表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したらうさみみでした  作者: 黒鉄神威
第五章 王都動乱編
113/132

第百四羽. 深紅の薔薇は静寂の夜に


 王都セイグラムの夜は静かだった。


 外では細かな雪が舞い、遠くでは教会の鐘が静かに鳴り響く。鐘の音が雪の夜気に溶け、王都はゆるやかに一日の終わりを迎えていた。


 磨かれた大理石の回廊には燭台が並び、蝋燭の炎が絵画の金縁を照らしている。その一角、来賓用の待合室で、庭園(ガーデン)の面々は控えていた。重厚な扉の向こうでは、晩餐会に出席している貴族たちの歓談と楽団による調べが華やかな空間を満たしていた。


 控え室では普段身に付けないような正装姿に、庭園(ガーデン)の面々はどこか落ち着かない雰囲気をしていた。アヤメは濃紺のドレスの袖を気にしながら落ち着かず、メルディナは肩口まである黒のドレスで身を包んで、窓越しにそわそわしながら雪を眺めている。ヴェインは黒の燕尾服に身を包み、落ち着かない身を隠すように腕を組んで静かに壁際に立っている。髪をゆるくまとめたアルジェントは、銀刺繍をあしらった灰のドレスを摘みながら、緊張を紛らわせるように小さく息を整えている。


 リュカは白の礼装に金の縁飾り、フレイアのドレスは淡い青に白のリボン。どちらも、王宮の侍女たちが丁寧に整えたものだ。双子は身に付けたことの無い煌びやかな服装に、小さな手で互いの袖を握り落ち着かない様子で大人たちを見上げていた。だが次第にいつもの笑顔を取り戻し、今は控え室内を駆け回っている。


 暖炉の傍らでは、メルディナ同様に黒のドレスに身を包んだリリスが静かに腰を下ろしていた。そして、その後ろには、ベルゼビュートが控えていた。そんな中、静かに廊下に面した側扉が開き、その音に一同の視線が集まる。そこから深紅のドレスを纏ったセリアが、淡い灯の中に現れる。


 ボディラインを強調した深紅のドレスは、暖炉の炎が揺らめく度に、赤と黒の光沢が流れる。左脚に入った深いスリットからは動くたびに、引き締まった細く長い足が蠱惑的に姿を見せる。大胆に開いた背には黒レースが広がり肌を包む。さらに白燿石(ルミセリア)の銀細工が髪に光を宿し、耳元では黒燿石(ネブラルク)のピアスが小さく揺れている。ナドラの円環が七分丈の袖からわずかに覗き、炎の光を反射している。


 その圧倒的な存在感に息をするのを忘れたかのように、一瞬、場の空気が静まり返る。


 「・・・綺麗。」


 アヤメはセリアのドレス姿に息を呑み、一言零れ落ちた。メルディナはわずかに目を細める。


 「よく似合っているのじゃ。強くて、品がある。実にセリアらしいのじゃっ!」


 セリアはわずかに目を伏せ、短く微笑む。


 「ありがとう。そう言ってもらえると・・・選んでもらったかいがあるわっ。」


 リリスが唇に笑みを浮かべる。


 「セリア様、とてもお似合いです。」


 セリアは肩を竦めて答える。


 「新年の祝いにしては、少し派手かもしれないけど。」


 ベルゼビュートが静かに一礼し、淡々と告げる。


 「いいえ、決して派手ではございません、セリア様。むしろ今宵の主役にふさわしゅうございます。」


 「ベルゼビュートもありがとう。」


 セリアが暖炉の前にある椅子に腰を下ろすと、リュカとフレイアが駆け寄ってくる。


 「ママ、とても綺麗だよっ!」


 「ありがとう。リュカ、フレイア。二人もとてもよく似合っているわ。」


 ふたりの頬は少し紅潮し、恥ずかしさを隠すように・・・セリアに顔をうずめる。そんな二人の頭を撫でながら、セリアは年末の事を思い出す。



 ◇◇◇◇◇◇


 王都の住民たちが慌ただしく年末年始の支度に追われ、街全体が冬の冷気と人々の熱気に包まれている年の瀬。


 商人たちは新年の商いに奔走し、街角では子どもたちが雪を蹴り合いながら笑い声を上げる。香草と焼き菓子の匂いが漂う市場を抜け、鐘の音が一日の終わりを告げる。教会の広場では、神官たちが新年の祈りの準備に追われ、人々はそれぞれの家に灯をともして、新しい年を迎える支度をしていた。


