第九十三羽. 絶望と迷宮に蠢く影
Side:セリア
身体を覆っていた浮遊感が消え、全身に重力が纏わり付き足元には硬い石の感触が戻る。白で塗りつぶされていた視界に彩が戻り始める。
「ここは・・・?」
即座に周囲へ意識を走らせるセリア。
そこは、深い静寂に支配された空間だった。石壁が続く回廊はどこか歪みを孕み、正確な広さを測ることすら難しい。天井から垂れる光は一定の間隔を守っているはずなのに、どこか不規則に見え、視界そのものがねじれているような錯覚を与える。
周囲を見渡して最低限分かることは、ここが10階層のボス部屋では無いこと。
『《オモイカネ》、ここがどこだか分かるかっ。』
『現在位置を特定することは不可能。回廊全体に不可解な空間の歪みが発生しています。』
『近くにみんなの反応は?』
『・・・確認できません。少なくとも、この階層には存在しません。』
ーーー現在位置も不明、みんなの反応も無しか。完全に孤立させられたな・・・。
ボス部屋に転移魔法陣など存在するはずがない。あるとしても、帰還用の転移陣、明らかに何者かの意思が介在していることになる。
『周囲に複数の魔物を確認しました。』
「考えたところで答えは出ない・・・なら、折角の招待、愉しむしかないわね。」
唇にかすかな笑みを浮かべ、自身の持つ従魔を呼び寄せる。
「来なさい・・・テトラ、ラクス、イロハ、エルミオス、ランスロット、ブリュンヒルデ。」
六つの光輪が空間に浮かび上がり、それぞれ異なる輝きを放ちながら展開する。小柄な影が跳ねるように姿を現し、獣の蹄が石床を強く打ち、甲冑を纏う騎士が重厚な足音で一歩を踏み出す。魔力の奔流が空気を震わせ、静寂はたちまち圧倒的な気配へと塗り替えられていった。
セリアはわずかに目を細め、片手を払うように指示を出した。
「好きなように暴れてきなさいっ。」
次の瞬間、六体の従魔が一斉に駆け出した。小さな影が疾駆し、蹄が石床を叩き、鎧を纏う騎士が重厚な足音を響かせる。
静寂に閉ざされていた回廊は、轟音と咆哮に満ちた戦場へと変貌していった。
◇◇◇◇◇◇
Side:冒険者たち、ギルド職員
冒険者たちは見知らぬ回廊に立っていた。
左右に広がる石造りの道は、果てしなく続いているように見え、一定間隔で灯る光源が冷たく空間を照らしている。
「・・・ここは、どこだ?」
一人の冒険者が思わず声を漏らし、直後に別の前衛が声を張り上げる。
「全員、生きてるかっつ! 点呼をとれっ!」
冒険者たちは互いに名前を呼び合い、幸い全員揃っていることを確認した。だがすぐに、異変に気付く者が出る。
「待ってください・・・ギルドの職員が一人いません。」
二人のギルド職員が、震える声で一人いないことを申告する。
「えぇ、我々二人を含めて三人いたはずなのですが・・・。」
冒険者たちの間に動揺が広がる。
「転移の失敗か?」
「・・・分断されたのかもしれねぇ。」
回廊に満ちる静寂と、不明瞭な奥行きがその不安をさらに増幅させる。
一人のリーダー格が皆を落ち着かせる。
「ここで立ち止まっても埒が明かん。とにかく進んでみるしかないっ。」
緊張を抱えたまま、冒険者たちは灯りの続く先へと足を踏み出す。その背後には、行方不明の仲間を思う沈痛な空気が漂っていた。回廊を無言のまま進んで行く冒険者たちは、途中で数体の魔物に遭遇したが、慣れた手並みで片付けながら歩みを進めていた。
やがて回廊は開け、巨大な石造りの開けた空間に辿り着いた。高い天井と冷たい光源が、無機質な影を床に落としていた。
「・・・広いな。」
「嫌な気配がする。警戒しろっ。」
中央に進んだ冒険者の一人が注意を促したの同時、三方に口を開けた通路から怪しげな影が溢れ出す。闇の底から這い上がるように、無数の魔物が次々と姿を現した。
「来やがったっ・・・!」
「数が・・・多すぎるっ。」
剣や槍を握る音、爪を擦り合わせる音、低く唸る咆哮。それらが重なり合い、空気を震わせて広間を満たしていく。
「後ろもだっ。塞がれたっ!」
