助けたのだからこのくらいは当然ね。」
アビゲイルの言葉にオーベルヌとスーベリアも同意を示すように頷いていた。
茶が注がれ、湯気がほどける。オーベルヌが軽く肘をつきながら口を開いた。
「そういえば、兄貴。選定遺構・ゾガルディアのこと、そろそろ詳しく聞かせてくれよ。」
スーベリアも興味深げに続ける。
「僕も話を聞きたいです。」
ルーファウスは短く息を吐き、頷いた。そしてルーファウスはアルキラール樹海でセリアと出会ったことから、選定遺構・ゾガルディアを踏破するまでの話しを熱の籠もった口調で話し始めた。隣で聞いているセリアは、その内容に若干気恥ずかしさを感じていた。
そして最後の選定の儀の話しにさしかかった。
「何とか選定の儀をやり遂げた私は女神カミュから、ある物を授かった。そして誓いを破ったときには、一柱の女神である・・・レ、レ・・・。」
「お兄様、女神レヴィではなくて。」
女神の名前を思い出せずにいたルーファウスにアビゲイルに助け船を出す。
「そうそう、女神レヴィが誓約を破った際には私の前に現れてこの命を奪う・・・そうだっ。」
ルーファウスの言葉にオーベルヌとスーベリアが驚きの表情を浮かべて黙り込む中、アビゲイルが口を開く。
「お兄様、そのある物とはなんですか?」
「それはねっ。」
そう言うと、ルーファウスは左手の甲を示し、軽く息を吐く。手の甲が微かに淡く輝くと、そこに羽が交差する意匠の紋章が浮かび上がった。
「王家に伝わる書物に記載がある、選定の紋だと私は考えているっ。」
その瞬間、アビゲイルの睫毛がかすかに震え、唇が音にならぬほど小さく動いた。
「あれは、神の誓約印」
アビゲイルの囁きは、ほんのわずかに空気を揺らした。空気の揺らぎはルーファウスやオーベルヌに届くことはなかった。そして、隣に座るスーベリアにも届くことはなかった。だが、その僅かな揺らぎをセリアの鋭敏な耳は捉えていた。
ーーー神の誓約印・・・。
その名はルーファウスの手の甲に浮かぶ紋章の真実の名。そして、それはゾガルディアからの帰路でセリアが鑑定の結果、知り得た情報である。先ほどの口ぶりからするとルーファウス自身知らない可能性が高い情報である。セリアの瞳が一瞬だけアビゲイルを捉える。だが王女は穏やかに微笑んだまま、何事もなかったかのように振る舞う。
「・・・さて。」
ルーファウスが声と共に場を見渡した。
「そろそろ時間だ。今日はこのあたりでお開きにしよう。」
きょうだいたちがそれぞれ頷き席を立つと、セリアに別れの挨拶をして部屋から出て行く。
「兄貴はこの後どうするんだ?」
「私はセリアさんを見送ってくるよ。その後は父上のところに。」
「そうか、それじゃ。また後でっ。」
セリアは廊下に出ると、遠ざかる三人の背中を、特にアビゲイルの背を見つめていた。
「セリアさん、どうかしましたか?」
背後で扉が静かに閉まる音と共に、ルーファウスが問いかけるような視線がセリアに向けられる。セリアは視線を外さずにルーファウスに問いかける。
「・・・少し気になることが。」
「気になること?」
「えぇ、ゾガルディアで出会った女神の話を、ごきょうだいたちにされましたか?」
「どうかな・・・? 覚えていないが・・・。」
「そうですか・・・では、神の誓約印という言葉に聞き覚えはありますか?」
ルーファウスはわずかに目を細め、考え込む。
「・・・いや、全く聞き覚えの無い言葉ですが、それがなにか・・・?」
「そうですか・・・ご存じないのであれば、気にしないでください。では行きましょうかっ。」
促されたルーファウスは疑問を抱きながらも歩き始める。視線をアビゲイルから外したセリアは、ルーファウスの背を追いかけるように歩き始める。冬の日差しが差し込み、静かに照らされる廊下を歩くセリアの胸中には、去来した疑問が膨れ上がっていた。
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