第百一羽. 悪夢の終わり
広大な空間を満たしていた魔素は、ネゼルの消失とともに徐々に薄れ始めていた。だが、魔素に侵された冒険者たちの回復には、今しばらくの時間を必要としていた。また、魔素の影響を受けなかった者もいたが、精神と肉体の両方に過度の疲労が蓄積していた。
セリアは全体を見渡し、ラクスの結界内にいる限り魔素の影響も無いことから判断を下す。
「魔素が落ち着くまでの間、しばらくここで休みましょう。」
セリアのその言葉に、仲間たちと冒険者は無言で頷く。それぞれが負傷者の看護に回り、短い休息の時を迎えた。
そんな中、明かりのそばではリュカとフレイアの笑い声が響く。二人の前で、背の高い人物が穏やかに膝をつき、何かを教えている。
ピンクのワンピース姿の巨躯、エリーであった。セリアはゆっくりと歩み寄り、エリーに声をかけた。
「エリー、色々と助けてくれてありがとう。」
エリーは金髪のツインテールを揺らしながら、柔らかく笑う。
「ねぇ、セリアちゃん、アタシたちって、どういう関係だと思う?」
唐突な問いに、セリアは一瞬、考え込む。
「同じ師を持つ姉妹・・・かしら。」
セリアの答えにエリーは肩をすくめて笑った。
「それもいいけど、違うわぁ。と・も・だ・ち、友達よぉっ。」
エリーは軽くウィンクをしながら、和やかに答えた。
「友達・・・。」
「そうよぉっ。友達を助けるのは当然でしょ? セリアちゃんが困ってるならぁ、アタシはいつだって駆けつけるわぁ。それだけの話よ、ネッ。」
その言葉に、セリアの表情がわずかに和らいだ。
「・・・ありがとう、エリー。」
エリーは明るく笑いながら手を振る。
「もぉ、やだぁ。そういう顔されると、照れるじゃないっ。」
エリーの反応に小さな笑いが広がった。
少し離れた場所では、アルジェントとメルディナが現在の調子について話し合っていた。
「調子はどう?」
セリアが近づくと、メルディナが現状について話し始める。
「身体の方は全く問題無いが、やはり精神側の回復がおそいのじゃ。まぁ、遅いだけで何か問題があるわけではないから、それほど気にする必要もないのじゃ。それよりも・・・セリアよ、あの件について、話してもらうのじゃ。」
「分かったわっ。」
セリアは淡々と説明していく。まず操られていた原因が、精神領域に形成された制御核であること。そして胸元に刻まれた刻印であること。そして胸元の刻印は、物理的な衝撃やエーテルを流し込む事で破壊が可能。一方で制御核は精神干渉系の術式でしか破壊ができない。さらにメルディナの場合、魔術に対する抵抗の高さから、精神干渉系に近い効果を持つ奥技・壱ノ型の閃牙を使用した。
説明を聞き終えたメルディナは目を細め、わずかに息を吐いた。
「他人の精神領域の一点を正確に射貫く。そんな精密操作、普通はできないのじゃ。」
セリアは肩を竦めて答える。
「メルを救うのに必要だっただけ。まぁ、成功させる自信はあったわよっ。」
「まぁ、何にせよ、助かったのじゃ。礼を言うのじゃっ。」
メルディナとのやり取りを遠くで見ていたテオドールが、そっと近寄ってきた。
「師匠、ご無事で何よりです!」
セリアは振り返り、穏やかに微笑む。
「あなたもずいぶん強くなったわね、テオ。」
「日々の修行の成果です!」
「そう・・・じゃあ、修行量をもう少し増やそうかしら?」
「そ、そんなぁぁ!」
テオドールの声に、あちこちから笑いがこぼれた。戦いの緊張がようやく解け、空気がほんの少しだけ柔らかくなる。
和やかな時間が過ぎ去り、やがて、周囲の魔素濃度がほぼ安定域に達した。
「もう大丈夫。これなら移動可能ね。さぁ、地上に戻りましょうっ。」
セリアの言葉に頷いた一行は、帰還に向けての準備を開始する。そして庭園メンバー8人、エリー、そして生き残った冒険者8名は、一階層へと移動する転移陣へと辿り着いた。
転移陣が輝き出し、光がゆるやかに広がり、その姿を包み込んでいく。全員の顔には、疲れと安堵感が浮かんでいた。
8人という犠牲を出しながら、悪夢のような四日間を生き抜き、幽都回廊・ノクタルナを脱した。
◇◇◇◇◇◇
時を少し遡る。
セリアが始原の迷宮から現世への転移する直前のことだった。