振り返れば、自分たちが通ってきた背後の通路からも同じように群れが押し寄せていた。退路はすでに閉ざされ、四方を埋め尽くす魔物の波が迫る。
「・・・くそ、出口がねぇ。」
「囲まれた・・・?」
現れた魔物の数は測れない。ただ、壁も床も魔物で埋め尽くされる未来しか想像できなかった。広間は一瞬にして、生還の道を持たぬ絶望の檻と化した。
冒険者たちは迫り来る魔物の群れに対し、即座に陣を組んだ。非戦闘員であるギルド職員二人を中心に置き、その周囲を冒険者たちが囲むように守りを固める。
最初に押し寄せてきたのは、骸骨兵やゴブリンといった低級の魔物たちだった。
「落ち着けっ。こいつらなら対処できるっ。」
剣が振るわれ、槍が突き出され、骨が砕け、緑色の血が床に飛び散る。数こそ多いが、冒険者たちの連携が保たれている間は押し返すことができた。
しかし、倒しても倒しても一向に減る気配が無かった。
「・・・おい、いったいどうなってんだっ。なんで止まらねぇんだっ。」
途切れなく現れる群れに、不安の声が漏れる。やがて、出現する魔物に変化が現れる。体格の大きなオークが棍棒を振りかざし、鈍く光る刃を持つホブゴブリンが前へ躍り出る。さらに、牙を剥いた狼型の獣や、羽音を響かせる巨大な昆虫まで混じってきた。
「強い・・・さっきまでの奴らとは違うぞっ!」
「数が多すぎる、斬っても斬っても追いつかねぇ!」
恐怖に取り乱す者が出る一方で、冷静さを失わない声もあった。
「陣を崩すなっ。後ろの職員を守れっ!」
「怯んだら終わりだ、踏み止まれっ!」
広間には剣戟と魔物の咆哮、羽音と骨の砕ける音が混じり合い、そして冒険者たちの叫びが混じり合い、生き残りの可能性を嘲笑うかのように絶望に向けて加速していく。
絶望に抗う冒険者たちの中、ひとつの絶叫が緊張感を満たす空間を鋭く裂く。振り向いた冒険者の視線が、信じられない光景を捕らえる。武器など持っていなかったはずのギルド職員が、冷静な顔で剣を握って立っていた。
一瞬、時間が止まったように感じられた。剣先は既に、一人の冒険者の腹に突き立てられている。白い布が赤くにじみ床に鮮血が滴り落ちている。刺された冒険者の顔が驚愕と痛みで歪む。
「裏切りだっ!」
苦痛と薄れゆく意識の中で必死に叫び崩れ落ちていった。群れとの戦いで手が塞がっている者たちは、振り向き事態を把握するが対応する余裕がまったく無い。
職員の声は静かで、それが余計に凄惨さを際立たせた。
「悪いが・・・お前たちにはここで全員、死んでもらうっ。」
職員はためらいことなく次の標的へと剣を振るった。盾で受け止めようとした剣士の腕が切り裂かれ、槍手が懸命に突きを繰り出すも、背を向けた相手に深い一刀を受けて膝を折る。混戦のすき間を突くその動きは無駄がなく、冷たかった。恐怖と怒りを混ぜて怒号が飛び交うが、誰も即座に手を止められない。眼前では魔物が迫り、その背後には増え続ける群れが押し寄せる。
もう一人の職員も短剣を抜き、蒼白な顔を別人のように歪めながら冒険者の背へと突き立てる。二人は息を合わせるかのように動き、守るはずだった中心から仲間を切り崩していった。
広間の空気は一瞬にして血と鉄の匂いで満たされる。
「なぜだっ。」
誰かの叫びが混じるが、答えは返ってこない。裏切りの理由、裏切られる理由、誰ひとり何も知る由はなかった。ただひとつ明らかなのは、戦場がさらに混迷へと沈んで行くということだけだった。
裏切った職員二人を相手取る数人の冒険者。だが、その応戦は前線から戦力を削ぎ、前線の維持を難しくしていった。
「押し返せない・・・崩れるっ。」
「くそっ、数が・・・。」
一瞬の綻びが全体に広がり、魔物の群れが傾れ込む。冒険者たちは声を荒げて必死に抗おうとするが、後退する足は止まらず、広間を覆う咆哮に心が軋んでいく。刃は鈍り、腕は痺れ、もはや死を悟るしかない、誰もがそう思ったその時。
轟音と爆発音が広間に響き渡り、黒煙が立ち込める。後方の魔物が衝撃で巻き上げられ、炎が全てを飲み込んでいく。驚愕と怒号が交錯する中、煙を切り裂いて影が飛び込んでくる。
