第百三羽. 黒き翼は蒼天の下で
試練が終わり、草原に漂う熱気が蒼穹の空に吸い込まれるように次第に冷めていく。戦いの余韻がようやく薄れ、カティア、ヘルマ、ナタリアの三人も乱れた息が整いはじめていた。
あれだけの戦闘を行ったセリアは息一つ乱れていなかった。そんなセリアを誰もが言葉を失い、ただ立ち尽くして見ていた。
セリアは一同を見渡し、一息吐くと静かに口を開いた。
「・・・さて、これで一通り終わりね。」
その声に、張り詰めていた空気が少し緩む。先ほどまでの威厳を纏ったものとは違い、少し肩の力を抜いたような穏やかな響き。
「ねぇ、あなたたち・・・お腹、すいてない?」
思いがけないセリアの言葉に、四人は一瞬固まった。イングリッドは、そのセリアの暖かな笑顔に動揺を隠せずにうわずった声で答える。
「は、はい・・・すいております・・・。」
「なら、話の続きは食事をしながらにしましょう。」
そう言ってセリアは、ストレージの中から折り畳み式のテーブル、椅子、食器、そして香り立つ鍋を取り出す。
「・・・っ!? こ、これは・・・。」
湯気が立ち、明らかに暖かさを保っている鍋を見てカティアが思わず声を漏らす。彼女たちの知る収納魔法、または収納スキルは、時間の経過を止めることなどできない。熱いものは冷め、香りも失われる。それが彼女たちにとっての常識だった。だが今、目の前で取り出された鍋は、まるで作りたてのように湯気を立てている。
そんな彼女たちであったが、それよりも興味を引く物があった。それは暖かな鍋の中身。嗅いだことの無い香辛料の刺激的な香りが、彼女たちの食欲を刺激していく。さらに、ほのかに香る魚介の香りと相まって、彼女たちの腹が同時に小さく鳴った。
そんなイングリッドたち四人を尻目に、セリアは慣れた手つきで折りたたみ式のテーブを組み立てはじめ、淡々と配置を整えていく。我に返ったイングリッドが、慌てて声を上げる。
「わ、我々もお手伝いいたします!」
「えぇ、お願い。」
カティア、ヘルマ、ナタリアの三人も我に返り、テーブルや椅子を並べはじめた。テーブルの真ん中に置いた鍋から、セリアが丁寧にシーフードカレーを皿に盛り付けていく。黄金色のルーが湯気を立て、海老と貝の香りが鼻をくすぐった。次にスープ皿へとオニオンスープが注がれていく。透き通る琥珀色のスープの中で、柔らかく煮込まれた玉ねぎがゆらゆらと揺れていた。
青空の下、温かい香りが風に乗って辺りを漂い始める。
「・・・どうぞ。辛さは控えめにしてあるわ。」
テーブルの上に並べられた料理を見て、四人は思わず顔を見合わせた。香辛料の食欲をそそる香りが漂う一方で、目の前の皿に盛られた食べ物の色に一瞬たじろぐ。赤みがかった黄金のとろみ、彼女たちの知るどんな料理とも違っていた。
セリアは席に着くと、静かに両手を合わせる。
「・・・いただきます。」
聞き慣れない言葉。だが、その言葉には不思議な温かさがあった。スプーンを手に取り、食べ始めるセリアを眺めていたイングリッドたちは顔を見合わせ、少し戸惑いながらもそれに倣う。
「い、いただきます。」
意を決して、スプーンで黄金のとろみをすくい口に運んだ。瞬間、香辛料の複雑で豊かな香りが舌を包み、口の中一杯に広がる。その後、刺激と香りが一気に鼻へ抜けていく。その濃密なとろみの中には、長時間煮込まれ形を失った野菜の深い甘みと旨みが凝縮して溶け込んでいた。辛味の中にほのかな甘みがあり、エビやイカ、貝のぷりっとした弾力が口の中で弾けた。その奥に広がる磯の香りが、香辛料の香りと混ざり合い一つにまとまっていく。
「・・・っ、これは・・・。」
ヘルマが思わず目を見開く。
ーーー幼い頃、腹を満たすためだけに噛み砕いた、乾いた豆の味が遠くかすむ。この温かさと甘さ、この香りが、こんなにも人を満たすなんて、初めて知ったわ。