背後からリリスの控えめな声が届く。
「・・・セリア様、お願いがあるのですが・・・。」
その声には、いつもの落ち着きとは違い、ほんの少しの躊躇いが混じっていた。振り返ったセリアは、穏やかに問い返す。
「お願い? 私にできることなら、聞くわよ。」
リリスは小さく息を吸い、それからまっすぐに言葉を紡ぐ。
「えぇっと・・・私も、連れて行ってもらえませんか?」
その一言に、一瞬、セリアは目を瞬かせた。
「でも、ここでの仕事があるでしょう?」
だが、リリスは静かに首を横に振る。
「私がいなくても、さほど問題はありません。何より、外の世界を・・・この目で見ておきたいのです。」
その言葉に、背後で控えていた男が深くため息をついた。白髪混じりの執事服に身を包んだ老紳士、ベルゼビュートである。
「リリス様。だからといって、この場を離れて良い理由にはなりません。」
リリスはベルゼビュートに向き直ると、軽やかに微笑んだ。
「なら、ベルゼビュート。あなたも一緒に行きましょう。」
ベルゼビュートはしばし沈黙したが、やがて静かに目を閉じる。
「・・・承知しました。こうなってしまえば、お止めしても無駄ですからな。」
その口調には呆れと、主への忠誠が等しく混じっていた。
「分かったわ。なら三人で行きましょう。」
セリアは二人のやりとりに小さく苦笑し、転移陣に足を踏み入れた。目的地は幽都回廊・ノクタルナの最下層、そして時間はセリアが始原の迷宮に転移した直後。
しかし次の瞬間、光の行き先は予定とは異なっていた。幽都回廊・ノクタルナの最下層ではなく、その入口がセリアの視界に姿を見せた。
『マスター、時間も数時間のずれが生じています。』
さらに時間についても《オモイカネ》から報告が届いた。場所、時間のずれの原因は明らかであった。幽都回廊・ノクタルナの入り口を覆い、来る者を拒むように張られている結界。
視界の先には、膨大なエーテルが格子状に絡まり合い複雑な立体構造を作っていた。ギルド職員や急遽集められた冒険者たちが結界解除の術式を組み上げ、周囲では静かにそれを見守っていた。その中心には、ギルドマスター・アガレスと受付嬢ナタリーの姿がある。
「セリアさんっ!? どうしてここにっ。」
セリアの姿を見つけたナタリーが驚きの声を上げる。ナタリーの声にアガレスもすぐに駆け寄ってきた。
「セリアッ、どうやって、抜け出したんだっ。見ての通り、ノクタルナ内部は完全封鎖状態なんだぞっ。」
セリアは簡潔に事情を伝え、状況を確認する。アガレスの説明では、解除の糸口を掴んだが、解除までにどれだけの時間がかかるのか未知数であった。
『《オモイカネ》、結界の解除は可能か?』
『この程度の結界、造作もありません。』
頼もしい回答が《オモイカネ》から寄せられた。
『結界の解除と同時に、それを知らせる機構が組み込まれています。さらに解除と同時に魔物の出現します。』
『そのトラップの解除可能なのか。』
『通知機構の解除は問題ありません。ですが魔物の出現については、時間を要します。』
『分かった、なら通知機構の解除だけを頼む。』
『承知しました。』
『リリス、ベルゼビュート、状況について、理解したわね。』
『セリア様、問題ありません。』
セリアが振り向くと、リリスの言葉に同意を示すようにベルゼビュートが軽く頷く。
『それじゃ、頼むぞっ、《オモイカネ》。』
セリアが結界に向かって手をかざすと、ギルド職員や冒険者たちが数時間かけても変化を起こさなかった結界が変化を見せ始めた。かざされたセリアの掌を中心に複数の積層魔法陣が展開し、結界が微かに光ると折りたたまれるように縮小していく。
折り畳まれる度に結界を構成しているエーテルが濃縮されていく。やがて、結界が解除されると、一点の凝集されたエーテルの点が出現する。
次の瞬間、大気を震わせ凝集されたエーテルが解放された。エーテルは形を取り、異形の魔物へと変貌する。
リリスとベルゼビュートがセリアの前へと躍り出る。
「ここは私たちが対処します。セリア様は先を急いでください。」
その目には迷いがない。リリスの言葉にベルゼビュートも静かに頷く。
