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『ヤりたい……』
「え……?」
突如頭の中に響いたバーナードの声に、アマーリエは固まった。
目の前にいらっしゃる吹雪の騎士団長、バーナードを見上げる。
「どうした?」
「い、いえ……何でもありません」
アマーリエは慌てて首を振った。
今のは空耳だ。絶対にそうだ。
だって、彼は今日も今日とて氷のように冷厳で表情一つ変えない様相で自分を見下ろしている。その眼差し、凍てつく吹雪のごとし。
その彼がヤり……。そのような性欲を持て余した思春期の少年のような台詞を垂れ流すだなんて。そんな、まさか。
『うっ……。今日もアマーリエが可愛すぎる! 何なんだ、あの上目遣いは! 私を殺す気か? もう少しで呼吸が止まるところだった。いや、止めてはアマーリエとヤれるかもしれない未来を潰すことになる。息だけは止めるな、自分!』
そんな彼を前に、次の瞬間やっぱり先ほどのように頭の中にバーナードの声が響いた。
しかも今度はそれなりに長い台詞であった。
「ええ!」
「どうした?」
突如大声を上げたアマーリエを前にバーナードの眉間に皺が寄る。
その表情、凍てつく氷の上を歩く雪熊もビックリなほど恐ろしい……。
「な、何でもありません」
アマーリエはくるりと回れ右をして、その場を走り去ったのだった。
全力疾走する彼女の隣には、人型の小さな妖精が飛んでいて、
――ほおら、怖がることないでしょう? あの人ったら、頭の中はとっても可愛いじゃない――
と、けらけら笑っていた。
「あ、あんたのせいかーーーー!」
アマーリエの渾身の突っ込みが青空の下で炸裂した。
ことの発端は数時間前、お昼を少し過ぎた頃のことだった。
アマーリエはセトルバーンの街からそう遠くない森を見回り中だった。
助けを呼ぶ女の子の声が聞こえたのは、三十分ほど経った頃のことだったか。
――いや~、やめて。やめてったら――
切羽詰まった感情のこもった声は、少女特有の高い声である。それに導かれ、道なき道を突き進み、眼前に現れたのは開けた空間と小さな泉だった。
その泉の上を光の玉が飛んでいる。
――やめて。わたしの泉を汚さないで!――
「もっと流せ。この泉を汚せば妖精の力も弱まる。そうすれば俺たちでも捕まえることができるぞ!」
泉の近くにいるのは数人の男たち。彼らの側には十数個のバケツが置いてあり、それらの中身をせっせと泉へドボンしている。
「そこのあなたたち! 不法投棄は止めなさいっ!」
アマーリエに気がついた男たちは、「げっ! 騎士団所属の魔法使いじゃねぇか!」「やばいぞ」などと言いながら逃げ出そうとする始末。
「逃がさないわよ!」
ひとまず拘束魔法を使い、男たちを捕縛した。自分の実力でもどうにかなった相手でよかった。何かあれば応援を呼べるのだが、同僚は森の別の方角を見回り中だ。すぐに駆け付けられるかは分からなかった。
泉の水は濁っていて、そのせいで宙に浮く光の玉、おそらく妖精なのだろう、は弱弱しい。
アマーリエは魔法を使い、できうる限り浄化をした。
――ありがとう、魔法使い。あとは自分でもどうにかできそうよ――
一度ぱっと強く光が弾けたと思ったら、目の前には可憐な少女の姿があった。
水に属する妖精だからだろう、青い髪に深い碧色の大きな瞳が印象的だった。見た目はアマーリエよりも若く見え、十代中頃のようなあどけなさだ。
手のひらに乗るほどの小さな姿かたちは、妖精特有のもの。
その妖精が両手を胸の前に組んだ。
すると、泉が輝きだした。十数秒後、泉の水の色は澄んだものへと戻っていた。
ホッとしたアマーリエは別の場所へ見回りに行こうと、足を踏み出した。
それを妖精が止めた。
――ちょっと待って。あなたへのお礼がまだよ――
アマーリエの目の前に小さな体がずずいと迫る。
――ここで恩を返せないとあったらわたし、この泉の管理を任せてくれた上司に会わせる顔がないわ――
「そんなこと言われても、ご覧の通りわたしは人間の世界の雇われ魔法使いよ。ここはセトルバーンの街からも近いでしょう? 普段から旅の傭兵や魔法使いの通行が多いの。だから、彼らの中で悪さをする人がいないように定期的に森や周辺を見回るのがわたしの仕事。だから、あなたがそこまで恩を感じることでもないのよ」
アマーリエは分かりやすいようにゆっくりした口調で言った。
セトルバーンの街中や周辺の街道沿いの治安維持がアマーリエたちに課せられた使命だ。人助けも妖精助けも任務の一つである。