 その喧騒から離れた貴族街に、王都滞在中のセリアたち庭園(ガーデン)の拠点がある。雪に覆われた庭の木々が風に揺れ、窓からこぼれる橙の灯が淡く雪面を照らしている。屋敷の中では暖炉の火が穏やかに揺れ、外の冷たさを忘れさせるほどの温もりが満ちていた。


 雪の舞う午後、その静けさを破るように、馬車の車輪が雪を踏みしめる音が響く。門の前に停車した馬車には王家の紋章が掲げられていた。


 突然の来訪に慌てること無く、ベルゼビュートが対応する。雪が降る中、顔色一つ変えずに門で出迎える老紳士は、深く一礼する。


 黒衣の侍従が降り立ち、恭しく告げた。


 「第一王子ルーファウス・ヴァン・エリトルス殿下であらせられます。セリア殿にお取り次ぎ願いたい。」


 「ようこそお越しくださいました、ルーファウス殿下。今お取り次ぎいたします。」


 案内の侍従が軽く頷き、ルーファウスはベルゼビュートの案内で屋敷の中へと入っていく。応接室へ通され、暖炉の前の椅子に静かに腰を下ろす。


 一方その頃、セリアの私室。報せを受けたアルジェントが扉を叩く。


 「セリア様、ルーファウス殿下がお見えです。」


 セリアはわずかに目を見開き、立ち上がった。


 「殿下が・・・? 今行く。」


 そうアルジェントに答えると、セリアは身なりを整え、足早に廊下を進む。応接室の前で一度息を整えると、ベルゼビュートが扉の横で控え、静かに告げた。


 「セリア様をお連れいたしました。」


 扉が静かに開かれる。


 暖炉の炎がゆらめき、室内の空気がわずかに動く。ルーファウスが立ち上がり、柔らかく微笑んだ。


 「殿下、ようこそお越しくださいました。寒い中をお運びいただき恐縮です。」


 セリアが一礼すると、ルーファウスは軽く首を振る。


 「いえ、突然の訪問をお許しください。」


 「殿下、本日はどのようなご用件で?」


 「セリアさんに伝えるのを忘れていたことがありまして。」


 そう言ってルーファウスは懐から一枚の封書を取り出し、静かに言葉を続けた。


 「年始に開かれる王家主催の晩餐会に、是非セリアさんにもご出席していただきたくて。」


 「私が・・・晩餐会に?」


 「えぇ。もちろん庭園ガーデンの皆さんもです。」


 セリアは一瞬言葉を失い、軽く視線を落とす。


 「ですが・・・晩餐会に着ていくようなドレスを持っていません。」


 「問題ありません。」


 ルーファウスの口元に穏やかな笑みが浮かぶ。


 「すでに準備は整っております。」


 「大丈夫って・・・サイズとか・・・。」


 「その点も心配ありません」


 セリアが僅かに眉を寄せ、アルジェントへと視線を向ける。その仕草に、アルジェントは気まずげに視線を逸らした。


 「・・・まさか・・・?」


 「はい、殿下から依頼がありましたので。」


 アルジェントの言葉に、ルーファウスが小さく笑う。


 「どうやら、すべて段取り済みのようですね。」


 セリアは深く息をつき、わずかに肩を竦めた。


 「・・・わかりました。招きに預かります。」


 「ありがとうございます。皆さまのご出席を心よりお待ちしております。」


 ルーファウスは丁寧に一礼し、暖かな空気を残して屋敷を後にした。その姿を見送ったあと、セリアは静かに息を吐く。


 「まったく・・・勝手に話を進めて。」


 アルジェントが気まずそうに肩をすくめる。


 こうして、セリアをはじめとした庭園ガーデンの面々は、王家主催の年始晩餐会へ出席することとなった。



 ◇◇◇◇◇◇


 ぼんやりと炎を眺めながら年の瀬にルーファウスが訪ねてきた時のことを、セリアは思い返していた。


 その時、侍従の声が控え室の扉越しに響く。


 「セリア様、そろそろお時間です。」


 セリアはゆっくりと息を吸い込み、現実へと意識を戻す。


 「・・・わかったわ。」


 椅子から立ち上がり、身なりを整える。鏡越しに映る紅のドレスが、炎の揺らめきに合わせて光を返した。


 重厚な扉が静かに開くと、その向こうには王宮が誇る大広間であるヴェル・アスティオンが広がる。天井は高く、十二基のシャンデリアが円環状に吊るされている。そして床の中央には王国紋章である双翼の獅子が刻まれている。