ヘルマは幼き日の自分を思い出し、目頭に涙をうっすらと浮かべていた。そして、カティアは何度も咀嚼しながら、驚きと感動が入り混じった表情を浮かべていた。
ーーーこれが・・・料理と呼ぶべきものなのか。今まで口にしてきたものが、ただの餌に思えてくる・・・。
イングリッドたちの食べる様子を見ていたセリアから笑顔が零れる。次に彼女たちはスープ皿を手に取る。透明に近い琥珀色スープ、中には柔らかく煮込まれた玉ねぎが沈んでいた。
香ばしい香りと甘い湯気。
イングリッドが慎重にスプーンを口に運ぶと、舌の上で玉ねぎがとろけ、まるで蜜のような甘みが広がっていく。温かいスープが喉を通るたび、身体の芯から暖まり力が満ちていく。
「・・・なんて優しい味・・・。」
ナタリアが小さく呟いた。それを聞いたセリアは優しく微笑んだ。
「寒い日には、こういうのがいいの。」
その言葉に、イングリッドたちは、冷たい風も、試練の重さも、強いられていた緊張も遠い過去のように忘れていた。自分たちを包み込む陽だまりのような香りと温もりの中で、心の底から安らぎの息をつく。
「大分、落ち着いたようね。それじゃ、仕事の話をしましょうか。」
セリアの言葉にイングリッドたちは姿勢を正す。そんな彼女たちにセリアは優しく告げる。
「そんな構えなくていいわ。食事をしながら聞いてちょうだい。」
促され、イングリッドたちは止めたいた手を再び動かす。
「最初の任務だけど、調査をお願いしたいの。」
イングリッドはわずかに首を傾げる。
「調査、ですか?」
「えぇ。」
セリアはゆっくりとスプーンを置き、静かにイングリッドたちを見渡した。
「あなたたちには、戦闘だけでなく、調査や潜入、情報収集などあらゆる任務を任せたいと思っているわ。そう言った意味で今回の任務は適していると、考えているの。」
イングリッドが静かに頷く。
「承知しました。お聞かせください。」
セリアが話し始めた内容は、王都へ向かっている道中に出会った子供たちの話から始まった。西の空が赤く染まり、あと数時間もすれば辺り一帯が暗く染まるそんな時間。馬車で移動していたセリアの耳に森の中から悲鳴が届いた。急ぎ駆けつけると、そこには大型の熊の魔物に襲われている子供たちの姿があった。子供たちを助け、話を聞いたセリアたちは、子供たちが住むという孤児院まで送り送り届けた。
エルメア村の片隅にひっそりと佇んでいる孤児院。室内は質素ではあったが、温かみのある雰囲気が随所から醸し出されていた。だが、その内情は火の車で日々の糧を得ることが非常に困難であった。育ての親であるシスター・ドロテアが病に倒れ、薬も買うことができずにいた。そんなドロテアの為に、子供たちは薬草を探しに森に踏み入ったのだ。
もう一人のシスターであるセティの話によれば、元々孤児院は補助金で成り立っていた。その補助金を減らすという通達が一方的にあった、ということだ。補助金が減額された理由や経緯について、セティは全く心当たりが無いと語っていた。
話し終えたセリアを真っ直ぐ見つめ、イングリッドが口を開く。
「では、我々の任務は、援助金の減額について、ですね。」
「そうねっ。それともう一つ。エルメアに滞在していた時、孤児院を監視していた奴らがいた。もしかしたら、直接的な手段を取るかもしれない。」
「承知しました。その点も考慮いたします。」
イングリッドは、次の言葉を出すために口を開きかけたが、一瞬、躊躇してその言葉を飲み込んだ。流れる沈黙果て、セリアの温かく優しい光が宿る瞳を一心に見つめて、静かに呼吸を整えた。そして、イングリッドは意を決して口を開いた。
「そこで、お伺いしたいのですが、調査の結果・・・孤児院側に非があった場合は、どうなさるおつもりですか?」