とはいえ、こうして誰かの役に立って感謝をされるのは悪い気はしない。今日はごはんが美味しく食べられそう。そう思えることだけで十分だ。
――だめよ、だめ。お礼をさせて。ほら、貴重で可愛い妖精さんがお願いを叶えてあげるって言っているのよ! ここはどーんとお願い事する場面でしょう――
アマーリエの顔付近で妖精はキンキンと高い声を出しながら飛び交う。正直、羽虫よりも面倒くさい……と、思ってしまった。
――あ、あああ~、今、めんどくさって顔したわね! もうもう! お礼をさせてくれないあなたがいけないんじゃないっ!――
しかも羽虫と違ってこちらの僅かな表情筋の動きを察知する能力まで持ち合わせている。
これはもうとっととお願いごとを言って解放してもらおうか。
などと考える前にアマーリエにはまだ後始末が残っているのだ。
キンキンうるさい妖精は放っておいて、同僚を呼びよせ、拘束した男たちをセトルバーンへと連行した。騎士団の詰め所へ引き渡し、一時拘束された彼らは、取り調べの上しかるべき罰が与えられるだろう。
よし、今日もよく働いたな。夕食は何かな。と、下宿先であるケストナー夫人の手料理を思い浮かべていると、耳元で金切り声が響いた。
――ちょっと。ちょっと。わたしの存在を無視しないでよう――
「うわっ! まだいたの? というか、ついてきたの?」
なんと、あの妖精がすぐ間近にいるではないか。
――当たり前でしょう。あなたにお礼をしないと、わたし皆に薄情者だって後ろ指を刺されちゃうわ――
その存在自体、すっかり忘れていた。
「アマーリエ、その光の玉が助けた泉の妖精ってやつか?」
「え、ええ。なんか、ついてきちゃったみたいで」
「あはは。すっかり懐かれたな」
同僚が呑気な声で笑っている。どうやら目の前の妖精は、同僚にはその正確な姿も声も見せてはいないようだ。
彼は片手をひらひら振り「おつかれさま~」と言い、立ち去った。
そろそろ勤務終了時間だ。
「じゃあわたしも上がろうかな」
――ちょっと。わたしの存在を無視しないでよ――
「でもねえ。お願いごとって言われても、わたし今困っていることなんか特にないし……」
と言うアマーリエの語尾が途切れた。
騎士団の建物から一人の男性が出てきたからだ。
白銀のさらさらした髪にすらりとした長身。すっと通った鼻筋に冷たさを宿した切れ長の紫色の瞳。一言で言えば滅多にお目にかかれない美丈夫である。
「げ……」
その美貌の彼を前に、表情筋を固めるのは騎士団所属の人間なら誰もが一度や二度の経験はあるだろう。
彼、バーナード・ヘルツオンはこのセトルバーン騎士団の団長を務めており、魔力も高く剣の腕も抜群で、頭も切れる有能な人物なのだが、いかんせん愛想というものがなかった。
真っ直ぐに引き結ばれた唇に常に変わらない表情筋。ついた二つ名が吹雪の騎士団長である。真冬の吹雪と同レベル並みに怖いという意味である。
――あら、あなた。あの人のこと苦手なの?――
「え、ええ。優秀で公平なお人なのは分かっているんだけど……、あの通り厳しい表情をされているでしょう? 何を考えているのか読めないし、わたし、何かと注意されることが多くて」
――ふうん? あ、じゃあわたしがあの男を消し炭にしてあげたいところだけれど、わたし人を殺すことができないの。そこまで力が強くないから――
「強くなくて心底よかったわ……」
さらりと物騒なことを宣う妖精である。力の制限があって本当に良かったと安堵した。
――人の子にしては美しいと思うけれど、人間て色々と複雑なのねえ――
「あの見た目に騙……ゴホン。惚れてアタックをした女性たちも数秒で玉砕したっけ。公爵家の次男なんだけど、そっち方面からくる縁談も、愛想のなさに令嬢の方が怯えてお断りをしてくるそうよ」
――ふうん――
その騎士団長、バーナードはアマーリエに向けてずんずんと歩いてくる。
もしかしたら、今日の報告書をさっさと書いて寄越せという催促かもしれない。
でも一緒に回っていた同僚も帰宅をしたし、終業時間間近だし、規定では翌々日までに出せばいいことになっている。
だが、何を考えているか分からないバーナードを前にすると体が固まってしまい、頭の中に浮かんだ台詞が全てすっ飛んでしまうのだ。
「はあ……。騎士団長の考えていることが分かればいいのに」
――それが願いね! 受理したわ――
思わず吐き出してしまった呟きに、嬉々とした返事があった。
「え……?」
呟くアマーリエの体の周りを妖精が一周飛んだ。