先頭に現れたのはリュカとフレイア。二人の両の手には刃の代わりに、淡く蒼いエーテルを凝縮して伸ばした鋭い爪が煌めく。続いて姿を現したテオドールは、拳を固めて魔物の群れへと叩き込む。拳に纏った蒼いエーテルが閃光を放ち、振り下ろされた一撃は爆音と共に衝撃波を生み、正面の魔物をまとめて粉砕し吹き飛ばす。
最後にアヤメの炎を纏った矢が魔物の群れに向かって疾風する。
「増援だっ!」
「助かった・・・まだ、戦えるっ!」
絶望に沈みかけていた広間に、再び生の気配が流れ込んだ。飛び込んできた四人の活躍で、広間の空気が一変する。リュカとフレイアの爪が閃き、魔物の群れを次々と切り裂く。テオドールの蒼い拳が炸裂するたび、衝撃波が押し寄せ、前方の群れをまとめて吹き飛ばした。
押し込まれた冒険者たちは息を吹き返し、乱れていた陣形が持ち直していく。その中で、ただ一人、アヤメだけは中央で小競り合いを続けるギルド職員の姿を見逃さなかった。二人のギルド職員に違和感を感じたアヤメは、鋭く研ぎ澄ました眼差しを二人に向ける。
「テオ、リュカ、フレイア、魔物の対処は任せるっ。」
短く言い残し、アヤメは職員たちの方へと駆けた。
「ここは僕が引き受ける。下がってっ。」
ギルド職員の相手をしていた冒険者を下がらせると、アヤメは一歩前へと出る。二人の職員は返り血を浴びながらも冷ややかに剣を構え、アヤメを見据える。
アヤメは持っていた弓をストレージにしまいながら、静かに言葉を投げた。
「・・・君たち、嘆哭者だよね。」
その声には迷いがなく、事実を確認するかのような鋭さがあった。アヤメの問いに、二人の職員は何も答えなかった。
その沈黙は、返答よりも重く広間に響く。
アヤメの眼差しが鋭く細められる。
「・・・その沈黙は、肯定だと判断するよっ。」
次の瞬間、二人の身体を覆う衣服が揺らぎ、まるで皮膜が剥がれるように変質していく。血に染まった職員服は闇に溶けるように崩れ落ち、その下から漆黒の法衣が露わになった。顔には感情を隠すように、無機質な白い仮面。
二人はまるで一つの意志を分かち合うかのように動きを揃え、殺意を剥き出しに凶刃を振るう。襲い来る二つの影に、アヤメは素早くストレージから二振の刀を取り出す。迫る二本の剣を易々と受け止めたアヤメは、そのまま舞を踊るよう身体を翻す。二刃が軌跡を描くの同時に、地に武器を落ちる音が重なりながら響く。そして紅い鮮血が石床を染める。
刀に付いた血を振り落としながら、アヤメは冷たい視線を向けて告げる。
「その程度じゃ、僕を殺せないよっ。」
肘から先を無くした黒衣の二人は、一瞬だけ視線を交わし周囲を確認した。魔物の数が、目に見えて減っていた。リュカとフレイアの爪が閃き、テオドールの拳が群れを吹き飛ばし、冒険者たちも必死に踏み止まっていた。
「・・・あのガキども、想定外だな・・・。」
「・・・作戦は、失敗か・・・。」
低く囁かれる声は仮面の奥に吸い込まれるように淡々としていた。彼らが果たすべき役目、冒険者たちをここで全滅させること。その計画はもはや潰えた。次の瞬間、二人の影が揺らめき、黒い靄に溶け込むように姿が掻き消えた。
追撃しようとアヤメが踏み出したが、そこには既に空虚な闇だけが残されていた。
「逃げちゃったか。」
アヤメは小さく呟き、息を吐くと刀をストレージへとしまう。そして黒衣の二人組が消えた空間を、鋭く睨み続けていた。
その周囲では、数が減ったとはいえ尚も魔物が押し寄せていた。テオドールが、リュカとフレイアが魔物を必死に駆逐していた。同様に奮戦している冒険者たちの視線が、戦場の只中で交錯する。彼らの目には、信じ難い現実が映っていた。
幼いの子供たち。
迷宮に潜る前、「無謀だ」と嗤い、「子供のお遊び」と嘲っていた存在。その幼い背が今、自分たちを救っている。その現実に胸を抉るような屈辱と、不甲斐なさが去来する。生き延びられるという安堵。複雑に絡み合った感情が喉を塞ぎ、誰も言葉にできない。
だが、考える暇などなかった。
「くそっ、前を押さえろっ!」
「下がるな、まだ生き残れるっ!」
