【プロット】居酒屋「白木蓮」
金曜日の夜、霞が関のビル街は人影もまばらだった。
しかし、その一角にある居酒屋「白木蓮」は、仕事帰りのサラリーマンで賑わっていた。
カウンター席の端に座る男、佐伯誠は、総務省の課長補佐を務める、生真面目な公務員だ。
彼のデスクはいつも書類が整然と積み重ねられ、手帳には1週間先までの予定がびっしりと書き込まれている。
飲み会でさえ、事前に店を予約し、参加者の人数を確認する几帳面さだ。
そんな佐伯が、1人で居酒屋にいるのは珍しいことだった。
いつもは同僚に誘われるままに飲みに行くのだが、今日はどうしても1人でゆっくりと酒を飲みたかった。
「いつもの、生ください」
佐伯はカウンター越しに、女将に声をかけた。
女将はにこやかに頷き、冷えたジョッキを差し出す。
キンキンに冷えたビールを一口飲むと、仕事の疲れが溶けていくように感じた。
佐伯は目を閉じ、今日の出来事を振り返っていた。
午前中は、大臣へのレクチャー資料の作成に追われた。
午後は、国会答弁の下準備。
夕方には、来週行われる会議の資料に目を通した。
どれも重要な仕事だが、神経を使うものばかりで、心身ともに疲弊していた。
「はぁ ───」
佐伯はため息をつき、ジョッキに残ったビールを飲み干した。
「何か、おつまみはいかがですか?」
女将が声をかけてきた。
佐伯はメニューに目を走らせる。
焼き鳥、揚げ物、煮物、どれも美味しそうだが、なかなか決められない。
優柔不断なわけではない。
ただ、どの料理が一番ビールに合うのか、じっくりと考えたいだけなのだ。
「えーっと」
佐伯が迷っていると、隣の席に座っていた男が話しかけてきた。
「兄ちゃん、初めて来たのか?」
男は、いかにも常連といった風貌で、赤い顔をして上機嫌に酔っていた。
「あ、はい。初めてです」
佐伯は少し戸惑いながら答えた。
「なら、これオススメだよ。ここのモツ煮込みは絶品なんだ」
男はメニューを指さしながら言った。
「あ、ありがとうございます」
佐伯は言われるがままに、モツ煮込みを注文した。
「一人で飲んでるってことは、何かあったのか?」
男は詮索好きなのか、さらに話しかけてきた。
佐伯は少し警戒したが、無視するのも失礼だと思い、適当に答えた。
「ええ、まぁ」
「仕事で何かあったんだろ?
俺も昔はサラリーマンだったからわかるよ。
上司に怒られたり、取引先に無理難題を言われたり…色々あるよな」
男は自分のことのように語り始めた。
佐伯は相槌を打ちながら、男の話を聞いていた。
男は、会社を辞めて独立したものの、うまくいかずに失敗したという。
今は、日雇いの仕事で生計を立てているらしい。
「でも、後悔はしてないよ。
自分の好きなように生きてるからな」
男はそう言って、豪快に笑った。
佐伯は、男の生き方に少し憧れを感じた。
自分は、レールの上を歩くように生きてきた。
安定した仕事、平凡な家庭…何もかもが予定調和だ。
「俺も、もっと自由に生きてみたいなぁ」
佐伯は思わず呟いた。
「なんだよ、兄ちゃんも悩んでんのか?
だったら、もっと飲もうぜ!」
男はそう言って、佐伯のジョッキにビールを注いだ。
「あ、ありがとうございます」
佐伯は、男の勢いに押され、ビールを飲み干した。
その夜、佐伯は男と遅くまで飲み明かした。
男の名前は、田代といった。
田代は、様々な話をしてくれた。
世界中を旅した話、起業に失敗した話、家族と喧嘩した話。
どれも、佐伯にとっては新鮮で刺激的な話だった。
「兄ちゃん、たまには羽目を外すのもいいもんだぞ」