転機
「……俺は失敗してしまったんですね……」
俊一が目を覚ましてから発した第一声だった。
それは消え入りそうな声だった。
実際に消え去ってしまいたかったのだ。俊一はいつの間にか気絶してしまったことで、ものすごい自己嫌悪に陥っていた。
――結局、俺は何も変えることができないのだ
「いや、素晴らしかったぞ。実はな、これに成功するには、本来、2、3日はかかると思っていたんだ。本当にすごいぞ!」
「……成功した?」
「ああ、見事に火の球を消して見せた」
俊一の顔がぱっと輝いた。それはこの世界に来て、初めて見せた笑顔かもしれない。
いや、転生前の世界でも、自分がここまで苦しんだ挙句、成功したという体験をしたことがあっただろうか?
「明日もこの訓練は続けるぞ。最終的には一瞬でこれを消せるようになるのが目標だ。それと並行して別の訓練もやる予定だ」
「じゃあ、今日は……?」
「お前が倒れてしまってから1時間くらい経過している。門限は夜の11時だろ?あと、30分程度だ。戻った方がいい」
「その……、ありがとう。本当に何と言っていいか」
「礼はいらんさ。その代わり、俺からの忠告を絶対に守ってくれ。第一に、俺の存在を誰にも教えない」
「それはもちろんさ」
「第二に、今日教えた技術は、お前に命の危険が迫るまでは使ってはならない」
「え、それだと……」
「今日はもう戻るんだ。ゆっくり休んで頭の疲れを取れ。明日になったらこの場所にまた来い」
「……ああ、分かったよ」
俊一は、この力を磨いてグレンに対して使い、目に物を見せてやることを考えていた。あんな奴に負けたくなかった。
しかし、それが叶わないと知って落胆した。
――だけど、明日からまた別のことを教えてもらえるんだ。それに期待しよう
「よかった。門限前に戻ってきて。心配してたのよ」
俊一が寮の前に戻ると、エレナが彼を待っていた。
俊一がいなくなってから3時間以上経過しているはずだ。
――ずっと俺のことを待っていたというのか?
俊一は嬉しくてたまらなかった。
今日は魔法を使えるようになり、そして憧れの女の子が自分のことを気にかけてくれていたことを知ったのだ。
なんて良い日なんだろうか。
「……その、災難だったわね」
「なんともないよ、別に」
俊一は顔を赤くして、ぶっきらぼうにそう答えた。
彼はその性格が災いして、転生前の世界でもほとんど女子と話した経験がなかった。そして、以前のような傲慢さがとれた俊一は、女の子とどうやって会話していいのか、分からないことに気付いてしまった。しかも相手はあのエレナなのだ。
俊一は、女性に免疫のない、そのような態度を取ってしまったことに、ものすごい羞恥心を感じた。
しかし、エレナは、俊一のそうした態度を気にせず、意を決したように話しかけた。
「今日ここに来たのはね、本当はあなたに聞きたいことがあったのよ。そうしたら、たまたまグレンがあなたに悪さをしようとするのを見てしまったのだけれど……。それで、聞きたいことっていうのは――」
その瞬間、俊一は嫌な予感がした。エレナの質問の内容は分からない。だが、その質問は彼女の身に危険を及ぼすものだ。なぜか俊一にはそれがわかってしまった。
俺のことを気にかけてくれた少女。この世界で俺のことを気遣ってくれたのは、あの男とエレナだけだ。絶対に彼女を危険にさらしてはならない!
