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公休日当日、アマーリエは下宿先の部屋のクロゼットをひっくり返し、ああでもない、こうでもない、と散々に迷った。
公爵家出身のバーナードはきっと休日とはいえお召し物も高級品だろう。
対する自分は、それなりに高給取りではあるが、貴族の家に生まれた彼と同じレベルの品物を揃えられるほどの給金はもらっていない。
どうしよう、と唸りに唸って、今年仕立てた外出着を身に纏った。
金茶の髪に映える鮮やかな青色のスカートには可愛らしいスズランの刺繍が施されている。
待ち合わせの場所はセトルバーンの中心にある大広場の一角。
この国で二番目に大きな街で、二つの街道が交わる中継地点でもあるためとってもにぎやかだ。
辺りをきょろきょろと見渡すアマーリエは自然とある方角へと視線が吸い寄せられた。
他の女性たちも同じく、だ。
とある店の立てかけ看板の近くに佇むのは怜悧な美貌を持つ長身の青年。白銀の髪が陽の光を反射し輝いている。ただ立つだけのその姿は、とんでもなく絵になっている。
「お待たせしました、団長」
「……」
『当たり前だがローブ姿ではない! なんていう可愛さだ! 女神か? 天使か?』
黙り込んだバーナードであったが、心の声は本日も非常に多弁であった。
彼の前で私服を披露するにあたり、出かけにあれだけ悩んだのだ。
『まずい……。いつもはローブの合わせで隠れている胸元が今日は隠されていない。ああ……柔らかそうだ』
「……」
胸元をそう強調した意匠でもないのだが、普段から想像力豊かなバーナードにはアマーリエが何を着ていても一定の方向への妄想に極振りするのかもしれない。
『こんなにも可愛い私服なら、着たままというシチュエーションもありだな。路地裏に連れ込んでスカートの裾を持ち上げればできる』
黙り込んだバーナードが垂れ流す妄想に羞恥心が爆発しそうだ。
ここまで下心があると分かっている男性とどうして本日一緒に出かけることを了承したのだろうか。
アマーリエは思わず遠くを見つめた。
『そうだ。今日のアマーリエは特別愛らしいのだから、私以外にも同じことを考えている不埒な輩がいるかもしれん』
きょろきょろあたりを確認するのはいいけれど、アマーリエとしては目の前の御仁が一番に不埒者である。
「……団長、ひとまず移動しましょうか」
美貌の青年があちこちにガンつけるという絵面に耐えきれなくなったアマーリエである。
「そ、そうだな」
頷いたバーナードが腕を不自然に横に出した。
「……?」
じっと見上げるアマーリエの隣で、何かに気がついたかのようにバーナードがぼそぼそと呟いた。
「すまない。今日は夜会などはないから、エスコートは……必要なかったな」
「あっ! わたしこそ、すみません。団長に恥をかかせてしまいました」
彼に言われてアマーリエは始めて彼の意図に気がついた。
バーナードは公爵家の次男のため、一年に一度の休暇の折には王都へ赴いているし、近隣の貴族が催す夜会に招かれもしている。
きっと彼にとっては染みついた習慣なのだろう。
心の中が残念すぎるせいでうっかり忘れていたバーナードとの身分差を実感する。
「いや……そもそも、きみは、コリーと出かけるのが嫌で私を口実に断ったにすぎないのだろう。それなのに今日律儀に約束の時間に現れて……。きみは女神なのか……」
「ええと……」
アマーリエは目を泳がせた。
彼の心の中から聞こえた本音に物騒なものが混じり始めたので、と言うわけにはいかない。
「コリーは最近彼女ができたそうなので、同期とはいえ二人で出かけるのはどうなのかなぁと」
苦しい言い訳を口にしてみる。
そして心の中で、勝手に彼女持ちにしてごめんと、コリーに謝っておいた。
「そうか。あいつ、恋人ができたのか」
バーナードの口角が僅かに上がった。本当に、ものすごーく本当に僅かであったが。
「あ」
「どうした?」
「いいえ」
発見したそれに胸の奥で何かが弾けた。まるでぴょんとウサギが飛び跳ねたかのようだ。
先ほどバーナードの妄想の垂れ流しにドン引きしたというのに。どうしてだろう。
「ええと、又従兄の義理のお姉様の……」
長すぎて忘れてしまった本日の口実たる人物設定である。
首を傾げながら、お姉様の夫か父か伯父かどれだっけ、と唸っていると、横から「又従兄の義理のお姉様の妹の旦那様の従姉妹の誕生日プレゼントだ」と助け舟を出された。