「確かに可能性の一つとして、そう言った結果も考えられるわね。もしそうであれば、改善できるところは改善する。不可能なら、子供たちを引き離す手段を考えるわ。だけど・・・それは、ないと断言できるっ。」
セリアの真っ直ぐな瞳を見つめ、イングリッドは恭しく頭を下げる。
「主様からの初の任務・・・承りました。」
「任務を遂行するにあたり、あなたたちに部隊名を与える。」
その声は今までとは違い低く、草のざわめきさえ押し黙らせるほどの威を帯びていた。
「黒翼、あなたたちが・・・名乗るべき名。私の影であり、翼となる存在。」
自然が奏でる喧噪が一瞬止み、やがて静かに奏ではじめる。まるで世界そのものが、その名を受け入れたかのように。
「そして、イングリッド。あなたには黒翼を率いる者として、権限を与える。必要に応じてあなたの裁量で、増員することを許可する。そして、黒翼の運用については、イングリッドに委ねる。」
イングリッドたちは立ち上がり、セリアの前に一糸乱れぬ動きで跪く。
「その名に恥じぬよう、任務を遂行いたします。」
蒼穹の空のもと、イングリッドの確かな言葉が響き渡っていった。
◇◇◇◇◇◇
転移の光が静かに消え、セリアたちの耳に風の音が戻る。王都を一望する丘の上に再び五つの影が現れた。丘の上から望む王都は、活発な喧噪を微かに響かせながら輝いていた。無数の瓦屋根や石造りの建物が遠く、緻密な模型のように視界いっぱいに広がっている。
新たな使命を帯びたカティア、ヘルマ、ナタリアの三人は、無言で互いに視線を交わし、その視線だけで決意を共有した。イングリッドは、その静かな熱を背中に感じながら、セリアへと向き直った。
周囲のエーテルの流れや怪しげな人の気配を確認したセリアは、自分に向けられる真っ直ぐな瞳を受け止めた。
「ここで別行動よ。あなたたちは、予定通りエルメア村へ向かって。」
イングリッドが一歩進み出て、深く頭を垂れた。
「承知しました。黒翼の名に恥じぬよう、必ず結果をお持ちします。」
セリアはわずかに頷き、その言葉を静かに受け止める。
「・・・期待しているわ。」
イングリッドたちは頷き合い、街道脇につないである馬のもとへと向かう。冬空の下、彼女たちの黒い外套が風に揺れ、やがて視界の向こうに溶けていった。これが後に大陸最強の名を欲しいままにする、黒翼の最初の一歩であった。
その背を見送りながら、セリアはわずかに目を細める。
「・・・さて、こちらも片付けるべきことがあるわね。」
次の瞬間、空気が一瞬震え、セリアの姿は淡い光とともに掻き消えた。
◇◇◇◇◇◇
日が傾き始めた頃、ギルドの喧噪が続いていた。酒場を兼ねたホールからは笑い声とグラスの音が響き、冒険者たちが依頼掲示板の前に群がっている。その喧噪の中、セリアが足を踏み入れると、周囲の空気が一瞬だけ張り詰めた。視線が集まり、囁きが走る。セリアはそれらに構うことなく、まっすぐカウンターへと向かった。
カウンターには見知った顔である、受付嬢のナタリーが立っていた。セリアの姿に気が付いたナタリーは微笑む。
「いらっしゃいませ、セリアさん。今日は何のご用でしょうか?」
「ギルドマスターに少し、用があるのだけど。時間を取ってもらえるかしら?」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
ナタリーは軽く会釈すると、奥の連絡窓口に姿を消す。程なくして戻ると、落ち着いた声で告げた。
「どうぞ、マスターがお通しするようにとのことです。では、ご案内いたしますね。」
セリアは首を横に振り、静かに微笑んだ。
「一人で大丈夫よ、場所は分かっているから。ありがとう、ナタリー。」
「かしこまりました。」