叫びと共に剣を振るう。抱いた感情のすべて胸の奥に押し込み、ただ迫る敵を倒すために。
今はそれしかなかった。
周囲を見渡したアヤメは、冒険者たちの動きに陰りが出ているのに気付いた。声を張り上げ、気力を振り絞っているが、呼吸は乱れ、武器を握る手が震え、集中が保てなくなり始めていた。このままでは陣形が崩れ、再び押し潰されるのは時間の問題だった。
アヤメは弓を引き抜き、真上に向かって矢を番えた。
「・・・みんな、僕のそばにっ!」
アヤメの鋭い声に、テオドールがリュカとフレイアを抱えるようにして駆け寄り、冒険者たちも慌てて後退し、アヤメの周囲に集まる。
その光景を確認すると、アヤメは深く息を吸い、張り詰めた弓を解き放った。
「紅蓮焔雨っ!」
解き放たれた矢は炎を纏い、光の筋を描きながら天高く舞い上がる。一定の高度に達した瞬間、空で巨大な炎の花を咲かせた。炎の花は破裂するように広がり、そこから紅蓮の雨が降り注ぐ。
燃え盛る矢雨は降り注ぎながら無数の魔物を焼き貫き、広間全体を紅の光に染め上げていく。
断末魔の咆哮が連鎖し、やがてその声もかき消された。残されたのは焦げた魔物の残骸と、立ち尽くす冒険者たちの荒い息だけだった。
紅蓮の雨が収まり、広間に静寂が戻る。
生き残った冒険者たちはその場に崩れ落ち、荒い息を吐きながら互いに顔を見合わせた。
「・・・生きて、る・・・。」
「終わった、のか・・・」
切り抜けたことによる安堵が胸を満たす。だが同時に、地に伏した仲間の姿が目に入る。
四人の犠牲。その現実が、空気を重く沈ませていた。
リュカとフレイアはその場に膝をつき、涙を浮かべながら呟いた。
「僕たちが・・・もっと早く来ていれば・・・。」
「・・・ごめんなさい・・・。」
アヤメは二人のもとへ歩み寄り、そっと頭を撫でた。
「二人のせいじゃないよ・・・。」
優しい声音に、二人の肩が小さく震える。
その時、軽やかでどこか愉快そうな声が広間に響いた。
「そうそう、リュカちゃんとフレイアちゃんのせいじゃないわぁ。決してねっ。」
振り向くと、そこにはエリーとヴェインの姿があった。エリーは艶やかに笑いながら、容赦のない言葉を投げる。
「そもそも、冒険者は自己責任よぉ。それに外見で強さを判断するなんて・・・冒険者、失格ねっ。」
平然と告げられたその一言は、鋭く胸を抉った。だが反論できる者は誰ひとりいなかった。冒険者たちは抱いた鬱屈した感情を、ただ黙って飲み込むしかなかった。
戦いの余韻が静まり、広間には荒い息と血の匂いだけが残っていた。負傷者は多く、犠牲となった仲間の姿もある。だが援軍の到着によって、最悪の全滅だけは免れた。
冒険者たちは壁際に身を寄せ合い、互いに手当てをしながら状況を振り返っていた。
その中の一人が、震える声で口を開く。
「・・・この広間に最初に入ったとき、道は四つあった。」
「四つ・・・ですか?」
テオドールが首を傾げる。
別の冒険者が頷き、誰も通って来ていない道に視線を向けながら続ける。
「そうだ。俺たちが入ってきた道が一つ。援軍で来てくれたお前たちの道が二つ。残りは、あと一方向だけだ。」
その事実が、選択肢を一つに絞っていく。アヤメは冒険者たちの言葉に耳を傾け、小さく頷いた。
「・・・なら、進むしかないねっ。」
アヤメが次のとるべき行動に同意した。
冒険者たちの顔には疲労と不安が色濃く刻まれていた。本来ならば、ここに留まる方が危険かもしれない。だが今のままでは、剣を握る手も、魔法を紡ぐ声も、まともに保てそうになかった。
アヤメは一同を見回し、静かに頷いた。
「・・・仕方ないかな。危険はあるけど、少し休もう。」
誰も反論しなかった。死地を越えた直後の身体は、限界に近かった。こうして一行は、広間に簡易な陣を築き、短い休息を取ることを決めた。
一時の休息後、彼らは、先へと歩を進めた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
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