 楽団の奏でる旋律が広間に澄み渡る中、数百におよぶ貴族や将校たちの談笑が一瞬だけ途切れる。そして、その視線が開いた扉へと集まった。


 そこには、光を受けて艶やかに揺れる深紅のドレスを纏ったセリア。その背後には、正装に身を包んだ庭園(ガーデン)の面々が続く。アヤメは濃紺のドレスの裾を押さえ、メルディナは漆黒のドレスに銀の装飾を揺らす。アルジェントは灰のドレスを整え、ヴェインは燕尾服の襟を軽く直す。その後ろで、リュカとフレイアが侍女に手を引かれ、緊張した面持ちで周囲を見上げていた。リリスはセリアの少し後方に控え、落ち着いた仕草で歩調を合わせている。さらにその背後では、執事服に身を包んだベルゼビュートが静かに列の最後尾を守っていた。


 この場に集う誰とも異なる、セリアたちから放たれる雰囲気。それはまるで研ぎ澄まされた刃のような気迫と、凛とした静けさを併せ持っていた。その異質な存在感が、広間の空気を一変させた。


 ざわめきが起こり、低い囁きと重なり合う。


 「いったい何者だ?」


 「なぜ王族主催の晩餐会に、何故あのような者たちがっ。」


 「ずいぶんと場違いな連中を招いたものだ。」


 さらに、嘲るような微笑を浮かべる者、興味深げに値踏みする者が、そして冷ややかに目を細める者。


 「見ろ、あの耳・・・まさか兎人族か?」


 「ふん、動物にドレスを着せても獣は獣だ。」


 「人族の席を穢すとはな・・・陛下もお優しすぎる。」


 表面上は誰も口を荒げはしないが、あからさまに顔を背け、嘲り、侮蔑といった抑えきれぬ偏見の色がその瞳に浮かんでいた。そして、別の目的があるのか、あからさまに値踏みする視線を向ける者もいた。


 そんな中、王族の列の方から一人の青年が歩み出る。金髪を整え、礼服の肩章が光を反射する。第一王子であるルーファウス・ヴァン・エリトルス。


 ルーファウスはゆっくりと歩み寄り、セリアたちの前で立ち止まった。その仕草が会場内にいる貴族、将校たちの間に波紋呼び、ざわめきが静まる。


 「お待ちしていました、セリアさん。そして庭園(ガーデン)のみなさん。ようこそヴェル・アスティオンへ。」


 柔らかく微笑みながら、ルーファウスは一礼した。王族自らが歩み寄る。その光景に、先ほどまで嘲笑を浮かべていた貴族たちが一様に息を呑んだ。


 そして、誰もが・・・その意味を理解した。


 「みなさん、立食形式なので、どうぞ食事を堪能してください。」


 ルーファウスの柔らかな声が広間に響く。楽団の旋律が一段落し、給仕たちが銀盆を手に静かに行き交っていた。


 ルーファウスはセリアの隣にいたリュカとフレイアの前にしゃがみ込み、優しく二人の頭を撫でる。


 「リュカとフレイアも、たくさん食べるといい。」


 「やったぁっ! アヤメお姉ちゃん、行こうっ!」


 「テオお兄ちゃんもっ!」


 小さな声が弾むと、双子は嬉しそうにアヤメとテオドールの手を取り駆け出す。その後ろをヴェインが見守るように追いかける。


 双子の背中を眺めていたルーファウスは立ち上がり、穏やかにセリアへ視線を向けた。


 「セリアさん、こちらへお願いします。」


 セリアは軽く頷き、振り返って仲間へと声をかける。


 「アル、みんなをお願いするわ。」


 「承知しました、セリア様。」


 ルーファウスの案内で、セリアは王族の卓が並ぶ奥の方へと歩を進めた。残った仲間たちに向かい、ルーファウスは振り返りながら穏やかに言葉を添える。


 「気にするな・・・というのも難しいかもしれませんが、いろいろな視線を向けてくる者もいると思います。ですが、どうか気にせず楽しんでください。」


 その言葉に、メルディナが小さく笑みを浮かべる。


 「心配いらんのじゃ。妾たちは、場慣れしているからのっ。」


 ルーファウスも静かに微笑み返し、セリアを伴って王族の席へと歩み出た。


 王族の席に、国王と王妃の姿はなかった。ルーファウスの案内で、セリアは大広間を抜け、足音が沈むような高級な絨毯の上を進む。廊下の奥に立つ衛兵たちが無言で敬礼する。辿り着いたのは、王族専用の待合室、静謐と温もりを併せ持つ、落ち着いた空間だった。


