特訓
学院での授業が終わり、夕暮れ時になった。
俊一は寮を抜け出し、昨日と同じ道のりを歩いた。
――あんなに胡散臭さそうな男なのに、なぜ俺はあの人をあんなに信じられるのだろう。あの人は誰よりも俺に安心感を与えてくれた。不思議な人だ
男は昨日と全く同じ場所にいた。相変わらず、汚い身なりに、髪も伸びっぱなしだが、髭だけは剃ったようだった。
「どうだ?髭を剃っただけで随分と綺麗に見えるだろ?」
俊一は笑った。
「マイナス100がマイナス90になったくらいだよ。大して変わらないさ。髪の毛も切ったらいいじゃないか」
「ふーむ、それはできない事情があってな」
「髪の毛を切れない事情ってなんなんだ?どうせあんたは学院から隠れてるんだろ。別に、顔がちゃんと見えたって問題ないじゃないか」
「…………」
男はなにも言わず、少しだけ笑みを浮かべた。
「そんなことより訓練の続きだ。時間は有限だ。無駄にしてる暇はないぞ」
男は手のひらから昨日と同様に火の球を出し、空中に浮かべた。
「これを消して見せろ」
――どれだけ時間を縮められるか?初めての挑戦で成功したんだ。今回は30分もあればいけるはずだ
男はそのように考えたが、俊一はその予測をはるかに上回る結果を出した。
俊一は、10分足らずで、ものの見事に火の球を消し去ってしまったのだ。
「多分、次は一瞬で消すことができると思う。もっと大きな炎だったり、複雑なものだったりしたら別かもしれないけど」
男は唖然としてそれを聞いた。
――おいおい、俺がこれを習得するのに、どれだけ時間がかかったと思ってるんだ?2日でここまで出来るのか。俺と一体何が違うんだ?
考え込んでいる男に、いぶかしげな様子で俊一は話しかけた。
「……?何か、問題がありますか?」
「いや、何の問題もない。大したやつだと思っただけさ。次の訓練に入ろう」
そう言うと、男は側に置いてあった1メートルほどの木の棒を拾った。
それを使って土の地面に円を描く。それは直径が木の棒と同じくらいの長さで、2人の人間が向き合って立てるくらい面積だった。
「この中に入るんだ、そして出てはいけない」
「ああ……、それで何をするんだ?」
男は、俊一と共に円の中に入って、持っていた木の棒を渡した。
「これを使って、俺に一発でいいからあてて見せろ」
「まさか、あんたもこの中から出ないのか?」
「もちろんその通りだ」
俊一は困惑した様子で男を見た。
「この棒って、当たったら普通に痛そうなんだが……」
「心配しなくていい。絶対にお前は当てることができない。遠慮しないで本気でくるんだ」
俊一は信じられない様子だったが、試しに軽く棒を振ってみる。
男は体を曲げるだけで、足を動かさずに簡単に避けてしまった。
「本気で来い!遊びじゃないんだ!」
俊一は、今度は素早く棒を振り下ろした。だが、男は事も無げに体を捻るだけでそれを避けてしまう。
ようやく俊一は、本気で振っても、当てられないかもしれないと思い始めた。
しばらく彼は、棒を縦や斜めに振り下ろしを続けたが、男はやはり上体の動きだけですべてかわしきってしまった。
俊一は、もはや加減することなど忘れていた。全力で棒を振るが、まったく当たる気配はない。
それならこれはどうだと、俊一は棒を横に振るが、男は頭を前に屈めるようにしてかわしてしまった。結局、足は動かしていない。
――突きならさすがに円の中から出ないのは無理なはずだ!
しかし、俊一が思いっきり棒で突きを入れても、男は半歩体をずらしただけでよけられてしまう。
逆に、俊一が姿勢を崩し、円から足がはみ出てしまった。
「ダメだぞ。相手だけじゃなくて、自分のことも意識して動くんだ」
その後、3分間、棒を振り続けたが、結局俊一はかすることもできなかった。
「よし、そこまでだ。いったん休憩しろ」
俊一は疲れ切って座り込んでしまった。息も絶え絶えになっている。
対照的に、男は涼しげな顔をして、まったく疲れた様子を見せていない。
「体力ないなぁ。俺と稽古していない時でも、ランニングしたりして体力付けとけよ」
「ハァ、ハァ、あんたが……、おかしいんだよ……。なんで、……一発も当たらないんだ」
男は、指で頭を指す。
「ここを使ってよく考えろ。お前にはそれができるはずだ。さあ、交代だ。今度はお前が避ける番だ」
「おい、嘘だろ!俺がそんなことされたら死んじゃうよ!」
男は笑う。
「さすがに、木の棒は使わないよ。俺が使うのはこれだ」
男は細い枝を持って見せた。それは鉛筆くらいの長さしかない。
そして、男は地面の円を直径3メートルくらいに描きなおした。
「このくらいでいいかな。これでも何発も当たってあざだらけになるんだがな」
「そんなの簡単に避けられるって言いたいけど、無理なんだろうな……」
実際に無理だった。そして男の言う通り、あざだらけになった。
俊一はヘトヘトだった。体は一歩も動かない。体を動かす訓練は、合計しても6分程度の時間しか使っていない。それなのに異常に疲れていた。
「もうへたばったか。まあ初めてだとこんなもんか。体力つけとけよ」
「…………」
俊一はしゃべろうとしたが、あまりに疲れて声を発することができなかった。
しばらく時間がたった。
俊一はやっと息が普通の状態に戻ってきた。
「なあ、その……、こんな訓練でいいのか?俺は魔法が使えるようになりたいんだ。あの魔法を消すやつは使っちゃダメなんだろ?それだと、結局俺はなんもできない奴じゃないか」
「問題あるか?基礎は大事だぞ。今やっていることは必ず将来生きる。この学院にはそれをおろそかにしてるやつが多いんだ。いずれお前の方が強くなるよ。だから、焦るな」
「それじゃダメなんだ。数日後、俺はグレンってやつと戦わなければならないんだ。俺はあんな奴に負けたくない。だから、魔法を使えるようにしてくれよ」
「なんでだ?訓練だろ?負けたら死ぬのか?お前のちっぽけなプライドが傷つくくらいだろ」
俊一は不平な顔をした。
「でも、あいつは俺をなぶるって言ったんだ。死なないくらいの力で、ずっとそれを続けるって」
「ほう、なら自分から相手の攻撃に思いっきり当たりに行け。そうすれば致命傷になり、防護装置が発動して試合終了だ」
「それは……」
男に言われて、俊一は気が付いた。男の指摘した通り、自分のプライドに傷がつくのが嫌だったのだ。
――そうだ。俺はグレンからもらう痛みを恐れていたんじゃない。公衆の面前であいつにいたぶられて、さらし者にされることが嫌だったんだ。だけど、勝ちたい、俺は
俯く俊一の様子を見て、男は優しく声をかけた。
「あの力を使えば、お前は勝てるだろうよ。でも、俺との訓練は続けられなくなるし、この学院から逃げなきゃいけなくなるんだ。お前は、これからものすごい成長をするだろう。最初に教えた特殊な力を使わなくても、お前は、いずれこの学院の生徒たちなんて相手にならないほどの偉大な魔導士になるよ。だから、そんなつまらない奴のせいで躓くな」
俊一は何も言えなかった。
この世界に来て、プライドなど、すべて捨ててしまったと思っていた。それでも、彼には、まだ燃えるような精神が心の奥に眠っていたのだった。