さすがは頭脳明晰な御方だ。こんなことまで完璧に覚えていたとは。能力の無駄遣いとはこのことではないだろうか。
「その設定の人物向けのプレゼントでしたら、高級なお店に行った方がいいですよね。あ、でも貴族の家の人って、店に足を運ぶのではなくて、店の人間を呼びつけるって聞きました。店側も一般客とは違う特別に高級な品物をお屋敷に持参するのだとか」
「確かに我が家にも定期的に御用聞きの商人が出入りをしていたが、今日は普通に買い物がしたい」
大真面目な口調で返されたアマーリエは少しの間考えた。
彼をどの店に案内するかについてを。
「高級なお店となると大通りにある『ラメル』でしょうか。セトルバーンの市長の奥様もご愛顧しているのだとか。又従兄の義理のお姉様の妹の旦那様の……娘さんでしたっけ? にぴったりな宝飾品が売っているかもしれません」
「そこは従姉妹だ」
ぼそりと突っ込まれた。
もうそろそろこの設定止めにしたい。
「高級店よりも、私はきみがよく行く店がいい」
「え?」
「いや! 別に他意はない。他意は。ただ、団長として、部下たちが普段どういうものを話題にしているのか知りたいと思ってだな! そう、これも一種の職務だ。部下たちとの円滑な交流を促進するという目的であって、決して誰か個人の趣味趣向を知り尽くしたいとか、店の前を張って偶然を装って出会いたいなどという不埒な考えがあるわけではない!」
「……」
なんということだろう。バーナードは心の声が口からだだ洩れではないか。
唖然とするアマーリエの様子に、バーナードが目を見開いたまま硬直した。
「っ……」
『まずいぞ。勢いで言わなくてもいいことまで口走ってしまった。デートに浮かれすぎだぞ、自分! これでは団長キモ……と思われてしまう。そうなったら、立ち直れない……。もはや旅に出るしかない』
今度は心の声が脳内に響いた。
そのどちらもが、アマーリエに嫌われたくないという思いばかりで。
こんなことくらいでそこまで思いつめてほしくはない一心で、気付けば口を開いていた。
「部下のことを知ろうとしてくれる上司は素敵だと思いますよ?」
「え……?」
「わたしも……、今日は団長のことを知りたいと思います」
「私のことを……?」
「はい。本音を申しますと……今日、会話が続くかなと不安に思っていたのですが、ちゃんと会話が成立していて、普通に話せていることが……楽しいです」
「楽しい……」
「あ、すみません。上司との会話が楽しいだなんて、軽率というか、馴れ馴れしいですよね」
「いや、構わない! 私も、嬉しく思う」
「じゃあお揃いですね」
何やらおかしくなってくすくす笑うと、バーナードが口元を綻ばせたように感じた。
「あ」
「どうした?」
「今……微笑まれましたよね?」
「本当か?」
どうやら無意識だったらしい。
すでに彼の表情は平常運転、つまりはぴりぴりとした冷厳さを身に纏った険しい顔に戻っている。
どうしてだろう。今では以前のように彼のその表情を怖がってはいないことに気がついた。
架空の人物の誕生日プレゼントを探すという不思議な使命のもと、アマーリエはバーナードを行きつけの雑貨店に案内した。
ガラス玉や一般市民でも手が出せる輝石でできた耳飾りや首飾りを一緒に眺めたり、ガラスでできた香水入れにうっとりしたり。
魔法関連の書店はこっちがおすすめだとか、文房具店ならグロース通り三番地のお店がイチオシだとか、取り留めなく話しながら街を散策した。
文具店のショウケースを眺めるさなか、何も考えずに先日新調したペンを指さすと、隣から『アマーリエとお揃い……いや、色違いでいいから買いたい。引かれるだろうか。見つからなければアリなのでは?』という心の声が聞こえてきた。
団長と色違いと思い浮かべれば、何かむずがゆくなる。別にそういう意味で口にしたわけではないのだけれど。
でも、そわそわしながら店に一人入るバーナードを想像すると、どうしてだか胸の奥がきゅんとしてしまった。
「そ、そろそろお昼にしましょうか」
気がつけば正午はとっくに回っていたどころか、お昼時のピークも終わりに差しかかっていた。
「そうだな。今日の礼だ。何でも好きなものを言ってほしい。私のおごりだ」
「いいのですか?」
「私は団長だ。部下に奢るくらいの甲斐性くらい持ち合わせている」
「ふふ。団員全員だと百人以上いますよ?」
「どんとこい」
「頼もしいですね。では、せっかくなので甘えさせていただきます」