 扉が開かれ、ルーファウスが軽く会釈する。


 「父上、母上。セリアさんをお連れしました。」


 中では、国王ゲイルノートと王妃ソフィアが穏やかに席を立った。セリアは一歩進み、軽く頭を下げる。


 「このような身で晩餐会にお招きいただき、ありがとうございます。」


 ゲイルノートは静かに手を上げ、優しい声で告げる。


 「今この場は、公ではなく私的な場だ。そうかしこまらなくてよい。」


 ルーファウスの促しで、セリアはテーブルを挟み国王夫妻の正面に腰を下ろした。席に着いたその瞬間、ゲイルノートが姿勢を正し、深く頭を下げた。


 「礼が遅くなり、申し訳ない。本来なら、もっと早く会う段取りをつけるべきであった。」


 「こ、国王陛下っ!」


 セリアは驚いて立ち上がりかけ、慌てて言葉を返す。


 「どうか、お顔をお上げください。」


 セリアの戸惑いをよそに、ゲイルノートはゆっくりと顔を上げ、その瞳にまっすぐな光を宿した。


 「・・・アルキラール樹海で、ルーファウスとその一行を救ってくれたこと、本当に礼を言う。報せを聞いたとき、父として胸を撫で下ろした。国王としてではなく、ひとりの親として、きちんと礼を言いたかったのだ。」


 その隣で、王妃ソフィアも静かに頭を下げた。


 「私からもお礼を申し上げます。」


 「・・・いえ。」


 セリアはわずかに視線を伏せ、丁寧に答える。


 「ギルドの依頼の一環でしたので、それほどお気になさらないでください。」


 ゲイルノートは穏やかに微笑む。


 「それでも、ルーファウスの命を救ったことには変わりはない。国ではなく、一家のこととして受け止めている。」


 その声には、権威ではなく人としての温かさがあった。セリアは胸の奥に小さな熱を覚えながら、静かに頭を下げた。


 談笑はいつしか、晩餐会の厳かな雰囲気を忘れるほどに和やかなものとなっていた。話題は冒険のことから、庭園(ガーデン)の仲間たちへと移っていく。セリアがメルディナやアヤメたちの活躍を語るたび、ルーファウスはどこか誇らしげに頷き、国王夫妻も楽しげに耳を傾けていた。