そして――。
――あの男、表情筋死んでるわりに心の中は大変に表情豊かだったわねー――
そんな声が走るアマーリエの耳元で聞こえた。
「ちょっと。急に頭の中に団長らしき人の声が響いたんだけど⁉」
アマーリエはくわっと大きな声を出した。
――そりゃあそうでしょう~、だってそれがわたしからの祝福だもの。あなたが、あの白銀の彼の考えていることが分かればいいのにって願いを口にしたから、心の声が聞こえるようにしてあげたの――
「それなし! なし、なし! 単なる呟きだもん!」
――ちっちっち。騎士団長の考えていることが分かればいいのにって、願望だったじゃない。今更取り消しは無理よ。もう祝福の魔法をかけてしまったし――
キュキュッと急ブレーキをしたアマーリエは妖精に向き直る。
「じゃ、じゃあこれからずぅぅっと団長の心の声が聞こえるってこと?」
――それはあなたの……――
と、何かを言いかけた妖精はぴたりと口を閉ざし、それから明後日の方向に顔を動かした。
――あら。上司が呼んでいるみたい――
「上司?」
――わたし行かなくっちゃ――
「え、ちょっ」
妖精がアマーリエの頭上へ舞い上がる。
空を見上げたアマーリエに対して、妖精はウィンクをしたのちににこやかに言った。
――お願いごとは叶えてあげたから~。じゃあ、あとは頑張ってね☆ バイバーイ――
ぶんぶんと大きく手を振ったのち、妖精は空の彼方へと消えた。
呆然と佇むアマーリエを残して。
「ちょっとぉぉ! 変な魔法かけたんだったら責任くらいもちなさいよぉぉぉ!」
その叫びは空に吸い込まれたのだった。
アマーリエは一呼吸してから再び歩き出したのだった。
翌日、アマーリエは昨日の報告書を上司に提出するため騎士団本部の廊下を歩いていた。
複数ある棟のうち、最奥にある幹部棟へ足を踏み入れたアマーリエの前にバーナードが現れた。
「そういえば昨日の報告書を受け取っていなかった」
「は、はい! 今持参するところでした!」
突如現れたバーナードは本日も冷たく冷厳で、何の表情も乗せていない。
『今日もアマーリエは最高に可愛いな! 上目遣いがやばすぎる。その表情で私の〇〇を咥えて……気持ちいいですか、とか言われたら。まずい、うっかり妄想したらアレが硬くなって……』
「は……?」
「どうかしたのか?」
「いいえ」
心の声に思わず突っ込みをしてしまったアマーリエを訝しげに見下ろすバーナード。
アマーリエは慌てて首をプルプルと振った。
『まさかうっかり妄想が顔に出ていたのか? まずい、もっとしっかりせねば』
その声と同時にバーナードの目が据わった。
なるほど、突如目つきが凶悪になった理由は理解したが、いかんせん怖すぎる。今しがた一人殺りましたと言われても信じてしまいそうなほどの表情だ。
「あ、あの。報告書です……」
「ああ」
手渡したからさっさと退散しようと踵を返しかけたアマーリエをバーナードが「待て」と呼び止めた。
「今精査する」
『アマーリエとの二人きりの時間のために一時間も前から張っていたんだ。もう少し、彼女の側にいたい。匂いを嗅ぎたい、触りたい。持ち帰って一緒に風呂に入ったあとに夜通し抱き潰したい』
という心の声が響く中、バーナードが書類の黙読を始めた。
なるほど、いつも報告書を即読み始めていたのはこのような理由があったかららしい。
彼が黙読するさなか待つこちらとしては緊張で胃をキリキリさせていたのだが。
「ヘルツオン団長。またこんなところで油を売って」
回廊のど真ん中で書類を読みふけるバーナードの首根っこを副団長が捕まえた。
「何をする。仕事中だぞ」
「そもそも、アマーリエの直属の上司もまだ読んでいないでしょう、その報告書。あなたときたらそうやって部下の仕事をすぐに取るんですから。誰かさん限定で」
「こら! 余計なことを言うな!」
叫ぶバーナードの声と被さるように心の声が聞こえてくる。
『今の会話で私がアマーリエに気があると本人に気付かれたらどうする! 男たるもの、気持ちを伝えるにはそれにふさわしい手順とシチュエーションがあるんだぞ!』
「だったら、さっさとついて来て下さい」
副団長のジェイムスは遠慮という代物をどこかへ置いてきたかのように容赦なくバーナードを引きずっていった。
一人その場に取り残されたアマーリエは、心の声を聞いてしまった罪悪感と彼の気持ちのありかに、じわじわと頬を染めたのだった。
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