「我々でこの場は抑えます。どうか、先へお急ぎください。」
セリアは二人を見つめ、わずかに息を整えた。
「・・・頼んだわ。」
その言葉を残し、セリアは再び幽都回廊・ノクタルナへとその身を投じた。
◇◇◇◇◇◇
第一層へと戻ったセリアたちが外に出ると、そこには多くの人々が待ち構えていた。
ギルド職員、冒険者、そして王国軍の一部。
通路のあちこちには戦闘の痕跡が残り、焼け焦げた岩肌と砕けた床や壁の欠片が痛々しく散らばっていた。
帰還したセリアたちに、周囲の視線が一斉に向く。迷宮の入り口が騒然としている状況を知る者はセリアだけで、他の仲間たちは、”なぜここで戦闘が?”、といった表情を浮かべた。
そんな中、人垣を割って二つの影が進み出た。
黒衣ドレスを身に纏い、艶やかな黒髪を揺らす女性・・・リリス。そしてその背後に控える老執事、ベルゼビュート。
二人は静かに歩み出て、セリアの前で片膝をつき、恭しく頭を下げる。
「セリア様。お帰りなさいませ。」
出現した魔物をいともあっさりと退けた二人が頭を下げていることに、周囲がざわめいた。
アヤメが目を丸くしながら声を上げる。
「リリスさん!?それにベルゼビュートさんまで・・・どうしてここに?」
メルディナも慌てて駆け寄り、半ば詰め寄るように問いかける。
「リリス、おぬし、何故ここにいる。まさか迷宮の外に出てきたのか!?」
セリアは手を上げて制し、静かに言葉を挟んだ。
「詳しいことは後で話すわ。今は、まず状況の確認を優先しましょう。」
その声に皆が口をつぐむ。
すると、少し離れた場所で、リュカとフレイアがじっとリリスを見上げていた。
そして、小さな声でリュカとフレイアは同時に呟く。
「・・・リリス、おばさん?」
瞬間、リリスの眉間がぴくりと動く。
「お、ば、さん・・・ですって・・・。」
空気が一瞬凍る。
その直後、アルジェントが素早く二人に身を寄せ、小声で囁いた。
「リリス、お姉さん、です。」
リュカとフレイアは顔を見合わせ、慌てて言い直す。
「リリスお姉さんっ!」
途端にリリスの表情が和らぎ、優雅に微笑んだ。
「そう、それでいいの。よくできましたっ。」
笑顔でリュカとフレイアに近くと、二人に視線を合わせるようにしゃがむ。
「可愛い子供たちですね。しかも・・・もっふもふですっ。」
二人の頭や耳をなでながら、リリスは緩んだ顔をさらしていた。
そのやり取りに、セリアは頭を抱え小さくため息をつく。そして、そんなリリスの姿に、ベルゼビュートも頭を抱え、ため息をついていた。
その様子に包まれていた緊張の空気が、わずかにほぐれていった。和やかな笑いがこぼれ始めたその時、数人の足音がセリアたちに近づいてきた。現れたのは、ギルドマスターのアガレスと、緊急事態に現場へと駆けつけた王国軍所属の大尉、カイル・ベレニスであった。
アガレスはセリアに歩み寄り、低い声で告げた。
「セリア、すまないな。疲れているところを悪いが、話を聞かせてくれ。」
セリアは軽く頷き、落ち着いた声で応じる。
「分かりました。」
アガレスはすぐに背後の職員たちへ指示を飛ばす。
「迷宮の入り口を封鎖しろ。」
アガレスの指示に数名の術者が走り出し、結界の再展開が始まる。
セリアも仲間たちに振り返り、短く告げた。
「みんなは先に戻って、休んで。ヴェインは、私と一緒に来て。」
「了解だっ。」
ヴェインは軽く頷く。
セリアが視線を移すと、エリーが手を振っていた。
「ねぇ、セリアちゃん、あたしも一緒に行こうか?」
セリアは小さく首を振る。
「いいえ。あなたはみんなと一緒に休んで。こっちは報告だけだから。」
エリーは肩をすくめ、いつもの調子で笑う。
「じゃぁ、お言葉に甘えちゃおうかしらぁ。」
そう言って、リュカとフレイアを抱きかかえるとエリーは、アヤメたちの背を追いかけていった。
後ろ姿を見送り、セリアはひとつ息を吐く。再び静まり返った空気の中、アガレス、カイル、そしてヴェインと共にギルドの会議室へと歩みを進めた。
◇◇◇◇◇◇
ギルド本部の会議室。
厚い石壁に囲まれた空間は、夜の冷気を閉じ込めたように静まり返っていた。中央の円卓を挟み、セリアとヴェイン、ギルドマスターのアガレス、そして王国軍のカイル・ベレニス大尉が席に着く。それに記録係として、ナタリーが同席する。