「なあ、帰ってくれないか!俺は疲れているんだ!」
俊一は強い口調でエレナを突き放した。
エレナは、俊一の顔を驚きをもって見た。彼からそのような乱暴な返事が返ってくるとは、予想だにしていなかった。
俊一は、戸惑っているエレナを余所に、ずかずかと寮の中に入って行った。
彼女は呆然とその姿を見ている。
――良い日だなんて嘘だな。最悪じゃないか。これで嫌われただろうな。自分の命を助けて、その上ここまで心配してくれた人を失うのか……
俊一は寮の自室に入ると、すぐにベッドに横たわった。
俊一にとって、その日はあまりに色々ありすぎた。悪意に立ち向かったこと、女の子に助けてもらって恥じたこと、魔法を初めて使えて喜んだこと、そして自分を助けてくれた女の子に嫌な態度を取ってしまったこと……。
いつの間にか、彼は眠りについていた。
翌朝、俊一は重い足取りで寮から学舎へ向かった。
エレナの顔を見るのが怖かった。
――きっと彼女は冷たい目で俺のことを見るだろう。でも、いいんだ。俺の選択は間違っていなかった。彼女に嫌われても、彼女を危険にさらすよりはましさ
彼はそう自分に言い聞かせた。
俊一が教室に入ると、意外なことにポールが彼の席に来て、話しかけてきた。
「その……、昨日は本当に申し訳なかった。どんなに謝っても許されることでないのは分かってる。それでも、謝りたいんだ。それに、本当はエレナさんが来る前に、俺が体を張ってでもグレンを止めなければならなかったんだ。……だけど、昨日の陶冶君の言葉は、僕の頭を殴りつけるような衝撃を与えてくれた。僕は、今まで自分が弱いという事実から逃げてきたことさえ気づかなかったんだ。本当にありがとう」
俊一は、驚ろきの目でポールを見た。彼は気が弱く、そのようなことを言う少年には見えなかった。しかも、クラスのつまはじき者の俊一に話しかけたのだ。相当な勇気が必要だったに違いない。
「俺も君の腹を殴ったんだ。お相子だよ。謝らないでくれ。でも、いいのか?俺に話しかけて?グレンは確かにくそ野郎さ。それでも、あいつと一緒にいた方がマシじゃないのか?俺なんかとかかわると、君も村八分になるんだぜ」
「いや、そんなこと構うものか。俺は弱い。魔法の才能も大したことないのも分かっている。それでも、昨日の陶冶君みたいに、本当の強さを得たいって思ったんだ。だから、俺と友達になってくれないか?」
俊一はさらに驚いた様子でポールを見た。この世界に来てからまともな学院生活を送ることを諦めていた。
しかし、関係は崩れてしまったかもしれないが、エレナに話しかけられた。
その後、自分を導いてくれるかもしれない人にも出会った。そして、友人になりたいと申し出てくれる人までもが現れたのだ。
――今まで色々諦めてたけど、やっていけるかもしれない
「ありがとう、ポール。今日から俺たちは友達だ」
2人は笑いあった。
エレナはその様子を遠くの席からぼんやりと眺めていた。
――どうしてなの?なぜポールは受け入れられて、私は拒絶されるの?陶冶君はあらゆる人を拒絶しているから、私にあんなふうに言ったんじゃないの?昨日、私が出ていって、グレンから彼を助けるような真似をしたのがいけなかったのかな?でも、あの時は……
エレナは、俊一を初めて見た時、なんて綺麗な目をしてるんだろうと思った。彼女からしたら、クラスメイトたちは、いや、この学院の者たちはみな、どこか濁った目をしている。俊一にはそれが全くなかった。
だから、エレナは俊一とずっと話してみたかった。だけど、その勇気がが出なかったのだ。自分も濁った目をしているんじゃないか?それを俊一から突き付けられることを彼女は恐れていた。
――きっと私もこの世界に染まってしまっているんだ。そうならないように、今まで気を付けて過ごしてきた。でも、彼から見たらそうじゃなかったんだ。だから、私を避けるんだ……
俊一とポールは楽しそうに語り合っていた。よく見ると、ポールも澄んだ瞳に変化しているようだった
エレナは、顔には出さなかったが、どんよりとした暗い気持ちに包まれながら、その様子を見ていた。