軽く会釈を交わすと、セリアは奥の扉へと向かう。階段を上がり突き当たりにある扉の前で足を止めたセリアは、軽く扉を叩いた。
「入れっ。」
部屋の中から低く落ち着いた声が返ってきた。
静かに扉を開けて中に入ると、部屋の奥では書類を整理しているアガレスの姿があった。
「それで、俺に何の用だっ。見ての通り、忙しくてな。手短に頼むっ。」
セリアは無言で扉を閉め、手を翳す。淡い光が波紋のように広がり、空気がわずかに震えた。
「・・・そんなに重要な話かっ。」
セリアが遮音結界を張った事に、アガレスは顔を上げ目を細めた。射貫くような視線にセリアは頷き、口を開く。
「ええ。あまり外には聞かせたくない話なので。」
「俺のことを信用していいのかっ?」
「あなたのことは、エリーからも信頼できると聞いているわ。それで・・・裏切られたら、私たちに見る目が無かっただけよっ。」
「それで、他に聞かせたく無い内容ってのは、何だっ。」
「ノクタルナの件で、あえて報告しなかったことがあるの。」
「・・・聞こう。」
「先の報告では、ネゼルが首謀だとだけ伝えたけれど、ゾディアックの関係者よ、ネゼルは。そして、最下層で見たものは、それだけじゃない。」
セリアの声は低く、淡々としていながら、どこか重みを帯びていた。
「高濃度の魔素を用いて、人を・・・魔物へと変えていたわ。」
アガレスは驚きの表情を浮かべ、右手で顔を覆う。
「・・・変異の実例を、確認したのか。」
「えぇ。複数名。それが偶発的な現象ではなく、明確な意図と手順のもとに行われていた。つまり、ネゼルは・・・人を魔物へと変異させる現象を人為的に再現していたのよ。」
短い沈黙が二人の間に流れる。アガレスは深く息を吐くと、書類の上から指を離した。
「数件ではあるが・・・変異事例については報告が上がっている。だが・・・そんなことが本当に可能だとは思ってもみなかった。」
アガレスは、静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。もたらされた報告は、机上の書類の山が、一瞬、全て無意味なものに思える程であった。この情報が意味するのは、軍やギルドが長年培ってきた常識の崩壊、そして国家の危機だ。そのあまりに重い現実を前に、アガレスは静かに、だが確固たる意志で受け止めるしか無かった。
「疑う余地はないわ、これが現実よ。さらに言えば、始まりに過ぎない。」
セリアの感情を排した深淵のように澄み切った瞳が、アガレスを静かに見つめる。
アガレスは頷き、静かに口を開いた。
「情報はギルド内に留め、軍には伏せておこう。これ以上、混乱を広げるわけにはいかん。軍関係者に伝えるとしても、大佐クラス以上で無いと情報の統制ができないからな。それに、軍内部にも協力者がいる可能性を否定できない以上、迂闊な行動は、ゾディアックに手の内を晒すことにもなる。」
「助かるわ。同行していた冒険者たちには、帰還途中に言い含めたけど、再度お願いできるかしら。」
「そのことについは、俺の方からも話をしておこうっ。」
アガレスの言葉に軽く頷いたセリアは、結界を解除して立ち上がる。
「報告は以上よ。私の信頼・・・裏切らないようにね。」
「お互いにな。」
そのやり取りを最後に、セリアは静かに扉を閉めた。
外の喧噪が再びセリアの耳を覆い始める。廊下を歩きながら、セリアはわずかに目を伏せた。セリアの脳裏では最下層で見た惨状が思い起こされていた。そして、人の愚かしさ、哀れさが微かな痛みとしてセリアの胸に残っていた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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