 「なるほど・・・なかなか賑やかな一行のようだな。」


 国王ゲイルノートが口元に笑みを浮かべると、王妃ソフィアがすかさず言葉を重ねる。


 「セリアちゃん、とても頼もしいわね。それに、そのドレスも本当によくお似合い。」


 「セ、セリア・・・ちゃん?」


 思わず聞き返すセリアに、ソフィアは柔らかく微笑んだ。


 「えぇ。そんなにかしこまらなくてもいいでしょう? それに、あなたのような方を“さん”付けするのも、少し距離を感じてしまうじゃない。」


 「・・・光栄です。」


 そう言いながらも、セリアの頬はわずかに紅を差す。


 ソフィアは興味深そうにセリアの耳元に目をやり、ふと声を潜めた。


 「ねぇ・・・少し、触ってみてもいい?」


 「えっ・・・?」


 返事を待たず、ソフィアは立ち上がり、指先でそっとセリアの兎耳に触れる。その瞬間、セリアの身体がぴくりと跳ねた。


 「っ・・・くすぐったいです、王妃殿下・・・。」


 ソフィアは楽しそうに笑い、ルーファウスも苦笑を漏らす。


 「母上、それは失礼ですよ。」


 「だって、こんなに柔らかいんですもの。モフモフよ。モフモフ。」


 国王まで肩を揺らしながら言葉を添える。


 「すまないね、セリア殿。妻は興味が尽きぬ質でして。」


 和やかな笑いが広がる中、時間の合図を告げる小さな鐘の音が遠くで鳴る。セリアは姿勢を正し、静かに頭を下げた。


 「そろそろ失礼いたします。」


 立ち上がったセリアに、ゲイルノートが軽く手を挙げる。


 「最後に一つ。ルーファウスの救出の件については、報酬をきちんと用意してある。期待していてくれ。」


 「えっ・・・?」


 思わぬ言葉にセリアが目を瞬かせると、国王夫妻の間から穏やかな笑いがこぼれた。


 「ふふっ、セリアちゃんの驚いた顔もかわいいわね。」


 ソフィアの言葉にセリアは小さく息をつき、口元を緩めた。


 「・・・ありがたく、頂戴いたします。」


 ルーファウスが軽く会釈し、セリアの後ろに並ぶ。再び扉が開かれ、暖かな灯が差し込む廊下へと二人の影が伸びていく。扉の向こうには、音と人のざわめきが溢れていた。


 大広間に戻ると、ちょうど楽団の演奏が終わるところだった。拍手が静まり、ルーファウスがセリアの方へと視線を向ける。


 「ところで、セリアさんは何か楽器を弾けるのですか?」


 突然の問いに、セリアはわずかに目を瞬かせる。


 「・・・ピアノを、多少は。」


 その言葉に、ルーファウスの表情がふっと明るくなる。


 「それは素晴らしい。ぜひ、お聴かせ願えますか?」


 「えっ・・・今、ここで?」


 「ええ、もちろん。」


 有無を言わせぬ調子で、ルーファウスは軽やかに楽団の方へ歩いていく。第一王子であるルーファウスの提案を断ることなどできるはずもなく、指揮者は恐縮したように深く頭を下げ、ピアニストに席を譲るように話しかけていた。


 「・・・まったく、強引な・・・。」


 セリアは苦笑しつつも、ルーファウスに手を引かれピアノの前に立つ。椅子に腰を下ろし、静かな拍手と好奇の視線が彼女を包む中、深呼吸をひとつ。指先が鍵盤の上に触れる。少しの間をおいて、最初の一音が鳴った。


 その瞬間、晩餐会のざわめきがふっと消える。音の波が静かに広がり、澄んだ旋律が空間を満たしていく。甘美でいて、どこか憂いを帯びた夜の静寂を思わせる調べ。繰り返される甘美な旋律は、再現のたびに装飾が施されていく。その透き通る音と壊れそうな繊細な響きが、聴衆を包み込む。


 《ノクターン 第2番 変ホ長調》、それがセリアの選んだ曲。


 やがて、旋律は深く、柔らかく流れていく。誰もが聞いたことのない調べに、聴衆は誰ひとり言葉を発せず音色に包まれていった。灯が揺れ、グラスの液面に波紋が立つ。すべての時間が、音に吸い込まれていくかのようだった。


 そして最後の音が響き、儚く溶けて消えて行く。誰もが息をするのを忘れたまま、わずかな余韻だけが漂う。そして音が完全に消え、沈黙がその場を支配する。


 セリアは鍵盤の上に手を置いたまま、そっと息を吐く。


 「・・・多少とは、とても思えませんね。」


 低く驚きの声がルーファウスから零れた。


 「少し、思い出しただけです。」


 セリアは苦笑しながら傍らに立つルーファウスに視線を向けた。


 「思い出すだけでこれほどなら・・・本気を出した時が恐ろしい。」


 ルーファウスが小さく笑い、息をつく。そして、会場を見回しながら軽く片手を上げる。


 「みなさん、どうか拍手をっ!」


 その声を合図に、拍手が爆ぜた。会場全体が、一瞬遅れて熱を取り戻したかのように歓声を上げる。ルーファウスはセリアに向き直り、穏やかに微笑む。


 「もう一曲、よろしいですか? この空気を、終わらせるのは実に惜しい。」


 「・・・アンコールですか?」


 セリアは小さく息を吐き、ルーファウスに視線をやる。ルーファウスは少年のように笑って頷いた。


 「わかりました。」


 短くそう言うと、セリアは再び鍵盤に指を置く。


 「では、次は少し明るめの選曲を。」


 今度は、さきほどとはまるで違う音が響いた。軽やかで、風のように舞う旋律。優美なリズムがホールを駆け抜け、貴族たちの頬を緩ませていく。まるで夜明け前に踊り出す光そのもののようだった。音が跳ね、転がり、会場の空気が弾けていく。


 セリアがアンコールに選んだ曲は《華麗なる大円舞曲》。


 シャンデリアの光が煌めき、ドレスの裾が揺れる。王妃ソフィアは手を胸に当て、微笑を浮かべた。人々は思わず体を揺らし、笑みを交わす。そして、最後の一音が響いた瞬間、花弁が舞い散るように静寂が訪れる。その沈黙を破るように、嵐のような拍手が広間を包み込んだ。


 歓声の中、セリアはゆっくりと立ち上がり、深く礼を取る。月明かりのように涼やかな横顔には、戦場の剣ではなく、音を紡ぐ者の静かな誇りが宿っていた。


 この夜、確かに、セリアは舞踏会の中心にいた。


誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。


【読者の皆様へのお願い】

作品を読み、少しでも「面白い」、「先が読みたいと」と感じた方は、ブックマークと評価をお願いします。

気合を入れて妄想に妄想を重ねて執筆する原動力になります。厨二病感満載の詠唱も考えて行きます。

改めてお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