アガレスが深く息を吐き、沈黙を破った。
「・・・では、さっそくノクタルナ内部で起きたことについて、報告してもらえるか。」
セリアは静かに頷き、報告を始めた。
「はい。今回の騒動が何の目的で仕組まれたことなのか、それについては分かりません。ただいえることは、首謀者はネゼル、グレイヴという名でギルドに潜入していた男です。何らかの組織と繋がりがあるのかもしれませんが、現状は不明です。」
セリアの報告内容には、ゾディアックやそれに関わる事柄が極力排除されていた。報告したからといって対処できる内容ではないこと。そして、ゾディアックと繋がっている者が、何処に潜んでいるか分からないためである。
「知っての通り、今回の探索にはギルドから三人の職員を同行させた。そのうち一人は、グレイヴことネゼルとなるわけだが、他の二人についてはどうなっている。持たせた魔導具に一切反応がないのだが。」
「それは、俺から答えよう。」
アガレスの質問にヴェインが声を上げる。
「その二人につては、数人の冒険者を殺害した後に逃亡している。状況から考えてネゼルと関わりがあると考えて問題無いだろう。」
「そうか・・・」
ヴェインの報告にアガレスは目を閉じ、しばし考え込む。ゆっくり目を開けると二人の職員について話し始めた。
「・・・君たちが迷宮に潜った次の日。同行しているはずのギルド職員二名が遺体となって発見された。報告から考えれば入れ替わったのだろうな。」
その後のセリアの報告では、ゾディアックに関わることを省きながらも、詳細が語られていった。十層で大規模な転移陣によって散り散りになったこと、最下層でネゼルとの戦闘があったことなどを。
セリアの報告にカイルが眉をひそめる。
「一ついいだろうか。セリアさんの報告を聞く限り、大分前から準備をしていた印象をうける。だがノクタルナの入り口は、ギルドで厳重に管理していはずだが。」
カイルの指摘にアガレス眉間に皺をよせて渋い表情で口を開く。
「それを言われると、こちらの管理体制の不備なんだが・・・今回の件以外で結界が解除された形跡が一切ない。手段は不明だが、あの結界を維持したまま出入りができたようだ。」
カイルがアガレスの言葉を引き継いで二つ目の可能性について言及する。
「もしくは、解除しても記録に残らないように細工したと・・・。」
「・・・どちらにしても、今の我々には原因を突き止められない。」
アガレスは天井を見上げながら力なく答えた。視線を戻したアガレスは、思い出したように口を開く。
「今回の件、つまりセリアのSランクへの昇格ついて、実力証明をノクタルナで行うことを提案したのは・・・グレイヴだ。そしてSランク昇格の情報を漏らし、冒険者を焚きつけた疑いも上がってきた。とは言え、このことについて、できることは限られているがな。」
「軍としても、いつでも動けるように上には掛け合っておく。」
「お願いします。カイル大尉。それにしても、セリアたち庭園メンバーがいてくれて、本当に助かった。」
アガレスは小さく息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。
「私たちはやるべきことをしただけです。」
「犠牲は多かったが、救われた命も同じだけある。君たちがいなければ・・・全滅だったことは明白だっ。ギルドを代表して感謝する。」
「さっきも言いましたが、やれることをやっただけです。ですが、ありがたく受け取っておきます。」
その後、少しの雑談を挟み報告会は終了した。セリアとヴェインは立ち上がり、軽く会釈をすると会議室を後にした。
扉を抜けると、夜気が頬を刺した。王都の喧騒は鳴りを潜め、街灯の明かりが石畳を淡く照らし出す。吐く息が白く染まり、一段と冷え込む王都の夜道に二つの影が長く伸び、闇に溶け込んでいく。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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