ここで固辞して上司に恥をかかせるのも本意ではない。
でも、貴族の舌に合う店に予約もなしで入れるのだろうか。ドレスコードも心配である。
「私は野営の経験もある。兎やら鹿やらを仕留めて団員たちで囲むこともある。だからそう気負わなくていい」
「はい!」
どうやらこちらの考えごとはお見通しであったようだ。
では、と案内した食堂で、そのきれいな食事風景にこっそりドキッとしてみたり、伏せた瞳の白銀の睫毛の長さにちょっぴりジェラシーを感じてみたり。
今日一日で随分とたくさんのバーナードを知った気がする。
「ええと、結局何を買うことにしましたか?」
「そうだな……」
食堂を出たアマーリエはバーナードに尋ねてみた。
一応今日のお出かけの名目ではあるが、又従兄の義理のお姉様の以下略は元々はアマーリエの創作上の人物である。
「一応……目星はつけてあるのだが」
そう言ってバーナードはちらちらとアマーリエの方を窺ってくる。
もしかしたら。
「あ、ちゃんと商品購入までお付き合いしますよ。男性一人では入りにくい場合もありますよね!」
「……いや、そういうわけでは」
何か要領を得ないバーナードではあるが、もしかしたら商店での買い物自体がはじめてなのかもしれない。貴族は確かお金を持ち歩くことはなく、後ほど家に請求書が回り小切手で払うのだそうだ。
(あれ? でもさっきの食堂ではお会計時お金を出していたわよね。……金貨だったけど)
食堂のおばちゃんの顔がぴしりと固まり、お釣りを用意してくると言い裏口から慌てて出て行ったことを思い出す。
会話をしながら街中を流れる運河に差しかかった時。
「あんなところに子供がいるぞ」
「そういえば昨日もいたな」
「捨て子か?」
通りすがりの人々の会話が耳に流れ込んできた。
低い位置を流れる運河の両岸は煉瓦道で舗装されている。橋の麓に子供が一人うずくまっているのが見てとれた。
「あの。昨日からって本当ですか?」
気になったアマーリエが尋ねると、先ほど件の子供について話していた男は「あ、ああ。目立つ髪色だからな。確かにあの子だった」と頷いた。
うずくまった子供の髪は薔薇色で、あのくらいはっきりした色味は確かに珍しいし目立つ。
「置き去りか迷子か、どのみち保護しないと」
「そうだな。何か食べさせてやる必要もあるかもしれない」
アマーリエの呟きに即座に返答があった。
バーナードを見上げると、彼はすっかり騎士団長の顔へ戻っていた。おそらく自分も同じだろう。
二人で近くの階段から運河に降り、子供に近寄った。
「こんにちは。どうして一人でいるの? お母さんは? はぐれてしまったの?」
アマーリエがゆっくり話しかけると、子供がぱっと顔を上げた。
驚くほどに整った顔立ちをしている。男の子だろうか、女の子だろうか。
衣服を見る限り、男の子のようだ。
これは早急に保護しなければ、どこぞの悪党に目をつけられたら攫われてどこかに売られてしまう未来もあり得る。
薔薇色の髪に濃い緑色の瞳の少年は、まずアマーリエを見つめ、それから焦点を後ろへやった直後、ビエェェェと泣き始めた。
思わず振り返ると、無表情で固まったままのバーナードがそこにいた。
(な、なるほど……)
騎士団の人間ですら吹雪の騎士団長と呼ぶほどの冷徹顔面の持ち主である。
それを子供の前に出せばどうなるか。
こうなるのだというのを目の前の少年が体現していた。
「怖くないわよ~。一見すると表情筋が固まって常に不機嫌に見えるけれど、実は優しいのよ。大丈夫。お姉ちゃんがついているから。ほら、ここにいたらお母さんが見つけられないかもしれないし、まずは騎士団の建物に行こうか? ごはんもあるわよ~」
少年を宥めたい一心で本人を目の前にさりげなく失礼なことを口走るアマーリエである。
一方の彼はえぐえぐ泣いていたけれど、ごはんという単語にぴくりと耳を動かした。
「お腹……すいた」
「よし。じゃあ行こうか」
顔を上げた少年はぎゅぅっとアマーリエに抱きついた。膝を地面に着けた状態のため、位置的に少年がアマーリエの胸に顔を埋める格好となる。
「なっ――!」
上から恐ろしいうめき声が落ちてきた。
「うわぁぁん!」
どこぞの悪魔も逃げ出すほど、瞳の中に殺気が混じっている。お願いだから子供相手に止めてほしい。泣いてしまったではないか。
(あれ?)
ふと違和感に包まれたが、まずは再び泣き出した少年を宥めるのに必死になって忘れてしまった。